第三章 エ ノ ク (不断の臨在)


 信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることを、必ず信じるはずだからである。 (ヘブル書第十一章五〜六節)

 この大画廊の第二の肖像はエノクのそれである。聖霊が、群星のごとき多くの古の勇者たちの中から選び出してここに陳列したもうに、啻にその選択に注意深くありたもうばかりでなく、その排列に至ってもまた大いに意を用いたもうたのである。そもそも小羊の御血を信ずる信仰はキリスト者の霊的経験の第一歩であるから、この画廊の入り口にあたりまずアベルの祭壇と彼の墓を見るは当然である。けれども十字架に釘けられた救い主を信ずる信仰に効果ある所以は、主がもはや十字架上にも墓中にもとどまらず、復活したもうたからである。されば活けるご臨在、すなわち復活の主を我らに紹介するエノクの物語がこれに続いて来るのである。この復活の主は、再び来りて我らを上に召し、永久に偕におらしめたもうその日まで、地上においても我らと偕に歩み、偕に語ることをなし得る御方である。既に指摘したように、これら二つの肖像はこれを合わせて全くなり、完全な救いの信仰、すなわち十字架に釘けられた救い主と活ける救い主とを共に信ずる信仰の絵画を我らに示している。またこの肖像の置かれた位置も順序に合っている。すなわち後に我らは信仰によって事を行った人々の事共、換言すれば人をして事を行わしめるところの信仰について学ぶ次第であるが、今このいわゆるヘブル民族のウェストミンスター聖堂の入り口において、能動的よりむしろ受動的信仰の人々の記念帖を読ましめられる。ここで強調されるところは彼らの行為でなく、受けることである。この順序もまたキリスト者の霊的経験において真実である。我らは神に受け納れられ何事かをなす前に、まず受けるところがなくてはならぬ。もし永生の賜物を受け、神に対する平和と恵みを得たとの確信を受けるに先んじて、キリストとその国のために何事かをなし、勤め、労し、苦を忍ばんと企てるならば、それは大いなる誤りである。かくすることはその人をして麻と灰をかぶって悲しみ、死に至る世の憂いに至らしめるのみである。
 聖書は有史以前のこの聖徒について多くを語っておらぬけれども、彼の名の散見される記事を集めて注意深く読めば、ここに思いの外多くのことが発見される。かくして、
 第一、我らはエノクの時代について語ることができる。彼の時代は疑いもなくはなはだ悪い時代であった。彼の曾孫に当たるノアの大洪水はまだ遙かに後のことであったけれども、創世記第六章に録されているごとく世を挙げて邪悪凶暴のはなはだしきに至るは、決して一日のことではない。否、十年百年の結果でなく、さらに久しい間に堕落し来ったのでなければならぬ。さればこの社会の腐敗はエノクの時代に既に始まっていたのである。彼はカインの裔のレメクと同時代であったが、創世記四・十九〜二十四の記事を見れば、当時の社会が既にはなはだ悪い状態であったことが知られる。その時はもはや多妻主義が行われ、随分婦人の勢力があったと見え、トバルカインの妹ナアマ(その名は美を意味する)は社会の重要人物のごとく特に登録されている。元来婦人は伝記に名を挙げられぬが常であるに、ナアマの場合特に書かれているには何らかの理由がなければならぬ。とにかく彼女の美貌は顕著であったと思われる。ラビたちは彼女に関して想像を逞しくして物語を作っている。さてまた創世記のこの簡単な記事に農業、冶金、音楽の進歩が録され、また当時の文学の標本とも見るべき詩が載っているが、それは凶暴を讃美した歌である。その文体は殊に勇壮で、後にヘブル詩の特徴となった対句法の用いられていることは目立つ。この歌にカインの殺人のことが言及されているけれども、それは恥ずべき罪としてでなく、古の勇者の行為としてである。しかもそれは彼に十倍も勝る怒りを発するレメクの栄えに比ぶべくもないと言っている。かく、エノクの住んでいたその社会の有様を現実に語る聖書の唯一の記事は、奢侈と享楽の生活を思わしめることに加えて、凶暴流血を讃美する傲慢なこの詩をもって終わっているが、我らの知らんとするところはこれで充分である。彼の生活し活動した時代は悪しき時代であったのである。
