第八章、第九章 死における動力


 神よ、汝が愛は、わきまえなき愛にあらざるを、
  賜物中の賜物、信仰の恩寵をば、
 このわれに与えたもうとは、
  そも如何なるめぐみぞや
 わがこの心にまさりて無邪気なる
  幾多の人の心をば、汝はもちたまえるに、
 われにまさりて、汝が甘美の御接触に値する
  幾多のたましいを汝はもちたまえるに。

 恩寵よ、いとふさわしからぬ心に
  入り来たるこそ、汝がほこり、
 いと暗きところに住処を見出すこそ
  汝が光の栄光なれ。
  おお 信仰よ、なれこそは
 わが生ける日の、わが宝なれば、
  死にのぞみて、はた如何にあるべきぞ。
 これを思えばわれは実に実に、幸いなる!
                  (ファーバー)



第八章 イサクその子等を祝す


 『信仰によって、イサクは、きたるべきことについて、ヤコブとエサウとを祝福した。』(ヘブル書十一・二十)

 我らが本書において聖書に基づき例証せんとするところの真理は、信仰がキリスト信者の大動力であるということ、すなわちその歩みの一歩一歩、その経験の局面の一つ一つ、神のご嚮導の一転機ごとに信仰がその有力なる要素であり、よってもってすべてのことに神を喜ばす生涯を贈り得るところのものであるということである。
 人生はその揺籃(信仰によって、モーセの生まれたとき)から、墓(信仰によって、ヤコブは死のまぎわに)に至るまで、またこの両端の間に起こる経験のすべての局面において、霊魂の中の信仰に応えて働きたもう神の御霊に支配さるべきものである。
 さて、我らが今しこの大画廊において差し向かうところの肖像の一対は、いずれもアブラハムの家族に属するイサクとヤコブである。私は他の所でこれを臨終の場面として語った。けれども精密に言えば、イサクの場合は臨終の場面ではなかった。もちろん『イサクは年老い、目がかすんで見えなくなった時』(創世記二十七・一)とあるから、墓の入口に近づいておったのであるけれども、死んでその先祖に加わったのはなお幾年か後のことであった。さりながら私が強調せんと欲する点を説明するためには、実際に臨終の場面と言って差し支えない。
 創世記に録されあるところによれば、イサクの生涯に四つの顕著な出来事がある。すなわち彼の奇蹟的に生まれたこと、彼がモリヤの山で犠牲として献げられること、彼の婚約、および彼のその子等を祝することである。そして聖霊は信仰の偉大なる力を説明するためにこの最後のことを選びたもうた。我らもまたそのかくなされたことを神に感謝する。
 いかに多くの老いたる神の僕等にとってこの一句が言い難き祝福となったことぞ。なおもこれらの数語がかかる人々の目に入る時、再び彼らに奨励と霊感の使言を齎さんことをこそ。しかり、『その日になると、家を守る者は震え、力ある人はかがみ、ひきこなす女は少ないために休み、窓からのぞく者の目はかすみ、町の門は閉ざされる。その時ひきこなす音は低くなり、人は鳥の声によって起きあがり、歌の娘たちは皆、低くされる。……いなごはその身をひきずり歩き、その欲望は衰え、人が永遠の家に行こうとするので、泣く人が、ちまたを歩きまわる』(伝道の書十二・三〜五)というその日に至っても(イサクはちょうどかかる場合に臨んだのである)、聖霊が永遠の記録に載せるに適当としたもうほどの勲を立てることができるのである。イサクの眼は曇り、その自然の力は衰えた。されども天に属することの視覚は鋭敏で明瞭であり、その霊力は衰えず、彼の生涯の大動力である信仰はなお彼に霊感を与えた。かくて『信仰によって』彼はその子等を祝したのである。
 年老いし者らは言う、我らの日は既に過ぎ去ったか、我らは途の終わりに達したか、神はもはや我らのためになす何事も持ちたまわぬであろうか、我らはもはや主のために何も働きまた労し得ぬであろうか。我らは周囲の人々に重荷となり、生涯の始めに揺籃にあった時と同じく、気をつけて見守られねばならぬようになった。我らの前途には身に在ってなせしことの報いを受くべき『キリストの審判の座』のほかには何の望むべきものもない。されば我らが彼処に行きて、見られぬようになる前に、もはや神に栄光を帰すべき何のなすべきこともないであろうか、と。イサクをして我らを教えしめよ。この年老いたる族長の肖像をして神の驚くべき恩寵を語らしめよ。我らがこの肉に在る間、我らのこの憫れな卑しき体が地上にある間に、聖霊は弱き頭脳を強め、衰えた心を活かし、鈍った願望に霊感を与え、かくして永遠の事物を見、信仰によって『きたるべきことについて』すら神の選びたまえる僕等を祝福することを得せしめたもうのである。
 この章の初めに掲げた聖句は、原語ではただ十一語で成っているけれども、そのうちに含まれている意味のいかに豊富なることぞ!

