初めに祈りの時が持たれ、続いて『燃ゆるみたまよここに来りて』で始まる讃美歌175番(福音連盟聖歌546番)が歌われました。
バックストン師はエゼキエル書36章20節以下より語りました。
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20 彼等その往くところの國々に至りしが遂にわが聖き名を汚せり 即ち人かれらを見てこれはヱホバの民にしてかれの國より出で來れる者なりと言へり 21 是(こゝ)をもて我イスラエルの家がその至れる國々にて瀆せしわが聖き名を惜めり
22 此故に汝イスラエルの家に言ふべし 主ヱホバかく言ひたまふ イスラエルの家よ 我汝らのために之をなすにあらず 汝らがその至れる國々にて汚せしわが聖き名のためになすなり 23 我國々の民の中に汚されたるわが大なる名 即ち汝らがかれらの中にありて汚したるところの者を聖くせん 國々の民はわが汝らに由て我の聖き事をその目の前にあらはさん時 我がヱホバなるを知らん 24 我汝等を諸の民の中より導き出し 諸の國より集めて汝らの國に携(ひき)いたり 25 淸き水を汝等に灑ぎて汝等を淸くならしめ 汝等の諸の汚穢(けがれ)と諸の偶像を除きて汝らを淸むべし 26 我新しき心を汝等に賜ひ 新しき靈魂(たましひ)を汝らの衷に賦け 汝等の肉より石の心を除きて肉の心を汝らに與へ 27 吾靈を汝らの衷に置き 汝らをして我が法度(のり)に步ましめ 吾律(おきて)を守りて之を行はしむべし 28 汝等はわが汝らの先祖等に與へし地に住て吾民とならん 我は汝らの神となるべし 29 我汝らを救ひてその諸の汚穢を離れしめ 穀物を召して之を增し 饑饉を汝らに臨ませず 30 樹の果と田野(はたけ)の作物(つくりもの)を多くせん 是をもて汝らは重て饑饉の羞(はぢ)を國々の民の中に蒙ることあらじ 31 汝らはその惡しき途(みち)とその善からぬ行爲(わざ)を憶えてその罪とその憎むべき事のために自ら恨みん
32 主ヱホバ言ひたまふ 我が之を爲すは汝らのためにあらず 汝らこれを知れよ イスラエルの家よ 汝らの途を愧(はぢ)て悔やむべし 33 主ヱホバかく言ひたまふ 我汝らの諸の罪を淸むる日に邑々に人を住ましめ墟址(あれあと)を再興(おこさ)しめん 34 荒れたる地は前(さき)に往來(ゆきき)の人々の目に荒地と見えたるに 引かへて耕さるゝに至るべし 35 人すなはち言はん 此荒れたりし地はエデンの園のごとくに成り 荒れ滅び圯(くづ)れたりし邑々は堅固(かたく)なりて人の住むに至れりと 36 汝らの周圍(まはり)に殘れる國々の民はすなはち我ヱホバが圯れし者を再興(おこ)し荒れたるところに栽植(うゑつけ)することを知るにいたらん 我ヱホバこれを言ふ 之を爲さん
37 主ヱホバかく言ひたまふ イスラエルの家我が是を彼らのために爲さんことをまた我に求むべきなり 我群のごとくに彼ら人々を殖(ふや)さん 38 荒れたる邑々には聖き群れのごとくエルサレムの節日(いはひび)の群のごとくに人の群滿ちん 人々すなはち我がヱホバなるを知るべし
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──潔めと聖霊の満たしとを祈り求めることは私共の権利であります。何故ならばそれは私共のためのみならず、また神の誉れがここにかかっているからであります。けれどもあるがままのあなたの心に御霊を注ぐことは神の意図するところではありません。神は初めにあなたの心から取り除かねばならないものがございます。『汝等の肉より石の心を除きて』(26節)。神の順序ははじめに罪からの潔めです。次に聖霊の満たしです。神は今晩私共をそのところまで導きたまいました。神は私共に、幸いな解き放ちに至る手段としての十字架の意義について新しい光を与えたまいました。今は神が私共に聖霊を注ぎたもう時です。神は私共に潔めの道を教えたまいました。願わくはいま神が聖霊のバプテスマを私共に授けたまわんことを。この祝福はすべて祈禱にかかっております。『我が是を彼らのために爲さんことをまた我に求むべきなり』(37節)。神は私共がそれを求めるのを待ちたまいます。今晩神があなたの霊魂に不思議をなしたもうことを願い求めませんか。