 第二、我らがこの神の人について学ぶ第二のことは、彼が神秘家でも修道僧でもなかったということである。彼は神と偕に歩んだが、また人の中を歩んだ。我らは彼が男子女子を生んだという記事を読む。彼は尋常の人で、普通の社交を楽しんだ一個の人間であった。彼は夫として、父として、また一市民として義務も世話も苦労も自ら負うたが、ただ彼は正当な生涯を送り、普通人の間に聖き生活の模範となったのである。彼は自ら閉ざして世の中を離れることをしなかったが、なお『神とともに歩み』(創世記五・二十四)『神に喜ばれた』(ヘブル十一・五)と録されている。かくして彼は、すべての時代を通じて、かの地上に臨まんとする患難を逃れ、人の子の前に立つに値するとせられる者の模型となった。彼はあたかもエリヤの挙げられたごとく、また主イエスご自身(彼は万民のために死を味わいたまえる後)挙げられたまえるごとく、そしてまた主の御再臨のため備えして待ちおるキリストの新婦、この体なる教会の肢たる人々のその時に携挙されるごとくに、死を見ぬように移されたのである。
 第三、この神の人について我らの知る第三のことは、彼が来らんとすることの先見者であったということである。かくも早く、太古の世にあって、彼はキリスト来臨の明らかな幻を見ていたのである。使徒ユダは、エノクがこれらのことを知り、またいかに当時の人々に預言したかを語っている。『見よ、主は無数の聖徒たちを率いてこられた』と(ユダ十四)。実に彼の神と偕なる歩みは密接で、神がただご自身にのみ属する隠微たることをも知らしめたもうほどに親しかったのである。経外典には『地上にエノクのごとき者は創造されなかった』と書いてある。
 第四、このエノクについて聖書から学び得る第四の点は、彼は来るべき審判を宣べる大福音宣伝者であったということである。かの大いなる『義の宣伝者』ノアが福音宣伝の大遺産をその曾祖父なる彼から受け継いだかどうか、我らは知る由がないが、とにかくエノクはその時代の悪に逆らって、その代の人々に獅子吼し、雷轟したということを知る。その代の人の悪については既に語ったことではあるが、なお注意してユダ書を読めば、その堕落がいかに絶望的のものであったかがさらに充分にうかがわれる。ユダ書の第十四節に『エノクも彼らについて預言して』とあるが、その彼らがいかなる者であったかはその前の諸節に示してある。すなわちカインのごとく自ら義とし他人に残酷な者、バラムのごとく貪欲で不埒な者、コラのごとくに野心深く虚栄を望む者、『分別のない動物』『無遠慮(愛餐の暗礁(かくれいは)=文語訳)』『水なき雲』『実らない秋の木』『恥をあらわにして出す海の荒波』『さまよう星』とある。ああ、これ何たる絶望的背教の民ぞ! そして彼らの特別な罪で、エノクの説教の特別な題目は、彼らの神を否むことであった。ユダのこの短い書翰に不敬虔という語が六度出ている。すなわち『敬虔ならずして』(四)、『すべて敬虔ならぬ者の』『不敬虔を行いたる』『不敬虔の凡ての業と』『敬虔ならぬ罪人の』(以上十五)『不敬虔なる慾』(十八)等である(いずれも文語訳)。さればエノクの生涯が薔薇の花咲く道を行くごときものでなかったのは無論である。いずれの代にも、その時代の人を義しきに引きかえさんとて彼らの罪を責める神の真の預言者にみな共通なるごとく、彼も必ず誹謗と非難、反対と迫害を受け、苦きと騒ぎと無情の取り扱いを忍んだことであろう。
 しかし神はすべての聖徒を同じように取り扱いも導きもなしたまわぬ。アベルの場合には、信仰は彼を殉教の死を遂げるに至らしめたが、エノクの場合には栄光をもって彼を移し、死の苦難より逃れしめたもうた。神はエリヤを残酷なイゼベルの手から救出し、バプテスマのヨハネはかのヘロデヤの手の中に残し置きたもうた。また神はペテロを獄から引き出して祈禱と讃美の家に行かしめたまいながら、ヤコブは獄から断頭台に連れ行かれるに任せたもうた。さあれ、神はいずれにしても、各その命じたもう所に堪える恩寵を与えたもうのである。神を頌めよ!
 さて今我らはヘブル書の本文に立ち帰って研究したい。この所で始祖エノクについて三つのことを学ぶ。
 一、彼が死を見ぬように、すなわち死を味わうことなきように移されたのは、信仰のゆえであったということ。
 二、かく移される前に、神は彼がその御前に悦ばれる者なることを仰せて、その信仰を証したもうたということ。
 三、霊魂のこの性質、すなわちこの信仰の霊は以下の三つのことを含むこと。
  イ、神のお招きを受け納れること。
  ロ、神の不変の臨在を信ずること。
  ハ、神がすべて励んでご自身を求める者に報いることを望みたもうということ。