第一、信仰によってイサクは祝福した

 聖書の皮相的読者、しかも創世記二十七章の物語を熟知せる人には、『信仰によって、イサクは……祝福した』というこの句は聖書中で最も不思議な、また最も信じ難い句の一つと見ゆるであろう。かかる人は必ずや『もし聖書の記事中、信仰の欠けた出来事があるならば、それは必ずイサクがその子らを祝したというこの出来事である。老イサクは全く欺かれている。彼は長子エサウを祝すると思っているのに、実は弟のヤコブが父を欺き、その兄の権を盗んでいたのである。どうしてこれが真実に、イサクが信仰によってその子を祝したのであると言われようか。「偶然に」イサクが彼らを祝したと言った方が確かに一層真に近い言い顕しであったであろう。何の意味でイサクはこのことに関して信仰によって霊感を受けたと言われようか』と言うであろう。
 されども、イサクが信仰を働かせたのは、単にその敬虔なる願望を言い顕すことでもなく、熱心な希望でもなく、心に慕い求めることでもなく、神の祝福の与えられるように切願することでもなく、また将来来るべき出来事を偶然に言い当てるというようなことでもない。これらのことは皆、信仰の働きなくともイサクの心にも唇にも言い顕すことができたであろうが、信仰の働きというものはすべてこれらのことではない。否々、さらに深い、異なった種類のことである。老イサクは来るべきことにつき極めて明瞭な幻を見ており、その長子と弟に対して神のそれぞれに備えたもう分につき、その御心と御企図を悟っていたのである。
 彼はその上に、神が長子のために備えたもう約束の分の変更すべからざることを、決して誤り得ぬほどよく承知していた。そしてまた彼は父として、その長子の分をその子に交付しまた堅める、驚くべき特権を持つことも覚えていた。そして自分のごとく貧弱な者でも、いったん神の代理者としてその祝福を与えたならば、再び取り返されぬものであることを承知していた。もし彼のヤコブの上に宣言した祝福が、単に敬虔な願い、熱心な祈禱、切なる希望、熱烈なる願望であったならば、彼がその間違いを発見するや否やそれを取り消すことを得たであろうし、また取り消すことを願ったであろうが、それはできなかった。彼の祈禱は聖霊による祈禱であった。彼は神の備え、また約束し、今は不変的に賦与したもうところのものを交付し、またこれを堅めたのである。繰り返して言う、もし彼の祝福が祈禱と言うべきならば、それは聖霊による祈禱であった。それはその時念頭に浮かんだことを軽々しく口に上すようなことでなかったはもちろん、あらかじめ深く熟慮し来った感想を述べるといったようなことでもなかった。神のなされ方を信ずる信仰、神の備えたもうところを信ずる信仰、神の約束を信ずる信仰、地の塵より造られ、しかも堕落した憫れな人間に許してこの祝福を確実に人に交付することを得しめたもう、神の驚くべき恩寵を信ずる信仰、彼自らにかかる特権のあることを信ずる信仰によりて、彼は『きたるべきことについて』その子らを祝福したのである。
 しかり、たとえ彼の予想せぬ不幸な出来事、虚偽不正の手段により、この祝福が彼の考えと違った人に与えられたとはいえ、それは無効になされ得なかった。取り消しも取り戻しも不可能である。イサクはいったんその唇より出でたことを敢えて変えぬほどに、この祝福を交付しまた堅める権能を確信していたのである。
