沙 漠 の 大 河 ── リ バ イ バ ル の 恩 恵



 『荒野とうるほひなき地とはたのしみ、沙漠はよろこびて番紅さふらんの花のごとくにさきかゞやかん。さかんに咲かゞやきてよろこびかつよろこび且うたひ、レバノンのさかえをえ、カルメルおよびシャロンのうるはしきを得ん。かれらはヱホバのさかえを見、われらの神のうるはしきを見るべし。
 なんぢらなえたる手をつよくし弱りたる膝をすこやかにせよ。心さわがしきものにむかひていへ、なんぢら雄々しかれ、おそるゝなかれ、なんぢらの神をみよ、刑罰きたり神のむくいきたらん、神きたりてなんぢらを救ひたまふべし。
 そのとき瞽者めしひの目はひらけ、聾者みゝしひの耳はあくことを得べし。そのとき跛者あしなへは鹿の如くにとびはしり、唖者おふしの舌はうたうたはん。そは荒野あれのに水わきいで、沙漠に川ながるべければなり。やけたる沙は池となり、うるほひなき地はみづの源となり、野犬のふしたるすみかは蘆葦あしよしのしげりあふ所となるべし。かしこに大路おほぢあり、そのみちは聖道きよきみちととなへられん。けがれたるものはこれをすぐることあたはず、たゞ主の民のために備へらる。これを歩むものはおろかなりとも迷ふことなし。かしこにしゝをらず、あらき獣もそのみちにのぼることなし。さればそこにてこれにあふ事なかるべし。たゞあがなはれたる者のみそこを歩まん。ヱホバに贖ひすくはれし者うたうたひつゝかへりてシオンにきたり、そのかうべにとこしへの歓喜よろこびをいたゞき、たのしみとよろこびとをえん。而して悲哀かなしみとなげきとはにげさるべし。』(イザヤ書三十五章)

 いよいよ修養会の終となりました。かくこの集会の最後に到達することは厳粛を感ずることであります。神様はこの集会において私共銘々のために驚くべき恩恵めぐみを蓄えておられました。皆様の豊かに恵まれなさいましたのを拝見して感謝に堪えません。しかし終わりに臨み、私は、皆様がもう一度、主の聖前みまえに厳粛に心のうちを探りなさるよう申し上げなければなりません。神様はこの集まりを通して皆様に一、二の約束を示したまいました。皆様はそれらのお約束の中に表れている恵みを現実にして頂きましたか、どうですか。神様が私共のためにと思し召したもうた恵みを未だ受け取っておりませんならば、今晩はほんとうにもう一度悔い改めて依り頼む晩たらねばなりません。神様のなしたもう恩恵の御業みわざは当然私共の受け得べきもので、もしそれをまだ受けておらないとすれば、原因は内心の不信仰にあります。よろしく衷を探って悔い改むべき筈であります。
 また最後に臨んで自然私共の心に起こる思念は将来に関することであります。私共は間もなく、楽しかったこの集まりといろいろな教訓とから離れて、各々家路に就かなければなりません。私共はこの山を下りて家に帰っても、なおこの山で主イエスとともなりましたように恩恵の中に留まることが出来るでしょうか。もちろん、主は少しも変わりたもうことなく、山の下にも、家庭に在りても、毎日の仕事の中にも同様に皆様を恵みたもうでしょう。ここで得られた恵みは主ご自身から来たものであって、先々においても、この山にて恵みたもうたと同様に主は少しも変わらず皆様を恵みたもう御方であります。
 皆様は今朝ここで幸いな集まりを持たれたことを伺いました。そのメッセージは、主のために証詞あかしすることと亡ぶる霊魂たましいを主に導くことについてでありました。皆様はいずれも恵まれなさったことと思います。また、このたび、多くの方々が何れかの道においてそれぞれ恵みを蒙られました。すなわちきよめられ、聖霊を受けられ、たされたのであります。ですからこの集会から遣わされて行く兄弟姉妹たちは九州全土の

