第六章 如何にして入るべきか

ヨルダンを渡る


 
 イスラエル人民はエジプトを出てからこの方、いつでも約束の地の方を望んでおりました。そこは彼らの目標で、彼らの望みも願いも皆そこにあったのです。彼らは、その土地へ行って来た間者が、すべて主が仰せたもうた通りであると言ったあかしを聞きました(民数紀略十三・二十七)。モーセはピスガの山よりそこを眺めたので、『我をしてわたり行かしめ……美地よきちを見ることを得させたまえ』と祈りました(申命記三・二十五)。
 神は先にひとたび、その地の境まで彼らを導きたもうたのでありますが、そのとき彼らは神に叛き、その聖言みことばを信ぜず、そこに入ろうとしませんでした。もしもイスラエル人が神を信じましたならば、エジプトを出てから十週間のうちにカデシバルネアよりカナンに真っ直ぐに入ったのでしょうに、不信仰でありましたから、その地に入るのに、十週間の代わりに四十年間かかりました。不信仰の者どもがみな死んでしまって、神に頼るように仕込まれた、信仰ある若い者ばかりになるまで、神は待っていたまわねばならなかったのです。神は限りなき忍耐と恩恵めぐみのうちに彼らを待ち、久しき後もう一度、彼らをカナンの地に導きたまいました。今日も、ひとたびこの恵みのごく近くまで導かれながら、恐れのために進んでそれを占領することをせず、かえって曠野あれのへ後戻りした人がたくさんありますが、神はそういう人々に対して同じように、驚くべき恵みのうちにもう一度その機会を与えたまいます。
 けれども今度は以前のように容易には入れません。もしも私共がすぐさま神に従いますれば、神は静かにまたたやすく私共を導いて、カナンを占領せしめたまいますが、もし私共が拒みますれば、神は別のみちから遠回りをして連れて行きたまわねばなりません。そしてイスラエル人が、その途中でまずシオンとオグを征服して、その土地を占領せねばならなかったように、多くの衝突があるに相違ありません。次にまたヨルダンがたとえ氾濫しておっても、渡らなければならぬのです。けれどももし私共が初めに召されたときに入りますならば、戦いもなければ、またヨルダンを渡るような信仰上危険な場合に遭遇することもなく、『エリコに向かって直ちに』渡らねばならぬというようなこともありません(ヨシュア記三・十六)。ですからすぐさま敵の砦と戦うようなこともないのであります。
 それゆえ私共は幼稚な信者に向かってもこの満ち足れる恵みを説き、彼らが直ちに進み入りて、それを占領するように勧めたいものであります。かく致しますれば、ただに彼らを救って、長い年月の間、曠野に彷徨さまよわしめるようなことがないばかりでなく、聖潔きよめの恵みを受けることが遅くなれば、従って起こって来るに相違ない様々の霊魂たましいの戦いや困難からも救うのであります。けれどもすべての人に対しては、神の驚くべき恵みによりて、今なおこの祝福に入る別の機会が与えられております。
 イスラエル人民がカナンの地の近くに参りました時に、ヨルダンを渡ることは不可能であるように見えたに相違ありません。彼らはカナンの地を見ることを得ました。またそこへは程近いことも見えました。けれども通ることのできぬ障害物があって、その間を隔てておりました。今日も、如何に多くの者がちょうどこれと同じ有様にあることでございましょうか。神は彼らを近くまで導きたまいました。そして彼らは明らかにそれを見、またそれに入ることを願います。けれども彼らは、それに達することができぬかのように感じているのであります。
 しかし神は人の期待に反し、神たる力によりて途を設けんとしていたまいました。また後の時代の私共が満ち足れる祝福に入るために、開かるべき途の型となるように、その途を開かんとしていたもうたのであります。さて、イスラエル人の真っ先には祭司らが契約のはこをかついで進みました。これが第一にヨルダンに入らねばなりませんでした。これは死に入ることの型で、それによってすべての人のために、カナンに入る途が開かれたのであります。この契約の櫃と人民との間は二千キュビト隔たっていましたから、すべての人はそれを明らかに見ることができ、またそれがどういう結果を来したか、すなわちそのために開かれた途を見ることができたのであります。さてここに、私共のために至聖所いときよきところに入る新しき活けるみちを開かんとて、私共に先立ちて死のうちに進み行きたもうた御方があります。彼は死を冒し、その御血潮は流されました。されば彼の肉体なる幕が裂かれたことにより、神との交通に入る途が、私共のために開かれております。霊的死を通りて、新しき生命いのちに入る明らかな途が、私共のために造られたのは、実に十字架の勝利によることであります。
 信仰ある者はこの途を見ますが、不信仰なる者はただ通ることのできぬ障害物を見るだけであります。信仰があれば、キリストが勝利を得たまいましたから、彼と共に私共は死に、また新しき生命に入り得られることを認めます。私共は急いで渡りたいものであります(ヨシュア記四・十)。誰一人『彼らの如き不信仰にならいて落ちざるよう、この安息に入らんことを励み』たいものであります(ヘブル四・十一)。
 私共がかように、信仰によりてヨルダンに入る時に、キリストとともに死に、また甦らんがためにバプテスマを受けるのであります。ヨシュアはヨルダンの真ん中に十二の石の塚を建てましたが、『今日までなお彼処かしこにあり』ます。これは、ふるきイスラエルがその死の川の底に捨てられたことの型でありました。彼はまた、カナンの地のヨルダンの岸辺にも、別に十二の石の塚を建てましたが、これは、イスラエルがこの恵みの地に入り来り、今より後、神がご自分の地に建てたもうた者としてそこに住むことの型でありました。
 かように私共が、恵みのカナンに入りましたならば、自らは誠に死にし者で、約束の満ち足れる祝福の地に生きておると勘定するのであります。しかり、死んだのです──ただ紅海におけるがごとく、私共の敵の手より救い出されたばかりでなく、罪の身の廃らんがために、旧き人が十字架に釘けられたのであります。そうですからその人は真の自由を経験します。主が仰せたもうたように『誠に自由に』、またパウロが言ったように『誠に死にし者』で、またペテロが申したように『罪を断った』のであります。
 さればこの聖言の意味そのままに、『汝ら罪については自ら誠に死にし者と思うべし』。これは、ほんとうでないことをそう思わめばならぬという意味ではなく、私共が信仰によりてそう致します時に、神がそれを実際になしたもうのであります。主が片手のえたる人に、その手を伸ばすように命じたまいましたときに、その人がそうすることができると思ったゆえに、主の力は死んでいたところに生命を持ち来し、彼が実際にそうすることができるようになしたまいました。そうですから私共が自らキリストと共に死にし者と勘定する(すなわち思う)時に、主はそれを実際とならしめたまいます。かくて信仰が経験となるのであります。
 さればどうか、新しき活ける路より、極めて大胆に入りたいものであります(ヘブル十・十九)。それには、すべての恵みを得るために如何なる事をも厭わずにするという信仰の勇気を要します。けれども、たとえ暗黒の中に踏み込むように見えましても、踏み込みなさい。されば『信ずるごとくに汝に成り』、あなたはカナンにいることを認めなさるでしょう。聖言にあるように『ヨルダンを渡り尽くし』なさい。──一部分は渡り、一部分はそうでないというのではなく、ことごとく、全然、ヨルダンを渡って、カナンにお入りなさい。さればイエスを見上げつつ、私共が受けた恵みに堅く立ちとうございます。


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