 聖書には、ヤコブとエサウの若き日に両人の間に起こったことをイサクが知っていたという何の証拠もないが、実はエサウは羮一杯のためにその長子の権、ヘブル民族の祖先となる驚くべき名誉を故意に売ってしまったのである。エサウがヘブル民族の将来の運命、またその祖先の一人となることの光栄を、その父母や祖父から聞かなかったとは考えられぬ。されば彼はその栄誉を熟知していたが、悲しいかな、それは彼にとって何でもなかったのである! そのとき彼は『長子の権』と『祝福』との間にどんな関係があるかを考えなかった。もちろん後に、長子の権を失うことは祝福を失うことの前提であったことを知ったであろうけれども、悲しかな、今は何と愁訴すべき理由もない。彼はこの失敗のために自己と自己の愚を恨むの他なかったのである。
 かかる悲劇について老イサクは何も知らなかったので、このたび彼の上に容赦なく臨んだその欺瞞を発見した時も、彼はそのことを神の御手に委ねてしまった。疑いもなく、彼は昔、長子イシマエルが神によって斥けられて自分が立てられたことを思い起したであろう。彼は不思議な神の摂理の道を理解し得なかったが、永遠の成り果てをばその御手に委ねた。この不思議な間違いは彼自身の過誤から起こったのではなかった。このことは彼の知恵と能力の及ばぬところであるから、彼はそれをそのままにしておいたのである。かく、彼は神の執りたもう探りがたき道を信ずる『信仰によって』その子らを祝福したのである。

第二、信仰によりてイサクその子らを祝せり

 私は既に、イサクがヤコブとエサウを祝福したのは、ただ単に敬虔なる願望を言い顕し、また熱心なる祈禱を捧げたのと異なることを切言した。彼の祝福はむしろ預言である。すなわち、天において既に定まっている、神の備えたもうたところのものを、その受くべき者に運び来ることであった。詩篇作者のいわゆる『祝福を呼び下す』ことであった(詩篇百三十三・三=英訳参照)。昔、族長たる聖徒の臨終にあたって、かくすることが通例であったと見える。そしてこの祝福を呼び下す道は、既に絶えて我らには伝わっておらぬであろうか、この権能は撤回されたであろうかと言うに、我らはそうは考えぬ。新約においても他人に祝福を呼び下し、また自己の信仰を他人に交付する権能が、神と偕に歩む人々に与えられていることを暗示する多くの所がある。
 主イエスは、この不思議な、しかも幸いな権能について、一度ならず語りたもうた。主は『祈る信仰』と区別して、これを『言う信仰』と呼びたもうた。すなわち『もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう』(ルカ十七・六)、また『だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ずなると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう』(マルコ十一・二十三)と言い、さらにこれとは別のことであるごとく『なんでも祈り求めることは、既にかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう』(同二十四)と仰せられた。
 使徒たちも多くの場合に、病める者のために祈らずして信仰の言葉を発した。すなわち主イエスご自身のごとくに、彼らも『祝福を呼び下し』、そしてそのことが成されたのである。
 ペテロが、エルサレムの神殿の門に坐していた跛者を癒した時に、『金銀はわたしにはない。しかし、わたしにあるものをあげよう』(使徒三・六)と言い、後に彼は彼自身に何か能力や敬虔の持ち合わせのあったわけでないことを明らかにし、進んで、そのとき跛者に与えたものは御名を信ずる信仰であったと言っている。彼は実にこの幸いなる能力を跛者に交付したのである。
 パウロはピレモンのために祈って、彼がその信仰を他の人々に交付し、人々が、彼の衷にあるすべての善き業が主イエスに在って、また主イエスを通してなされることを認め、これによってその信仰を有効ならしめることを願うと言っている(ピレモン六=英訳参照)。
