第百十篇  題目 昇天し給へる主



ダビデのうた

  1. ヱホバわがしゅにのたまふ われなんぢのあたをなんぢの承足せうそくとするまではわが右にざすべし
  2. ヱホバはなんぢのちからのつゑをシオンよりつきいださしめたまはん なんぢはもろもろのあたのなかに王となるべし
  3. なんぢのいきほひの日になんぢのたみは聖なるうるはしきころもをつけ 心よりよろこびておのれをさゝげん なんぢはあしたはらよりいづるわかきもののつゆをもてり
  4. ヱホバちかひをたてて聖意みこゝろをかへさせたまふことなし なんぢはメルキセデクのさまにひとしくとこしへに祭司たり
  5. しゅはなんぢの右にありてそのいかりの日に王等わうたちをうちたまへり
  6. しゅはもろもろの國のなかにて審判さばきをおこなひたまはん 此處こゝにも彼處かしこにもしかばねをみたしめ 寬濶ひろらかなる地をすぶる首領かしらをうちたまへり
  7. かれ道のほとりの川よりくみてのみかくてかうべをあげ

 この短き本篇にあることば新約のうちに十四たび引照せらる。しかしてその引照せられたるところを見れば本篇は主イエスの預言なる事明白あきらかなり。
 (一、二)シオンの王
 (三)その民のかしら
 (四)祭司のをさ
 (五〜七)人の審判主さばきぬし
 十字架につけられたる主はこのよつの名を有し給ふ。しかしてこれは格別に昇天し給へる救主すくひぬしを示す。
▲一節のことばは新約に度々たびたび引照せらる。これによりて主イエスについて五つの事を学ぶを
一、主イエスは天の使つかひよりも高くいまし給ふ(ヘブル一・十三)──『いづれの御使みつかひかつくは言ひ給ひしぞ「われなんぢあたなんぢ足臺あしだいとなすまでは、が右にせよ」と』
二、主イエスは神なり(マタイ廿二・四十三、四十四)──『イエス言ひ給ふ「さらばダビデ御靈みたまに感じて何故なにゆゑかれを主ととなふるか。いはく『主、わが主に言ひ給ふ、われなんぢの敵をなんぢの足の下に置くまでは、が右にせよ』くダビデ彼を主ととなふれば、いかでその子ならんや」』
三、主イエスはあがなひ完成まったうし給へり(ヘブル十・十二、十三)──『キリストは罪のために一つの犠牲いけにへを獻げて、限りなく神の右にし、かくおのあだおの足臺あしだいとせられん時を待ちたまふ』
四、主イエスは天に昇り給へり(使徒行伝二・卅三〜卅六)──『イエスは神の右に擧げられ、約束の聖靈を父より受けてなんぢらの見聞みきゝするのものを注ぎ給ひしなり。それダビデは天に昇りしことなし、れどみづから言ふ「主わが主に言ひ給ふ、われなんぢの敵をなんぢ足臺あしだいとなすまではが右にせよ」と。ればイスラエルの全家ぜんかしかと知るべきなり。なんぢらが十字架にけしのイエスを、神は立てて主となし、キリストとなし給へり』
五、主イエスは未來において必ずすべての敵に勝ち給ふべし(コリント前書十五・二十五)──『彼はすべての敵をその足の下に置き給ふまで、王たらざるを得ざるなり』
 く本篇の一節のことばより以上の五つの大切なる事を證據立つる事を得るなり
▲三節に──『いきほひの日』
 五節に──『いかりの日』
とあり、前者は今のめぐみの日をひ、後者は未來におけ審判さばきの日を指す。
▲本篇は次の二つの篇と關係あり。
 本  篇 天にいまし給ふ主
 百十一篇 地上におけその御働おんはたらき
 百十二篇 此世このよその忠実なるしもべ



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