リ バ イ バ ル の 口 火

となるべきほど充分に恵みを受けられた方々であることを信じて疑いません。神はリバイバルを与えたもう。喜んで与えんとして備えいたもう御方であります。皆様が、受けた恵みに忠実に光の中を歩みなさるならば、主が周囲に働きたもうを見せて頂くことができるでありましょう。今日まで日本のあちこちでこういう集会を致しましたが、みなリバイバルに対して深い希望と期待とを持っておられるのを見て嬉しうございました。リバイバルのあこがれは、軽井沢の宣教師たちの中にもあることを見ました。有馬の修養会では六、七百の人々が心を合わせてリバイバルのために切に祈ったのであります。間もなくあちらこちらにリバイバルの徴候しるしを見ることでありましょう。今晩お集まりの皆様も、リバイバルのため、憧れと重荷をお持ちになるように祈ります。また必ず与えられることを信じて頂きとうございます。さて今晩はイザヤ書三十五章から申し上げたいと存じます。これはリバイバルの章であります。一節と六節の終とを見ますと

 『荒野あれのとうるほひなき地とはたのしみ、沙漠はよろこびて番紅さふらんの花のごとくにさきかゞやかん』
 『そは荒野に水わきいで、沙漠に川ながるべければなり』

 ここにある、荒れ野に破れ出ずる流れとは神の聖霊の流れであります。しかして前の一節に言われる

栄 え あ る 変 化

は神が私共の衷に行われる聖霊の聖業みわざであります。荒れ廃れた曠野あれのが麗しい花園に変えられるというのであります。荒野と言えば、様々な雑草やいばらや、全く値打ちのないものばかり生い茂っているところであります。それに引き代えて日本の皆様は麗しい花園はよくお解りになるでありましょう。神が仰せたまいますには、リバイバルはさながら、荒れ野のようなところが美しい花園に変わることだというのであります。この大変化の生ずる原因は何でありますか。これは六節にあるごとく聖霊が破れ出でて下さるからであります。
 『そは荒野に水湧き出で、沙漠に川流るべければなり』。この『湧き出で』とは破れ出すという意味で、どんな抵抗や障碍にも打ち勝ち、強い力をもってほとばしり出で流れることを意味しております。私共の周囲を見回す時、そこには福音に逆らう者や反対する罪、よこしまが充ち満ちています。しかし荒野に水湧き出で、沙漠に川流れるとの聖言みことばのごとく、聖霊によってすべてこれらに打ち勝ち、立ち越えていくことが出来るのであります。ですから皆様が一度聖霊に働き出してさえ頂くならば、あまりに大きすぎる困難ということはありません。あのイスラエルの子らがエジプトから救い出されてカナンへの旅行中、沙漠で水がなくなり、死に直面した時がありました。神はモーセをして民を岩の前に集めしめ、しかして岩に命ぜよと仰せたまいました。そこでモーセは命ぜられたごとく致しましたが、その時、あの堅い岩から水が迸り出で、イスラエルは死を免れることが出来たのであります。ペンテコステの時にも同様でありました。当時の事情は聖霊に反することばかりでありましたが、聖霊は破れ出で流れ出でたもうてリバイバルが始まったのであります。しかして私共が神の聖業の記録を読む時、ここ五、六年の間にすらしばしばリバイバルの聖業を見るのであります。これらは聖霊があらゆる障碍や困難を打ち破って、荒野を花園に変えたもうた実例であります。
 二節を見ますと、聖霊が教会の中にいかに麗しいものを齎すかが書いてあります。

 『さかんに咲かゞやきてよろこびかつよろこび且うたひ、レバノンのさかえをえ、カルメルおよびシャロンのうるはしきを得ん。かれらはヱホバのさかえを見、われらの神のうるはしきを見るべし』