──祈りの時の後、バックストン師は列王紀略下2章から説教をなさいました。
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1 ヱホバ大風をもてエリヤを天に昇らしめんとしたまふ時 エリヤはエリシャとともにギルガルより出で往けり 2 エリヤ、エリシヤにいひけるは 請ふこゝに止まれ ヱホバわれをベテルに遣はしたまふなりと エリシヤいひけるは ヱホバは活く 汝の靈魂(たましひ)は活く 我なんぢをはなれじと 彼等つひにベテルに下れり 3 ベテルに在る預言者の徒(ともがら)エリシヤの許に出できたりて之にいひけるは ヱホバの今日なんぢの主をなんぢの首(かしら)の上よりとらんとしたまふを汝知るや かれいふ 然りわれ知れり 汝ら默すべし 4 エリヤかれにいひけるは エリシヤよ 請ふ汝こゝに止まれ ヱホバわれをヱリコに遣はしたまふなりと エリシヤいふ ヱホバは活く なんぢの靈魂は活く 我なんぢを離れじと かれらヱリコにいたる 5 ヱリコに在る預言者の徒エリシヤに詣(いた)りて彼にいひけるは ヱホバの今日なんぢの主をなんぢの首の上よりとらんとしたまふを汝知るや エリシヤ言ふ 然り 知れり 汝ら默すべしと 6 エリヤまたかれにいひけるは 請ふここに止まれ ヱホバわれをヨルダンにつかはしたまふなりと かれいふ ヱホバは活く なんぢの靈魂は活く われ汝をはなれじと 二人進みゆくに 7 預言者の徒五十人ゆきて遙に立ちて望めり 彼ら二人はヨルダンの濱(ほとり)に立ちけるが 8 エリヤその外套(うはぎ)をとりて之を卷き水をうちけるに此旁(こなた)と彼旁(かなた)にわかれたれば二人は乾ける土の上をわたれり 9 涉りける時エリヤ、エリシヤにいひけるは 我が取られて汝を離るゝ前に汝わが汝になすべきことを求めよ エリシヤいひけるは なんぢの靈の二(ふたつ)の分の我にをらんことを願ふ 10 エリヤいひけるは 汝難き事を求む 汝もしわが取られてなんぢを離るゝを見ばこの事なんぢにならん しからずば此事なんぢにならじ 11 彼ら進みながら語れる時 火の車と火の馬あらはれて二人を隔てたり エリヤは大風にのりて天に昇れり 12 エリシヤ見て わが父 わが父 イスラエルの兵車よ その騎兵よと叫びしが
再びかれを見ざりき 是においてエリシヤその衣をとらへて之を二片(ふたきれ)に裂き 13 エリヤの身よりおちたるその外套をとりあげ 返りてヨルダンの岸に立ち 14 エリヤの身よりおちたる外套をとりて水をうち エリヤの神ヱホバはいづくにいますやと言ひ 而して己も水をうちけるに 水此旁と彼旁に分れたればエリシヤすなはち渡れり
15 ヱリコにある預言者の徒 對岸(むかひ)にありて彼を見て言ひけるは エリヤの靈エリシヤの上にとゞまると かれら來りてかれを迎へその前に地に伏して 16 かれにいひけるは 僕等に勇力者(ちからあるもの)五十人あり 請ふかれらをして往きてなんぢの主を尋ねしめよ 恐らくはヱホバの靈(みたま)かれを曳きあげてこれを或山か或谷に放ちしならんと エリシヤ遣はすなかれと言ひけれども 17 かれら彼の愧づるまでに强ひければすなはち遣はせといへり 是に於てかれら五十人の者を遣はしけるが 三日の間たづねたれども彼を看いださゞりしかば 18 エリシヤの尚ヱリコに止まれる時かれら返りてかれの許にいたりしに エリシヤかれらに言ひけるは われ往くことなかれと汝らにいひしにあらずやと
