第七十七篇
エドトンの體にしたがひて伶長にうたはしめたるアサフのうた
- 我わがこゑをあげて神によばはん われ聲を神にあげなばその耳をわれにかたぶけたまはん
- わがなやみの日にわれ主をたづねまつれり 夜わが手をのべてゆるむことなかりき わがたましひは慰めらるゝをいなみたり
- われ神をおもひいでて打なやむ われ思ひなげきてわが靈魂おとろへぬ セラ
- なんぢはわが眼をさゝへて閉がしめたまはず 我はものいふこと能はぬほどに惱みたり
- われむかしの日いにしへの年をおもへり
- われ夜わが歌をおもひいづ 我わが心にてふかくおもひ わが靈魂はねもころに尋ねもとむ
- 主はとこしへに棄たまふや 再びめぐみを垂たまはざるや
- その憐憫はのこりなく永遠にさり そのちかひは世々ながく廃れたるや
- 神は恩をほどこすことを忘れたまふや 怒をもてそのあはれみを緘たまふや セラ
- 斯るときに我いへらく此はたゞわが弱きがゆゑのみ いで至上者のみぎの手のもろもろの年をおもひいでん
- われヤハの作爲をのべとなへん われ往古よりありし汝がくすしきみわざを思ひいださん
- また我なんぢのすべての作爲をおもひいで汝のなしたまへることを深くおもはん
- 神よなんぢの途はいときよし 神のごとく大なる神はたれぞや
- なんぢは奇きみわざをなしたまへる神なり もろもろの民のあひだにその大能をしめし
- その臂をもてヤコブ、ヨセフの子輩なんぢの民をあがなひたまへり セラ
- かみよ大水なんぢを見たり おほみづ汝をみてをのゝき淵もまたふるへり
- 雲はみづをそゝぎいだし空はひゞきをいだし なんぢの矢ははしりいでたり
- なんぢの雷鳴のこゑは暴風のうちにありき 電光は世をてらし地はふるひうごけり
- なんぢの大道は海のなかにあり なんぢの徑はおほみづの中にあり なんぢの蹤跡はたづねがたかりき
- なんぢその民をモーセとアロンとの手によりて羊の群のごとくみちびきたまへり
本篇も經驗を歌へる詩にて、疑惑より信仰に移る事を記す。
▲本篇の分解
(一〜四)靈魂の暗黑と苦痛
(五、六)過去の恩惠を失ひし失望
(七〜九)六の疑問
(十〜廿)神を見上げ其御業を覺ゆ
▲格別に七〜十二節迄を見よ。七〜九節に六の疑問あり。
一、『主はとこしへに棄たまふや』
二、『再びめぐみを垂たまはざるや』
三、『その憐憫はのこりなく永遠にさりしや』
四、『そのちかひは世々ながく廃れたるや』(八節は原語にては斯く二の問なり)
五、『神は恩をほとこすことを忘れたまふや』
六、『怒をもてそのあはれみを緘たまふや』
サタンは斯く常に疑惑を起させんとす。信者は心中に其種子を受くる事あるやも知れず。然れども十節より十二節に其救治法あり。
一、思ひ出づる事(Remember)──
『いで至上者のみぎの手のもろもろの年をおもひいでん』(十終)
『われ往古よりありし汝がくすしきみわざを思ひいださん』(十一終)
『また我なんぢのすべての作爲をおもひいで』(十二始)
二、深く思ふ事(Meditate)──『汝のなしたまへることを深くおもはん』(十二終)──而してヘブル十三・八の主を信ずべき也
三、宣べ稱へる事(Talk)──『われヤハの作爲をのべとなへん』(十一始)──即ち證詞する事也
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