第九章 ヤコブその子孫を祝すること


 『信仰によって、ヤコブは死のまぎわに、ヨセフの子らをひとりびとり祝福し、そしてそのつえのかしらによりかかって礼拝した。』(ヘブル書十一・二十一)

 聖書のうちに、ヤコブほどその名の度々出て来る人はない。彼は聖書を通じて、ヤコブとイスラエルの両方の名をもって呼ばれ、ほとんど千度も出ている。されば、この大画廊において人生の大動力の意義と能力を例証するために、聖霊が彼の生涯における或る出来事を用いたもうは我らの当然期待するところである。彼の生涯は実に種々の出来事をもって満ちている。彼のベテルにおける最初の経験、ペニエルで受けた祝福、ベテルの第二の経験、生別死別の悲劇、エサウとの再会など、みな霊的意義に満ちており、人の心を感動させるに足る事共である。されどもこれらのことはみな過ぎ越して、ここに我らは彼の父イサクの肖像から振り向くとすぐに、瀕死の人の絵画を見せしめられる。そして、視よ、ここにおそらく信仰の成し遂げ得る最大の勝利がある。我らが既にイサクの場合において見たところのことは、ヤコブについてなお一層真実である。地の塵より造られたか弱い人間が、本来の塵土にまた帰る時が来れば、その意識ある間、その渡るべき暗い河や彼方に待つところのものに心を悩ますは、むしろ自然のことである。けれども信仰のある霊魂はその塵に執着するものでない。ヤコブは『死のまぎわに』かくも自己から脱却し、懼れや疑いから自由になっていたから、彼もまた来らんとすることにつき祝福を命令することを得た。しかも彼は父イサクが以前なしたよりも一層充分な、一層霊的な風に、かくなすことを得たのである。
 人生最後の大敵なる死の面前における信仰のこの勝利は実に著しいもので、聖霊は三人の代表者(イサク、ヤコブ、ヨセフ)を提出して、これを我らに示していたもう。アブラハムとサラの肖像の間にある墓碑に『これらの人(ヤコブもその中に含む)はみな、信仰をいだいて死んだ』と誌されているのは我らの既に見たところである。されどその所になお多くのことがある。我らは今、ヤコブの臨終の床辺に招かれて、彼が啻に最後の大敵に打ち勝ち信仰を懐いて死ぬるばかりでなく、勝ち得て余りある者として、その孫ら(彼らは異邦人との混血児であるけれども)に永遠のことにかかる祝福を呼び下し、これを伝達し、これを堅め、これによってそののち神のイスラエルたるすべての者にかくなすを見る次第である。
 ここに強調される点は無論ヤコブの信仰である。彼の臨終の諸相を輝かすものは信仰の光である。彼の肖像のこの絵画は既に数千年を経たけれども、今なおその天的栄光をもって光彩を放っている。
 この絵は実に研究の好題目である。そこには父と子と孫の三代が揃っている。ヘブル書記者によるこの場面の神秘的描写によって我らの注意を惹くところは、
 第一、その祖父の臨終の床辺に立った二人の若者
 第二、祝福を与えんために、交差して差し伸べたる手
 第三、この老人が祝福を終わった時の礼拝の態度
すなわち祝福を受ける者、祝福そのもの、および祝福する者である。我らは順序を追ってこれを考えよう。

