第四章 聖霊の性格



 専制君主の支配は、その人の性格によって左右されます。もし彼が高慢であるなら、その国民は足下に踏みにじられるでしょう。もし彼が野心家であるならば、国民は戦争のために人員とお金を調達されるでしょう。もしそれが賢明で高潔な王であるならば、その国民は正義と慈愛を持って統治されるでしょう。
 ちょうどそのように、私たちの心を聖霊が支配なさることも、そしてその経験も、聖霊がどのようなお方であるかにかかっています。それは、聖霊がどのような名で呼ばれているかによって学ぶことができます。主が御霊のバプテスマを施すことについて語った時に使われた四つの名について考えてみましょう。

 一。まず、「聖霊」という名を取り上げてみましょう。主は八回、このように言っておられます。これは何を意味しますか。
 彼はその名の通り「聖い」霊であって、聖さはその特徴的なご性質です。したがって、私たちに対するその働きは、確実にきよめるということです。
 また聖霊は「霊」であられますから私たちの霊に近づき、交わりをお持ちになることができます。そして、人間存在の最も深いところまで働きかけることができます。聖霊は、私たちの心と霊をきよめ、私たちの生涯をその源泉から、心の底から聖別してくださいます。
 なおまた、聖霊は「神」である霊です。ですから、きよめのわざをなすための、あらゆる「力」を持っておられます。彼は、気ままに振る舞おうとする霊をご自身の意志に服従させることのできる全能の力を持っておられます。また、神ですから、神たるご自身のすべてを授けることができます。このように神であられる霊ですから、全くきよめることができます。聖霊は私たちの生活を神的なものとしてくださいます。彼は、あなたの古い自我を追い出し、栄光をもって支配し、その生活を「あなたではなくキリスト」のものとしてくださいます。これは、まさに「聖霊」というこの一つの称号の中にこそ福音があるのではないでしょうか。これは多くの人が渇望してやまなかったものではないでしょうか。すなわち、信仰は表面的なものではなく、また単に知的なものでもなく、神についての心の深いところの経験ではないでしょうか。これは、私たちにとっての実に幸いな可能性です。これは、神が与えてくださるものであって、ヘブル人への手紙に「さらに良いもの」と言われているもので、聖霊が人の心の奥底に住んでくださり、その臨在と支配とによって、私たちの全存在を神の聖意に従うものとしてくださいます。

 二。第二の名は「助け主」(英欽定訳聖書に従えば「慰め主 Comforter」)です。キリストは、聖霊を「別の助け主」(ヨハネ十四章十六節)と言われました。ちょうど主ご自身が弟子たちの助け主であったように、聖霊はもうひとりの助け主であると言われたのです。
 このように、聖霊は単なる心霊的な感化力ではなく、親密で人格的な友です。そして、私たちの神についての悟りをいっそう明らかにしてくださいます。聖霊は私たちの訓戒者であり、指導者です。また、私たちの伴侶であって、その大きな働きを知ることができるように導いてくださいます。私たちは、その命の感化を感じます。その愛は、私たちを神に結びつけます。私たちと一緒にいてくださる臨在は、罪を恐れ、憎む者としてくださいます。このように聖霊は、キリストが肉体をもって地上に住んでおられたとき、最初の弟子たちに対してあったのと同じように、私たちの慰め主、助け主、伴侶となってくださいます。
 聖霊は、このようなものを私たちに提供してくださっているのです。私たちの心が必要としている助けと友愛は、聖霊のうちに満ち足りて与えられるのです。あなたはこの名のあらわす方をあなた自身に見いだしたでしょうか。私たちはしばしば最初の弟子たちが主イエスとともにいたように、今もいてくだされば幸いであろうと願いますが、助け主を宿すことによって、主が昔、弟子たちと共におられたときよりも、もっとよいお方を与えられるのです。ですから、あなたの生活の中に、御霊がお住みになるところをつくりなさい。キリストをあがめたように聖霊をあがめましょう。常に御霊の道に、御霊とともに歩むように注意し、その導きに耳を傾け、あらゆる疑問と困難をみ手に委ね、その御心と教えを受け入れるように努めなさい。キリストご自身が私たちとともにおられたように、この助け主を、信仰を持って自分のものとして受け入れなさい。