第一、信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された

 私はエノクがその前にあるアベル、またその後に来るノアのごとくに、主イエスの型であることをよく心得ている。されどこの研究において我らが彼らの肖像を考察しつつあるのはこの方面でない。我らの学びおるは、むしろ我らと同情をもつ人々として、すなわち真の信者の模範としてである。
 我らはこの画廊において、キリスト者生涯の種々の局面、種々の転機、また種々の時期を研究せんとしているが、まずこの入口において、我らの信者の生涯の結末であるところの、我らの主なる救い主の栄光の顕現に導かれるのである。
 エノクの使言と役事はこの問題をもって満たされている。そして主の御再臨に際して我らが共に与らんとする携挙をば、彼は臨月を待たずして生まれ出る子のごとく、まず受けたのである。それはともかく、我らが彼の物語を通じて学ばんとするところは、我らをして第一の復活に与らしめるところの資格としての心の準備という一点である。不注意な読者には必ず意外に思われるであろうが、ここで我らはその唯一の資格は信仰であると教えられる次第である。
 創世記の記事に立ち帰ってみれば、彼がかく移されることを得たのは、むしろ神と偕に歩み、神と語りまた交わっておったためであると推論するように導かれる。けれどもそれが決して双方一致せぬわけではない。畢竟、ヘブル書においては、単に神との交際の秘訣は信仰の生涯であるということが示されているのである。
 今ここに注意の一語を挿入するは必ず不適当でないと思う。すなわち教会の携挙に与る唯一の資格は信仰であるといっても、その信仰はただ未来の出来事に関して正統派の見解を保つという意味でない。多くの人は愚かな五人の処女のように御再臨に関する正統派の期待を持ち、新郎を迎えんとて出で行きながら、閉じたる戸の内から『わたしはあなたがたを知らない』との声を聞かねばならぬことが、嘆かわしくも確かである。
 なおまたそれは、ただ自分で断乎と信じ切っていることを意味しない。もし我らが神ご自身と偕に歩むことや、神との交わり、また内心の聖潔に無関係に、ただ主来りて彼処に我らを取りたもうと信ずるならば、それは危険至極のことである。かかる考えの謬れることは、神が主を待ち望む民に要求したもう信仰がいかなる種類のものであるかを説明すれば自ずから明らかになる。さて、真の信仰の生涯とはいかなるものであるかと言えば、それは神と交際し、交通する生涯で、御霊にあって歩むことである。これはかの栄光ある出来事、すなわち我らの主また救い主イエス・キリストの顕現のために霊魂を備えるものである。我らはエノクがいかに神と偕に歩んだか、いかに神と交わったかの詳細は示されておらぬけれども、この極めて肝要な題目につき、次のごとき解説を加えることは敢えて問題外にわたるわけでないと思う。
 聖書は、神と交わる生涯を説明して、三つの特殊の経験を語る。すなわち、
  聖父との交際(ヨハネ一書一・三)
  聖子との交際(コリント前書一・九)
  聖霊との交際(ピリピ二・一およびコリント後書十三・十三)
 多くのすぐれた聖徒たちは、その生涯において三一の神の各位と別々に特殊の交際を経験したことを証している。
 さて、交際し交通するということには、まずその利害興味を共にするところがなければならぬ。『ふたりの者がもし約束しなかったなら、一緒に歩くだろうか』(アモス三・三)である。偕に歩む者は、その行く方向、行き先、相語る問題を一にし、またその旅行の目的、およびその心と思いに興味を感ずるところにおいても相一致することが必要である。神と偕に歩むにも、やはりこの条件が必要である。
 聖父との交際 父なる神の御心に在って、燃ゆるばかりに強烈な興味を惹き、必然、一切の交わりの中心となるべきものは何であろうか。それに何の疑問の余地はない。父なる神の愛の御目的、その悦び楽しみたもうところであり、天の栄光であり、神の御心の喜びであり、天使と天使長たちの目の集中するところは、キリスト・イエスのほかではない。されば聖父とのすべての交わりは神の聖子を中心とせねばならぬ。聖ヨハネの書翰の主題は神との交際であり、その主題の栄えは『聖子』である。主イエスの『子』という称号は、聖書のほかのいずれの部分にもこの書翰ほどに多く用いられておらぬ。されば聖父との交わりは聖子よりほかであるべしとは決して考えられぬ。
