第十篇 題目 惡き者の性質
- あゝヱホバよ何ぞはるかに立たまふや なんぞ患難のときに匿れたまふや
- あしき人はたかぶりて苦しむものを甚だしくせむ かれらをそのくはだての謀略にとらはれしめたまへ
- あしきひとは己がこゝろの欲望をほこり貪るものを祝してヱホバをかろしむ
- あしき人はほこりかにいふ 神はさぐりもとむることをせざるなりと 凡てそのおもひに神なしとせり
- かれの途はつねに堅く なんぢの審判はその眼よりはなれてたかし 彼はそのもろもろの敵をくちさきらにて吹く
- かくて己がこゝろの中にいふ 我うごかさるゝことなく世々われに禍害なかるべしと
- その口にはのろひと虛偽としへたげとみち その舌のしたには殘害とよこしまとあり
- かれは村里のかくれたる處にをり隱やかなるところにて罪なきものをころす その眼はひそかに倚仗なきものをうかゞひ
- 窟にをる獅のごとく潜みまち苦しむものをとらへんために伏ねらひ貧しきものをその網にひきいれてとらふ
- また身をかゞめて蹲まる その强勁によりて倚仗なきものは仆る
- かれ心のうちにいふ 神はわすれたり神はその面をかくせり神はみることなかるべしと
- ヱホバよ起たまへ 神よ手をあげたまへ 苦しむものを忘れたまふなかれ
- いかなれば惡きもの神をいやしめて心中になんぢ探求むることをせじといふや
- なんぢは鑒たまへり その殘害と怨恨とを見てこれに手をくだしたまへり 倚仗なきものは身をなんぢに委ぬ なんぢは昔しより孤子をたすけたまふ者なり
- ねがはくは惡きものの臂ををりたまへ あしきものの惡事を一つだにのこらぬまでに探求したまへ
- ヱホバはいやとほながに王なり もろもろの國民はほろびて神の國より跡をたちたり
- ヱホバよ汝はくるしむものの懇求をきゝたまへり その心をかたくしたまはん なんぢは耳をかたぶけてきゝ
- 孤子と虐げらるゝ者とのために審判をなし地につける人にふたゝび恐嚇をもちひざらしめ給はん
▲惡き者は
一、高ぶる(二)──『あしき人はたかぶりて苦しむものを甚だしくせむ』
二、誇る(三)──『あしきひとは己がこゝろの欲望をほこり』
三、意地惡し(三終)──『ヱホバの憎み給ふ貪る者を祝す』(英譯)
四、祈る事をせず(四節中程)──『神を求むる事をせず』(英譯)
五、無神論を唱ふ(四終)──『凡てそのおもひに神なしとせり』
六、瞽なり(五)──『なんぢの審判はその眼よりもはなれてたかし』
七、贋の安心を抱く(六)──『かくて己がこゝろの中にいふ 我うごかさるゝことなく世々われに禍害なかるべしと』
八、其口の言は汚はし(七)──『その口にはのろひと虛偽としへたげとみち その舌のしたには殘害とよこしまとあり』
九、自ら欺く(十一)──『かれ心のうちにいふ 神はわすれたり神はその面をかくせり神はみることなかるべしと』
▲本篇中に『己が心の中にいふ』といふ言三度記さる。
六節、十一節、十三節(尚十四・一、十五・二にも此言記さる)
頑固なる人々の心には斯くの如く似て非なる安心及神を輕んじ侮る心あり。
我等のなさゞる可らざる事は、先ず心の思を直す事也。
狂人の心中には樣々なる異なる思を存す。罪人は恰かも狂人の如し。かの放蕩息子が『自らに立返りし』(ルカ十五・十七『我に反りて』の英譯)時までは彼は恰も狂人のごとく、樣々の空しき想に囚はれて自己を失ひ居りしが、其時初めて自己に立返りし也。然れば我等未信者に傳道する時この事を記憶し、此心して彼等を取扱ひ、先づ彼等の心の思を矯し、斯て彼等をして自己に反らしめざる可らず。
▲一節に『あゝヱホバよ何ぞはるかに立たまふや』とあり(廿二・一、十一、十九、卅五・廿二、三十八・廿一にも同樣の祈禱記さる)。
神は何時も我等に近く在さんと欲み給ふ。又一面よりいへば實際近く在し給ふ也。然れど實驗的方面よりいふ時には、神は時に遠ざかり給ふことあり。我等の靈魂斯る事を經驗せば、碎けたる心を以て『我より遠ざかり給ふ勿れ』と祈らざる可らず。
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