第六十二篇 題目 唯神を待て
エドトンの體にしたがひて伶長にうたはしめたるダビデのうた
- わがたましひは黙してたゞ神をまつ わがすくひは神よりいづるなり
- 神こそはわが磐わがすくひなれ またわが高き櫓にしあれば 我いたくは動かされじ
- なんぢらは何のときまで人におしせまるや なんぢら相共にかたぶける石垣のごとく揺ぎうごける籬のごとくに人をたふさんとするか
- かれらは人をたふとき位よりおとさんとのみ謀り いつはりをよろこび またその口にてはいはひその心にてはのろふ セラ
- わがたましひよ黙してたゞ神をまて そはわがのぞみは神よりいづ
- 神こそはわが磐わがすくひなれ 又わがたかき櫓にしあれば我はうごかされじ
- わが救とわが榮とは神にあり わがちからの磐わがさけどころは神にあり
- 民よいかなる時にも神によりたのめ その前になんぢらの心をそゝぎいだせ 神はわれらの避所なり セラ
- 實にひくき人はむなしくたかき人はいつはりなり すべてかれらを權衡におかば上にあがりて虛しきものよりも輕きなり
- 暴虐をもて恃とするなかれ 掠奪ふをもてほこるなかれ 富のましくはゝる時はこれを心にかくるなかれ
- ちからは神にあり 神ひとたび之をのたまへり われ二次これをきけり
- あゝ主よあはれみも亦なんぢにあり なんぢは人おのおのの作にしたがひて報をなしたまへばなり
(一、二)神を待て
(三、四)人々が反對する時、神を待て
(五〜八)他の人々にも神を待つべき事を勸めよ
(九、十)神を離れたる時、神を待つべし
(十一、十二)何故に神を待つべきか
力は神にあるが故に(十一)
憐憫も亦神にあるが故に(十二)
▲本篇及次篇にある『わが靈魂』につき四の引照を見よ。
一、神を待つ事を決心す(五)──『わがたましひよ黙してたゞ神を待て』
二、饑渇を生ず(六十三・一)──『わが靈魂はかわきて汝をのぞみ……』
三、滿足を得(六十三・六)──『わがたましひは髄と脂とにて饗さるゝごとく飽ことをえ』
四、神を慕ひ追ふ(六十三・八)──『わがたましいはなんぢを慕追ふ』(即ち續いて神の恩惠また神御自身を慕ふ也)
此四段の順序あるを注意せよ。
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