聖 霊 の バ プ テ ス マ



 どうぞ、これまで受けた恵みでご満足なさいますな。神はなおなお新しい恵みを与えたまいとうございます。もはや被聖きよめの恵みを得ましたならば、どうぞ続いて聖霊のバプテスマをお求めなさい。ここで私共は楽しい人間の交際まじわりを経験いたします。聖徒の交際は実にうるわしいことです。それは小さい天国のようなものです。また神はそれを見て喜びたまいます。けれども今はそれでご満足なさいませず、更に主ご自身にまみゆることをお求めなさい。聖霊御自身をお求めなさい。どうぞ兄弟姉妹を離れて、お一人で聖霊と火のバプテスマをお求めなさるように願います。
 神は聖霊のバプテスマについて、いろいろな約束を与えたまいました。
 私共は信仰によりて各自めいめいにその約束を成就されることができます。
 神はまた使徒行伝のうちに、聖霊のバプテスマを受けし多くの例を示したまいました。いま七つの例を引きまして、その順序や状況ありさま、結果などを学びたいと思います。

第一、コルネリオ

 ペテロこのことを語れる間に道をきくところのすべての者に聖靈くだれり(十章四十四節)

 神の使命を受けた人の証詞あかしや説教を聞くことは、厳かなことです。それを聞くうちに、聖霊を頂戴することができる。神はその時に天を開いて聖霊をくだしたまいとうあります。私共は、もしこれまでむなしくそれを聞きましたならば、悔い改めねばなりません。徒しく聞くことは神の与えんとしたもう恵みを拒むことです。
 今、その話を聞きました人々の心の状態ありさまはどうでありましたかならば、

 是故このゆゑに我たゞちに人をなんぢつかはせり。爾のきたれるはよし。われら神の爾に命じ給へる一切すべてこときかんとて今神の前にあるなり(十章三十三節)

 この人々は神の聖言みことばを聞くために、またそれによって聖霊を受けるために、神の霊前みまえに出ました。おお私共にもそんな心のあることを願います。

 其人そのひとなんぢ及びなんぢの家族の救はるべきことばつげんといへるを見たりと(十一章十四節)

 ここを見ますと、ペテロがエルサレムの兄弟等に、この時コルネリオとその家族等がまだ救いを受けておりませなんだことをあかししております。ですからこの人々はこの時、救いと共に聖霊のバプテスマをも受けることができました。私共も信仰によって働きますならば、このような結果を見ることができます。あなたが主イエスを宣べ伝えますならば、救いばかりでなく、聖霊のバプテスマをも受けさせるようにお祈りなさい。信仰がありますならばその通りです。またその結果は何でありますかならば、第一に讃美です。

 そは異なる邦々くにぐに方言ことばにて彼等が語れると神をあがむるとをきゝたればなり(十章四十六節)

 心のうちに溢るるばかりのめぐみを受けましたから自然に神を讃美いたします。

 かつ人の心をしりたまふ神は我儕われらに聖靈をあたへし如く彼等にもあたへそのあかしをなし、又信仰をもてその心をきよめ、我儕と彼等の間にわかちなさざりき(十五章八、九節)

 ペテロはもう一度、ここでコルネリオの家に行われたことを述べております。それは心を潔めることについてです。
 この人々が、これらの恵みを一緒に得ましたように、誰でも一緒に得られるはずです。けれども信仰の不足のために、たびたび少しの恵みで満足いたします。
 どうぞ後ろにある恵みを捨てて、前にある恵みをお求めなさい。あなたはこの人々のように、いま救いの恵みを受けることができます。また続いて聖霊によりて潔められることができます。また溢るるばかりの恵みに満たされることができます。

第二、パウロ

 こゝおいてアナニアゆきその家にいり手を彼の上におきいひけるは、兄弟サウロよ、なんぢきたれるみちにて現れし所の主イエス、爾が再びみることを得かつ聖靈に滿みたされんために我をつかはせり。たちまち彼の眼より鱗のごときものおちて再びみることを得、すなはちたちてバプテスマをうく(九章十七、十八節)

