私が先に出版した『信仰の動力』に対するキリスト教界の歓迎は、私を励まして本書をも送り出し、敢えて大衆の寛大なる批評を望むに至らしめた。『信仰の動力』は英語にて三版、仏語と独語にて各二版、スウェーデン語と日本語にて各一版を出し、まさに支那語に訳されんとし、日本語の第二版も出されんとしている。
本書の主題は非常に肝要なることである。されば私が本書を送り出すは、これが人々を助けて一層満ち足れる信仰の生活に入り、神に対するかの「愛情ある信任」を持たしめることを望んでのことである。この「神に対する愛情ある信任」こそは聖く生き聖く死することの秘訣である。
本書の内容はもと他の御奉仕の間、寸暇寸隙に書き録したものから成っている。ただしその御奉仕はまた本書の成立に多大な寄与をなしている。
私は種々の聖書研究のうち、ヘブル書第十一章に録されある信仰の勇者について講ずるように導かれた。そして私は日本の田舎を旅行し、小さい教会やその牧師たちを訪ね、神の多くの驚くべき恩寵の話を聞き、ヘブル書のそれとは非常に異なった時代場所また事情のもとにも、聖霊なる神のご活動は同一であることを見て非常に感じた。
されば今、私が日本語でなした講演の大意を英訳するにあたり、異教徒の間にあるこれら聖徒たちの物語を説明として書き加えることを敢えてした。これらの聖徒はみな私が直接に見聞きした人々で、この世に在っては人に知られず注意されぬ卑しい者であるけれども、来るべき世にては、我らの贖い主の宝冠を飾る宝石として輝くべき運命を持つ信仰の勇者たちである。
私がかくなすことにつき何の弁解も要せぬ。そは私が他の所で述べたごとく我らの主ご自身もその民を励まし信仰を惹き起さんために、常時でさえも異邦人の間に行われた恩寵の奇蹟や信仰の勝利を、絶えず例にとって語りたもうたからである。またソドム、ゴモラの審き、ニネベの悔い改め、シバの女王、ナアマンの潔め、サレプタの寡婦、ローマの百卒長たち、スロ・フェニキアの女、これらは当時自己満足せる正統的信仰の宗教家を覚罪せしめるために主の用いたもうた実例である。
いま私は多忙の生涯のうちに、幾分健康を損じおる場合、急いで取り集めた材料について、今一度読者の寛大なる批評を願わねばならぬ。
この無益なる僕に指定したもうた働きの場所日本を、再び訪問することをば恵み深くも許したもうた神が、ご自身の恩寵と憐憫のこの記録の上に祝福を下したまわんことは、これ私の深い願いである。
一千九百三十一年 ウィンブルドンにて
A・パゼット・ウィルクス
恩師ウィルクス先生の絶筆『生涯の動力』が出版の運びとなったことは感謝に堪えぬ。本書はバックストン師の紹介にもあるごとく、実に霊感にみちた興味深いもので、キリスト者の信仰による祝福の生涯を送る道が懇切に示してある。殊にその取られおる実例によって、ウィルクス師がいかに我国人の人情に通じその救霊に熱心なりしかがうかがわれ、敬慕の念を深くするものがある。敢えて同信諸友に薦める。
昭和二十八年 春
訳 者