神 を 求 む る 饑 渇



詩六十三篇

 あゝ神よ汝は我が神なり、われせちに汝を尋ね求む、水なきかわきおとろへたる地にある如くわが靈魂たましひは渴きて汝を望み、わが肉體は汝を戀ひ慕ふ さきにもわれかくの如く大權みちから榮光みさかえとを見んことを願ひ聖所せいじょにありて目を汝より離れしめざりき 汝の仁慈いつくしみ生命いのちにもまされるゆゑにわが口唇くちびるは汝をまつらん かくわれはわがいくるあひだ汝を祝ひみ名によりてわが手をあげん 五六われ床にありて汝を思ひいでふくるまゝに汝を深く思はん時わが靈魂たましひずゐあぶらとにてもてなさるゝ如く飽くことを得、わが口は喜びの口唇くちびるをもて汝をめたゝへん そは汝が助けとなりたまひたればわれなんぢのつばさかげに入りて喜びたのしまん わが靈魂たましひは汝を慕ひ追ふ、右のみ手はわれさゝふるなり されどわが靈魂たましひほろぼさんとて尋ね求むるものは地の深き所に行き つるぎに渡され野犬のいぬる所となるべし 十一しかれども王は神を喜ばん、神によりてちかひをたつるものはみな誇ることをえん、虛僞いつはりふものゝ口はふさがるべければなり


 この詩篇の記者の叫びは神の大權みちから榮光みさかえとを見んがためであります()、これはかわいた靈魂たましひすなはち靈的荒野あれのにある靈魂たましひの叫びであります。『大權みちから榮光みさかえとを見させ給へ』。

 出埃及しゅつエジプト記廿四章を讀みますならば山のふもとおいて血を注いだ事があります。これは七十人の長老達とモーセとアロンが山に登りてイスラエルの神を見んがためでありました。

 御銘々ごめいめい樣とわたくし此度このたびこの山に登って參りました。この詩篇の示すが如き惠みを求むるゑ渇きをもったふとき血潮に信賴致しますならばイスラエルの神に御目おめにかゝることが出來ます。しゅイエスは『世われを見ることなし されなんぢらは我を見る』と仰せ給ひました(ヨハネ十四・十九)。聖靈にって私共わたくしどもは主を見ることが出來ます、主は最一度もういちど私共の心にあらはれ給ひます。私共は帕子かほおほひなくして主の榮光さかえを見、榮光さかえ榮光さかえいやまさりて同じかたちかはります。これすなはち聖靈の能力みちからによるのであります。

 さてこの詩篇中にその願ひを達するために進んだ階段を學びませう。

 彼はまづ『あゝ神よ汝はが神なり』と申してります、これさいはひなる出立しゅったつであります。私共は神のみたまって再びうまれ、永生かぎりなきいのちのぞみを與へられましたから『汝はが神なり』と申すことが出來ます。

 汝はが神なりと云ふことが出來ますならばそれで充分ではありますまいか。そうです、理論上充分です、天のところにてすべてのれい恩惠めぐみもっすでに惠れてるのであります。されどもなほキリストにる我らの富を更に經驗する必要があります。なほ從ふべき餘地があります、ですから私共は尚々なほなほ熱心に求めます。その階段が三つあります。

  一、靈魂たましひは渴く(
  二、わが靈魂たましひは飽くことを)(=英譯では五節)
  三、わが靈魂たましひは汝を慕ひ追ふ(

 一、わが靈魂たましひは渴きて汝を望む。

 私は皆さんの内ある人々は靈的に渴き聖潔きよめの必要を感じてられると思ひます。あなたは過去の生涯と神のために働きましたはたらきを顧みて不滿足を感じ、なほ深き恩惠めぐみ御行みわざを求めなさるでせう。これはさいはひなことです、ゑ渴いて聖潔きよめを求めなさるならば神は必ずあなたこたへ豐かに惠み給ひます。

