『火をもて應ふる神』

列王紀略上18章21節および24節
B. F. バックストン師



  21 時にエリヤ總(すべて)の民に近づきて言ひけるは 汝等何時まで二つの物の間にまよふや ヱホバ若し神ならば之に從へ されどバアル若し神ならば之に從へと 民は一言も彼に答へざりき‥‥‥
  24 斯して汝等は汝等の神の名を呼べ 我はヱホバの名を呼ばん 而して火をもて應ふる神を神と爲すべしと 民皆答へて斯(この)言は善しと言へり

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 『ヱホバ若し神ならば』。ここにすべての人の心にある大なる疑問がございます。神はほんとうに神ですか、それとも他の何者かが神ですか、それともたくさんの神がありますか。このことはすべての世代のすべての人の心に懸かる大きな疑問であります。そしてこれに決着をつける方法が一つだけございます。『火をもて應ふる神を神と爲すべし』。 神はあなたに彼こそ神であるという深い意識を与えたまいます。これまでこの疑問に幾度も幾度もけりをつけ、またこれからもあなたがたの疑問と困難に決着をつけるその答えとは、聖霊の火であります。これこそ日本が、中国が、満州が、朝鮮が、印度が待ち望んでいるもの──天から降る火であります。このことが与えられました時、民は地に伏して言いました、『ヱホバは神なり』と。
 かつて幾度もかの火は降りました。1820年にはシエラレオネの解放奴隷たちの上に降りました。1846年にはハワイに降り、これらの海洋島がクリスチャンの島となりました。50年前には印度のティネヴェリに火が降り、今では幾千ものクリスチャンを数えることができます。ウガンダでは宣教師教会にこの火が降りまして、いま周辺の国々すべてに拡がりつつあります。私共の時代にも、ウェールズで、朝鮮で、また満州で同じことを見ます。神は火をもって答えたまいます。日本でもこのことは真実になりましょうか。
 昨今、数多くの知性やその他の諸権威がこぞって福音に反対して働いております。神が神であることの証明が今こそ大いに必要です。日本におけるあなたがたの働きが果を結ぶためにただ一つの希望があります。それは答えたもう神によってということであります。何と素晴らしい称号でしょうか。神に感謝せよ、これは神の偉大な御性質です。神は祈りに答えたまいます。
 サタンはいつも、神は答えたまわないと申します。サタンは私共が祈っていても気に留めません。むしろ信仰なしに祈ることは奨励いたします。サタンは申します、「あなたは好きなだけ祈るがよろしいです。けれども神は答えたまわないでしょう。祈ることはあなたの霊的生活のためになりますから、そうするのがよろしいでしょう。けれども神は答えたまいません。」ダニエルは答えが得られるまで何週間も祈り続けました。しかし『初の日よりして』彼の祈りは聴かれておりました(ダニエル10章12節)。ペテロが獄にありました時、祈禱会がたぶん婦人方によってもたれました。十分な信仰があったわけではありませんが人々は祈り続けました。神は答えたまいました。その結果、たちどころにペテロは扉の前に立ちて叩きました(使徒12章13節)。
 神は答えたまいます。──あなたが祈っている間に、しばしば答えがもうあなたの扉を叩いております。あなたが祈り始める時、神は答え始めたまいます。あなたはもう聖霊の満たしを求めて祈り始めましたか。そうでありますれば満腔の確信をもって答えを待ちなさい。
 神は答えたまいます。──あなたは聖霊のバプテスマを待ち望んでおりました。そしてこの度の諸集会の一つにおいてあなたは伝道者仲間の前で立ち上がりました。それは難しいことでありましたが、あなたはそれを行い、バプテスマが得られることを信じました。次の朝、サタンがやって来て申します、「夕べのはただ感情の高まりに過ぎません。そこには何もありません」と。あなたはそれに耳を傾けて引き返しました。おお友よ、神は確かにお答えになることを思い出しなさい。火をもって答えたもうことを覚えなさい。あなたが信仰によって求めましたならば、神は常に真実でありたまいますから既にあなたの願いに答えていたまいます。