 まず聖霊は教会の中に喜悦よろこびと讃美とを齎したまいます。数日の間、ここでもこれを経験いたしました。神はその民が聖前みまえにて喜びに満たされることを見たく思いたまいます。私共の集会も奉仕も喜びに満ちておらなければなりません。聖霊の働きたもうところは何処いずこでもいつでも喜悦と讃美とがあるのであります。どなたの心にも、聖霊が臨みたもうならばまず喜悦と讃美とが与えられます。次にレバノンの栄えが与えられると書いてありますが、レバノンは香柏、檜をもって有名な山であります。香柏は深く大地に根を下ろす強い樹でありまして、如何なる嵐にも倒される心配のない喬木であります。ですから『レバノンの栄えを得る』とは、聖霊が働きたもうならば、神の教会が鞏固に栄え、如何なる困難迫害にも見事に打ち勝つ立派さを表すことであります。また『カルメルおよびシャロンの美しきを得ん』とありますのは、この二つの場所は共にカナンの全土中にも有名な果物の産地であります。すなわち神がかく仰せたもう思し召しは、リバイバルの時には多くのが結ばれ、多くの収穫物があるということであります。なおこの二節の終わりには、『かれらはヱホバのさかえを見、われらの神のうるはしきを見るべし』とありまして、聖霊が働きリバイバルの恩恵めぐみが続けられるところには、人々の心の目が明らかになり、神はいかに愛に富みたもう御方であるかを見せしめられ、また、十字架におけるキリストの驚くべき犠牲の真味を悟らしめて頂き、また聖霊の齎す豊かな恵みをそのままに味わわしめて頂く次第であります。かくのごとく神の栄えと神の美とを心に示して頂くならば、自然クリスチャンは強固にせられ、証詞あかしせずにはおられなくなるでありましょう。実に一節、二節のような聖霊のお働きの前進をあこがれる次第であります。
 そこで三節と四節とを見ますならば、そのような麗しいリバイバルの業が与えられたならば、続いて私共の側にては何をなすべきかが解ります。

我 等 の 責 任

 『なんぢらなえたる手をつよくし弱りたる膝をすこやかにせよ。心さわがしきものにむかひていへ、なんぢら雄々しかれ、懼るゝなかれ、なんぢらの神をみよ、刑罰きたり神のむくいきたらん、神きたりてなんぢらを救ひたまふべし』

