第二十四篇 題目 惠を求むる者の熱心なる問 (三)
ダビデのうた
- 地とそれに充るもの世界とその中にすむものとは皆ヱホバのものなり
- ヱホバはそのもとゐを大海のうへに置これを大川のうへに定めたまへり
- ヱホバの山にのぼるべきものは誰ぞ その聖所にたつべき者はたれぞ
- 手きよく心いさぎよき者そのたましひ虛きことを仰ぎのぞまず偽りの誓をせざるものぞ その人なる
- かゝる人はヱホバより福祉をうけ そのすくひの神より義をうけん
- 斯のごとき者は神をしたふものの族類なり ヤコブの神よなんぢの聖顏をもとむる者なり セラ
- 門よなんぢらの首をあげよ とこしへの戶よあがれ 榮光の王いりたまはん
- えいくわうの王はたれなるか ちからをもちたまふ猛きヱホバなり 戰鬪にたけきヱホバなり
- 門よなんぢらの首をあげよ とこしへの戶よあがれ 榮光の王いりたまはん
- この榮光の王はたれなるか 萬軍のヱホバ是ぞえいくわうの王なる セラ
三節は本篇の主題也。
『ヱホバの山にのぼるべきものは誰ぞ その聖所にたつべき者はたれぞ』
即ち換言すれば聖靈を受くる者は誰、又聖靈の經驗を續いて保つ者は誰ぞや也。蓋斯る人のみ神の御臨在の前に、神との交通の中に生涯を送る者なれば也。
一、獻身せる者(一、二節)──『地とそれに充るもの世界とその中にすむものとは皆ヱホバのものなり』
斯く己も、己の凡ての物も神の屬となすは第一に大切也。
二、潔められし者(四節)──『手きよく心いさぎよき者そのたましひ虛きことを仰ぎのぞまず偽りの誓をせざるものぞ その人なる』
即ち性來の不義より潔められ、其行爲も心も潔くせられし者たらざる可らず。人は性來偽るものにて又虛しき物に賴らんとする者なれど、潔めらるれば其より救はるゝ也。
三、常に榮光の主を信ずる者(七〜十節)
此一段は主の昇天の預言なり。主は此處に記されし如く榮光の中に昇天し給へり。而して今榮光の寶座にありて我等の爲に禱告し給ふ。然れば昇天せる主を常に仰ぐことは惠を保つに必要なる事也。此主と信仰によりて一致してこそ我等も天の處に坐するを得るなれ。
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