富  め  る  所

(これは詩篇六十六篇十二節の中にある言葉で、日本訳には『豊盛ゆたかなる処』としてある言葉であります。 訳者)

ビー・エフ・バックストン著



第一章  聖書の天路歴程てんろれきてい


 
 「きよくあるために何をなすべきか」
 「如何にせば聖霊に満たさるることを得るや」
 「如何にしてきよくせらるるや」
 これらの質問は信者各自めいめいの心に起こる質問で、その答がなくてはなりませんが、神はその聖言みことばの中に明らかな答を与えていたまいます。聖書は最も明らかに聖潔きよめを教える教科書で、誰でも神の聖旨みこころを行うことを願う人には解るようにしるしてあります。ですから神の聖言によって満ち足れる祝福めぐみに導かれた人は、全体に行き渡りて聖くあり、かつどの方面から見ても、能力ちからにおいて、また柔和において、キリストの霊を顕している、確かなる神の子であります。
 聖書の天路歴程とも謂うべき部分を学ぶことは、この恵みを求めている人にとりて特別に有益であろうと思います。イスラエルの子等がエジプトより救い出されたこと、また曠野あれのの中を旅行し、ついに約束の地を占領したことなどの話は、私共を教えるために「模型かた」として与えられたもので(コリント前書十・十一)、私共がその意味を調べますれば、神の満ち足れる救いを求め、またそれを実験する上に大いなる光と助けを得ることであります。
 更生うまれかわりは大いなる恵みではありますが、その時に私共が受くべき筈であるすべての恵みを得るのではありません。それに次いで来るべき更に大いなる恵みがあります。イスラエル人民はエジプトから驚くべき力によって救い出されたのですが、なお彼らに与えらるべき恵みがありました。彼らはカナンの地に「入」り、その地の祝福めぐみけんがために「導き出」されたのであります(申命記六・二十三)。今日の信者もちょうどその通りであります。私共は救いの教えの始めを離れて完全に進み、神の満ち足れる祝福を享けるまでに進まなければなりません。
 これは心霊的生涯における第二の危機であって、ちょうどイスラエル人民の歴史におけるがごとくであります。すなわち彼らにとっては、エジプトより出て来るということは一つの危機であって、彼らはこれによりてそのふるき生涯と奴隷たる身分より永遠に離れたのでありますが、カナンの地に入ることは、同じような別の危機であって、この時に彼らはみな生命いのちを賭けて神の約束に頼り、かくて神が彼らのために備えたもうた処に入ったのであります。キリスト信者の経験においてもその通り、ふつう二つの著しい危機があります。始は更生うまれかわりの時で、すなわち霊魂たましいが罪から救い出されて新たに生まれ、旧き生涯と昔の罪の軛より離れた時であります。第二の危機は聖霊を受ける時で、その時から神が約束したもうた満ち足れる祝福めぐみ能力ちからとを受けるようになるのであります。


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