第一、祝福を受ける者

 『信仰によって、ヤコブは……ヨセフの子らをひとりびとり祝福し』

 ヤコブの世を去る時の有様は、創世記第四十八章と第四十九章に詳しく録されている。この老族長のまさに最後の息を引き取らんとすることがパロの朝廷に聞こえるや、ヨセフはその二児を伴いて父の臨終の床へと急いだ。それは一方においてはこの族長の祝福の現実さを充分に感じていたのと、他方においては異邦人の母から生まれたその子らがイスラエルの直接の家系から除外されることのあり得ることを考えていたからである。
 ほかの十一人の兄弟らの方には何らの動きもない。彼らはその父の祝福の価値と権能につき何の考えも持たなかったと見える。いずれにしても、彼らの霊魂の中には信仰の何らの活動もなかった。彼らは父の遺命を聴くために父の招きを受けねばならなかったのである(四十九・一)。もし彼らのうちに誰か霊的現実を感じている者があり、ヨセフのごとく信仰の霊をもってその父からの祝福を懇請したならば、彼らも、ヤコブが彼らの上に宣告した単なる預言的命令、否、或る場合には祝福よりもむしろ呪詛に近い言葉(四十九・四、五〜七、十七、二十七)を聴くより遙かに勝ったものを受けたであろう。おお、願わくは我らも神を信ずることの責任を実覚せんことを! 我らに落ち来たる事物は、みな必然、我らに対する神の御意であるとして、それに安んずることは、神の最善の多くのことを奪い去るところの霊の昏睡で、決して信仰というものではない。我らのなすべきところは、我らに対する神の御意の何であるかを尋ね求め、そして霊魂の力強い不撓不屈の活動をもって訴え、要求し、受け、かくして我らの神を喜び、我らの霊を満足せしめ、進んで他の睡れる霊魂を覚醒し、彼らにもまた行きてそのごとくなさしめることである。
 さればここに我らの前にある絵画に、この老人の床辺に立つはその孫らのみで、彼自身の子らはそこにおらぬ。第四十九章に録されおるところの、彼らが父に招かれて預言的命令を聞いた話は、ヘブル書のこの章の大画廊に挿し入れられるべきところがないのである。
 今や死に臨めるこの族長の容貌に顕れる平和と歓喜の輝き、その愛子ヨセフの眼にある信仰の熱心なる期待、二人の若者の顔にある驚きなどは、既に美しいこの絵画をして、その背景によって一層美しくならしめる。
 さてここに少しく本論を離れて一言すべきことがある。すべての聖語におけるごとく、このところにも歴史的、霊的の意義と共に、預言的の意義がある。マナセとエフライムの二人の子らは、聖書におけるキリストの最大の型なるヨセフの子で、彼の謙卑の悲劇ののち、その高挙ののち、エジプトにおいて、異邦人なる母より生まれた者で、我らの属するこの時代、すなわちこの配時のキリスト教会の型である。そしてヨセフを裏切りエジプトに売ったところの兄弟らは、今なお神より離れおる肉によるイスラエル、すなわち現在のユダヤ人の大いなる型であるのである。
 キリストの教会は、更生したユダヤ人と異邦人から成り立っているが、そのユダヤ人の分は年長でマナセによって代表され、異邦人の分は年少でユダヤ人より多く、エフライムによって代表される。さればヤコブはその手を交差して長子の嗣業を弟に与えたのである。
 さて、悲しむべきことには、今日英国において奇妙な説をなす者がある。彼らはアングロサクソン種族にイスラエルの直系の子孫を見ると想像する。すなわちブリタニア諸島の人々はエフライムの子孫であり、アメリカ合衆国の人々はマナセの子孫であるというのである。かかる説の辻褄を合わせるために、イスラエルの残りの八氏族はヨーロッパ人によって代表されると想像するに至る。さればこの説はブリティッシュ・イスラエル、或いはアングロ・イスラエルと呼ぶよりも、むしろユーロピアン・イスラエル、或いはアメリコ・イスラエルと言うべきである。もし今日の欧米人が失われたイスラエルの十氏族であるならば、異邦人は何処にあるかという困難な問題が残る。
 かかる浅薄な物質的説明によって、霊的模型の全体の美は毀損される。私はここに、かかる説明は、信者であると否とにかかわらずヘブル人種の全体によって全く斥けられていると共に、真に霊的な、深く教えられた神の僕等でこれを受ける者は極めて稀であるということを指摘するだけで充分と思う。
 さて本論に帰って述べよう。この瀕死の族長をして神の御意を見、また了解することを得せしめたところの、その同じ信仰の霊は、その子ヨセフの心に力強く働いて、この祝福を受けるためにその子らを連れ来らざるを得ざらしめたのである。我らは前章において指摘したところのこと、すなわち祝福を伝達する能力を今一度ここに強調したい。ヤコブの最後の息は、ただその二人の孫らのために単に祈り、また霊的渇望を言い顕すことではなかった。彼は信仰の開いた目をもって永遠の現実を見、神の御目的、神の御意、神のご計画を見た。かくして聖霊による大胆と確信をもって上よりの祝福を命じたのである。彼の震える声、弱れる手、微かな息は、それを管として、エジプト生まれの二人の若者を通じて、型たる者にも、型の実体たる者にも、永遠の祝福を伝達したのである。

