神 と 偕 な る 行 歩

『わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう』

ビー・エフ・バックストン著
小  島  伊  助  訳

CHRIST OUR EXAMPLE
IN HIS
COMMUNION WITH GOD
BY BARCLAY F. BUXTON




 どなたにも「慰め主が参りました」時に、ただちに起こる問題は「この受けた恵みをどうして保つことができるか」ということであります。それに対する最善の答えは「あなたは『恵み』を保つ必要はない、『恵み』があなたを保って下さる」ということであります。内に宿り、とどまり続けて下さる生ける御方である御聖霊は、あなたを保ち『常に水をそそぎ』下さいます(イザヤ二十七・三)。ただ、彼に依り頼み、彼のなされるままにお任せしなさい。そうすれば、あなたの『葉もしぼまない』ばかりか、彼の御力によって『そのなすところは皆栄える』のです(詩一篇三)。
 けれども、もしあなたが、この与えられました神との交わりを保ち、またいよいよ深めることに注意深くなければ、御霊はそのようにあなたを守って神の愛の中にとどまらせて下さることができないでしょう。今まで過去において、どんなにたくさんの恵みを受けたにしても、あなたの霊魂は健康に保たれることはできません。これは父なる神の御子であられ、御聖霊をもって格別にお取り扱いをお受けになられたキリストにおいてさえも事実でありました。主が神を求められましたのは、ただ、父なる神と偕に居ることを愛されたからだけではありません。主はまた、これを必要とされたのです。新しい力を受けるためには祈禱と交わりの静かな時を必要とされたのです。
 私共も自分のか弱いことと聖霊の強い御力とを認めれば認めるほど、また主のようにいたします。世には救霊の働きにあまりにも忙しく、祈禱と交わりのためには、時も力もほとんど無いような教職者があります。
 私共は神の奉仕に没頭して、神ご自身をおろそかにするようなことのないように警戒しなくてはなりません。キリストは人々を救う働きにご自身をお与えになられた御方であります。しかし、父なる神との交わりを妨げるようなことは決してお許しになりませんでした。
 主は御言葉により、また聖き御生涯の模範によって私共を教えていて下さいます。私共は主の模範を学んで同じ聖潔と祈禱の道を歩ませていただきたいものであります。



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