 主イエスが弟子たちに対して、彼らが聖霊に満たされる時には人の罪を赦し、または留め得ると仰せられた、この驚くべき御委任の御言を見れば、これによって主が我らにも、人に『祝福を呼び下し』、悔い改めるべき者に代わって悔い改め、また代わって言い顕しかつ信ずる事を期待したもうことを顕すようである。主イエスの御言のままに無花果の樹の枯れたのを見て驚く弟子たちに、主は『神の信仰をもて』(マルコ十一・二十二=英訳)と仰せられた。神の信仰とは、神の『光あれ』との御言によって光が出たその時、神がご自身の言葉を信じたもうたその信仰に他ならず、神がこの亡びる世のために生命を棄てるべくその愛子を遣わしたもうた時にその御子を信じたもうた信仰に他ならず、そしてまたその偉大なる御働きをなすべくペンテコステの日に聖霊を遣わしたもうた時、その御霊を信じたその信仰に他ならぬのである。
 おお願わくは、我らも『祝福を呼び下し』、権能の言葉を発することのできるために、神の御言を信じ、御子を信じ、聖霊を信ずる信仰を持ち得んことをこそ!

第三、イサクは来らんとすることにつきてその子らを祝せり

 然らばイサクがその子らに交付しまた堅めることができたもの、すなわちその呼び下した祝福は何であったかと言うに、聖霊はヘブル書において、それは『きたるべきことについて』であったことを高調したもう。我らが今ここにて語らんとするはこのことである。
 創世記の記事に立ち帰ってみれば、(エサウはただ一度祝福を受けたのみであったが)ヤコブには祝福の言葉が繰り返されている。最初の場合は創世記二十七・二十八、二十九であり、第二の場合は同二十八・三、四である。すべてのユダヤ人は約束の祝福に対して現世の繁栄を期待していたので、イサクの祝福は来らんとすることについてではあったけれども、彼の心ではヘブル民族の物質的の富と能力を意味していたことは疑う由がない。
 さりながら、我らは過去の歴史を顧みて、その祝福に二重の成就を見ることができる。神は、アブラハムに約束して、彼の裔は啻に浜の砂のごとく(地上の民)なるばかりでなく、また天の星のごとく(天に属する民)なるべく約したもうた。かくのごとく、聖霊に感動されて発した約束の言葉はイサクの知るよりも遙かにより深い、より広い、より充分な内容を持っていたのである。
 ヤコブのバダンアラムに旅立つに当たり、イサクが彼を祝した時の言葉(二十八・三、四)は、二十七章に録されている言葉よりさらに充分でまた明瞭で、その箇条は三つであった。
 (一)ヤコブの子孫の増加と物質的の繁栄
 (二)その祖父アブラハムの祝福
 (三)約束の土地の所有
 我らは既にこれらの箇条の霊的解釈に言及した。さりながらガラテア三・十四にパウロが引用しているアブラハムの祝福(創世記二十八・四)は顕著な言葉であるから、少しくこれに言及したい。『アブラハムの祝福』は必ず『信仰によりて義とせられること』より他の意味ではあり得ないと思う。これは神の真のイスラエルたる者の受ける基礎的の祝福である。すなわち『だから、彼は義と認められたのである。しかし「義と認められた」と書いてあるのは、アブラハムのためだけではなく、わたしたちのためでもあって、わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、義と認められるのである』(ローマ四・二十二〜二十四)とあるとおり、この祝福はただアブラハム一人に限られているのではない。
 イサクはここに彼自身については何も言わず、また彼が共に興って歴史を作る点についても何も陳べておらぬ。彼はその希望も期待もみな、父アブラハムに約束されまた与えられた祝福にかけている。されども私が既に注意したように、聖霊が特に我らの注意を惹きたもうは、その『きたるべきこと』の方面である。さればその他のことは差し置いて、この歴史的大人物の肖像をば今一度この点より観察することにしたい。
