第六十七篇 題目 リバイバルの祈禱
琴にあはせて伶長にうたはしめたる歌なり 讃美なり
- ねがはくは神われらをあはれみ われらをさきはひてその聖顏をわれらのうへに照したまはんことを セラ
- 此はなんぢの途のあまねく地にしられ なんぢの救のもろもろの國のうちに知れんがためなり
- かみよ庶民はなんぢに感謝し もろもろの民はみは汝をほめたゝへん
- もろもろの國はたのしみ又よろこびうたふべし なんぢは直をもて庶民をさばき地のうへなる萬の國ををさめたまふべければなり セラ
- 神よたみらはなんぢに感謝し もろもろの民はみな汝をほめたゝへん
- 地は產物をいだせり 神わが神はわれらを福ひたまはん
- 神われらをさきはひたまふべし かくて地のもろもろの極ことごとく神をおそれん
本篇に於て全世界のリバイバルを求む。本篇中普遍的の言の多くあるを見よ。
あまねく地に(二) もろもろの國のうちに(二)
もろもろの民は(三) もろもろの國は(四)
萬の國を(四) もろもろの民は(五)
地のもろもろの極(七)
我等も信仰を大きくし心を廣くして斯る諸の國にリバイバルの來らんことを祈りたし。さり乍ら是は聖靈の力と聖靈の愛なくば到底出來ぬ事なり。
十年前英國にて斯る祈禱を捧ぐる團體起り、全世界のリバイバルの爲め心を合せて祈れり。然るに神は直に其祈禱に答へ、先づ印度にリバイバル起り、次いで或は支那に或は滿州に、或は又阿弗利加の南部にリバイバルは起れり。本篇は斯る祈禱なり。
然し唯徒らに大きく全世界の爲に祈る前に、先づ我にリバイバルを與へ給へ、其リバイバルを先づ我が中に起し給へと祈らざる可らず。
▲即ち一節に先づ自らの爲の祈禱あり。
一、神の憐憫を願ふ──『ねがはくは神われらをあはれみ』
二、神の祝福を祈る──『われらをさきはひて』
三、神の愛に感ぜん事を求む──『その聖顏をわれらのうへに照したまはんことを』
是は我等自身がリバイブせられん爲の祈禱なり。其結果として二節の如く多くの罪人は救はるべし。
『此はなんぢの途のあまねく地にしられ なんぢの救のもろもろの國のうちに知れんがためなり』
▲三節を見れば庶民が神に感謝すれば、即ち庶民の心中に救の喜あらば其は愈々廣まりて『もろもろの民』に及び、未だ神を讃めざりし人々迄神を讃むるに至る也。是リバイバルの特兆なり。
『かみよ庶民はなんぢに感謝し もろもろの民はみな汝をほめたゝへん』
▲リバイバルの結果
一、果を結ぶ(六始)──『地は產物をいだせり』
二、神の祝福を得(六終、七始)──『神わが神はわれらを福ひたまはん 神われらをさきはひたまふべし』
三、人々神を畏る(七終)──『かくて地のもろもろの極ことごとく神をおそれん』
▲本篇以下七十篇迄各篇ともリバイバルの爲の祈禱なり。
六十七篇 先づ自分の心の中にリバイバルを願ふ祈禱
六十八篇 起ちて力を表し給はん事を祈る祈禱
六十九篇 罪の重荷を負ひゲツセマネの苦を經驗して祈る祈禱
七十篇 急ぎ給はん事を祈る祈禱
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