第 三 章
第 二 の 召 命
ヱホバの言ふたゝびヨナに臨めり(三・一)
第二の召命です。ヨナがかかる失敗をなし、かくも叛逆したにもかかわらず、神がもう一度召したもうとはなんと驚くべき恩寵でしょうか。なおも彼を遣わそうと準備して送り出して下さるのです。列王紀上十九章において同様な恩寵をもう一度見せられます。イゼベルの面前を逃れたエリヤに神は会いたもうて『エリヤよ、汝此にて何を爲や』(九節)と言いたまいました。神は彼を見棄てたまわずして再び使命を与えたまいました。『汝ニムシの子エヒウに膏を注ぎてイスラエルの王となすべし またアベルメホラのシャパテの子エリシャに膏をそゝぎ爾に代りて預言者とならしむべし』(十六節)。神はなお彼を恩恵の中に用いたまいました。きっとペテロは、あの主を拒んだ失敗のあとで、使徒たるの職はこれで終わりであると考えたに相違ありません。しかし主の赦しはペテロを以前のごとくに回復せんとすることでした。ゆえに主は彼に問いたまいました、『ヨハネの子シモンよ、汝……我を愛するか』(ヨハネ二十一・十五)と。そして彼に命じて『わが羔羊を養へ』『わが羊を牧へ』(同十五、十六)と。同様にヨナも再び奉仕に召されました。驚くべき恩寵ではありませんか。
もしここに、失敗して神に罪を犯した者がおりますならば、一人残らず同様の恩寵をもって神が取り扱いたもうことは疑いありません。神はなおも彼を用い、再び送り出したまいます。
さてヨナは救われました。第二章において彼の祈りをお読みしましたが、その祈りに応答として救いが参りました。それだけでもヨナにとっては十分な恩恵ではなかったでしょうか。ああ、神は彼になお恩恵を付け加え、救いたもうたのみならず再び働きに召したまいました。私共が見棄てられないということですら、何たる恩恵でしょうか。パウロでさえも棄てられはしないかと恐れました。もちろん彼は救いまで失ってしまうとは思いませんでしたが、彼の職務と働きとを失うことを恐れました。これはパウロにとっては健全な聖き畏怖でした。私共もまた心の中にかかる畏怖を持つべきではありませんか。私共は神が続けて私共を用いて下さると独り合点し過ぎてはいませんか。棄てられないように恐れるべきであります。
神 の 試 練
ヱホバの言ふたゝびヨナに臨めり 曰く 起てかの大なる府ニネベに往き(三・一、二)
かつて彼が拒絶したところのことです。神は今、彼を試験していらっしゃいます。ヨナは魚の腹の中で悔改を告白しました。もし私共が悔改と信仰を告白しますならば神は常に試みなさいます。神はここでヨナの悔改を試みなさいました。神は、彼が自分の村に帰って、赦された平安な余生を送ることを許したまいません。あなたがかつて拒みましたことを今は喜んでいたしますかと問いたまいます。これは鋭い問いです。しかしヨナはこの間において既に大いに学ばされて参りました。服従を学びました。『受けし所の苦難によりて從順を学び』(ヘブル五・八)という句を引きとうございません。この聖句はキリストご自身に適用されるべきもので、罪を犯せる預言者に用いるには勿体のうございます。しかし彼が受けし苦難により学んだことは確かです。学んだところは従順の学課でした。私共が受けた苦難に由って『我が意にあらずして御意の成らんことを』(ルカ二十二・四十二)との従順の大学課を学び得ますならば幸いなことであります。
神の与えたもうたメッセージ
起てかの大なる府ニネベに往きわが汝に命ずるところを宣よ(三・二)
神は彼に場所を示して語るべき説教すらも与えたまいました。神は使徒行伝九章においてアナニヤに行くべき町と家、および言うべき言葉すら与えたまいました。同様にヨナもここで場所とメッセージを含んでいる命令を受けました。『……わが汝に命ずるところを宣よ』。如何なる説教者といえども、神から受け、神から教えられし以外のことを語る権利を持っておりません。
民数記二十二・三十五を開いてご覧なさい。『ヱホバの使者バラムに言けるは この人々とともに往け 但し汝は我が汝に告る言詞のみを宣べしと』。エレミヤ記一・十七には『汝腰に帶して起ちわが汝に命ずるすべての事を彼等につげよ』と。これは主イエス御自身も宣教者としてなしたもうたところです。主は父が与えたもうた言のみを語りたまいました(ヨハネ八・二十六、二十八)。コリント前書二・十三には『御靈の敎ふる言』と書いてあります。おお、説教において従順を学びとうございます。神より受けて、人に与える──『わが汝に命ずるところを宣よ』。
即ちヨナ往けり
『ヨナすなはち……起て……往けり』(三・三)。神の言に従って起って往きましたことにおいては正しいと言えましょう。しかし彼は単に義務的に往ったようにも思われます。彼は颶風の中で、魚の腹の中で訓練されました。彼はいま義務を忠実に果たそうとしております。しかし彼は神の愛から出ているのではありません。救われざる者に対する愛、彼等の状態に対する重荷を感じてのことではありませんでした。単なる義務として出掛けました。義務的観念からの奉仕──それももちろん善いことには相違ありませんが──しかしそこには愛から出た奉仕のような力がありません。『ヨナ起て往けり』。
ニネベにおけるヨナ