 ヤコブとエサウはまだ若年で、言わば人生の入り口に立っている。彼らにとっては現在こそ彼らの無上の興味をそそるものである。ヤコブの胸中には彼の長子権の栄誉が既に炬火のごとく燃え始めたとは言え、『きたるべきこと』に対する興味は微温的であったことは疑われぬ。
 一方、イサクは今や人生の出口に立っている。彼の行程はほとんど終わった。人生とその荘厳さも、人生とその空虚さも、共にみなパノラマのごとく彼の前を過ぎ去りつつある。それのみならず、人生はそのすべての特権、機会、責任と共に、来るべき栄光に対して驚くべき影絵を投げるように見える。すなわち多くの者には既に死に失せたことと思われる出来事が、イサクには今一度生きて見える。しかもそれらが、彼がその義しき審判主の御手より善悪ともに報いを受けるところの大法廷に向かい、証人として現れるべく、彼に向かって急ぎ進み来るのである。
 悲しいかな、多くの人は世を去る時の近づくに至って、人生はただ夢であり、妄想であり、記憶と悔恨であると観ずる。かの有名なビーコンスフィールド卿(彼もイスラエル人である)もその生涯の終わりに『青年は過誤、中年は苦闘、老年は悔恨なり』と叫んだ。
 されど感謝すべきことには、かの大先祖イサクの人生の回顧はかかるものでなかった。彼は『きたるべきこと』の幻を見た。そしてそれらはまた現在の事共より建て上げられるということを知った。時間感覚のこの世界に果てなく過ぎ去る事共も、神なる大工人の御手に正当に取り扱われ、鋳型に入れられるならば、決して亡びない永遠の現実に化成され得るのである。されば今この過ぎ去る現在においてさえも『神の御旨を行う者は、永遠にながらえる』(ヨハネ一書二・十七)ことをその子らの悟り得たらんことを願って、彼が『きたるべきことについて』彼らを祝したのは怪しむべきではない。
 多くの人にとっては、人生ははなはだ個人的のことに思われる。我らの救いも、キリスト者生涯も、ただ自己一身の問題に過ぎぬ。我らは全体の一員であるということは了解しておりながら、多くの場合において、そのことにはあまり多くの関心を持たず、我らの働きも奉仕も恐ろしく個人的になりおわる。かくてただ我らの周囲にある人々やまた出来事にのみ心を奪われ、これがために懸命に考えるが、憫れにも、事物の全計画において自らいかなる地位にあるか、来るべき事共がいかに肝要であるか、それに対していかなる関係を持つかということを了解せぬ。
 多くの人の生涯にとっては、今のこの悪しき世は果てなく過ぎ行く一場の劇に過ぎないけれども、神の御旨を行う聖徒にとっては、その一言一行が未来の出来事に関して重大な意義を持ち、『きたるべきこと』から決して切り離されぬ関係にあるということを、イサクはよく承知していたのである。我らはその目を未来に留め、全体に対する個人の関係を見ることによってのみ、我らの生涯の価値、また神の我らに委ねたもうた奉仕の価値を、適切に知ることができるのである。
 使徒パウロも現在の肝要なること、時々刻々の義務、個人また団体における個人尊重主義の価値などを軽視する者ではなかったが、決して『きたるべきこと』からその目を離さなかった。彼は来るべき王国を見、教会、すなわち一個の栄えある全体としての教会、キリストの体、また新婦を見ていた。またこの観点よりして、全体を形成せんとする個々の信者の価値、またその重要さを見、これを感じていたのである。
 我らがアブラハムの物語において見たごとく、イサクもまた、アブラハムと等しく神の都を見、その経営者、建築者、またその基礎を見ていた。しかり、彼はその全体を熟視していたのである。
