第十一篇 題目 義しき者の性質
うたのかみに謳はしめたるダビデのうた
- われヱホバに依賴めり なんぢら何ぞわが靈魂にむかひて鳥のごとくなんぢの山にのがれよといふや
- 視よあしきものは暗處にかくれ心なほきものを射んとて弓をはり絃に矢をつがふ
- 基みなやぶれたらんには義者なにをなさんや
- ヱホバはその聖宮にいます ヱホバの寳座は天にあり その目はひとのこを鑒その眼瞼はかれらをこゝろみたまふ
- ヱホバは義者をこゝろむ そのみこゝろは惡きものと强暴をこのむ者とをにくみ
- 羂をあしきもののうへに降したまはん 火と硫磺ともゆる風とはわれらの酒杯にうくべきものなり
- ヱホバはたゞしき者にして義きことを愛したまへばなり 直きものはその聖顏をあふぎみん
▲義しき人とは如何なる人なりやといふに
一、神に依賴む(一)──『われヱホバに依賴めり』
二、惡き者に憎まる(二)──『あしきものは暗處にかくれ心なほきものを射んとて弓をはり絃に矢をつがふ』
三、神に試みらる(五)──『ヱホバは義者をこゝろむ』
四、神の旨に適ふ(七)──『ヱホバはたゞしき者にして義きことを愛したまへばなり』
▲又是に對して惡き者の寫眞も本篇に出づ。即ち
一、人々を憎む(二)
二、神に見らる(四)──『その目はひとのこを鑒その眼瞼はかれらをこゝろみたまふ』
三、神に憎まる(五)──『そのみこゝろは惡きものと强暴をこのむ者とをにくみ』
四、神の恐ろしき審判に與るべし(六)──『羂をあしきもののうへに降したまはん 火と硫磺ともゆる風とはかれらの酒杯にうくべきものなり』
▲斯く本篇に二の寫眞記さる。我等は過去に於ては斯る惡き者なりしが、現在に於ては先に述べたる如き義しき者とせられたり。然らば過去を顧みては常に碎けたる心を以て謙り、現在を思うては感謝する也。テトス書三章三節以下六節に於てパウロは其過去を顧み神の奇しき御業によりて義き者となりし事を感謝せり、恰も是本篇の如し。
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