緒  言



 創世記は聖書の始めです。また創世記は小さい聖書のようなものです。聖書のほかの書を研究しますなら種々なる教訓を受けます。また聖書全体によって全き教訓を得ます。創世記は小さい聖書です。なぜならこのうちに聖書のすべての真理が含まれてあります。またここで神はすべての方法をもって私どもにご自分を顕したまいます。小さき茶碗の海水を見て大海の水の性質を悟ることができますように、創世記によって私どもは聖書全体の事柄を悟ることができます。
 聖書の第一の真理はこの一章の一節に録されてあります。『はじめに神は天と地とを創造された。』神は万物の源であること、神は万物を造り、万物を養い、万物を統御したもうことがここに録されてあります。真にこの一節を信じることができますならば聖書全体を信ずることは難しくありません。この一節を信ずることができますならば、聖書の中に信じ難きことは少しもありません。『神は天と地とを創造された。』これを信ずるならば必ず主の奇跡、あるいは贖罪、あるいはほかのことを信ずることができます。どうぞ深くこの一節を味わってその意味を悟りとうございます。


一、受造物は人間を悔い改めに導くこと

 ヨブ記四十二章五、六節をご覧なさい。ヨブは何故にかく悔い改めましたか。何故に己に死ぬることができましたか。それは三十八章より四十一章までに録されたるごとく、神はご自分の造りたまえるものによりて、その力を示したもうた故です。神はヨブにご自分の手のわざを示したまいました。またそれによって悔い改めに導きたまいました。私どもはほんとうに神の聖手に造られたものを見ますならば、必ず自分が小さくして汚れたるものなるを悟ります。またヨブのごとくに己に死んで神のみを拝むようになります。
 創世記十五章五、六節をご覧なさい。神はアブラハムの信仰を起こしたまいとうございました。また何によりてその信仰を起こしたまいましたかならば、アブラハムを外に導き、空の星を示したもうことによってでした。またアブラハムは心の中に、その星を造り、その星を導きたもう神は、必ず偽ることなくして、ご自分の約束を成就なしたもうことを信ずることができました。私どもは信仰が落ちますならば、神の聖手に造られたるものを見なければなりません。その心の中に失望、冷淡、不信仰が起こりますならば、神は万物の造り主であることを信じねばなりません。
 イザヤ書四十章二十六〜二十八節をご覧なさい。神はイスラエル人の信仰を起こしたまいとうございました。イスラエル人は二十七節に録されたごとく呟きました。イスラエル人はこのように不信仰に落ちましたときに、神は目を挙げて見よと命じたまいました。神は星を造り、星を導き、星を輝かしたもうことができますならば、あなたを守り、あなたを導き、あなたを輝かしたもうことができます。私どもはこのように神の工を見て信仰を起こすことができます。
 詩篇八篇三、四節をご覧なさい。神の工を見ますならば、神の慈愛も悟ることができます。神はこの小さいものを顧みたもうことは、大いなる愛のしるしであることがわかります。私どもは神の造りたまいしものによりて、神の能力を悟ります。けれどもそれのみではありません。神の御慈愛をも悟ることができます。この美わしき天地を見ますならば、あるいは自分の身体の構造を見ますならば、神は知恵と能力を持ちたもう者なることがわかります。けれどもそれのみではありません。神は愛なりと悟ることができます。神は愛のためにこのすべてのものを造りたまいました。神はその造りたるものを愛したまいます。そうですから、そのものを喜ばせんがために、すべての美わしきものを造りたまいました。万物を造りたまえる神は愛なりと悟ることができます。創世記二章九節をご覧なさい。『主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ』。神は人間を喜ばせんがために、美わしきものを造りたまいました。目に美わしくありますならば、ほかに利益がありませんでも、それを造りたまいました。それによって神の御慈愛を悟ることができます。私どもは美わしき四方の景色を見、あるいは荘厳なる天の星を見、あるいは巧みなる身体の構造を見ますならば、それによって神の御慈愛を悟ることができます。それによってどうぞ詩篇八篇三、四節のごとく、自分の心の中に愛を起こします。その美わしきものを造りたまえる神の愛を考えとうございます。
 神は喜びたもう方ですから、その造りたもう生き物をも喜ばせとうございます。美わしき天地を見ますならば、神の喜びをもわかることができます。この美わしき天地は神の喜楽のしるしです。そうですから私どもは神とともに喜びとうございます。
 このように創世記において第一には神は万物を造りたもうこと、神はすべてのものの喜びと生命の源であることをわかります。


二、神が家族のように人間と交わりたもうこと

 創世記を概略に見ますれば、神は人間と美わしき交わりをなしたもうことをわかります。神は親しき友のように、あるいは愛に富む父のごとく、人を待遇したまいます。レビ記を見ますれば、神は人間に交わりたまいます。けれども幾分かその交わりの性質が違います。かの書においては、聖なる神はどうして罪人に交わりたもうことができますか、罪人はどうして聖なる神に近づくことができますかを学びます。これは大切です。けれども創世記においてほかの点から神の交わりを学びます。
 神はエデンの園においてアダムと交わりたまいました。あるいは天幕の入口に座しているアブラハムと交わりたまいました。あるいはアブラハムとともに食事をなしたまいました。あるいは淋しき野にいるヤコブを慰めたまいました。あるいは牢獄にいるヨセフと交わりたまいました。これによりて神は親しき友のように、人間と交わりたもうことがわかります。家族が互いに親しく交わるごとくに、神は打ち解けて親しく人間に交わりたまいました。また幸いにこれは大いなる望みです。未来において私どもは再びこのように神と共に交わることができます。天国において神の家族として単純なる親しき交わりを経験します。これは私どもの大いなる望みです。
 旧約聖書を見ますならば、第一の書は、かくのごとき交わりを示したまいます。新約聖書を見ますならば、そのはじめに同じような交わりを見ます。新約の始めに神は人間の中に降り、人間と共に食し、人間と共に起臥し、人間と共に語り、人間の生涯のすべての場合に遇いたまいました。これは創世記にある交わりと同じことです。また私どもはこのような交わりを経験しますならば、神を喜ばします。父はその家族と交わることを願います。主イエスの働き、また聖霊の働きは何ですかならば、私どもに再度このような交わりを与えるためです。私どもはそれを信じて大胆に神と交わりとうございます。それは子供らしき信仰です。


三、創世記の区分

 創世記を概略に見ますれば、六つの物語を見ます。創世記を六篇に分かつことができます。
 第一篇 アダム
 第二篇 ノア
 第三篇 アブラハム
 第四篇 イサク
 第五篇 ヤコブ
 第六篇 ヨセフ
 神はどうしてこの六人を待遇したまいましたか。それによって神はどうして私どもを待遇したまいますかがわかります。またこの人々はどうして神の恩恵を受けるかがわかります。
 第一篇 アダムによりて人間の性質を学びます。
 第二篇 ノアによりて更生を学びます。すなわちふるき人は去りて新しき人となることを学びます。
 第三篇 アブラハムによりて信仰の生涯を学びます。
 第四篇 イサクによりて子供たる精神を学びます。
 第五篇 ヤコブによりて奉仕と教訓を学びます。
 第六篇 ヨセフによりて苦しみと栄えを学びます。
 そうですからこの創世記において、心霊上の生涯を悉く学ぶことができます。
 実際神の子たる生涯を送るためにこの創世記は大いに助けになります。



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