第二、 祝 福

 『信仰によって、ヤコブは……祝福し』

 さていま我らはヤコブがその孫らに伝達したところの祝福そのものの性質を調べてみたいと思う。我らのすぐに気付くことは、この祝福は彼自身が父イサクから受けた祝福よりも一層霊的で、一層確実で、一層親しい関係の祝福であったということである。ヤコブの口から発したその言葉を読めば、容易に彼の考えを辿ることができる。彼の一語一語は彼の心中に動いているその思想を如実に表している。彼は今、その父や祖父の生涯と彼自身の生涯を回想しているようで、その祝福の言葉は彼の家族の歴史から織り成されている。言わば、それは人間の経験の管を通して注ぎ出される天の祝福である。それは単なる理論上或いは神学上の正統信仰を言い顕すというばかりでなく、神の御なされ方と御恩寵と御権能とを経験的に知っている人の祝福の言葉である。真の信仰というものはただかかる仕方によってのみ働き得るもので、またかかる管を通してのみ働き得るものである。自ら経験したところ(よしそれが不充分であるにしても)の祝福を、信仰をもって他の人にもたらすことは、神を知り神と偕に歩んだ人にのみできることである。イサクの祝福した場合に強調されたのは『きたるべきこと』であったが、今はそればかりでなく、かつてあったこと、また現在あることも共に強調されている。彼は第一に三位一体の神に呼びかけ、第二に彼の名の遺産を与え、第三に彼らの子孫が諸国民の中で大群衆となるように祈るのである。

(一)三一の神に対して呼び求めること

 『わが先祖アブラハムとイサクの仕えた神、
  生れてからきょうまでわたしを養われた神、
  すべての災からわたしをあがなわれたみ使いよ、
  この子どもたちを祝福してください。』(創世記四十八・十五、十六)

