六  結    辞



 以上はキリストの送られました交わりの御生涯の梗概であります。これは主が私共の前に置いて下さった模範であります。このようにこの模範を私共に与えて下さったということは、とりもなおさず私共も、神とのお交わりの中にあって、このような生活をすることのできることを主が示そうとしておられるのであります。
 この記録によって、幸いにもこれが私共にもできるのだとの私共の信仰を励ましていただきたいものであります。イエスの神は、また私共の神であります。彼の父はまた私共の父です。父なる神が主イエスにとってどのような御方であられましたか。そのまま、私共にとってもまたそのようでいて下さることができ、また喜んでそのようでいて下さるのであります。父は私共にとっても、同じ祈りに答えて下さる神であり、導き、力づけて下さる神、すべての事にすべての充全を与えて下さる神でいらっしゃいましょう。それゆえ私共も、イエスの祈りと交わりの模範に従って私共自らを献げようではありませんか。それは多くの人々の生涯に大いなる変化を与えることを意味するでしょう。そしてこれこそは神が私共を召し寄せて下さっている生涯であります。これは私共にもその御足の跡を踏ませようと、キリストが私共にお残し下さった模範であります。主のなされたように、私共も懇求の霊に自らを渡そうではありませんか。何ものをもこの道に立ち塞がらせてはなりません。あなた自らを神にお渡しなさい。神はご自身をあなたにお渡し下さるでしょう。神と偕に多く時を費やしなさい。そうすれば彼はあなたに近づかれるでしょう。神はあなたを携え入れて彼のひそかなる処に住まわせられます。
        なんぢの神ヱホバ‥‥‥なんぢのために喜び楽み、
         愛の余りに黙し、汝のために喜びて呼はりたまふ
                 (ゼパニヤ三・十七)



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