 これはサウロが聖霊を受けましたところです。必ずやその時聖霊に満たされました。けれどもサウロは、ようやく三日前に悔い改めましたばかりです(六節)。
 あなたが他の罪人を主にお導きなさいますならば、救いばかりでご満足なさらないで、必ず聖霊を受けるようにおすすめなさい。その人が待ちまして、長い間聖霊を受けずに生涯を送るべきはずではありません。サウロは悔い改めましてから三日の後に聖霊を受けることができました。サウロは悔い改めの時、主イエスを見、主イエスの聖声みこえを聞きました。その時に身もたまも献げることができました。どんな迫害に遇いましても、どこまでも主に従う真の献身を致しました。それでありましても、続いて聖霊のバプテスマを受けねばなりません。罪人が生まれかわります時に、明らかに復活の主を見ることができます。また聖声を聞くことができます。また身も霊も献げます。そこで伝道者がそれに満足しまして、もはや聖霊のバプテスマを受けませんでもよいと思います。けれどもそれは不信仰から来る間違いです。たとい美しい悔改くいあらためと献身とがありましても、聖霊のバプテスマを受けるようにお勧めなさい。神はその新しい改信者に、聖霊の火のバプテスマを施して、さっそく伝道の力を与えたまいとうあります。
 サウロを聖霊のバプテスマに導きましたのは、アナニアというただの信者でありました。この人は使徒でありません。ただの信者でありました。おお神は皆様をこの働きに用いたまいとうあります。神はあなたを用いて、パウロのような人を聖霊に充たしめたもうかもかも知れません。この時からアナニアの名を聞きません。けれどもパウロのこれからの働きは、いかに大いなる神の栄えでしょう。神はパウロのような人をあなたに与えたまいます。
 パウロはその結果として、大胆に主をあかしするようになりました。
 おおあなたのお導きなさる信者に、そういう霊の起されることをお祈りなさい。
 また聖霊のバプテスマを受けますならば、その結果として光を得ます。パウロは明らかにイエスの神の子たる栄えを見て、大胆にあかしすることができました(十八、二十節)。

第三、アポロ

 こゝにアレキサンデリアにうまれしユダヤびとにて辯才べんさいありかつ聖書に達したるアポロとなづくる人エペソにきたれり。この人はやくより主の道のをしへうけかつ心をあつくしてイエスの事を詳細つまびらかをしふ。されたゞヨハネのバプテスマをしれるのみ。かれはじめこの會堂において憚らず語りければ、プリスキラとアクラこれきゝて彼をおのが家に招き神の道をなほ詳細つまびらか說明ときあかせり(十八章二十四〜二十六節)

 必ずこの二人はアポロがまだ聖霊のバプテスマを得ませんことをわかりまして、アポロをその恵みに導きました。アポロは名高い牧師ですが、その二人はただの信者でありました。けれどもアポロは自らまだその恵みを受けておりませんことを悟りまして、謙遜にその教えを受けました。二十四、二十五節を見ますればアポロは『辯才』ありよく説教しておりました。『聖書に達し』、旧約聖書に精通しておりました。『心をあつくしてイエスの事を詳細つまびらかをしふ』、非常に熱心と忠実とをもって、喜んで主イエスを宣べ伝えておりました。けれどもまだ聖霊のバプテスマを受けておりませんでした。私共もまたアポロのように、立派な説教ができましても、聖書の知識がありましても、熱心に働きましても、それによって、必ずしも聖霊のバプテスマを受けているということはできません。
 あの名高い説教者ムーディが初めて伝道いたしました時に、幾分か成功がありました。或る集会でムーディはまだ悔い改めぬ人のために祈ることを二人の婦人に依頼しました。その時その婦人たちが申しますに、
「私はあの人々のためには祈りません。あなたのために祈ります。」
「私は救われておりますから、私のために祈ってくださるに及びません。どうかあのまだ救われませぬ人たちのためにお祈りください。」
「あなたは神の道をわかりません。あなたはまだ聖霊のバプテスマを受けていらっしゃいませんから、私共はあなたのために祈ります。罪人が悔い改めるよりも、あなたが聖霊のバプテスマをお受けなさる方が一層大切です。」
 説教者はその日はそのまま別れましたが、一週間の後にそのことがわかり、その婦人の許にまいりまして、どうか私のために祈って下さいと頼みましたが、その時はじめて聖霊の火のバプテスマを受けることができました。これはアポロと同じような経験であると思います。名高い伝道師でありましても、まだ聖霊のバプテスマを受けておりません方がありますならば、どうかその人のためにお祈りなさい。