 『靈魂たましひは渴きて汝を望む』。私共は主御自身を要します。主御自身こそ私共の願ひのすべて、必要のすべてゞあります。主は私共の渴きにこたへ給ひます。その仁慈いつくしみは『生命いのちにもまされる』()ものであります。その恩惠めぐみを得ますことは生命いのちそのものをつよりもまされることであります。これは最高の願望のぞみであります。それですから私共は主御自身を求めます。私はこのことを高調いたしたくあります、ある人々は渴いてりながらある敎理かある經驗を求めて神御自身を求めてない人があるかも知れません。それですから私共の渴いて求めますのは主であります。どうぞ主を御求おもとめなさい。

 『われせつに汝を尋ね求む』()。主の聖言みことばって御自身を求めませう。私は如何におほいなる救ひをわがものとすべきか、私は眞實にきよめられるでせうか、現實に聖靈に滿みたされるでせうか、キリストがうちあらはれ給ふて私は主のうちり、主はまたわがうちに住み給ふでせうか、と求むべきであります。私はあなた願望のぞみ聖言みことばに導き、神の聖言みことばをしてあなたに語らしめるやう待望まちのぞましめ給はんことを祈ります。キリストはあなたを愛し、あなたのために御身おんみを棄て給ふて聖言みことばにより、水の洗ひをもっあなたきよめ給ふことを信じなさい。祈禱いのりのため時を費しなさい、あなた祈禱いのりが單に乞ひ求むることのみでなく、神とまじはり、神の聖顏みかほを拜するやうになさい。

 又讃美をもって主を求めなさい。『わが口唇くちびるは汝をまつらん』()、『わが口は喜びの口唇くちびるをもて汝をめたゝへん』()とあります。その讃美は私共の四圍まはりに神のうるはしき創造の御行みわざを見、あるひは心のうちにはキリストの聖言みことばが豐かに宿ってをりますから靜けき沈默の讃美かも知れません。どうぞ聖言みことばり、祈禱いのりり、讃美をもって主を求めなさい。『われせつに汝を尋ね求む』、主を求むるためにすべてのものを投げ棄てなければなりません。私共はゑ渴いて主を求めますがゆゑこの點について注意せなければなりません。主を求めますために時を費して主にちかづき、全く主のみを求めなさい。

 二、わが靈魂たましひは飽くことを得べし(

 彼は祈りました、神を求めました、それですから今は信賴致します。すべて私共のゑ渇きは飽くことを得ませうか、すべて私共の願ひにこたへられませうか。そんなに滿足し、安息することが出來ませうか。さうです、飽くことをるとは再三舊新約聖書に記されるおほいなることばであります。

 しんあなた靈魂たましひが飽き足るやうに神に求めなさい、僅かばかりの恩惠めぐみしづくや、小さいげましや、少しの喜び位の事ではありません。ずゐあぶらとにてもてなさるゝことすなはち神が與へんとて備へています公然なる恩賜めぐみの最も善きものをもって滿たされるのであります。主はすでに天の恩惠めぐみ、全き恩惠めぐみを與へんとて備へて給ひます。『わが靈魂たましひずゐあぶらとにてもてななさるゝ如く飽くことを』。

 信仰をもって神に近づきなさる皆さんはこの山から來た時のまゝでくだりなさらぬやうに神がこたへ給ひますから別の人の如くかはずゐあぶらとにて飽き足って御下おくだりなさる事と信じます。けれども求めませんなら受けません。求めますなら必ず飽く事を得ます。これは主イエスが信仰と期待をもって御自身を求めます者に喜んで與へ給ふのであります。

 三、その結果『靈魂たましひは汝を追ひ慕ふ』(

 これはあなたが以前にあったよりも更に神に近く步む、生命いのち新樣あたらしきさまになった結果であります。

 ペテロはさばきの官廳やくしょにまで主に從ってきましたが彼ははるかに從ひました。それですから困難に出會ひ、罪に陷り、不幸を見ました。

 私共おのおのこの願ひを前に置きて主を追ひ慕ひ、右や左に曲がる事を心配せないで進みたう御座います。主の踏み給ふた御足跡みあしあとに從ひ、主の步み給ふた如く步みませう。

 第一節の『わが靈魂たましひは渴きて汝を望む』から始めますならば、六節のわが靈魂たましひは、『飽くことを得る』に至ります。その結果は八節の『わが靈魂たましひは汝を追ひ慕ふ』生涯になると信じます。



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