 アブラハムの神(父なる神)、イサクの神(子なる神)、ヤコブの神(聖霊なる神)。導きたまえる神、養いたまえる神、贖いたまえる神よ、この若者らを祝したまえ!
 いま死なんとするこの族長の祝禱は、神学上の陳述でなく、また遙かに遠きところに在す天地の大創造者、天地の主なる神を呼び求めることでもなかった。否、それは彼にもその父祖にも近く在した神、すなわち彼らの家庭の神、家族の友、旅路の同伴者、必要の供給者なる神の、温かいしかも生き生きした個人的経験的祝福である。我らはその太古の時代に、彼らが明白なる三位一体の教理についてどの程度まで理解をもっていたかを知らない。けれども昔の聖徒たちは、よく自ら知るところより以上のことを語っているようである。かつてモーセに与えられた神の命令には、三一の神の名をもって祝すべきことが言われている(民数記六・二十四〜二十六)。またその後の代々の人々を通じて、三一の神の各位を明瞭に悟り、その各位との交際を経験した人々がある。オーウェン博士の『神との交通』と題する大冊、『三位一体の神の真理を常にその身に経験している』と言ったレント公爵の著書、また多くの傑出した神の聖徒たちの臨終の言葉などはこのことを証ししている。ここに第十九世紀において大いに主に用いられた人の臨終の言葉がある。それは
 『おお、父なる神よ、汝に栄光あれ、汝の名は頌むべきかな。我はおのがこの疲れ果てたる人間性に残る精力を尽くして、おお、わが喜びなる汝を愛しまつらではやまれぬ。願わくはわが死するこの死によって汝を崇めさせたまえ。
 おお、キリストなる神よ、汝に栄光あれ。わが強き助け主よ、我は汝を信任し、また汝に信頼しまつる。我は義にありし汝を見まつらん。
 おお、聖霊なる神よ、汝に栄光あれ。汝はわが信仰に応えたもう御方である。汝はここに在す。汝はわが神にて在す。汝はわが慰め主にてありたもう。
 三位一体の神は頌むべきかな』
である。
 ヤコブもまた遙か昔のその時代において、同じ聖霊に鼓吹されつつ、同じ歓喜の火を息吹く。そしてまたこの本文のごとき隠密の文中にも、隠されざる彼の謙遜は異常の輝きをもって光っている。彼はこの子どもたちにアブラハム、イサクの祝福を命令するにあたって、神の聖名に『アブラハムとイサクの仕えた』という言葉を加える。されども彼自身がその前に歩んだとは言わぬ。彼は自分のわがままな行動、種々工夫計画したその仕方などを憶えて、大胆にかかる証ができなかったのである。アブラハム、イサクが主の御前に歩んだことを彼はよく知っている。しかし彼自らについてはその生涯が『主の前の歩み』であったとはどうしても言われなかったのである。
 彼は自分の経歴について考えて『わたしを養われた神、すべての災からわたしをあがなわれた』神と言う。しかり、彼の心はいま、かつて当然受くべき兄エサウの怒り、ラバンの奴隷扱い、またその不従順よりして自ら招いたシケムの恐怖、さてはカナンの飢饉、別離の悲しみなどより、神が救い出したもうた、その救いのことを回想する。これらの事共、またその他の数えられざる幾多の贖いの御仁慈が、今この瀕死の族長の前に記憶を繰り返し現れるのである。

(二)その名を与えること

 『またわが名と先祖アブラハムとイサクの名とが、
  彼らによって唱えられますように。』(創世記四十八・十六)

 ヤコブはその子らに遺すべきものを持たぬ。彼は世の智慧に富み、賢い仕方をもって事をなしたにかかわらず、彼の所々遍歴の生涯はカナンの飢饉をもって終わったので、彼の地上の遺産はただ僅少のものであった。けれども彼はただ一つ、評価することのできざる貴重な遺産を持っている。それは神の与えたもう贈り物で、彼の新しき名『イスラエル』、神に対してプリンスたる者という新しい名であった。この遺産は時というものが取り去り得ず、またその光輝に錆を生ぜしめ得ざるところの永遠の所有物である。かつまたその祖父の名アブラハム(それも新しき名であった)および父イサクの名であった。このイサク、すなわち『笑い』という名は、神がご自身の御子をしてその名をもって称えられしめることを恥じたまわなかったところの名である。彼はこれらの名をこの若者たちに譲り与えるのである。
 これより遙かに後に、神はモーセに『彼ら我が名をイスラエルの子孫に蒙らすべし。さらば我彼等を恵まん』(民数記六・二十七=文語訳)と言って、ご自身の民を祝することを命じたもうた。さらにまた多くの年を経た後、栄光の主はその弟子たちを遣わし、悔い改めて信ずる者にバプテスマを施して、父なる神(すべての憂慮より救いたもう神)の名、子なる神(すべての有罪感より救いたもう神)の名、聖霊なる神(すべての罪そのものより救いたもう神)の名に入らしめ、かくして我らが救われて永久に神の子(そは神は我らの神と称えられることを恥としたまわざれば)、キリストの兄弟(そは彼は我らをその兄弟と称えることを恥としたまわざれば)、また聖霊の宮という名をもつことを得せしめたもう。おお、これは何たる貴き遺産ぞや。願わくは我ら、神の我らに蒙らしめたもうこの名を誇りとせんことを、また神の御前にこれらの名をもって祈り、また禱告し、これによって永遠の宝庫を開き得んことを。しかり、我もし天父の子ならば何とて心を悩まし苛立ちなどすることのあるべき。我もし主の兄弟ならば何とて疑うことのあるべき。我もし聖霊の宮ならば何とて敗北汚辱を受けることのあるべき。願わくは我ら、これらの恵み深き名とその名の意味する祝福をば、我らの子ら(肉による子らにしても、霊による子らにしても)に蒙らせ得る能力を持ち得んことを!
 さてなお今一言ここに加えるべきことは、聖書のうちに、しばしば『ヤコブの神』という語の出て来ることである。これはすべての時代のキリスト者にとって何たる激励ぞや。もし神がただアブラハムの神でありたもうのみならば、我らのうちの多くの者の霊は失望したかも知れぬ。けれども神がヤコブの神にしてなお神たりたもうということは、いと意気消沈せる霊魂をも励ますに足る。これは実に驚くべきことである。