第四、サマリヤの信者

 この時二人の者、手を彼等の上におきければ彼等聖霊をうけたり(八章十七節)

 このサマリヤびとはもはや救いを受けました(六、七、八節)。もはや主を受け入れて大いなる喜びを得ました。またけがれたる鬼が追い出されまして、それによりて生涯をきよめることができました。けれどもまだ聖霊を受けておりませんでした。サマリヤは既に神の道を受けたりと聞きて、ペテロとヨハネとをかしこに遣わす(十四節)。何故ペテロとヨハネとを遣わしましたかならば、新しい信者のために気遣いしましたからです。救われましたのみで聖霊を得ませんならば、やがてその喜びは失って冷淡な信者になることを気遣いましたからです。悔い改めました者が聖霊を得ませんならば、はなはだ危のうございます。もはや心が掃き清められましても、そこに聖霊が住みたまいませんならば、危のうございます。或いは追い出されました悪鬼が、他の七つの悪鬼を引き連れて、そこに住むかも知れません。
 この二人の使徒はサマリヤにくだりてどういたしましたか。彼等が聖霊を受けるために祈りました(十五節)。祈ることは神の言葉を語るよりも大切なことです。これが一番大切なことです。聖別会の時に一番必要な兄弟は、よく神の言葉を語る兄弟ではありません。ペテロ、ヨハネのようによく祈る兄弟です。おお、聖別会の時に祈りの霊をもっている兄弟がおりませんならば、聖霊はくだりたまいません。

第五、エペソの信者

 パウロ手をその上におきければ聖霊かれらにくだりみな異なる諸國くにぐに方言ことばかたりてかつ豫言よげんせり(十九章六節)

 この人々は、今まで聖霊のあることさえ聞きませんでした(二節)。今でもそういう信者があると思います。この人々はたぶんアポロが導きました信者でしょう。まだ聖霊がこの世にくだりたまいしこと、またこれを受ける信者の特権を知りませんでした。
 英訳の方では『汝等信者となりし以来聖霊を受けしや』となっております。日本訳の方でも、どちらでもよいと思います。信者となりました者のうちに、たびたびまだ聖霊を受けぬ者がありますから、パウロはいつでも、このことを尋ねておりました。また聖霊を受けましたならば、必ず心のうちにそのあかしがあるはずです。
 あなたは信者となりし時、聖霊をお受けなさいましたか、或いはまだお受けなさいませぬか、どちらの組にお立ちなさいますか。まだ聖霊を受けませぬならば、それは不信のためですから、悔い改めて今それをお受けなさい。

第六、エルサレムの信者

 かれら祈禱いのりをへし時そのあつまれるところ震動ふるひうごきみな聖靈に滿みたされて臆する所なく神のことばのぶ(四章三十一節)