 聖子との交際 世の贖い主なる聖子の悦びとしたもうところは何であろうか。主がご自身の民と喜んで相語りたもうところの題目は何であろうかと言えば、それは聖父であるというほかに答えはない。主が地上に在した時にその喜びとし、楽しみとしたもうたところの一切はこれであった。主は聖父の御愛、御旨、道を彰わすために来りたもうたのである。そして主を遣わしたもうたのも、教え導き、指示し、能力を与えたもうたのも聖父であり、主に語るべき言葉、なすべき業を授けたもうたのも聖父であった。聖書に録されおる主イエスの最初の言葉は『自分の父の家(我が父の事=元訳)』(ルカ二・四十九)であり、十字架上の最期の言葉として録されおるは『父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます』(ルカ二十三・四十六)であった。また御復活後の最初の言葉は『わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。‥‥‥「わたしは、わたしの父またあなたがたの父‥‥‥であられるかたのみもとへ上って行く」』(ヨハネ二十・十七)であり、弟子たちを離れて昇天したもう時、彼らに語りたもうた最後の言葉も『父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない』(使徒一・七)であった。されば我らがこの地上で聖潔の大道を聖子と偕に歩む時、共に交わりまた語るところは、御子の父にて在し、また我らの父に在す、父なる神が中心であり、聖父の御栄え、その御言、その道、その御権能が、我らの間における唯一の熱烈な興味でなければならぬ。
 聖霊との交際 ほとんど二千年間、聖霊は天を去り、人の子らの間に住むべく地上に下っていたもうのである。そして御霊の重荷は、罪人の救いとキリスト教会の聖められることである。実にこれが御霊の任務、重荷、またそのお喜びである。聖霊は人の救いにおいて、またキリスト再臨の栄光ある日のためにその救われた者を備えることにおいて、聖父聖子に栄光あらしめ奉るほか、何をも念としたまわぬのである。かくてその栄光の日、罪と苦と死は跡を絶ち、神がすべてのすべてとなりたもうのである。
 されば、人の救いがまた我らの喜び、楽しみであるのであろうか。父なる神と子なる神が拝まれ、崇められ、讃美され、信じられ、人の子らの心に満足され、大いに崇められたもうことが、我ら心の願いであり熱望であるであろうか。もしそうであるならば、聖霊なる神との交際は我らの日ごとの分、しかり、我らの生涯そのものであるであろう。そしてその秘訣が何であるかは、エノクの生涯とその証が示すところで、これを読み、これに心を留め、また心中に消化するすべての人に開示されるのである。
 信仰によってエノクは神と偕に歩んだ。そしてこの信仰をチャールズ・フィニーは「神に対する愛情ある信任」と称している。神の御園に咲く花にも、これに勝る美しいものがあるであろうか。人生の大道でこれにまさる芳香をかぐことができようか。しかり、これは地上における最大のことである。フィニーの言った子のような信仰をもって信じ得る者には一切のことがなし得られる。これは我らの主の御再臨のために我らを備えしめる、奥妙な、快適な恩寵である。この幸いに成長しまた充ち溢れることをこそ、我らの生涯の最大の志望また目的とすべきである。
 ウィリアム・ブラムウェルは次のごとく言っている。
 「ここにはこの世も、自我の騒音も一切が去ってしまう。そして思念に神の御像の全き印象を受けるこの所で、君は彼に在りて、また彼の御為に一切のことをなしつつ、語りまた歩め。絶えず祈れ、そのおる家ごとに、その交わるいずれの社会にても、何事にもキリストに依り頼め。すべてのことは彼により、彼より出で、彼に帰するのである」と。