 イサクはもはや人生の山麓には立ってはおらぬ。彼はそれを後にして登り行き、今やそこから振り返って回顧し、さらにまた将来を眺め、預言者的幻を持ってその父アブラハムの生涯と彼の性格を見、それが彼の目の及ぶ限り広がり行き、なおいよいよ広く人を動かし、感化し、未だ生まれざる後の代にまでも及ぶことを見るのである。そして彼は、いずれの時か、栄光ある復活の日が来り、新しき石垣のために備えられたる活ける石の一つ一つがそれぞれの所に嵌め込まれるということを見、また知る。かくてまた『きたるべきこと』は現実で、もちろん神なる工師に形造られるのではあるけれども、やはり現在より集められた材料からなるものであることを、この人生の盛りの時に心得ているべきことを悟ったのである。
 さてヤコブは父の祝福を受けて進み行く。そしてその父の彼のために呼び下した祝福がどんな意味で有効であり、活ける経験であったかということは、彼のその後の生涯に顕れてくるのである。彼は多くの失敗を演じた。数多の浮沈を経、真に多事な生涯を送った。彼がその父の天幕を離れて旅立ったその当初の目的は、兄の怒りをのがれ、その先祖の地で富をなし、随って妻を娶り家をなすということであったが、神は彼と偕に在したので、その旅路の初めにあたってまず神に会いまつったのである。彼はその旅路の第一夜、ベテルにおいて大地に臥して眠り、天に達する梯子を夢みたが、その夜が彼の回心の時であった。その時まで、彼は神より直接に受けた死活的経験というものを知らなかったが、その夜から彼は上より生まれた者となったのである。かくしてその父の祝福したことは堅くせられた。アブラハムの神とアブラハムの祝福は彼のものとなった。彼はその生涯を通じて苦しい経験によりて多くのことを学んだが、『ヤコブの神』は常に彼と偕に在した。そして彼が世を去る時の近くなり、その地位の栄光を十分自覚するに至って、エジプトの地におけるその臨終に際し、父イサクより受けたその祝福をもってヨセフの子らを祝するよう、父のごとくに力づけられるを見る次第である。
 我らは今、彼イサクの隠れたる墓誌を手にして、彼の肖像の前に黙して立つ。数千年を隔てて彼が我らに語らんとするところは何であろうか。それは
 第一、彼は我ら自身に『きたるべきこと』の幻を得せしめ、またこれを保たしめ、我らの生涯の働きにおいてその幻が神の結局の御企図といかなる関係にあるかを見ることを得せしめ、かつまた他の人の生涯の働きにおいて、その幻がいかなる関係にあるかを見せしめる。実に我らは、この地上で集められた材料より成り立つ栄光ある建築物、天より降る神の都なる建物の全体を見るべきである。聖霊の能力によってかかる幻を見るは実に幸いなることで、それは我らの生涯を変貌せしめ、我らの動機を聖め、我らの思想に霊感を与え、我らに讃美と礼拝の心を満たし、我らをして時を贖い、『少しでもむだにならないように……あまりを集め』ていそしみ仕えるに至らしめる(ヨハネ六・十二)。
 第二に、彼は、この幻を他の人に伝える能力が我らにもあることを思い起さしめる。神は他人に祝福を呼び下すために我らを立て、委任し、力づけたもうた。我らは神の『手のわざについてわたし(神)に命ずる』(イザヤ四十五・十一)ことをなし、他人のために信ずることをなし、『移れ』『抜けよ』と言い、『聖霊によって満たされよ』『きよくなれ』と言うことを得る。そしてそのことが成されるのである。私は繰り返していう、願わくはこの『雲のように多くの証人』に倣わんとの聖き大望もがな! 我らがこの『時と感覚の境』を過ぎ去り、神を信ずるという我らの特権のなくならぬ間に、この天の褒美を得んために励みて馳場を進み得んことを!