『ニネベは甚だ大なる邑にしてこれをめぐるに三日を歷る程なり』(三・三)。当時の文献に由りますとニネベは九十マイル四方もあったと言われております。非常に大きな邑でした。この預言者は遙かに遠い地方から来ましたから、初めてこの大きな邑とその立派な城壁を見た時には驚いたに相違ありません。たぶん彼は意気消沈し、心に恐れを感じたでありましょう。しかし彼は大胆に前進しました。『ヨナその邑に入はじめ一日路を行つゝ』(三・四)。
さて主イエスはニネベの人々がかの時代の人々とともに審判に立つであろうと仰せになりました(マタイ十二・四十一)。ゆえにこれは歴史的事実であることがわかります。寓話の中の人物が審判に立つことはありません。またヨナはニネベに人々に対する徴であったとも言われました(同三十九)。これは彼の宣教の事実を雄弁に物語っているではありませんか。
徴 な る ヨ ナ
ヨナはニネベ人にとって徴でありました。たぶん彼が海中に投げ入れられてもなおも生きているということがニネベに伝わっていたのでありましょう。かの船夫らがヨッパに戻りました。それもヨナよりも前に着いたことは疑い得ません。ヨナは三日三夜も魚の腹の中におりましたからです。たぶん船夫らは他の積み荷を得るために港に帰ったでありましょう。そして預言者が海中に投げ入れられたことを人に伝えたに違いありません。そこへヨナが現れて、神が彼の祈りに答えて生きながらえしめて下さった事を人々に語ったのでありましょう。
実際、死んだ筈の人が再び生きかえっているなどとはヨッパの人々には奇蹟としか思えなかったでありましょう。そしてヨッパとニネベの間は交通が頻繁でありましたから、この不思議な事件の知らせがニネベに広まりまして、この預言者が現れました時にはニネベの人々にとって徴でありましたでしょう。彼はニネベの人々にとっては一度死んだが再び生き返った人として見えました。神の厳粛と神の仁慈との徴でありました。如何なる説教者も人々にとって徴でなければなりません。彼は甦った人でなくてはなりません。罪に死に、再び復活した人、神の厳粛と仁慈との徴、また祈禱の答えられた不思議の徴でなければなりません。何故ならば説教者自身の存在は彼が説教した事柄よりも遙かに大いなるものであるからです。おお、どうぞ私共が未信者にとって判然した徴であり得ますように祈ります。神の恩恵と神の驚くべき救いの徴でありとうございます。
来るべき滅亡の説教
『ヨナその邑に入はじめ一日路を行つゝ呼はり曰けるは、四十日を歷ばニネベは滅亡さるべし』(三・四)。恵みの四十日です。なお時が残されてあります。神は如何なる罪人に対しても悔改のために時を与えていたもうとは驚くべき恩恵であります。疑いなくヨナは邑の辻々において、このメッセージを繰り返し繰り返し叫んだに相違ありません。私共は同じ説教を何回となく繰り返すことを懼れる必要はありません。バプテスマのヨハネも繰り返し繰り返し『汝等悔改めよ、神の國は近づけり』と説教いたしました。主イエスもヨハネの説教を繰り返して『汝等悔改めよ、神の國は近づけり』と説教なさいました。それはすべての人々の心に打ち込まなくてはならない真理でありましたからです。それで何遍も繰り返す必要がありました。ヨナもここで『四十日を歷ばニネベは滅亡さるべし』という判然としたメッセージを繰り返しました。パウロが『斯く主の畏るべきを知るによりて人々に說き勧む』(コリント後書五・十一)と言っておりますように、彼はすべて悔い改めざる罪人の前途を知っておりました。故に彼らを救わんとの願いに動かされてあの言葉を繰り返し繰り返し説教したのであります。
信 仰 と 麻 布
さて不思議なことが起りました──『かゝりしかばニネベの人々神を信じ……』(三・五)。彼らはヨナを信じたとは書かれてありませんが、神を信じましたとあります。そのメッセージには明らかに神の能力がありましたから人々は神を信じました。彼らは聖言をテサロニケ人のように受けました(徒十七章)。人の言としてではなく、実際に神の言として受けたのです。彼らは神を信じて麻布を纏いました。この二つの事の間には常に密接な関係があります。信仰は常に麻布に導きます。神を信じますと常に悔改めと砕けた心に導かれます。信仰はいつでも罪人をして跪かしめ、神の前に平伏して『あゝ神よ ねがはくはなんぢの仁慈によりて我をあはれみ なんぢの憐憫のおほきによりてわがもろもろの愆をけしたまへ』と叫ばしめます(詩五十一・一)。これこそ信仰が生んだところの砕けし心の叫びです。信仰は私共をして麻布を纏わしめます。
悪しき途より離る
断食は布告されました。大いなる者から小さき者に至るまで麻布を纏いました。私共はペルシャの歴史にも同様の事例を見ます。すなわち敵の軍が襲いかかって参りました時に、彼らは獣類に至るまで悲哀と認罪の徴を付けて神に叫び求めました。ここでも同様です。彼らは九節に、ヨエル書第二章にあるとおりのことを言っております。『誰か彼(神ヱホバ)のあるひは立帰り悔……たまはじと知らんや』(十四節)。神は彼らの業を御覧になりました。信仰と麻布とがあるばかりでなく、悔改にかなう業がありました。彼らが悪しき途より離れ去ったその行為を御覧になって神は悔いたまいました。彼らが悔改めましたから神も悔改めたまいました。神は罪人にもし立ち帰らざればかくなさんと言いたまいましたことを、喜んで悔改めて下さる御方です。彼らは悔改めました故に神も悔改めたまいました。
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