第八十篇
證詞の百合花といへる調にあはせて伶長にうたはしめたるアサフの歌
- イスラエルの牧者よひつじの群のごとくヨセフを導きたまふものよ 耳をかたぶけたまへ ケルビムのうへに坐したまふものよ 光をはなちたまへ
- エフライム、ベニヤミン、マナセの前になんぢの力をふりおこし來りてわれらを救ひたまへ
- 神よふたゝびわれらを復し なんぢの聖顏のひかりをてらしたまへ 然ばわれら救をえん
- ばんぐんの神ヱホバよなんぢその民の祈にむかひて何のときまで怒りたまふや
- 汝かれらになみだの糧をくらはせ淚を量器にみちみつるほどあたへて飮しめ給へり
- 汝われらを隣人のあひあらそふ種料となしたまふ われらの仇はたがひにあざわらへり
- 萬軍の神よふたゝびわれらを復したまへ 汝のみかほの光をてらしたまへ さらばわれら救をえん
- なんぢ葡萄の樹をエジプトより携へいだし もろもろの國人をおひしりぞけて之をうゑたまへり
- 汝そのまへに地をまうけたまひしかば深く根して國にはびこれり
- その影はもろもろの山をおほひ そのえだは神の香柏のごとくにてありき
- その樹はえだを海にまでのべ その若枝を河にまでのべたり
- 汝いかなればその垣をくづして路ゆくすべての人に摘取らせたまふや
- はやしの猪はこれをあらし 野のあらき獸はこれをくらふ
- あゝ萬軍の神よねがはくは歸りたまへ 天より俯視てこの葡萄の樹をかへりみ
- なんぢが右の手にてうゑたまへるもの 自己のために强くなしたまへる枝をまもりたまへ
- その樹は火にて燒れまた斫たふさる かれらは聖顏のいかりにて亡ぶ
- ねがはくはなんぢの手をその右の手の人のうへにおき自己のためにつよくなしたまへる人の子のうへにおきたまへ
- さらばわれら汝をしりぞき離るゝことなからん 願くはわれらを活したまへ われら名をよばん
- あゝ萬軍の神ヱホバよふたゝび我儕をかへしたまへ なんぢの聖顏のひかりを照したまへ 然ばわれら救をえん
本篇も亦リバイバルを祈る祈禱なり。
▲三節、七節、十九節は本篇のコーラスなり。
『神よふたゝびわれらを復し なんぢの聖顏のひかりをてらしたまへ 然ばわれら救をえん』(三)
『萬軍の神よふたゝびわれらを復したまへ 汝のみかほの光をてらしたまへ さらばわれら救をえん』(七)
『あゝ萬軍の神ヱホバよふたゝび我儕をかへしたまへ なんぢの聖顏のひかりを照したまへ 然ばわれら救をえん』(十九)
此コーラスの中に二つの祈願を言表せり。即ち
一、『ふたゝび我儕を復し給へ』──我等の心を碎きて悔改を與へ給へとの祈禱
二、『汝の聖顏の光を照し給へ』──御自分を表し給へとの祈禱
▲此コーラスを見れば始に『神よ』、次に『萬軍の神よ』、終に『萬軍の神ヱホバよ』とあり。萬軍の神とは格別に神の權力を表したる言にて、ヱホバは忠實に其約束を守り給ふ契約の神なるを表す御名なり。即ち此コーラスを歌ふ毎に段々と信仰の進み居るに注意せよ。
▲一、二節に於る大膽なる祈禱を見よ。
『耳をかたぶけたまへ』『光をはなちたまへ』
『力をふりおこし(たまへ)』『來り(たまへ)』『われらを救ひたまへ』(二節英譯參照)
我等もかく遠慮なく神に近づきて斯る祈禱を捧ぐべし。
▲本篇の分解
(一、二)熱心なる祈禱 (三)コーラス
(四〜六)現在の苦難の有樣 (七)コーラス
(八〜十一)過去に於る恩惠
(十二、十三)現在に於けるサタンの力
(十四〜十七)熱心なる祈禱
(十八)決心 (十九)コーラス
▲注意して本篇を見れば本篇の三段に於てイスラエル人民の三個の雛型を以て記せるを発見せん。
一〜三節 に於ては軍隊として
四〜七節 に於ては神の群として
八〜十九節 に於ては神の葡萄の樹として
| 目次 | 緖言 | 總目次 |