 三。主がお呼びになった第三の名は、「真理の御霊」です。主はヨハネによる福音書の中で、三回この名をお語りになりました(十四章十七節、十五章二十六節、十六章十三節)。この三つの引照を見ますならば、この名の意味するところを悟ることができます。十四章十七節ではこのように、聖霊の内住についてお語りになっています。すなわち「真理の御霊が‥‥‥あなたがたのうちにいる」と。そうですから、御霊は私たちの心の内に真理の生きた充満となってくださいます。こうして私たちの心と霊とは真実となり、真理に守られます。すべての虚偽と偽善は姿を消すにいたります。ただ真実と永遠のものだけが留まります。すべてのことは、真理であられる方、すなわち生ける神の御子と完全に融合するにいたります。
 十五章二十六節、二十七節には、「真理の御霊が降るとき、それはわたしについてあかしをするであろう。あなたがたも‥‥‥あかしをするであろう」とあります。真理の御霊である方はキリストを無視したことをお語りになることはありません。そして、いつも主イエスに関して新鮮な教えをお示しになります。それによって私たちは、なおなお贖い主の栄光を悟り、キリストの御姿に変えられていきます。
 しかし、これらの知識は、自分のうちに蓄えておくだけのものではありません。自分が知っているすべての人に、証しすることを喜ぶようになるのです。ある人は好奇心に駆られて、「あなたの愛していらっしゃる方は、他の人が愛しているものに比べてどんなところがまさっているのですか」と尋ねるかも知れません。その時には、御霊がキリストについて、啓示してくださったことは何でも、喜んでお話しすることができます。
 これによって、その人に、真理の御霊が臨んでおられるかがどうかわかります。あなたにとってキリストはますます現実的なお方となり、大切なお方となっていますか。なおなおキリストと親密に知り合っておりますか。あなたの内におられる御霊は、あなたを駆り立てて新鮮なことを語らずにはおれぬようにさせていますか。
 このためにこそ、主があなたを激励して、待ち望ませようとしておられるのです。キリストを知る知識はたえず豊かになり、自分の身に付いてくるのです。何はさておいても、あなたはこのように真理の御霊を持つことによって、心で知るキリストに関する知識を増やし、日々豊かにして行けるようにしていただきたいのです。
 この名は、いま一度、十六章十三、十四節に、ほんの少し違った職分を暗示するものとしてこう言われています。「真理の御霊が来る時には、あなた方をあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、来るべきことをあなたに知らせるであろう。御霊は‥‥‥わたしのものを受けて、それをあなた方に知らせるからである」。ですから、御霊の内住によって、私たちは知恵と悟りに成長します。そしてただキリストを知るだけでなく、天国の奥義までも知ることができるのです。この目的のために御霊は私たちに、み言葉を開いてくださいます。私たちがみ言葉を読むとき、聖霊が私たちを導いてくださいますから、み言葉は私たちの心に生きた力となって働くのです。み言葉は天から来る光によってあざやかに輝きますから、大いなる獲物を得た人のように輝くのです。その真理が非常に明らかになります。罪の恐るべきことと憎むべきこと、聖潔の幸いであることを悟ります。天国の栄光と地獄の恐ろしさを知ります。御霊は主の再臨を私たちの生きる望みとし、生きる力にしてくださいます。この教えは、知的なものではなく、霊的なものでなければなりません。ですから、私たちが御霊によって学ぶことは、決して疑わしいものではなく、強く明快な信仰によって把握すべきものです。
 これは真理の御霊を受けた私たちの特権です。御霊は私たちの内心を真実なものにして、真理に反するものをことごとく追い出してしまわれます。御霊はキリストをまったく愛すべきお方として示し、私たちに霊的知識の宝庫を開いてくださいます。
 私たちの心を聖霊を受けるために備え、その教えを聞くために静かに耳を傾けようではありませんか。アーメン。

 四。人格的な名称ではありませんが、このほかにもキリストが聖霊について用いられた呼び名があります。すなわち、二回にわたって「父の約束」と呼ばれました(ルカ二十四章四十九節、使徒一章四節)。この名称は、聖霊のたまものの価値を保証しています。御霊は父が子供たちにくださる霊的な賜物です。神は私たちの必要を知って、それを満たす計画を立てておられました。聖霊の賜物こそ、その大いなる計画です。私たちにとって何が祝福であるかを知り、また最も豊かな富を与えることのできるお方である神が、私たちに与えようとお選びになった方が聖霊なのです。
 この名称は、またすべての求める者に与えられる賜物の確実性を保証するものです。それは偽ることのできない方、そのみ言葉を守ることのできる方である神の「約束」です。ですから、信じて、大胆においでなさい。神はご自身の約束に基づいたあなたの願いを聞き入れてくださいます。彼は振り出した小切手を支払われます。そしてあなたはただ求めさえすれば、聖霊の満たしという純金の賜物を受けます。

 以上のように、主はこの尊い賜物について、聖霊、助け主、真理の御霊、父の約束という四つの性格を持つものとしてお示しになりました。主の愛の心から出たすべての祝福はこの四つの名に要約されています。聖霊の臨在と力と祝福は、私たちの奉仕に表されています。あなたはこの恵みを受けることができないでしょうか。あなたはこの栄えを受けるに足らないとお思いでしょうか。いいえ、そうではありません。むしろ、自由に、喜んであなたの心を開きなさい。そうすれば、あなたは聖霊を受けて、それを喜ぶようになるでしょう。約束に対する理解力の弱さにもかかわらず、あなたの思うところをはるかに越えてかなえてくださる方により(エペソ三章二十節)、あなたの信仰の弱さにもかかわらず、神の恵みの豊かさ(エペソ一章七節)によって、それはなされるのです。ですから、その約束は成就し、助け主は来て、住んでくださいます(詩篇二十四篇七節)。



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