第六篇 題目 我を憐み給へ (二)
我が魂を救ひ給へ (四)
八音ある琴にあはせて伶長にうたはしめたるダビデのうた
- ヱホバよねがはくは忿恚をもて我をせめ烈しき怒をもて我をこらしめたまふなかれ
- ヱホバよわれを憐みたまへ われ萎みおとろふるなり ヱホバよわれを醫したまへ わが骨わなゝきふるふ
- わが靈魂さへも甚くふるひわなゝく ヱホバよかくて幾何時をへたまふや
- ヱホバよ歸りたまへ わがたましひを救ひたまへ なんぢの仁慈の故をもて我をたすけたまへ
- そは死にありては汝をおもひいづることなし 陰府にありては誰かなんぢに感謝せん
- われ歎息にてつかれたり 我よなよな床をたゞよはせ淚をもてわが衾をひたせり
- わが目うれへによりておとろへ もろもろの仇ゆゑに老ぬ
- なんぢら邪曲をおこなふ者ことごとく我をはなれよ ヱホバはわが泣こゑをきゝたまひたり
- ヱホバわが懇求をきゝたまへり ヱホバわが祈をうけたまはん
- わがもろもろの仇ははぢて大におぢまどひ あわたゞしく恥てしりぞきぬ
本篇は議論的の口吻を以て(三節終參照)神に訴へ、其憐憫によれる救を祈り求むる祈禱也。我等も祈禱の時度々神と論ずるが如くあるべし。神は斯る祈禱を嘉し給ふ。神は我等に論ふことを許し給ふ(イザヤ一・十八参考)。
▲何故祈るや、
一、弱きを感ずる故に(二)──『われ萎みおとろふるなり』
二、恐を懷く故に(三)──『わが靈魂さへも甚くふるいわなゝく』
三、神は仁慈深き故に(四)──『なんぢの仁慈の故をもて……』
四、淚の爲に(六)──『我よなよな床をたゞよはせ淚をもてわが衾をひたせり』
我等は祈りたれば次には信仰を以て起上るべし。本篇八、九節は信仰を以て起上り、大膽に其を発表する所也。
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