19 邑の人々エリシヤにいひけるは 視よ 吾主の見たまふごとく此邑の建てる處は善し されど水あしくしてこの地流產をおこす 20 かれ言ひけるは 新しき皿に鹽を盛りて我に持ち來れよと 乃ちもちきたりければ 21 彼いでて水の源に至り鹽を其處になげ入れていひけるは ヱホバかくいひたまふ われこの水を愈やす 此處よりして重ねて死あるひは流產おこらじと 22 其水すなはちエリシヤのいひし如くに愈えて今日にいたる
23 かれそこよりベテルに上りしが 上りて途にありけるとき小童等(こわらべども)邑よりいでて彼を嘲り彼にむかひて 禿首(はげあたま)よのぼれ 禿首よのぼれといひければ 24 かれ回轉(ふりかへ)りてかれらをみヱホバの名をもてかれらを呪詛(のろ)ひければ 林の中より二頭(ふたつ)の牝熊出でてその兒子輩(こどもら)の中四十二人をさきたり 25 かれ彼處よりカルメル山にゆき其處よりサマリヤにかへれり
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──15節『エリヤの靈エリシヤの上にとゞまる』。それは永続する祝福でした。神はすべての霊魂の中にこのように働きたまいとうございます。神はあなたの中に聖霊を永続して住まわせたまいとうございます。いずれ消えてしまうような祝福を与えたもうのみではありません。ペンテコステの祝福は永続すべく与えられるのです。使徒行伝1章8節に『聖靈なんぢらの上に臨むとき、汝ら能力(ちから)をうけん』とあります。あなたの中にのみならず、あなたの上に臨みたまいます。同じく2章3節にも『火の如きもの舌のやうに現れ、分れて各人のうへに止まる』とあります。永続する祝福は、あなたがそれを保つために努力せねばならぬようなものではありません。かえってそれが永続することによりあなたを十字架の下に、能力の道の中に保つのであります。
エリシャの生涯における結果──第一に、エリシャがこの祝福を受けました時に他の人々は師の霊がその上にとどまっていることを見ることができました。『エリヤの靈エリシヤの上にとゞまる』。あなたがたの場合もこれと同じでなければなりません。あなたの家にいる者はみな、聖霊があなたの上に留まっていることをあなたの品性によって見ることができるはずです。エペソ書5章18節以下に聖霊に満たされることの結果が述べられております。夫も妻も子供も、召使いも主人も、みな聖霊の満たしによって変わります。神は私共の教会をきよめる前に、まず私共の家庭をきよめとうございます。ピルグリム・ファーザーズの一人が日記にこのように書き残しています。『主が同じ状況に置かれればそうあり、またそうなされたであろうとおりに、私もありかつなすことが私の義務であることがわかった。主よ、私にその力を与えたまえ。』
第二に、有毒な水の流れる川が癒されました(21節)。聖霊のバプテスマを受けた人が教会に戻りますと、癒しの力の源となります。リバイバルの力の源となります。あなたはペンテコステの力を求めて声を上げましょう。感謝すべきことにそれはあなたのためにあります。あなたはそれを所有することができます。聖霊を受けますとあなたは電気の通っている電線のようになります。たくさんの人々がこの集まりのような小さな集会で主にお出会いし、この恵みを受けました。
ジョージ・ホィットフィールドが聖霊のバプテスマを受けました時、その最初の集会において、十五人の人々に罪を深く自覚させる力強い神の管となりました。或る人はその様子を監督に報告して「十五人は頭がおかしくなってしまった」と書いているほどです。このような癒しの力と奉仕の力はあなたのためのものです。