 私は今一度、これらのことがただ過ぎ去った遠い昔の物語のみでないということを読者に感じて頂きたいのである。
 聖霊は今に至るまで働きたもう。さて私は最近の日本訪問において、信仰のこの命令する能力をかつてなきほどにいと深く感じた。
 思い起す、1914年4月5日(復活祭前の主日)、いま神戸伝道館の建っているところに開いていた天幕伝道会に、一人の憐れな酔漢が這い入って来た。彼は肖像画を描くことを職業としている男で、キリスト教については何も知らなかったが、その夜、神の御霊に捕らえられて真に回心した。その後四、五年にして、彼は聖霊のバプテスマの栄えある経験を受けた。(これらのことについては私の別の著書に書いている。)
 彼は聖霊のバプテスマを受けた後、直ちに神の使命を受けて驚くべき御奉仕にと押し出されたが、哀しいかな、その奉仕はあまりに短かった。すなわち1925年に私が英国に帰った後、間もなく彼は天の故郷へと召されたのである。
 されどいま私が各地をめぐりて彼の奉仕の結果を見、いと深く感ずるは、ここに書きつつあるところの信仰の『権威』についてである。すなわち彼は語る、そしてそのことが成されるように見えた。主は彼と共に働きたまい、その徴はこれに従う、という風であった。彼によってキリストに導かれ、今およそ二十六の教会の牧師となっている人々は、私のこの物語を言い確かめる。彼の回心者、少なくとも私の出会ったその人々の霊魂に、御霊の深い御工のなされおることは私の深く感じたところである。それにまた、彼が医癒のために手を按いた人々(その数は多い)は、いま現に生きていて、彼の命令する信仰に応えて神の能力の働いたことを証しする。急性の腎臓病で既に同業者から見放された一人の医師は、今も喜んで神癒の能力を語るのである。
 今一人の医師、二つの病院と大きな看護婦学校の長で、日本の一つの大都会で医業者の指導的地位にある人、米国の医師免状を所有する人、以前は海軍の軍医で海軍省から研究のために英国へ派遣されたことのある人がある。彼は自然に神癒のごときことには疑いを抱いていたが、熱心な信者であったので、その見聞きすることによって信ずるようになった。彼はなおもその事実を査べ見んと、柘植氏に同伴し行き、彼の説教を聞いたが、七十回ほど続いた種々の場合に、聖書の同じ場所から二度と繰り返して語るを聞かなかったと言っている。柘植氏は十五の年より後には何の教育も受けなかった。それほど無学であったにもかかわらず、同じことを繰り返さず、常にその会衆をしてその言葉に耳傾けしめ、神癒の驚くべき場合をほかにしても、集会ごとに罪人を悔い改めさせ、聖徒に聖めを得させたのを見れば、いかに疑う人々にも彼が尋常ならぬ聖霊の油注ぎを受けたことを信ぜしめるに充分である。さればかの医師は自分の土地に礼拝の場所を建ててかの回心者らに提供し、またしばしば彼をその病院に招いて患者のために祈りを乞うたほどに彼を信じた。またこの医師の義兄弟である或る富める人は、内臓の癌を患い、東京の専門医に死の宣告を受けたが、彼の信仰の祈禱に答えられて起きあがり、よほど老年に及んでも、今なお生存して神の大いなる能力を証ししている。
 昨日のことであった。この医師(彼はよほど以前から私の敬愛する友人である)と共に一日を過ごした。彼はキリスト信者の生涯においても、医療のことにおいても、広い経験を持つ人であるから、私は我らの兄弟柘植氏を通じて神のなしたもうた事共で、彼の親しく見聞きした実例を語り聞かせんことを求めた。
 彼が喜んで私の問いに答えて熱心に語り出るところを聞けば、彼の娘の一人は虫垂炎に罹り、彼もその二人の子息たち(二人とも米国の大学を卒業した医師)も直ちに手術することを絶対に必要と認めたが、柘植氏が信仰の祈禱をささげた後、直ちに起きた。彼の妻もまたいと信心深い熱心なキリスト者であるが、全く慢性不治の病から癒されたということである。
