第八十四篇 題目 三の幸福
ギデトの琴にあはせて伶長にうたはしめたるコラの子のうた
- 萬軍のヱホバよなんぢの帷幄はいかに愛すべきかな
- わが靈魂はたえいるばかりにヱホバの大庭をしたひ わが心わが身はいける神にむかひて呼ふ
- 誠やすゞめは窩をえ燕子はその雛をいるる巢をえたり 萬軍のヱホバわが王わが神よ これなんぢの祭壇なり
- なんぢの家にすむものは福ひなり かゝる人はつねに汝をたゝへまつらん セラ
- その力なんぢにあり その心シオンの大路にある者はさいはひなり
- かれらは淚の谷をすぐれども其處をおほくの泉あるところとなす また前の雨はもろもろの惠をもて之をおほへり
- かれらは力より力にすゝみ遂におのおのシオンにいたりて神にまみゆ
- ばんぐんの神ヱホバよわが祈をきゝたまへ ヤコブの神よ耳をかたぶけたまへ セラ
- われらの盾なる神よ みそなはしてなんぢの受膏者の顏をかへりみたまへ
- なんぢの大庭にすまふ一日は千日にもまされり われは惡の幕屋にをらんよりは 寧ろわが神のいへの門守とならんことを欲ふなり
- そは神ヱホバは日なり盾なり ヱホバは恩とえいくわうとをあたへ直くあゆむものに善物をこばみたまふことなし
- 萬軍のヱホバよなんぢに依賴むものはさいはひなり
四節と八節の終にセラ(止まって考へよの意)あり。即ち是によりて本篇を三に區分するを得。又此三の區分の各部に『幸福なり』といふ言あり(四、五、十二)。此三の『幸福なり』は其各部分の主意を示すものとして見るべし。而して此三の幸福はいづれもペンテコステの幸福なり。ペンテコステの恩惠を受けて斯る幸福を實驗する也。
第一段(一〜四)の主意は
『なんぢの家にすむものは福ひなり』(四)
是は新約の光を以て見ればヨハネ傳十五章にある如く『キリストに居る事』なり。
第二段(五〜八)の主意は
『その力なんぢにあり その心シオンの大路にある者はさいはひなり』(五)
即ち神にありて力を有し又斷えず心中に天國の榮を有する者の幸福なり。ペンテコステの惠を受けて斯るものとなる也。
第三段(九〜十二)の主意は
『萬軍のヱホバよなんぢに依賴むものはさいはひなり』(十二)
即ち信仰の人は幸福なり。ペンテコステの經驗によりて格別に信仰を抱く事を得る也。
▲七節に『かれらは力より力にすゝみ』とあり。是に就て以下の引照を見よ。
力より力に進む──詩八十四・七『かれらは力より力にすゝみ遂におのおのシオンにいたりて神にまみゆ』
光より光に進む──箴言四・十八『義者の途は旭光のごとし いよいよ光輝をまして晝の正午にいたる』
惠より惠に進む──ヨハネ一・十六『我らは皆その充ち滿ちたる中より受けて、恩惠に恩惠を加へらる』
榮より榮に進む──コリント後書三・十八『我等はみな面帕なくして鏡に映るごとく、主の榮光を見、榮光より榮光にすすみ、主たる御靈によりて主と同じ像に化するなり』
我等此四の引照に從ひ愈々進む者たるべし。
▲十一節に於て以下の事を見よ。
一、神は何なりや──『そは神ヱホバは日なり盾なり』
即ち我等信者の心の中に在す光にして、又外にありてサタンの攻擊を防ぐ盾となり給ふなり。
二、神は何を與へ給ふや──『ヱホバは恩とえいくわうとをあたへ』
即ち現在に於ては恩惠を、來世に於ては榮光を與へ給ふ也。人の與ふる葡萄酒、世の賜は段々惡くなるも神の賜は之に反して段々善くなる也(ヨハネ二・十參考)
三、神は何を約束し給ふや──『直くあゆむものに善物をこばみたまふことなし』
即ち神は彼に從ふ者に凡ての善き賜と惠を自由に與へ給ふ也。
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