人間は、こわれたものは捨てます。見向きもしません。しかし神は、こわれてはいますがこれを憐れみいつくしみ下さいます。神は砕かれた者の祈禱を顧み、そのきれぎれの祈禱を見そなわして
『すなわち、
これは砕かれしからだです。何故私共にはキリストの身体を砕きかつ裂いていただく必要がありましたか。
『わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである』(ペテロ第一の手紙二・二十四)
ここにキリストの身体が砕かれねばならぬ理由が書かれています。すなわち彼が木にかかって私達の罪をご自身に引き受けるためです。
『神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである』(第二コリント書五・二十一)
とあるように、キリストの砕かれたもうた身体によって私達の数々の罪を取り除かれたのみならず、内にある罪そのものまでも取り除かれたのであります。何と幸福なことではありませんか。私達の内に深く深く喰い込み、沁み込んで、神の
『神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません』(詩篇五十一・十七)
私達はよく亡びる魂のために祈ります。数億の亡びる魂のために心を煩わすは
『その時わたしは言った、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは
ここに書かれた預言者は今までは「汝ら
『ヨシュアは
これは祭司の物語で、祭司は神のいと
『見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。……ヒソプをもって、わたしを清めてください。わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください。わたしは雪よりも白くなるでしょう』(詩篇五十一・五、七)
かく祈っている人は王です。すなわち人民を統べ治め支配する権威ある者が、自らの真相を示されて
『そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた』(創世記三・二十三、二十四)
アダムもこの罪のために、神の前から去らねばならぬことが書かれてあります。
『カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ』(同四・十六)
かくのごとくいくつかの例を見出します。しかし、
『キリストは……ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである』(エペソ書二・十四〜十六)
ここにおいてキリストは十字架とその死によって神と人との隔ての間垣を毀ちたまいました。
『手に携えていたつぼを打ち砕いた』(士師記七・十九)
ここに砕かれたつぼの物語があります。このつぼの中にあったものはたいまつのようなもので、信者の
『話がすむと、シモンに「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」と言われた。シモンは答えて言った、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」。そしてそのとおりにしたところ、おびただしい魚の群れがはいって、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいた仲間に、加勢に来るよう合図をしたので、彼らがきて魚を両方の舟いっぱいに入れた。そのために、舟が沈みそうになった』(ルカ福音書五・四〜七)
神はどれほど破れたる網を見んことを願っておられますか。キリストはペテロに『今からあなたは人間をとる漁師になるのだ』(十)と言いましたが、私達は漁師です。あなたの網さえ破れるほどの霊魂を救いましたか。神はすべての教会をとおしてこのことをなし得たまいます。ペテロにはペンテコステの日の後にこのことが起りました。これはあなたに個人的にペンテコステの日が来たかどうかということにより始まります。
私達はまず神を
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