第三十一篇 題目 聖顏を輝かせ給へ (十六)
伶長にうたはしめたるダビデのうた
- ヱホバよわれ汝によりたのむ 願くはいづれの日までも愧をおはしめたまふなかれ なんぢの義をもてわれを助けたまへ
- なんぢの耳をかたぶけて速かにわれをすくひたまへ 願くはわがためにかたき磐となり我をすくふ保障の家となりたまへ
- なんぢはわが磐わが城なり されば名のゆゑをもてわれを引われを導きたまへ
- なんぢ我をかれらが密かにまうけたる網よりひきいだしたまへ なんぢはわが保砦なり
- われ靈魂をなんぢの手にゆだぬ ヱホバまことの神よ なんぢはわれを贖ひたまへり
- われはいつはりの虛きことに心をよする者をにくむ われは獨ヱホバによりたのむなり
- 我はなんぢの憐憫をよろこびたのしまん なんぢわが艱難をかへりみ わがたましひの禍害をしり
- われを仇の手にとぢこめしめたまはず わが足をひろきところに立たまへばなり
- われ迫りくるしめり ヱホバよ我をあはれみたまへ わが目はうれひによりておとろふ 靈魂も身もまた衰へぬ
- わが生命はかなしみによりて消えゆき わが年華はなげきによりて消ゆけばなり わが力はわが不義によりておとろへ わが骨はかれはてたり
- われもろもろの仇ゆゑにそしらる わが隣にはわけて甚だし 相識ものには忌憚られ衢にてわれを見るもの避てのがる
- われは死たるもののごとく忘られて人のこゝろに置れず われはやぶれたる器もののごとくなれり
- そは我おほくの人のそしりをきゝ到るところに懼あり かれら我にさからひて互にはかりしが わが生命をさへとらんと企てたり
- されどヱホバよわれ汝によりたのめり また汝はわが神なりといへり
- わが時はすべてなんぢの手にあり ねがはくはわれを仇の手よりたすけ われに追迫るものより助けいだしたまへ
- なんぢの僕のうへに聖顏をかゞやかせ なんぢの仁慈をもて我をすくひたまへ
- ヱホバよわれに愧をおはしめ給ふなかれ そは我なんぢをよべばなり 願くはあしきものに恥をうけしめ陰府にありて口をつぐましめ給へ
- 傲慢と輕侮とをもて義きものにむかひ妄りにのゝしるいつはりの口唇をつぐましめたまへ
- 汝をおそるゝ者のためにたくはへ なんぢに依賴むもののために人の子のまへにてほどこしたまへる汝のいつくしみは大なるかな
- 汝かれらを御前なるひそかなる所にかくして人の謀略よりまぬかれしめ また行宮のうちにひそませて舌のあらそひをさけしめたまはん
- 讃べきかなヱホバは堅固なる城のなかにて奇しまるゝばかりの仁慈をわれに顯したまへり
- われ驚きあわてゝいへらく なんぢの目のまへより絕れたりと 然どわれ汝によびもとめしとき汝わがねがひの聲をきゝたまへり
- なんぢらもろもろの聖徒よヱホバをいつくしめ ヱホバは眞實あるものをまもり傲慢者におもく報をほどこしたまふ
- すべてヱホバを俟望むものよ雄々しかれ なんぢら心をかたうせよ
▲本篇の分解
(一〜八)周圍にある敵より救を求む
(九〜十八)更に深く自己の心を探りて内心の汚穢を見出す
(十九、廿)溢るゝ恩惠
(廿一〜廿四)感謝の歌
▲本篇に七の要點あり、注意せよ。
一、信仰(一)──『ヱホバよわれ汝によりたのむ』
(六終)──『われは獨ヱホバによりたのむなり』
(十四始)──『ヱホバよわれ汝によりたのめり』
二、獻身(五)──『われ靈魂をなんぢの手にゆだぬ』
三、懺悔(九)──『われ迫りくるしめり ヱホバよ我をあはれみたまへ』
四、祈禱(十五、十六)──『ねがはくはわれを仇の手よりたすけ われに追迫るものより助けいだしたまへ なんぢの僕のうへに聖顏をかゞやかせ なんぢの仁慈をもて我をすくひたまへ』
五、禮拜(十九)──『汝をおそるゝ者のためにたくはへ なんぢに依賴むもののために人の子のまへにてほどこしたまへる汝のいつくしみは大なるかな』
六、感謝(廿一)──『讃べきかなヱホバは堅固なる城のなかにて奇しまるゝばかりの仁慈をわれに顯したまへり』
七、勸告(廿三、廿四)──『なんぢらもろもろの聖徒よヱホバをいつくしめ……すべてヱホバを俟望むものよ雄々しかれ なんぢら心をかたうせよ』
▲神の聖徒とは如何なる者ぞや
一、神を畏るゝ者(十九)──『汝をおそるゝ者』
二、神に依賴む者(十九)──『なんぢに依賴むもの』(信仰)
三、神を愛しむ者(廿三)──『もろもろの聖徒よヱホバをいつくしめ』(愛)
四、神を俟望む者(廿四)──『すべてヱホバを俟望むものよ』(望)
聖徒の中には常に信仰、愛、望の三のものあるべき也。是れ基督者の特質と謂ふべし。
▲主は『わがためにかたき磐』(二)
『我をすくふ保障の家』(二)
『わが磐』又『わが城』(三)
『わが保砦』(四)──なり。故に此主に依賴むべし。
▲『御前なるひそかなる所にかくし』(廿)
『行宮のうちにひそませ』(廿)
『堅固なる城のなかにて』(廿一)──是等は皆「主に居る」經驗也。主に居る者は敵の誘惑より免れ又神の愛を感ずべし(『若子よ、主に居れ』──ヨハネ壹書二・廿八)。
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