   ああ、神よ、
     汝が我をさえかく愛しつつ
       なお神にしありたもうとは
     わが理性には悟り得ねど
       まことに心を照らす光なる。

(三)繁殖のための祈り

 『また彼らが地の上にふえひろがりますように。』(創世記四十九・十六)

 これはこの族長の祝福の第三の部分である。彼は第一にアブラハムの神の臨在と祝福を呼び求め、次に祈禱において神に対して力を持ち得る、能力を与える新しき名の遺産を授けたが、今や神の民の繁殖すべき第三の大祝禱をもって冠とするのである。使徒パウロがキリストの教会を表すために用いた『神のイスラエル』(ガラテア六・十六)という語は意味深い語である。そうして『地の上にふえひろがりますように』というこの命令的祝福のいかに豊かに実現されたことよ。今や高齢にくらみ、死によって閉じんとしているその目をもって、この老人ヤコブは、かのパトモス島においてヨハネに啓示されたところのもの、すなわち『その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群集が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、……彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである』(黙示録七・九、十四)とあるところのものを遙かに見たのである。
 ヤコブが信仰をもってこれらの言葉を発した時に、たとえそれは遙かに遠くまたかすかであったにしても、慥かに信仰をもってこのことの成就を見たのである。我らは今この末の時代において、地上の各所に贖われた霊魂の群集のますます加わるを見て喜ぶ。彼らは、地の大いなる者どもの目には賤しき者、認められず知られざる者ではあるけれども、主の御顕現のその日には、誰も数え得ざるほどに栄光ある大群衆として現れ、主の無限の讃美栄光となるのである。
 さわれ、我らははたしてこの瀕死の族長の見た、この幻を持つであろうか。またかく神の目的を見ることが我らの喜びであるであろうか。また我らが死ぬる時に、我らの生存の日の限りを超え、世界に広まる神の栄光を慕う、その願望が我らの唇に上るであろうか。
 感謝すべきかな、数千の神の聖徒たちは、ヤコブの臨終のこの物語の決して空しい想像の作り話でないことを証しする。すなわち彼らもまた自らキリストの日、すなわちその御顕現の日を見ることを喜んだ。否、それを見て喜んだのである。

