第百四十六篇以下 題目 ハレルヤ、ハレルヤ
- ヱホバを讃稱へよ わがたましひよヱホバをほめたゝへよ
- われ生るかぎりはヱホバをほめたゝへ わがながらふるほどはわが神をほめうたはん
- もろもろの君によりたのむことなく 人の子によりたのむなかれ かれらに助あることなし
- その氣息いでゆけばかれ土にかへる その日かれがもろもろの企圖はほろびん
- ヤコブの神をおのが助となし その望をおのが神ヱホバにおくものは福ひなり
- 此はあめつちと海とそのなかにあるあらゆるものを造り とこしへに眞實をまもり
- 虐げらるゝもののために審判をおこなひ 餓ゑたるものに食物をあたへたまふ神なり ヱホバはとらはれたる人をときはなちたまふ
- ヱホバはめしひの目をひらき ヱホバは屈者をなほくたゝせ ヱホバは義しきものを愛しみたまふ
- ヱホバは他邦人をまもり 孤子と寡婦とをさゝへたまふ されど惡きものの徑はくつがへしたまふなり
- ヱホバはとこしへに統御めたまはん シオンよなんぢの神はよろづ代まで統御めたまはん ヱホバをほめたゝへよ
本篇より百五十篇に至る五つの篇はハレルヤハレルヤの詩篇なり。是等の詩篇に於ては其始と終とに『ヱホバを讃稱へよ』(原語にてハレルヤ)とあり。其二つのハレルヤの間に何故讃美すべきや其理由を示す。
▲詩篇を始より終まで注意して硏究すれば基督者生涯に於るあらゆる經驗を記せり。或は困難に陷りし場合、或は罪を犯せし時、或は聖言の光を得たる時、又は勝利を得たる時等いろいろの場合の事を記す。而して詩篇を讀みもて行く中に漸次神を讃むる心起り、終には唯ハレルヤハレルヤの心のみとなるに至る。人がハレルヤといふ事を心より言ひ得るに至らば其人は全き人なり。眞に正しくハレルヤを稱ふる事を得ば其人は潔められ靈に滿されし人なり。抑も神が我等人類に對して有し給ふ御目的は何なりやといふに、畢竟するに此ハレルヤを稱ふる事を敎ふるにありといふも差支なし。神は此一つの目的の爲に凡ての事をなし給ふ也。神は御自身を詛ふ者又御自身を憎む者の心を熔して、其心より詛と憎の心を漸次取去りて其心にハレルヤの心を滿し給ふ。神は何故十字架上にて勝を得給ひしや、また何が故に聖靈を與へ給ふやといふに、我等各自にハレルヤを稱ふる事を學ばしめんが爲なり。換言せば此詩篇の終の五篇を敎へんが爲なり。然ればハレルヤの心を養はんが爲に我等は屢々此五つの詩篇を讀むべき也。
▲第百四十六篇の分解
(一〜五)神に依賴む者は幸福也
(六〜十)神の御業と賜物を述べて讃美すべきを勸む
▲六節以下に於て次の事を見よ。
一、神の創造の力(六始)──『此はあめつちと海とそのなかなるあらゆるものを造り』
二、神の信實(六終)──『とこしへに眞實をまもり』
三、其公平(七始)──『虐げらるゝもののために審判をおこなひ』
四、其恩惠(七中程)──『餓ゑたるものに食物をあたへえたまふ神なり』
五、自由を與へ給ふ(七終)──『ヱホバはとらはれたる人をときはなちたまふ』
六、光を與へ給ふ(八始)──『ヱホバはめしひの目をひらき』
七、力を與へ給ふ(八中程)──『ヱホバは屈者をなほくたゝせ』
八、愛し給ふ(八終)──『ヱホバは義しきものを愛しみたまふ』
九、護り給ふ(九始)──『ヱホバは他邦人をまもり』
十、助け給ふ(九中程)──『孤子と寡婦とをさゝへたまふ』
十一、惡き者を罸し給ふ(九終)──『されど惡きものの徑はくつがへしたまふなり』
是等の事を見て二節の如く『生るかぎりはヱホバをほめたゝへん』
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