新約全書 使徒パウロ コリント人におくれる後書
第 五 章
- 我儕これを知 われらが地にある幕屋もし壞なば神の賜ふ所の屋天にあり 手にて造ざる窮なく有ところの屋なり
- 我儕此幕屋に居て歎き天より賜ふ我儕が屋を衣の如く着ん事を深く欲へり
- 誠に着ことを得ば裸になること無らん
- 我儕この幕屋にをり重を負て歎くなり 之を衣の如く脫んことを欲はず彼を衣の如く着んことを欲ふ 是生に死べき者の呑れんが爲なり
- それ此事に應ふ者と我儕を爲給ふ者は神なり 彼靈を其質となして我儕に賜へり
- 是故に我儕の心つねに剛毅 また身に居うちは主より離居ことを知り
- 蓋われら見る所に憑ず信仰に憑て歩めば也
- 我儕の心剛毅 もつとも欲ふ所は身を離れて主と偕に居んこと也
- 是故に我儕身に居ても身を離れても彼の心に適んことを勉む
- 蓋われら必ず皆キリストの臺前に出て善にもあれ惡にもあれ各々身に居て爲し所のことに循ひ其報を受べき者なれば也
- 如此われら主の畏べきを知が故に人に勸む 我儕すでに神に明かに知れたり 亦なんぢらの良心にも明かに知れたるならんと意ふ
- 我儕また自ら己を爾曹に勸ず我儕の爲に誇るべき原を爾曹に予ふ 是なんぢらが之を以て彼の外貎により心に由ずして誇る者に答ん爲なり
- 我儕もし心狂るならば是神の爲なり 心慥ならば是なんぢらの爲なり
- キリストの愛われらを勉せり 我儕思に一人衆の人に代て死たれば衆の人すでに死たる也
- その衆の人に代て死しは生者をして以後おのが爲ならで己に代りて死て甦りし者のために世を過しめんとて也
- 是故に今より後われら肉體に依て人を識まじ 我儕肉體に依てキリストを識しかども今より後は此の如く之を識まじ
- 是故に人キリストに在ときは新に造れたる者なり 舊は去てみな新しく作なり
- 一切のもの神より出 かれキリストにより我儕をして己と和がしめ且その和がしむる職を我儕に授く
- 即ち神キリストに在て世を己と和がしめ其罪を之に負せず且和がしむる言を我儕に委たまへり
- 是故に我儕召れてキリストの使者となれり 即ち神われらに託なんぢらを勸め給ふが如し 我儕キリストに代て爾曹が神に和がんことを爾曹に求ふ
- 神罪を識ざる者を我儕の代に罪人となせり 是我儕をして彼に在て神の義となることを得しめん爲なり
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