三、祝福する者

 『信仰によって、ヤコブは……そのつえのかしらによりかかって礼拝した。』

 我らはいま進んで、この瀕死の族長自身に我らの視線を集中しよう。創世記に記されているこの劇的光景の全体には種々の出来事があるけれども、聖霊は特に目立った場面をここに複写したもう。それは、我らをして格別にその点に注意を払わしめるためである。そしてここに描かれているこの絵は一筆一筆生命をもって躍動している。しかり、その記事の一語一語が天的光焔をもって輝く! さればこの最後の語も決して無意味の語句を並べたのでない。見よ、ヤコブのこの部屋は今や天の平安をもって満たされ、寂として音もない。我らは見る、父もその子らも、かくも神聖なるこの場を去るを厭い、頭を垂れたまま立ってしばし静まる。その時この老人は、語ることをやめて、ただ静かに頭を垂れて礼拝するのである。
 初めに、ヨセフとその二人の子らがこの部屋に入ってきた時には、その神聖な御用のために『イスラエルは努めて床の上にすわった』(創世記四十八・二)のであるが、今はすべてを終わったので、その杖のかしらに倚って礼拝する。多年の労苦と困難のゆえに雪のごとく白くなったその頭、彼がその子の失われたために悲しみて墓に下らしめるに至ることを恐れたその白髪を、今は讃美と崇拝をもって垂れるのである。実に『ヤコブの神』は彼がかつて考え、否、想像し得たところよりも善き御方、おお、遙かに勝った善き御方であった。『ヤコブはそのつえのかしらによりかかって礼拝した』。我らはともすれば不注意にこの言葉を読み過ごしやすいが、霊感に応じ得る想像力にはこれは実に意味深長の言葉である。
 聖書に録されているところに随って礼拝ということを研究すれば、それははなはだ恵み深い学課である。礼拝というものは、単に懺悔あるいは祈禱によって成るものでない。否、感謝によってさえも成るものでない。礼拝は全く満足した霊魂の態度、感謝とは異なる讃美の態度である。感謝は、神が我らに与えたもうたもの、また為したもうたことのために献げるものであるが、讃美は神のいかなる御方でありたもうかを知って、神ご自身のゆえに献げるものである。されば、神がかくご自身を礼拝することを人に求めたもうは怪しむに足らぬ。ただ神が人間のうちにかかる礼拝を見出したもうことのはなはだ少ないは悲しいことである。
 聖書に録されている、人が主を礼拝した場合を注意して研究するならば、我らが反省し、自ら心を探り、これを渇き求めるために、多くの糧を供給するであろう。
 我らは本章の初めにおいて、人が最後の大敵なる死に出会う時、多くの場合その霊魂は自己の苦闘をもって占領され、悔恨や一種異様な疑惑に満たされるということを見た。されどヤコブのこの大敵に対する最後の戦いはかくのごときものでなく、実に立派な勝利であった。否、勝利者以上、分捕り物を集める者である。すなわち死も悪魔も彼の前には敗北するに決定している。今はその孫らのために約束され備えられた祝福が、何か彼の手落ちのために実現せざることもあるやと、それを思うのほか何もなかった。さればこの美わしき沈黙の礼拝によって顕れるものは、瀕死の白鳥の歌のごときものでも、自己の元気を奮起して身構えるようなことでもなかったのである。
 我ら異教の地で働く特権を与えられている者は、そこでもまたいかにしばしば親しくかかる勝利を見せしめられることぞ。されば私は直接に知り得た一例をここに引証せずしてはやまれぬ。

