第十六篇 題目 よき嗣業 (六)
ダビデがミクタムのうた
- 神よねがはくは我を護りたまへ 我なんぢに依賴む
- われヱホバにいへらく なんぢはわが主なり なんぢのほかにわが福祉はなしと
- 地にある聖徒はわが極めてよろこぶ勝れしものなり
- ヱホバにかへて他神をとるものの悲哀はいやまさん 我かれらがさゝぐる血の御酒をそそがず その名を口にとなふることをせじ
- ヱホバはわが嗣業またわが酒杯にうくべき有なり なんぢはわが所領をまもりたまはん
- 凖繩はわがために樂しき地におちたり 宜われよき嗣業をえたるかな
- われは訓諭をさづけたまふヱホバをほめまつらん 夜はわが心われををしふ
- われ常にヱホバをわが前におけり ヱホバわが右にいませばわれ動かさるゝことなかるべし
- このゆゑにわが心はたのしみ わが榮はよろこぶ わが身もまた平安にをらん
- そは汝わがたましひを陰府にすておきたまはず なんぢの聖者を墓のなかに朽しめたまはざる可ればなり
- なんぢ生命の道をわれに示したまはん なんぢの前には充足るよろこびあり なんぢの右にはもろもろの快樂とこしへにあり
▲ミクタムの歌とは黃金の詩(Golden Psalm)の意也。本篇はペンテコステの經驗を歌える詩と稱するを得べく、此黃金の詩の如き生涯を送る者は未來に於て回顧する時に金の生涯(コリント前書三・十二、十四參照)を暮したる事を発見すべし。
▲本篇に記されしペンテコステ的生涯
一、眞に獻身せる者(二)──『なんぢはわが主なり なんぢのほかにわが福祉はなし』
二、聖徒を愛す(三)──『地にある聖徒はわが極めてよろこぶ勝れしものなり』
三、神を喜ぶ(五)──『ヱホバはわが嗣業またわが酒杯にうくべき有なり』
四、天の處の生涯を送る(六)──『凖繩はわがために樂しき地におちたり 宜われよき嗣業をえたるかな』──即ち乳と蜜の流るゝ地、眞の安息に入れりとの經驗
五、悟識を得(七)──『われは訓諭をさづけたまふヱホバをほめまつらん 夜はわが心われををしふ』
六、常に神の御臨在を感ず(八)──『われ常にヱホバをわが前におけり』
七、榮の望を抱く(十、十一)──『わがたましひを陰府にすておきたまはず……なんぢ生命の道をわれに示したまはん なんぢの前には充足るよろこびあり なんぢの右にはもろもろの快樂とこしへにあり』
▲斯る喜樂を經驗せるが故に、其人の祈願は『神よねがはくは我を護りたまへ』(一)なり。一方には喜樂あれ共他方には恐あり、即ち躓く事を恐るゝが故に此祈禱を捧ぐる也。
▲然れど眞の信者は八節にある如く動かさるゝ事なし。
『エホバわが右にいませばわれ動かさるゝことなかるべし』
是に就て以下の引照を見よ。
十五・五『貨をかして過たる利をむさぼらず賄賂をいれて無辜をそこなはざるなり 斯ることどもを行ふものは永遠にうごかさるゝことなかるべし』
十六・八『われ常にヱホバをわが前におけり ヱホバわが右にいませばわれ動かさるゝことなかるべし』
十七・五『わが步はかたくなんぢの途にたち わが足はよろめくことなかりき』
廿一・七『王はヱホバに依賴み いとたかき者のいつくしみを蒙るがゆゑに動かさるゝことなからん』
四十六・五『神そのなかにいませば都はうごかじ 神は朝つとにこれを助けたまはん』
五十五・廿二『なんぢの荷をヱホバにゆだねよ さらば汝をさゝへたまはん たゞしき人のうごかさるゝことを常にゆるしたまふまじ』
六十二・二、六『神こそはわが磐わがすくひなれ またわが高き櫓にしあれば我いたくは動かされじ……神こそはわが磐わがすくひなれ 又わがたかき櫓にしあれば我はうごかされじ』
六十六・九『神はわれらの靈魂をながらへしめ われらの足のうごかさるゝことをゆるしたまはず』
百十二・六『又とこしへまで動かさるゝことなからん 義者はながく忘れらるゝことなかるべし』
百廿一・三『ヱホバはなんぢの足のうごかさるゝを容したまはず 汝をまもるものは微睡たまふことなし』
以上十の引照によりて如何にして動かされざるを得るや、いかにして永遠に堅く立つ事を得るやを知るべし。
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