 私は神が聖霊の火をもって答えたまわないような祈りがあるということを知りません。ルカ11章13節をご覧なさい。あなたが善きものを求めますならば神は聖霊を与えたまいます。「祈りにおける力を与えたまえ」と祈りますならば聖霊を賜ることにより答えたまいます。聖言をより深く理解するために光を求めますならば、神は天からの火をもって答えたまいます。主から外国宣教の召しを受けてからこれまでのあなたの生涯を振り返りまして、あなたが霊魂の獲得者としてどんなにひ弱なものであったかをお感じですか。あなたの光が暗いことを、人々をイエスにお連れする思いに欠けていることをお感じですか。あなたは跪いて純粋な宣教の熱意を、魂を獲得することへの情熱を願い求めましたか。神は聖霊に由って答えたまいます。あなたの心の中にパリサイ人の精神を、腐敗と偽善をお認めですか。そしてそこからの解放を叫び求められましたか。神は火をもって答えたまいます。
 あなたは既に贖われた者です。あなたの心は活ける神の宮であります。けれども御記憶ですか。宮はその真ん中に臨在(Shekinah)の栄光を要します。そしてひとたびそれが参りましたらそれは常に留まりますことを。民数記9章16節をご覧なさい。御栄光は常にそこにありました。これがイスラエルの子らの能力と勝利の秘密であります。愛する皆さん、神は今なお火をもってバプテスマを授けたまいます。神は今でもその宮に聖霊の臨在の栄光を与えたまいます。これを必要とされる方がここにはいらっしゃると思います。これは言葉を換えて言いますならば聖霊のバプテスマであり、あなたの魂を満たし、輝かせ、能力を与える火のバプテスマであります。この聖なる火を神はあなたに与えたまい、日本中を心から心へと燃え拡がり行き渡らしめたまいとうございます。
 ここ日本において祈り続けている宣教師はだれでも或る疑念にぶつかります。「私共の成果がこれほど少ないのはどういうわけでしょうか、主イエスに引き寄せられる罪人がこれほど少ないのは何故でしょうか」と。或る方は申します。「美しい教会がもっと必要です。もっと多くの奉仕者が、説教所が必要です。説教者にはもっと教養と知識が必要です」と。けれどもこれは正鵠を得ていません。教会は救われた罪人が神の聖徒に造りかえられる大工場のようなものであるはずです。けれども私共の奉仕と労苦にもかかわらず、日本人の聖徒が何と少ないことでありましょうか。
 工場が止まっておりますならば、あなたはどこに問題があるのか調べます。機械はそこにあり、必要なものは皆あります。しかし調べてみますと、ボイラーの下に火がありません。もっと大きな建物は必要ではありません。これ以上の装飾品や道具立ても必要ではありません。ただあなたは火をもたねばなりません。火を投じますならば忽ち水は沸騰いたします。機械が働き始めます。そして目的が実現されます。今日の日本に最も必要なものは聖霊の火であります。これは神が伝道奉仕者たちに約束したもうた救済の力です。『火の如きもの舌のやうに現れ、分れて各人のうへに止まる』と。何かそれを妨げる物がありますならば、神の前に頭を垂れてひれ伏し、それを徹底的に取り除きとうございます。罪が陣営の中にありました間、イスラエル軍は恥に塗れました。神がその御力を引き上げたまいますならば、地上に神の教会ほど弱い組織は他にありません。一個の金塊と一つの贅沢な着物のゆえにイスラエルの子らはアイを獲ることができませんでした。私共が神の教会の勝利と前進を妨げているとは、考えるだに恐ろしいことではありませんか。私共の心を探りとうございます。
 神は火をもって答えたまいます。この火とは何を意味しましょうか。第一に、愛を意味します。神は私共を焔のごとく愛に満ちた者となしたまいとうございます。四方に照りわたる神の愛を私共の心に満たし、私共の生涯を神のために輝かしめたまいとうございます。或る御婦人は、彼女が最初にきよめを確信したのは神のために燃えている他の人の生き方を見た時ですと申しておりました。あなたの魂の中に燃え輝く愛がありますならば、あなたの周囲の人々はそれにより確信を得ます。あなたは求めさえすれば愛のバプテスマを受けることができます。
