第十七篇
ダビデの祈禱
- あゝヱホバよ公義をきゝたまへ わが哭聲にみこゝろをとめたまへ いつはりなき口唇よりいづる我がいのりに耳をかたぶけたまへ
- ねがはくはわが宣告みまへよりいでてなんぢの目公平をみたまはんことを
- なんぢわが心をこゝろみ また夜われにのぞみたまへり 斯てわれを糺したまへど我になにの惡念あるをも見出たまはざりき わが口はつみを犯すことなからん
- 人の行爲のことをいはゞ我なんぢのくちびるの言によりて暴るものの途をさけたり
- わが步はかたくなんぢの途にたち わが足はよろめくことなかりき
- 神よなんぢ我にこたへたまふ 我なんぢをよべり ねがはくは汝の耳をかたぶけてわが陳るところをきゝたまへ
- なんぢに依賴むものを右手をもて仇するものより救ひたまふ者よ ねがはくはなんぢの妙なる仁慈をあらはしたまへ
- 願くはわれを瞳のごとくにまもり汝のつばさの蔭にかくし
- 我をなやむるあしき者また我をかこみてわが命をそこなはんとする仇よりのがれしめ給へ
- かれらはおのが心をふさぎ その口をもて誇かにものいへり
- いづこにまれ往ところにてわれらを打圍み われらを地にたふさんと目をとむ
- かれは抓裂んといらだつ獅のごとく 隱やかなるところに潜みまつ壯獅のごとし
- ヱホバよ起たまへ ねがはくはかれに立對ひてこれをたふし御劔をもて惡きものよりわが靈魂をすくひたまへ
- ヱホバよ手をもて人より我をたすけいだしたまへ おのがうくべき有をこの世にてうけ 汝のたからにてその腹をみたさるゝ世人より我をたすけいだし給へ かれらはおほくの子にあきたり その富ををさなごに遺す
- されどわれは義にありて聖顏をみ 目さむるとき容光をもて飽足ることをえん
▲本篇に『汝の(Thy)』といふ語度々記さる。是によりて神の樣々のものを知る。詩人は祈禱の中に色々の方面より具さに又懇ろに主を思へり。
(なんぢの)みまへ(presence)(二)
なんぢの目(二)
なんぢのくちびる(四)
なんぢの途(五)
汝の耳(六)
なんぢの……仁慈(七)
汝のつばさの蔭(八)
(なんぢの)御劔(十三)
(なんぢの)手(十四)
汝のたから(十四)
(なんぢの)聖顏(十五)
(なんぢの)容光(十五)
▲詩人は此神の前に自己を注ぎ出して祈れり。
わが哭聲(一)
我がいのり(一)
わが宣告(二)
わが心(三)
わが口(三)
わが步(五)
わが足(五)
わが陳るところ(六)
わが靈魂(十三)
▲八節に『汝のつばさの蔭』といふ語あり。此語は詩篇の中に度々記さるゝ語にて、是を硏究する事は益多し。以下の引照を玩味せよ。
(一)十七・八=救──『願くは……汝のつばさの蔭にかくし』
(二)三十六・七=滿足──『人の子はなんぢの翼の蔭にさけどころを得』
(三)五十七・一=平安──『われ禍害のすぎさるまではなんぢの翼のかげを避所とせん』
(四)六十一・四=神との交通──『われ永遠になんぢの帷幄にすまはん 我なんぢの翼の下にのがれん』
(五)六十三・七=喜樂──『我なんぢの翼のかげに入てよろこびたのしまん』
(六)九十一・四=神の愛に感ず──『かれその翮をもてなんぢを庇ひたまはん なんぢその翼の下にかくれん』
(鳥が其雛を憩はしむる爲に翼を展げて蔽ふ如く、神は其翮を以て我等を庇ひ給ふ也。斯て雛が母鳥の温味を感ずる如く主の愛を感ずる也)
(七)得二・十二=信賴──『ヱホバ即ち汝がその翼の下に身を寄んとて來れる者』
(同書三・九の『覆ふ』の字も原語にては二・十二と同じ。其處にては新郎の愛を感ずる也)
(八)マタイ廿三・三十七=災禍より救はる──『牝鶏のその雛を翼の下に集むるごとく、我なんぢの子どもを集めんと爲し』
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