第六十六篇
伶長にうたはしめたる讃美なり 歌なり
- 全地よ神にむかひて歡びよばはれ
- その名の榮光をうたへ その頌美をさかえしめよ
- 神に告まつれ 汝のもろもろの功用はおそるべきかな 大なる力によりてなんぢの仇はなんぢに畏れしたがひ
- 全地はなんぢを拜みてうたひ名をほめうたはんと セラ
- 來りて神のみわざをみよ 人の子輩にむかひて作たまふことはおそるべきかな
- 神はうみをかへて乾ける地となしたまへり ひとびと步行にて河をわたりき その處にてわれらは神をよろこべり
- 神はその大能をもてとこしへに統治め その目は諸國をみたまふ そむく者みづからを崇むべからず セラ
- もろもろの民よ われらの神をほめまつれ 神をほめたゝふる聲をきこえしめよ
- 神はわれらの靈魂をながらへしめ われらの足のうごかさるゝことをゆるしたまはず
- 神よなんぢはわれらを試みて白銀をねるごとくにわれらを錬たまひたればなり
- 汝われらを網にひきいれ われらの腰におもき荷をおき
- 人々をわれらの首のうへに騎こえしめたまひき われらは火のなか水のなかをすぎゆけり されど汝その中よりわれらをひきいだし豐盛なる處にいたらしめたまへり
- われ燔祭をもてなんぢの家にゆかん
- 迫りくるしみたるときにわが口唇のいひいでわが口ののべし誓をなんぢに償はん
- われ肥たるものを燔祭とし牡羊を馨香として汝にさゝげ牡牛と牡山羊とをそなへまつらん セラ
- 神をおそるゝ人よ みな來りてきけ われ神のわがたましひのために作たまへることをのべん
- われわが口をもて神によばはり また舌をもてあがむ
- 然るにわが心にしれる不義あらば主はわれにきゝたまふまじ
- されどまことに神はきゝたまへり 聖意をわがいのりの聲にとめたまへり
- 神はほむべきかな わが祈をしりぞけず その憐憫をわれよりとりのぞきたまはざりき
十〜十二節に於て『豐盛なる處』に行く道記さる。一面より見れば此は神の恐るべき御取扱なるが、神は斯くして我等を恩惠の豐盛なる處に導き給ふ也。
一、試みらる(十始)──『神よなんぢはわれらを試みて』
二、火にて錬らる(十終)──『白銀をねるごとくにわれらを錬たまひたればなり』
三、網にて捕へらる(十一始)──『汝われらを網にひきいれ』
四、重荷を負はせらる(十一終)──『われらの腰におもき荷をおき』
五、謙らせらる(十二始)──『人々をわれらの首のうへに騎こえしめたまひき』
六、潔めらる(十二終)──『われらは火のなか水のなかをすぎゆけり されど汝その中よりわれらをひきいだし豐盛なる處にいたらしめたまへり』
我等が苦痛の火に遇ふは試みられ錬られんが爲なり。網にて捕へられしが如く自由なきを感ずるは神より離れ飛出さゞらん爲にて、重荷を負はさるゝは之によりて謙るに至らんが爲なり。要するに樣々の艱難を通過せしめらるゝは、結局我等を潔めて恩惠の豐盛なる處に導き至らんが爲のみ(ヘブル十二・十、十一參照)。
▲曾て主の弟子ヤコブとヨハネが主と偕に位に坐せん事を願ひたりしに、其時主は汝等はよく我が飮まんとする酒杯を飮み得るかと仰せられたり。聖靈のバプテスマを求むる者は誠に此覺悟なかる可らず。如何なる苦難あるとも豐盛なる處に導かるゝ事を祈らざる可らず。
民數記卅一・廿三に火の潔めと水の潔めの二つあり。曰く『凡て火に勝る物は火の中を通すべし 然せば潔くならん……凡て火に勝ざる者は水の中を通すべし』と。神は火の聖潔を受け忍ぶ事能はざる者には水の聖潔を施し給ふ。されど我等は火の聖潔を求むべき也。
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