第二、信仰によって、エノクは‥‥‥神の喜ばれた者と、
あかしされていたからである

 我らは信仰をば「神に対する愛情ある信任」と称えた。神がその御意に適うと証したもうは、この信仰についてである。しかり、かかる信仰は必ずその証を伴う。我らもし誰かに対して愛情ある信任をもつならば、必ずそれがその人に喜ばれることを疑わないであろう。
 我ら信仰なしには神を喜ばせ奉ることはできぬ。されば神が我らの霊魂に対し御前に喜ばれる者と証したもうは、我らの信仰に対してである。我らがすべての恐怖、疑惑、狐疑から救い出され、かく神を信じ得るは、まさにこの地上における天の経験である。前にも引いた、かのウィリアム・ブラムウェルは友人に書き送ったその書翰の中に、この信仰について次のごとく言っている。
 「私はこの数ヶ月間、この点に達したいと心を労していた。……主はこの恵みを与えたもうた。私は今、『愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます』(ヨハネ一書四・十六)という聖言を痛切に感ずるようになった。……私は悲しむ、されどその悲しむは神に在りてである。私は喜ぶ、されどその喜ぶは神に在りてである。私は語る、されどその実、神が語りたもうということを知る。私は随分試みられるが、神に在りて動かされぬ。君がこの酒杯を戴く時、その結果は己の騒々しさの止むことである。自己の空しき者となることを恐れる、そんな卑劣な恐れはなくなり、霊魂は神の中に落ち着く。そしてどんなことが降りかかってもそれに応ずる覚悟ができている。今や霊魂は忍ぶべき何の悪をも思わぬ。おお、神の臨在のこの天よ!! 栄光に至るこの道よ!! 失われたる世のためのこの涙よ!! 教会のために生命をも棄てんとのこの願いよ!! 神は一切にて在す。……ここに自己と世と悪魔との喧噪は止む。心中のすべてが燃え、すべてが安息する。しかもすべてが衷に静かである。目はしかと見つめ、霊魂は堅く立ち、舌は解けて自由になり、一切は御霊に感動されている。ここで主は教えたもう。主はまた絶えず供給したもう。アーメン。」
 この言葉のごときかかる証には、神との交わりがどんなものであるかがいかにも正確に叙述され、聖父、聖子、聖霊との交通のすべての特色がそこに描写されている。そして人の心を潔め、霊魂の最奥の聖所に聖霊を導き入れるところのかの『主に対する愛情ある信任』こそ、かかる交通の秘訣である。

第三、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に
報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである

 既に注意したように、エノクの場合においては彼の神と偕なる歩みと交わりにつき何ら詳細のことは示されておらぬが、我らはその源泉と秘訣が信仰であったということを知る。私は今その信仰を描き出さんとするも、我らの前にあるこの節には、ただ信仰の初めの階段、すなわち神と出会うべく指定された場所とも言うべき、神交の生涯の初めの条件が示されているのみである。そしておそらく、これが我らのぜひ知るべきことの一切であろう。何故なれば、神との交通の生涯は、これら初めの原則と条件とを引き続いて保持して行くことであるからである。『あなたがたは主イエス・キリストを受けいれたのだから、彼にあって歩きなさい』(コロサイ二・六)であるから、彼に来る道がわかれば、彼と偕に歩む道もわかる次第である。
 これらの最初の原則、すなわち信仰生涯の初期は、ここに以下のごとく示されている。
  一、神のお招きを受け入れること
  二、神の不変の臨在を信ずること、
  三、神はご自身を求める者に報いることを大いに欲したもうとの確信
 されば我ら今これらのことを学ぼう。