 この信者は、もはやペンテコステの日に聖霊のバプテスマを受けました。けれどもこの時もう一度満たされました。聖霊を受けることは生涯に一度だけではありません。一度聖霊のバプテスマを受けましたならば、それからたびたび満たされます。そのためにいつでも新しい光、新しい力、新しい恵みを得ます。
 またこの信者は、その時大いなる迫害のうちにおりました。神はそんな時に喜んでその愛する者に恵みを注ぎたまいます。この信者はその迫害の苦しみを取り除きたまえとは祈りません。ただ迫害の中にも大胆にあかしする力を求めました。すなわち『なんぢ僕等しもべどもに臆する事なく爾のことばのぶることを得させよ』(三十節)と願いました。そうですから神は喜んで聖霊をくだしたまいました。
 その結果は(三十二、三節)
(一)『心をいつにし』。愛です。信者の間に隔てがなくなりまして、一つになることができました。
(二)『たれ一人その所有もちものおのが物といふ事なくすべこれを共にもてり』。施しをしみません。
(三)『使徒たちおほいなるちからをもて主イエスのよみがへりし事をあかしし』。力あるあかしをなすことができました。
 これらのことによりて、聖霊のくだりしや否を知ることができると思います。例えばあなたがこの山をくだりまして、大胆にあかしをなさることができますならば、それはあなたが確かに聖霊をお受けなさいましたしるしであると思います。
 続いて五章の初めに、アナニヤとサッピラの話を見ます。聖霊のくだりし教会は神のきよ殿みやですから、必ずそういう恐ろしい力があるはずです。神の殿の中に偽善がありますならば、神はその人を殺したもうかも知れません。それによって神はその殿の聖きことを示したまいます。

第七、ペンテコステ

 ほのほごときもの現れわかれて彼等各人おのおのの上にとゞまる。こゝおいて彼等はみな聖靈に滿みたされ……(二章三、四節)

 弟子たちは伝道を始めませぬうちに、まず聖霊の火を受けねばなりませんでした。そうですから聖霊を受けることはむしろ伝道者の本分であると思います。弟子たちは熱心な祈りをもって聖霊を求めましたが、神は火をもてこたえたまいました。これはいつまでも祈りの応えの著しき例です。
 神は祈りにこたえて炎を与えたまいました。ペンテコステの恵みを受けるほかの道がありません。けれども、祈りの道をお踏みなさいますならば神は必ず火をそそぎたまいます。
 これはまた神の約束の成就でありますから、信仰をもって、その約束にしたがってお求めなさい。
 聖霊を受けました結果は主イエスを明らかにあかしすることです。この時、弟子たちはエルサレムの罪人つみびとの前に大胆に主を証し、主の十字架を示して罪人の心を砕くことができました。また砕けたる罪人の心をまこと平安やすきに導くこともできました。ペンテコステの恵みを受けましたならば、必ずそういう力があります。
 今より二十年ほど以前、私の二人の友人がアフリカの中央、ウガンダに宣教師として参りました。二、三年の間、熱心に伝道しましたけれど、あまり成功はありませんでした。そこで非常に失望して、もう英国に帰ろうとまで思いました。が、ふと火のバプテスマについてしるされた小冊子をもらいまして、小山にのぼってこれを読み、即座にひざまずいて神に祈り求めました。神はくすしくこたえたもうて、その山をくだる前に火のバプテスマを受けることができました。それから信者の集会に行きまして、そこであかしを致しましたが、その時、火は会衆の心にもくだり、墮落信者も多く悔い改めまして、そこに驚くべきリバイバルが起りました。その結果、今ではこの国から八百人の伝道者を他の国に遣わすまでになりました。この多数の伝道師はみなアフリカの信者の献げる金で自由に働くことができます。神はまずこの二人の宣教師に火を与え、それによって大いなる働きを始めたまいました。
 愛する兄弟姉妹よ、もはや神の言葉によって光を得ましたならば、続いてお求めなさい。聖霊と火のバプテスマをお求めなさい。神はこの二人の宣教師になしたまいしごとく、あなたにも思うところ、求むるところにいたくまさりたる恵みを与えたまいます。



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