 神様は一人一人に『萎えたる手を強くせよ』と仰せたまいます。私共の今日までの働きはいかにも弱々しい貧弱なものではなかったでしょうか。どうでしょう、他の霊魂たましいを導くために当然払うべき犠牲を払いましたか。友の救われるために喜んで十字架を負いなさいましたか。思うに主のためになした過去の奉仕はあまりにも弱々しいものでありました。微弱なものであったと言わなければなりません。神の前によろしく涙をもって悔ゆべきであります。神は仰せたもう、『萎えたる手を強くせよ』と。あなた自身をお働きのために主に明け渡しなさい。亡び行く霊魂の救われるために喜んで十字架を負いなさい。しかせば主はあなたの手を強くなしたまいます。
 次には『弱りたる膝を健やかにせよ』とあります。この聖言みことばは、私共の祈りの生涯の微弱さ、実際に標準以下であることを指摘しています。祈りには天を開く力があります。祈りは天の恵みを他の人々に引き下します。顧みて私共の過去の祈りはいかに力弱いものでありましたろうか。主はいま仰せたもう、『弱りたる膝を健やかにせよ』と。リバイバルはいつでも祈りから始まります。私は今晩、皆様の心の中にこれを深くしとうございます。人々の救いのため、また他の人々にも恵みが注がれるために祈る者となって頂きとうございます。まず神の前に自らのうちを省み、今までなし来ったことの如何にも少なきを認めて、あらゆる悔い改めと謙遜とをもって聖前みまえにおいでなさい。また人々をサタンの手から救い出して神に導き帰らしめることに如何に力なき者であったかを言い表しなさい。そして新しく信仰をもって主を見上げなさい。また神は祈りに応えて皆様に人々を導く力を与えなさることをお信じなさい。
 かくこの三節はリバイバルのために大切な二つのことを教えております。すなわち働くことと、祈ることでありますが、さらにもう一つのことは四節の『心さわがしき者に向ひて言へ、汝ら雄々しかれ、懼るゝなかれ』に示されております、懼るるなかれであります。世にはリバイバルについて語られる時、心に懼れを抱く者があります。かかる人は確かにその衷に、まだ主に明け渡しておらない何物かを持っているのであります。かかる人は、今までは十字架を負うことはしなかったが、もしリバイバルが起こるならば、新しく十字架を負わなければならないかと懼れるのであります。私共はかかる人を励まさねばなりません、『懼るるなかれ』と。すなわち互いに神の恩恵めぐみを語り合い、励まし合い、リバイバルについて語り合わなければなりません。聖霊が力を与えて多くの恩恵を与えて下さる時を語り合わなければなりません。私共は聖書を尋ね調べて、神の力強さを、またその約束を探し出しとうございます。六、七十年前、米国にフィニーという大伝道者がありました。神は驚くべく彼を用いて多くの人々を救い導かしめ、教会の中に大いなるリバイバルを与えたもうたのでありますが、彼、フィニーは申しました、『神のことばに基づいて働き出すならば、当然リバイバルを期待してもよい』と。また彼は、このリバイバルを進める一つの善いみちは、リバイバルについて多く語り、神が如何に大いなる恩恵を与えたもうたかを語り合うことだと言っております。そのごとく、私共も『懼るるなかれ』と互いに励まし合い、語り合いとうございます。
 四節の終わりに、『なんぢらの神をみよ、刑罰きたり神のむくいきたらん、神きたりてなんぢらを救ひたまふべし』とあります。『汝らの神を見よ』とはいかに力強い勧告すすめでしょうか。すべてから眼を放って神を見るのは勝利の秘密であります。怖れは去って信仰が与えられて参ります。また、『刑罰来り』とは神の仇返しであります。主イエスの御譬えの中で、かのやもめは不義なる裁判人に仇を報いたまえと願っておりますが、私共がたとえ今にても謙遜と悔改と祈禱とをもって御前に近づくならば、神は今まで私共の怠慢や不信仰のために敵に喰い亡ぼされていた点をも豊かに償って下さるのであります。神の報いは来ります。これは報酬であります。私共の悔改と祈禱と信仰に対する報いであります。そればかりではありません。『神来りて汝らを救いたまうべし』。何たる御恩恵おんめぐみですか、神御自身は聖霊によって私共に来りたまいます。実に神様は来りたもうて教会の中から不信仰や疑惑や二心をことごとく取り除き、救いたもうのであります。神様は来って聖霊のすべての力をもて全き救いを与えたまいます。私は皆様が、この三節と四節を味わって、この二つの聖言をもて祈りなさることを切にお勧めする者であります。

リ バ イ バ ル の 効 果

 さてこのイザヤ書三十五章の五節以下後半は、リバイバルの効果について語っているところであります。
 第一の結果は盲人の目が開けることであります。この世の神たる悪魔は不信者の心を眩まして、神の栄光の福音の光を照らさざらしめております。しかし神は、聖霊によりてこれらの人々の目を開き、神の真理を見得るようになしたまいます。聖霊によりてこれらの人々の見る第一のことは、自らの罪深きことと、神の聖前みまえに死の他はない者であるということであります。私共はよろしく彼らのために、その眼が開けて自分の真の姿を見、またそんな自分に対する神の恩恵めぐみの宏大なるを見得るに至るよう祈るべきであります。
 第二には聾者の耳が開くことであります。彼らは神の声を聞くことができるようになります。その聖声みこえたるや、如何に甘美なるものでありますか。神は聖霊によって彼らにこの聖声を聞かしめて、彼らを安息と、平安とに導きたもうのであります。かくて神が彼らの心に語りたもう聖言みことば、そのお約束こそ頼むに足るものだと信ぜしめられるものであります。
 次のことは跛者が鹿のごとくに飛び始めるということで、これはただに跛者が癒されて歩むというのみならず、彼らの両足の骨も肉も完全にされ、運動家の足のごとく強くされ、神の御為に鹿のごとく飛び走ることが出来るようにして頂けるというのであります。すべての罪人はいわば跛者であります。彼らは神の聖前に歩むことが出来ません。けれども聖霊がお働き下さる時、跛者は立って神のきよき大路を歩み得るのであります。
 第四は『唖者の舌は歌うたはん』、すなわち聖霊が働きたもう時、神をめ奉る讃美が奉られるのであります。今まで讃美も証詞あかしもできなかった霊的唖者の舌は解け、唇は開けて、人々に向かって明らかに証詞をなすことができるようになるのであります。
 そればかりではありません。八節を見ますと、

