第九十二篇 題目 安息日の歌
安息日にもちゐる歌なり 讃美なり
- いとたかき者よヱホバにかんしやし聖名をほめたゝふるは善かな
- あしたに汝のいつくしみをあらはし 夜々なんぢの眞實をあらはすに
- 十絃のなりものと箏とをもちゐ 琴の妙なる音をもちゐるはいと善かな
- そはヱホバよ なんぢその作爲をもて我をたのしませたまへり 我なんぢの手のわざをよろこびほこらん
- ヱホバよ汝のみわざは大なるかな汝のもろもろの思念はいとふかし
- 無知者はしることなく愚なるものは之をさとらず
- 惡きものは草のごとくもえいで 不義をおこなふ衆庶はさかゆるとも 遂にはとこしへにほろびん
- されどヱホバよ汝はとこしへに高處にましませり
- ヱホバよ吁なんぢの仇あゝなんぢの仇はほろびん 不義をおこなふ者はことごとく散されん
- されど汝わが角をたかくあげて 野の牛のつののごとくならしめたまへり 我はあたらしき膏をそゝがれたり
- 又わが目はわが仇につきて願へることを見わが耳はわれにさからひておこりたつ惡をなすものにつきて願へることをきゝたり
- 義しきものは椶櫚の樹のごとく榮え レバノンの香柏のごとくそだつべし
- ヱホバの宮にうゑられしものはわれらの神の大庭にさかえん
- かれらは年老てなほ果をむすび豐かにうるほひ綠の色みちみちて
- ヱホバの直きものなることを示すべし ヱホバはわが巖なりヱホバには不義なし
本篇に『榮え』(英語にてはflourish)の字三度記さる。
十二節 十三節 十四節(終の日本譯『みちみちて』も同じ字也)
眞の基督者の生涯は常に榮え居るべき筈なり。其靈的生涯枯れ衰へ生命なき有樣にてあるは神の聖旨に非ず。聖靈によりて信仰の生涯を送る者は常に榮ゆべし。十二節以下に於て以下の數點を見よ。
一、荒野の中にも榮ゆ(椶櫚の如く)(十二始)──『義しきものは椶櫚の樹のごとく榮え』
二、强く堅し(香柏の如く)(十二終)──『レバノンの香柏のごとくそだつべし』
三、斷えず神の至聖所に居る(十三)──『ヱホバの宮にうゑられしものはわれらの神の大庭にさかえん』
四、多くの果を結ぶ(十四始)──『かれらは年老いてなほ果をむすび』
五、聖靈によれる惠の濕を豊に得(十四終)──『豐かにうるほひ綠の色みちみちて』
斯る生涯は其人の榮光の爲に非ずして神の御榮光の爲なり。
▲本篇は標題に記さるゝ如く安息日の歌なり。九十三篇より九十七篇迄は標題記されず、然れば或人は本篇の標題は即ち九十七篇迄の標題なりといふ。
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