 今一人の彼の子息は、研究室で実験中、ガラスの小片がその目に入って非常な疼痛を起したので、その町の主なる眼科医に謀ったが、その破片を取り去ることを得なかった。その時、柘植兄弟が彼の上に手を按き、信仰の命令的祈禱を祈ったので、疼痛は直ちに止み、その日から今日まで痛みも不便も感ぜぬようになった。
 私はこの医師と共に彼の自動車に同乗して語り合っていたが、彼は突然と運転手に命じて車を止めさせ、共にある家を訪った。その家から六十ばかりの老婦人が出でて我らを迎えたが、この婦人はかつて悪性の癌腫を除くためにいかに胸部を切り裂かれたかを語った。この人はおよそ五度も手術を受け、ついに手術刀でどうすることもできぬようになり、またラジウムの烈しい取り扱いを受けた。かくても何の効果も見えなかったと語って、その胸を出して手術刀と火の痕跡を見せた。我らの友人S博士も最初にこの婦人を診察した医師の一人である。この婦人は福音については何も知らなかったが、勧められて柘植氏の許に行った。柘植氏は婦人の場合を聞き、その手を按き、憐れなその身体に神の偉大なる医癒の能力を持ち来した。このことがこの婦人を主に帰せしめる手段となったということである。その輝ける顔が、神はただその肉体の癒し主のみでなく、霊魂のためにも偉大な癒し主であることを知ったということを如実に物語った。この婦人はそれ以後五年間、癒すばかりでなく満足せしめる神の能力を実験しつつあるということである。
 翌日、停車場へ行く途次、またもや運転手は町の主立った医師の門に車を止めた。そして内からその人の妻が出でて我らを迎えたが、この人もかつて柘植兄弟の信仰の祈禱を通じて内蔵の癌から癒されたということである。
 これらは、柘植氏の信仰の祈禱の命令に答えられた医癒の力のただ僅少の例に過ぎぬ。さりながら神癒は彼の最も大切な働きではなかった。彼は罪人に対しては神の救いを施したもう恩寵を宣べ、神の民に対しては聖霊の聖めるバプテスマを宣べることを委任されていた。
 彼の死せる時にあたって、およそ二十六の教会が作られていた。しかもそれはみな自給教会で、彼も、彼の教会も、外国伝道協会から一銭も受けておらぬ。
 彼の最後は栄光ある勝利であったが、不思議な苦痛を伴った。他人の医癒、殊に癌の医癒のためにかく大いに用いられた彼は、自らこの病気のために倒れた。彼はその病の何であるかを知った時に、霊魂の苦悶の中に主に訴え、その病以外の死を与えたまわんことを求めた。彼は言った、殉教の死ならばいかなる苦にも喜び死ぬるけれども、かくも忠実に証を立てて来た神癒の証明として、聖名を崇めるために、今一度この病床より立たしめたまえと。彼は悲しみ叫び、涙を流して祈り求めた。そして神は恵み深くもこの嘆願を許したもうて、なお一年の間、彼はここかしこを行きめぐり、罪人に救いを、聖徒に聖潔を受けしめんと熱心に勧めた。前章に私が書いている、かの婦人が信仰に回復され癒されたのは、この年の間のことで、彼が世を去る三ヶ月前のことであった。
 過度の働きと多くの祈禱のために、休息することの少なかったために、今一度彼の健康は衰えた。そして彼は讃美と勝利の凱歌のうちにこの世を去り、かくも忠実に仕えたその主と偕になった。
 私が最後に彼を見たのは、彼に家にてであった。そこには六十人の若い人が、彼のかくもよく学び得た信仰と祈禱の学課を教えらるべく寄宿していた。彼は私を自分の霊の父として彼らに紹介し、我らが祈らんとて頭を垂れた時に、彼は私の頭に祝福の手を按いた(涙は私の頬を流れ下った)。かくて我らは別れたが、今もなお、庭の入り口に立って別れを告げ、手を挙げて天を指している彼を見る心地がする。我らは別れた。もはや河の此方で相見ることはできぬ。されどかつては異教徒の酔漢であった彼の『信仰の命令』は私と共に生きている。そして私の不信仰の霊を戒め、神に向かい『ああ、我は無益なる僕ぞ!! 願わくは義人のごとく我死なん、願わくはわが終わりこれが終わりに等しかれ』と叫ばしめる。



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