 『かしこに大路あり、そのみちは聖道きよきみちととなへられん。穢れたるものはこれを過ぐることあたはず、たゞ主の民のために備へらる。これを歩むものはおろかなりとも迷ふことなし』

 何処でも聖霊の働きたもうところ、クリスチャンは『聖き道と称へらる』る道を行き、きよめられた生涯を送らしめられるのであります。
 最後の二節は、神の教会の麗しきさまを描き出しております。実にここにはカルバリの十字架によりて贖われ救われた者の如何に幸いなるものであるかが書かれております。神様の栄光を望み、シオンの栄えを見て一路邁進することができます。しかしてシオンに至る間の地上の旅路は歓喜と讃美に満たされたものであります。永遠の喜びを頭に頂いております。
 以上、私共はこの章において、リバイバルのいかに麗しいものであるかを学びました。皆様はかかる恩恵めぐみの有様をあなたの街において欲しくはありませんか。皆様のご家庭に欲しくはありませんか。この幸福をこの日本全国、津々浦々に欲しなさいませんか。私は皆様が、このリバイバルを与えられるために、また人々が救いを受けられるために、心を一つに縫い合わされて祈る者であらんことを願います。かくてこそ荒れ野にも水湧き出で、沙漠に川は流れるのであります。しかして神様はこのことにおいても私共にも一つの責任があるごとくにしていたもうのであります。神様は祈る者に聖霊を注ぎたもうと仰せたまいます。聖霊は私共のなすところにいたくまさって霊魂たましいの救いのため働きたもう御方であり、また如何にもして霊魂を救わんと願っていたもう御方であります。しかし神様は、私共をもこの働きに加えて、その救霊のために私共の証詞を用いんとしたまいます。また、私共は主イエスの福音を人々に知らしめる責任を主より持たせられていることを自覚すべきであります。願わくば皆様お一人お一人が聖霊の御思いを知り、亡び行く人々の救いのために各々十字架と犠牲を忍び、その最善をなすに至らんことを。私共の周囲には罪とよこしまが満ちはびこっております。周囲は一面の荒れ野です。しかし神様はこれを変えて神の花園となしたまいます。神の国に一つひとつ霊魂が導かれて、かくなりますよう祈りとうございます。

 父なる神よ、今晩、私共の心のうちに、あなたの明らかなる使命を、聞かせたまいしことを感謝いたします。
 おお主よ、今までの働きとあかしとを考えて見ますならば、ただ悔い改めて、砕けたる心をもって、あなたの前にひれ伏して、罪を言い表すほかに道がありません。主よ、今晩、聖霊の火をもって、新しい生涯を始めることができるよう、恵みを与えたまえ。特別に罪を取り捨てて言い表し、新しい力をもって、人々を罪の王サタンの手から救い出し得るよう、恵みを与えたまえ。
 おお父なる神よ、どうかリバイバルのための重荷を我らに与えたまわんことを乞い願い奉る。この祈りを主イエス・キリストの聖名みなに由ってこいねがい奉ります。アーメン。
 願わくは主イエス・キリストの溢るるほどの恵み、父なる神の慈しみ、聖霊なる神の恵みの力、汝らと共にあらんことを。アーメン。


 沙漠の大河 終



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