第二十一篇 題目 救はれし者の喜
伶長にうたはしめたるダビデのうた
- ヱホバよ王はなんぢの力によりてたのしみ汝のすくひによりて奈何におほいなる歡喜をなさん
- なんぢ彼がこゝろの願望をゆるし そのくちびるの求をいなみ給はざりき セラ
- そはよきたまものの惠をもてかれを迎へ まじりなきこがねの冕弁をもてかれの首にいたゞかせ給ひたり
- かれ生命をもとめしに汝これをあたへてその齡の日を世々かぎりかならしめ給へり
- なんぢの救によりてその榮光おほいなり なんぢは尊貴と稜威とをかれに衣せたまふ
- そは之をとこしへに福ひなるものとなし聖顏のまへの歡喜をもて樂しませたまへばなり
- 王はヱホバに依賴み いとたかき者のいつくしみを蒙るがゆゑに動かさるゝことなからん
- なんぢの手はそのもろもろの仇をたづねいだし汝のみぎの手はおのれを憎むものを探ねいだすべし
- なんぢ怒るときは彼等をもゆる爐のごとくにせん ヱホバはげしき怒によりてかれらを呑たまはん 火はかれらを食つくさん
- 汝かれらの裔を地よりほろぼし かれらの種を人の子のなかよりほろぼさん
- かれらは汝にむかひて惡事をくはだて遂がたき謀略をおもひまはせばなり
- 汝かれらをして背をむけしめ その面にむかひて弓絃をひかん
- ヱホバよ能力をあらはしてみづからを高くしたまへ 我儕はなんぢの稜威をうたひ且ほめたゝへん
神の『力』によりて『すくひ』を得たる者に『おほいなる歡喜』あり(一節)。何故大なる歡喜ありや、其を分析すれば
一、滿足ある故(二始)──『なんぢ彼がこゝろの願望をゆるし』
二、祈禱答へられし故(二終)──『そのくちびるの求をいなみ給はざりき』
三、祝福せられしが故(三始)──『そはよきたまものの惠をもてかれを迎へ』
四、冕弁(即ち能力と勢)を授けられし故(三終)──『まじりなきこがねの冕弁をもてかれの首にいたゞかせ給ひたり』(利十・七に記さるる『灌膏』こそ我等に與へらるゝ此冕弁なり。)
五、永生を與へられしが故(四)──『かれ生命をもとめしに汝これをあたへてその齡の日を世々かぎりなからしめ給へり』
六、榮光を與へられし故(五)──『なんぢの救によりてその榮光おほいなり なんぢは尊貴と稜威とをかれに衣せたまふ』(かの放蕩息子が歸りし時其父彼に『最上の衣』(ルカ十五・廿二)を衣せたるが如し。)
七、神と面と面を合せての交通ある故(六)──『聖顏のまへの歡喜をもて樂しませたまへばなり』
八、動かさるゝ事なき故(七)──『王はヱホバに依賴み いとたかき者のいつくしみを蒙るがゆゑに動かさるゝことなからん』
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