第三の結果は25節にございます。あなたは神とただ一人交わりを望むようになります。エリヤもそうでした。あなたが一人だけで神にお仕えしている時、とりなしの霊があなたの上に臨みます。能力ある禱告者となりとうございますか。あなたは今晩から聖霊のバプテスマを通してそうなることができます。最近このバプテスマを受けました一人の婦人が手紙でこのように書いて来ました。「キリストの素晴らしい豊かさがますます深く私に顕されています。祈りの霊が私の上に臨んでいます。生活は今や一つの長い歌です。そんなことはあり得ないと以前は思っていた方法でキリストは私の魂を養いたまいます。」神はあなたにも同じことをなしたまいとうございます。どうすればこの祝福を得られますでしょうか。この章に三つの条件が示されてあります。
1.あなたはその師に寄り添って歩まねばなりません。彼の行く道をどこまでも共にせねばなりません。自分を明け渡し、全く主と偕に歩みなさい(6節)。デマスは誘惑を受けて脇道に逸れました。尊敬すべき教会員でしたが、十字架を負うことを致しません(テモテ後書4章10節)。あなたにとってキリストは第一ですか。真実にキリストと共に歩み続けておりますか。主と偕に行く道はいつでも十字架の道です。とても苦しいこともあります。それは己に死ぬことであり、意志の明け渡しです。肉はかかることを嫌います。それは安逸な生活ではありません──むしろ十字架であり、唾されることであり、恥を受けることです。あなたはこの道に自分を明け渡しましたか。ペンテコステとはこのことであります。
2.祈り:『汝わが汝になすべきことを求めよ』(9節)。あなたが死ぬことに身を委ねます時、神は言いたまいます、『わが汝になすべきことを求めよ』。神は完全に明け渡された霊魂にのみこのことを言いたまいます。求めたことはその時その場でなされます。待つことは必要ではありません。サタンは私共を祈禱から離れしめようと致します。信仰をもって『主よ今なしたまえ』と求めなさい。
3.エリシャは師が天に昇るのを見ました(12節)。『汝もしわが取られてなんぢを離るるを見ば』(10節)。もしあなたが天に昇られた主に目を留めますならば、あなたは主の恵みの富をすべて手に入れましょう。あなたは死んで甦られた主を見ました。いま天に昇られたあなたの王なるいと高き祭司を見上げなさい。これと同じことを使徒たちはペンテコステの前の十日間に致しました。王座に就かれたキリストと、その足もとに教会を見ました──このことがペンテコステを来らせます。聖意ならば今晩もここにお集まりの幾人かのためにペンテコステが参ります。エリシャは霊を受けた後も特別の経験はありませんでした。けれども霊が彼の上に留まっていることを真実に信じてヨルダン川を渡りました。神があなたに祝福を与えたもう時、あなたに感情が伴うかも知れませんし、伴わないかも知れません。けれども信じて前へお進みなさい。能力があなたのものであることを知りなさい。そしてあなたが受けたものを働かせなさい。聖霊のバプテスマは時々いかなる感情も伴わないことがあります。或る時、電気療法のためにクリーフハイドロ療養施設に入っていた或る紳士が、施術士によって治療台に横たえられ、二つのハンドルを握っているように指示されました。しばらく経ってから彼は施術士に言いました、「そろそろ電気を流してはどうかね。」施術士は答えました、「最初から流れていますよ。もうあなたはすっかり電気を帯びています。」そう言ってその紳士の指を体の別の部分に当てさせると、電気火花が流れ出ました。神の聖前に俯伏しなさい、ハンドルを握りしめなさい、信仰によってお受けなさい、そして天に昇られた神の独り子に祝福をお求めなさい。感覚には何のしるしもないかも知れませんが、必ずあなたは聖霊のバプテスマを受けます。
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