一、神の召しを受け入れること

 『神に来る者』とは、ちょうど信仰生涯の経験における発端を言い顕す語である。『来る』という簡単なるこの一語に何たる美わしい響きのあることぞ。これは福音の使言の髄である。「すべての人罪を犯したり」がキリスト教の福音のAで、「神の小羊を見よ」がそのBならば、「我に来れ」は確かにそのCである。『来る者』という語ははなはだ明白である。それは「神の方へ引きずられ、または追いやられた者」ということでなく、『あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう』(テサロニケ前書五・二十四)との恵み深いお招きを聞き、これに応じた者のことである。福音書を熟読して、我らは救い主の『来れ』と仰せられるほどまた度々、『往け』と仰せられたことを知る。我らの彼に『来る』ことは、また『往く』という結果を生ずるのである。もし我らの主に来ることの結果が、『神があなたにどんなに大きなことをしてくださったか、語り聞かせ』るために『往き』(ルカ八・三十九)、『全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝え』るために『往き』(マルコ十六・十五)、『まず行ってその兄弟と和解』するために『往き』(マタイ五・二十四)、『あなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施』すために『往き』(マタイ十九・二十一)、『道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりひっぱって』来るために『往く』(ルカ十四・二十三)に至らぬならば、それは実際神の恵み豊かなお招きに応じたというものであるかを疑わざるを得ぬ。また一方において、我らはその生涯の使命を果たすために出で行かんとする前に、まず真に我らの神に来ているかどうかと、そのことを確かめねばならぬ。嘆かわしきことには、我らは例えば、しばしば伝言し、進物を差し出し、要求し、嘆願し、必要な供給や恩恵を求め、電報電話を発するようなことはなすが、ただそれで満足して、自分で『来る』ことをせぬ。神に来るとは、我らがそのありのまま、すなわちその高慢、罪悪、我意、我欲、荏弱、気儘、懶惰、微温のそのまま、我ら自身を今もなお招きつつありたもう主に持ち来ることである。もし我らがかく我ら自身を持ち来らぬならば、畢竟彼のお招きを信ぜぬのである。そういう状態では、宗教的でないとは言われぬとしても、なお律法的であると言わねばならぬ。シナイ山から響く誡めを聞き得るのみで、罪人の救い主であり得る前にまず罪人の友となりたもう、この主の思し召しに応ずる信仰を働かせたことがないのである。
 ルカ伝第十八章にパリサイ人と取税人との譬えが細説されているが、すぐその後に、主が実地にこの二種の人物に会いたもうたことが記されている。若き宰とザアカイの物語がそれである。主は前者に『往け』と言い、後者には『来れ』と仰せたもう。このパリサイ人は、自分の生命の道につき少しく進んだ教訓を要するだけであると思っていた。だから救い主は愚者にその愚に応じて答え、『往け』『なせ』と命じたもうたのである。彼が踵を返すや否や、主がその弟子に語りたもうた、富める者の天国に入るは人には為しがたきことであるとの御言を、彼も微かに聞いたであろうが、彼はいかに速やかにその御言の真実なることを見出したことであろうぞ。さても! そしてこの世の財には富みながら、霊においては貧しき者であり、また義に乏しき者であり、しかも有難いことには、自らそれを熟知せしめられていた取税人に対しては『急いで下りてきなさい』、そして我はただあなたの家に入るのみでなく、あなたの心に入るであろうと仰せたもうた。直ちに奇蹟は行われ、この富める者は救われたのである。人には不可能のことも、神が御手に取りたまえば誠に容易である。パリサイ人は財布のひもを締めながら憂えて去ったが、取税人は貧しき者に施し、天に財を蓄えるため、手形を書き、貯蔵物や所有株を売り、贅沢なその邸宅を売り払わんと、心に喜びつつ家路に急いだ。
 エノクは神と偕なるその歩みをば、神の指定したもう出会所から始めた。彼は神に来た、彼は彼自身を持ち来った。その自己も、良きも悪しきも無頓着もみなそのままに神との出会所に持ってきたのである。彼は神の軛を負うためにその所に来た。この軛は、道に迷ったり道草を食ったりせぬよう、彼を堅く主に結びつけるものであった。彼の神と偕なる歩みはかくして始まった。彼は万軍の主の恵み深いお招きを全く、すなわちその心を尽くして信じたのである。しかり、彼は信じつつ、来り、体験し、そして讃美した。実に彼は来た、彼は見た、そして彼は神に打ち勝たれたのである。

二、神の不変のご臨在を信ずること

 六節の第二句は聖霊がエノクの信仰の第二期を言い顕すために用いたもうところで、文字通りに言えば『神の在すことを信ぜねばならぬ』である。もし神に来ることが信仰の働きであるならば、神の臨在を信ずることは信仰の安息である。神の臨在は決して変わらぬもので、常住の実在である。『われ在り』はエホバと同意語である。されば神に来る者は神の在すことを信ぜねばならぬ。これは絶対命令である。すなわちもし人が神を喜ばせたいならば必ずこれを信ぜねばならぬ。そしてこの『在す』という小さい語には、恵み深く在す、怒ること遅く在す、憐憫に富みて在す、救いを施すに真実に在し、これを欲しつつ在し、またその力を持って在す等、種々の語を加えて信ずることができる。しかり、我らはなお多くのことを加えねばならぬのである。『在す』は常に現在時を表す語であるから、もし我らがそのありのままに神の指定したもう所に来たならば、神は受け入れつつ在す、赦しつつ在す、浄めつつ在す、満たしつつ在す、その約束を成就しつつ在すということを信じ、今ちょうどこの瞬間にかくなしつつ在すと信ぜねばならぬ。神のお働きは常に現在の事実である。しかるに悲しいことには、この所に達する者が実に少ない。多くの人は、神はいつか、いかなる仕方でか、どこでかこのことを為し、窮乏に苦しむ霊魂のために一切となりたもうであろうと信ずることはできるが、さきに言ったように現在かく『神在す』と信ずるかと言えば、悲しいかな、敢えてなし得ぬのである。
 ジョン・ウェスレーは「全き聖め」の問題について以下のごとく言っている。
 「……日毎に、刻々に、瞬間ごとにこれを期待すべきである。さればもし君がそれを信仰によると信ずるならば、何故にこの時この瞬間にそれを望むことができないであろうか。君が信仰によって聖化を求めつつあるか、わざによって求めつつあるかは、確かにこれでわかる。わざによるならば、君が聖められる前にまず何事かなすことを要する。すなわち「まずかくかくあらねばならぬ、或いはかくかくなさねばならぬ」と考える。されど信仰によって聖められるならば、君のそのありのままでそれを期待することができる。そしてありのままでならば、今それを望むことができる。されば信仰に由ってそれを期待すること、ありのままでそれを期待すること、今それを期待すること、この三つのことの不可分の関係を注意するは肝要なことである。この三つのことの一つを否むは、すべてを否むことになる。君は信仰によって聖められると信ずるか、さらばこの原則を堅く守り、そのままでこの恵みを望め。すなわち、より善くでもより悪くでもないそのまま、キリストの死にたもうたということのほかには何の払うべきものも、何の弁疏すべきことももたぬ哀れな罪人たるそのままで、この恵みを望め! かくそのありのままでそれを期待するならば、今それを期待せよ。何事のためにも停滞するな、何の躊躇すべきことかある、キリストは用意していたもう、そして彼は君の求める一切で在す。彼は君を待って在す。彼は戸口に在す。」