 第二に、火は奇蹟の力のしるしであります。私共は力を与えたもうことを神に叫び求めるでありましょう。聖霊のバプテスマの衷には私共のために力がございます。これはあなたが生涯を献げた職務において働くただ一つの力であります。小さな火のみでありますならば力も小さくあります。神はあなたの霊魂を火で満たしとうございます。あなたの心は十字架の前にて熔かされましたでしょう。けれどもそれのみでは十分でありません。あなたが力を望みますならば、あなたは火を有たねばなりません。どのようにしてそれが得られますか。神は火をもって答えたもう神であります。神がすでに道を備えたまいました。すべてはカルバリにより、またペンテコステにより、あなたのために備えられてあります。十字架においてなし遂げられた御業の故にあなたは今晩、火を受けることができます。エリヤは『晩の祭物(そなへもの)を献ぐる時に及びて』(36節)祈り求めました。十字架の祭物は今この時にも有効であります。戦いと努力をおやめなさい、そしてカルバリに目を上げなさい。神はカルバリの主とともにあなたにすべてのものを惜しみなく与えたまいます。主の聖言に従いあなたに聖霊によるバプテスマを授けたまいます。
 この火はあなたのためにあります。『汝等何時まで二の物の間にまよふや』(21節)。聖書の中にこうして与えられています。にもかかわらずあなたは『樣々の敎の風に吹きまわされ』ております。神の仰ることを御覧なさい。これは枢要なる事柄です。にもかかわらずあなたはそれを等閑になさいますか。迷いの中にありますならば神の許においでなさい。そして導きをお求めなさい。あなたは神が祝福を用意されていることと、あなたに全き献身が求められていることをご存じですが、そこであなたは尻込みしてしまいます。エリヤの場合もそうでしたように(30節)あなたの献身のための祭壇は崩れておりませんか。神との交わりのために朝早く起きることを致しません。以前のようには魂に御言葉を告げることを致しません。かつてのようには聖言を学ぶことを致しません。あなたが神から離れてしまったこれら一つ一つの事柄において、いま神に立ち帰りませんか。あなたの祭壇を修理(つくろ)いて火が降るのを待ちませんか。全き明け渡しがありますならばその燔祭の祭壇に火が降ります。エリヤは待ちました。しばしば私共は待つことに倦み疲れ、異火を焚こうと致します。あなたも御自分が何か神を手伝わなければならぬと思いましてかようなことをなしたことはありませんか。エリヤは一切の下からのわざを絶ち、ただ神よりの真の火を求めました。一切の下からの火を絶つために水を沃(そそ)がしめました。私共の側にいかなる望みもありません。神から火を、真実に永続する火を頂くために、神を見上げとうございます。エリヤは水を沃がれた祭壇の前に立ちて信仰の祈禱を捧げます。不信仰の故に迷うことはありません。信仰に強く立ちて神に栄光を帰します。エリヤがもしバアルの預言者たちのようにしていれば、もっと真剣に見えるのではありませんか。祭壇のまわりで踊ったり、刀と槍でその身を傷つけたりいたしませんか。いいえ、エリヤは彼の神が答えたもうことを知っておりますからただ静かに神を見上げます。彼は祈ります。そして火は降ります。その時その場で神は御自分の僕に栄光を与え、その願いに答えたまいます。その時その場で火は降ります。あなたもこの火を頂きませんか。あなたの祭壇の前に立ちて燔祭を献げなさい。あなたの衷に希望があってはなりません。ただ活ける信仰に立ちて、火をもって答えたもう神を待ちなさい。その時にあなたもまた火による聖霊のバプテスマを受けることができます。



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