 私は今、西日本の山々の中に隠れた、辺鄙な一小村でこれを書いている。そしてこの地の小さい群れの責任をとっている若い伝道者が私の傍に坐している。彼は私の問いに答えて、いかにして福音がこのところにまで及んだか、いかにしてこの地の農夫である聖徒たちに神の救いの力が持ち来らせられたかについて、次の話を語り聞かせるのである。
 『数年前、私が天幕伝道をもってM町を開拓した時に、一人の薬剤師とその妻が救われました。私共のいま休んでいるこの家はその人のものであります。この薬剤師は、以前はかなり放逸な生涯を送ったものでありましたが、主に帰してから驚くべく変わりました。およそ一年ほど後に彼の父が死んだので、彼は故郷の村に帰り、薬店を開きましたが、この辺では病人が医師よりもかえって薬剤師の許に行くといった有様であり、彼も妻も熟練な看護婦また産婆でありましたので、多くの家庭に出入りすることとなりました。そこで彼はすぐにキリストとその救いを証し始め、難しい病人のある時にはよくそれを私に知らせて訪問させました。
 それで、昨年のことでありました。私は或る重体の肺病患者を見舞うために、その病人の住んでいる仮小屋に訪ねて行きました。彼の友人たちは病気を恐れて近づかないので、彼はこの小屋に寂しく住んでおりました。しかもそれは非常に寒い時でしたが、私が訪ねて行くちょうど前に彼の妻が死んだのをそのままそこに臥させてあり、看病する者は近い所の兄の家から来た老母一人といった有様でありました。
 数回訪問を重ねるうちに、彼は実に幸いに救いを受けました。そして彼が最後にその老母に言い残した言葉は「どうぞ私のために悲しんでくださるな、私は栄光の天の家に帰ります。私がお母さんに願うことは、どうぞ神様を求めて、また天国で会って下さることだけであります」でありました。
 彼は自分を見棄てた不人情な兄に対してはなはだ怒っていたが、その心が急に変わりました。彼は、自分の葬式のためにとてひそかに三十円の金を蓄えていたが、そのうちいかほどかを、兄の心を和らげてキリストに導くために使ってほしいと申し出ました。
 私はこのことによって非常に動かされ、この寂しい山中の村々に隠れているかかる病人に触れさせて頂くように、主に願いました。私が確実にこのことを主に提出して祈り始めてから、三日にして、主は次のような著しい仕方でその願いに答えて下さいました。というのは、
 或る日、例の薬剤師の妻を訪ねて来た、六十五になる老婦人がありました。この婦人の母は信者で、以前その子に真の活ける神について教えていたということで、誰か自分の夫を訪問して、母の拝んでいた神様を知らせてくれる人はなかろうかと訪ねたのであります。W夫人はすぐに私を呼びましたので、私は谷間を上って、山奥のその家に訪ねて行きました。その夫というのも結核の末期で寝ていて、霊肉とも実に悲惨な有様でありました。私は彼の死ぬるまでに七度訪問しましたが、初めに訪ねた時に、彼はまずその心を開いて身の上を語り聞かせました。
 彼は富める人の子で、事実、その地方の指導者であったが、災難が続いてついにその財産をみな失ってしまい、彼の信頼する唯一の友人も死に、子は九人あったが一人も頼りになる者がなかった。貧しくなるにつれて人望もなくなり、ついには健康も損じ、恐ろしい結核の病に苛まれる身となった。でも初めの六年間は意地を張って、失望せずに来たが、今はそれも失ったというのであります。私は彼を、かつて見たことのないほど悲惨な人と思いました。
 私は直ちに福音を宣べ、マタイ十一章二十八節を残して置きました。それから多くの祈禱の後、二度目に訪問した時に、罪とその始末につき忠実に彼を取り扱いました。語り終わりますと彼はいたく泣き出して、全能の神にその罪を告白し、単純な信仰をもって十字架に頼りました。私は話のうちに新生ということを告げず、そのことを表すような何事もいいませんでしたのに、私が帰ろうと立ち上がる時に、彼は「生まれかわったたように感ずる」と言いました。
 私が三度目に訪問した時は、それは実に幸福な光景でありました。彼は平和と喜びに満ち溢れておりました。私はまだ話のうちにキリストの復活や昇天のことを語らなかったけれども、彼は「この部屋は終日、主イエスの臨在をもって満たされている。私は主イエスは活きた救い主であると分かった」と言いました。
 四度目には、この人のバプテスマに立ち会うように、H兄、T兄、および我らの友なるかの薬剤師をも伴って彼を訪いました。H氏は、バプテスマの前に尋ねたいことがあると言って、「あなたは主イエスの死によってあなたの罪はみな赦され、取り去られたと信じますか」と問うた。すると彼は答えて、「そうです、主イエスは私の罪のために死にたもうたことを信じますが、私はそれ以上のことを信じ、否、知っております」と言うので、H氏が「かの十字架の驚くべき事実に加えてあなたの信じ、また知っておられるは何ですか」と問えば、彼は「それはキリストがいつまでも生きて在すということです」と答えたので、H氏もその答えに驚き、「もはやそれ以上お尋ねする必要はない」と言って式を進めました。また彼が「ぜひ床の上に跪く」と言い張るので、H氏は床に臥したままにしているようにと勧めたれば、彼は「いや、私の衷の恐ろしい槍が取り去られ、心が熔かされ、キリストの喜びで強められているからよろしい」と言って跪きました。
 後に彼の妻が「衷の槍」ということを説明して、「私共の結婚してから彼の救われるまで四十年の間、主人は決して親切な言葉をかけてくれなかった。私は器物か奴隷のように扱われてきた。私の健康な身体を見ることが彼の気分を悪くすると見えて、できるならば私をこの家から追い出したいようでしたが、主が彼を救って下さってから全く一変しました。彼はいま造りかえられた人間であります。真に衷の槍が取り除かれました」と言いました。
 彼は死ぬる前に遺言しました。彼は遺産として残すべき財も土地も持たなかったが、しかと次のごとく書き残しました。
 一、私の宗教は禅宗に属する仏教であったが、これを全く棄てること
 二、私はかねて檀徒総代として働いた寺との関係を全く離れること
 三、私の葬式のために子孫をみな電報で呼び集めて貰いたきこと
 四、私が死ぬるとすぐに一四三番の歌(めぐみもいやますなり)を歌って頂きたきこと
 五、私の霊魂は、この歌の歌われつつある間に、これを授けたる神に帰ると、親族の人々に承知して頂きたきこと
 六、私の死後、妻子と、かねて世話をした看護婦のほか、誰も私の身体を見、また触れぬように願うこと
 七、私の棺は子らにかつがせて貰いたきこと
 八、遺骸は家族の墓地のあの大きな桜樹の下に葬って貰いたきこと
 九、私の身体はそこに平和に休む。わが親しき人々が私の遺骸をそこに葬って再び見ざるようになっても、私は全き平和のうちに死んだ、喜びをもって死んだ、その唇の笑みをたたえて死んで永遠の安息に入ったということを憶えて貰いたきこと
 かくてその臨終の近づいた時に、昔のヤコブのようにその子らを祝し、彼らに富も安楽も名誉も地位も求めず、ただいかにもして主イエスを信じる道を求めるようにと命じましたが、彼の子らのうち年上の六人はこの命令に順うべきことを約束し、母と長女はその後、美わしく回心しました。』
 かくてこの人の葬式は驚くべきことであった。この若い伝道者が上述の出来事を述べた時に、全村の者が深く感動した。他行中であった寺の住職も急ぎ帰り、その法衣を着て弔辞を述べた。その弔辞のうちに、「この人は長く寺の檀徒総代として尽くしてくれたが、後にその地位を棄てた。本来、仏教は開悟の宗教で、信仰の宗教でない。この人には開悟はあまりに困難であったので、これを棄てて信仰の宗教のキリスト教に入ったのである」という意味のことを述べた。
 かかる門戸を通して、このところ、多くの村落の散在するこの谷地に、神の恵みの福音は入り込んだのである。