三、神は、力を尽くしてご自身を求める者に報いることを、大いに欲したもうとの確信

 神は力を尽くして己を求める者に報いる御方なることを信ぜねばならぬ(英欽定訳)

 エノクは神に会うべき出会所に往き、神の臨在の何ら見るべき徴なきにかかわらずそこに神在すと信じた。彼は自己の訝る心に向かって、「神在す、しかり、たとえ彼を見奉らずとも神はその約束に従ってここに在す」と言ったのである。されどなお彼はそれだけで満足しなかった。彼はその隠れて顕されぬ臨在、しかも彼が決して疑わぬところのその臨在は、心を尽くして熱心に求めるならば彼に顕されると敢えて信じたのである。しかし注意を要するは、エノクが神を求めたのは、神が臨在したまわぬからこれを求めたのでなく、彼はそれがまだ自分の意識に顕されずとも既にそこに在すを認め、これが顕現を求めたということである。哀しいかな、多くの人は神の臨在を求めるがこれを信ずることをせず、なお多くの人は信ずるも求めることに力を尽くさね。彼らはただ暢気な安価な浅薄な信心主義で、「信じます」と言って落ち着いている。されば彼らは決して神を見出さず、況わんや「神と偕に歩む」など言うことは決してないのである。勝ちを遂げる戦勝的信仰、神を喜ばせ奉る信仰は、神の召しに順って来り、敢えて神在すと信じ、そして臨在の顕現によってその願いの報いられることを信じて神を求めるところの霊魂の態度である。
 我らは信ぜずして求めることを警戒するごとくに、また主ご自身を求めずして信ずることを警戒したい。そして主を求めるにあたって『神の……ご自身を求める者に報いて下さることを、必ず信じるはずだからである』というこの聖句にある秘訣に注意を払いたい。これは神の本質的ご性質である。我らのなすべきことは、報いを与えることを欲せぬ神を無理に説き落とすことでなく、報いを与えることを大いに欲したもう神を信ずることである。神は我らの要求するよりも遙かにまさってその僕に報いることを欲したもう。しかるに我らは、神の与えんと願いたもうその御心よりも、我ら自身の篤き願い、熱心な求めに、その信仰を集中することがしばしばである。この原則を明瞭に会得することは、我らが神の御顔を求めるために勇気と希望と決意を与えるものである。『我らは神は報いを与える御方であることを信ぜねばならぬ』。既に言ったこれらのことは、主ご自身を捜し求めることの秘訣であり、神の悦びたもうことであり、また神と偕なる歩みを可能ならしめるところのことである。そしてまたいつまでも主と偕におるべく御許に移されることを確実にする所以である。
 さて終わりに臨んで、さらにこれを強調すべき言葉を付け加えたい。私は既に、エノクの物語にて我らはただ信仰の初めの階段を示されるのみであると言い、またよくこれを知れば我らにとって充分であると言った。しかり、ここに一人の大聖徒の、簡単でしかも鮮明な数語で言い顕しおる学課がある。これを記憶すれば充分である。彼は、心を潔め、それを聖霊をもって満たし続ける信仰について書いた文中に、次のごとく言っている。
 「天の父が君の信仰の行為を基礎とせずしてその契約を守りたもうとは、決して期待すべきでない。この信仰は時計の振り子のごときものでなければならぬ。すなわち霊魂全体を活動せしめるためには、信仰も活動し続けておらねばならぬ。君の信仰の増進するにつれて君は一層迅速に上達し、一層疾く進み行き、一層多く労し、一層篤く愛し、一層大いに喜び、授けたもう酒杯を一層楽しく飲むであろう。……私は、今にまさってなお楽しく、信仰に由ってこの天の国に歩んだことはない。私はそこに相交わる交友を見、その中に生活している。何となれば、我らは数えがたき天使の群れ、全うせられた義人の霊のおるところに来ているからである。」