 さて、ヤコブの神は今もなお生きたもう。その大いなる能力は今もなお人を救い、聖め、死なんとする者をして神を讃美礼拝せしめ、その子孫に神の祝福を遺譲することを得せしめたもう。
 信仰によってヤコブは(いま語った話の人のごとく)礼拝した。信仰によって、彼はその最後の息が無益の言葉に費やされなかったことを知った。彼の言葉は、単に信心深い善き願望ばかりでなく、聖霊によって吹き込まれた言葉であった。かく彼は信仰によって上よりの祝福を命令し、信仰によって頭を垂れて礼拝した。後の日にバラムが『ヤコブより一つの星が出る』(民数記二十四・十七)、『権を執る者がヤコブから出る』(同二十四・十九)、『誰がヤコブの群集を数え……得よう。わたしは義人のように死に、わたしの終りは彼らの終りのようでありたい』(同二十三・十)と言ったのも、誠にしかあるべきことである。



基督者生涯の動力 上巻

  頒布価 180円

昭和二十八年五月十五日 印 刷
昭和二十八年五月二十日 発 行

    訳  者  大 江 邦 治

        東京都武蔵野市境一四一六
    発 行 人  落 田 健 二

        東京都千代田区神田鎌倉町一
    印 刷 人  西 村 徳 次

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      東京都武蔵野市境一四一六
   発行所 バックストン記念霊交会
           振替東京六六六四九番


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