 コーンウェルの農夫であった古の聖徒ウィリアム・カルボッソーもこの同じ真理を彼一流の独得な言い方で、「私は、神的生活に進歩をなすためには、瞬間ごとに自己をキリストに投げかけねばならぬということを悟った。信仰の一行為は私を一段引き上げるけれども、信仰の一行為だけでは間に合わぬ。……主が近頃教えたもうたところは、一つの霊感、すなわち一つの呼吸で生きることはできぬ、呼吸し続けることによってわが肺に電気のような生命の火を吸い続けねばならぬように、私は信仰し続け、わが霊魂に福音の真理とともにイエスの愛の神的霊火を受け続けねばならぬということである」と言っている。かくのごとく、我らはその始めたごとくにまた続け行くべきである。我らが見出したごとくにまた見出し続け、我らが主に会い奉ったごとくにまた彼と偕に歩み続けねばならぬ。
 かく我らは学んできたが、今しばし立ち止まって、これら二人の天の勇者たちの肖像をなお熟視したい。彼らはそれぞれ信仰によって上より証を与えられた──アベルは神の前に義しと証せられ、エノクは神の御目の前に悦ばれ、白き衣を着て神と偕に歩んだと証せられたのである。この後、我らがこの画廊で見るところの諸肖像は先の方面のことを教える。すなわち信仰は人を動かし、働かせて、大いなる事業、驚くべき功績を立てずしては止まざらしめる、大推進力であることを教える。されど我らはそれに向かって出発する前にここでキリスト者の霊的経験の玄関に立ち止まり、基礎的なこの秘訣をなお新しく学ばねばならぬ。何となれば、我らはこの知識なしには、かの日、各人のわざ如何を験すところのかの火に堪え得る何事をも成就しあたわぬからである。
 私はここでもまた今なお生存しおる証人を紹介したい。彼らは、エノクの神はまた彼らの神であること、またエノクが『ご自身を求める者に報いて下さる』御方として神を知り奉ったその信仰の第一原則は昨日も今日も永遠に同じであることを語る。その一人は、私が二十五年間相知るところの、神と偕に歩んでいる日本婦人である。ただ一週間前に彼女はその回心の物語を私に書き送った。その物語ははなはだ驚くべきことで、いま我らの語りつつあるその信仰、すなわち神に来り、神在すを信じ、かつ神は力を尽くしてご自身を求める者に報いをたもう御方なることを信ずる信仰を的確に例証している。されば私はここにこれを掲げよう。すなわち彼女は言う。
 「私が十八になるまでは、元気で活発で、自分の力と知恵をもって、思うまま何でもできるように考えておりましたが、十九の年に幾分かこの世の有様が見え始めました。この世は不人情で残酷で偽善、汚穢に満ちているように見えました。そうして私は自分が恐ろしく厭世的になりつつあることに気付きました。結婚期に近づきましたが、私は全く結婚生活の責任を取りたくないので、独身でおろうと決心しました。私はまだほんの子供の時に母の手から離れたのでした。私はこの世を離れて潔く生活するために隠遁の生活を送る人々のことを聞いておりましたので、そのことが私の心に新しく思い起されてきました。そうして私も仏教の尼になることができようかと、そのことを尋ね始めました。
 間もなく私ははなはだしい精神衰弱に罹りましたので、父や親類の人々はたいそうそれを気遣い、私の兄や妹たちや友人などを通じてできるだけ私を慰め励まそうとしました。私の隣村に住んでいる一人の友がありましたが、その人が私のかく憂鬱になった原因を尋ねた後、一冊の小さい本を送って、それを読むようにと勧めてくださいました。私はそれは五銭くらいする本と思いましたが、新約聖書でありますので熱心に真面目に読み始めました。そして私の心はたいそう軽くなりました。私はこの世に真の友というものがありませんでしたが、聖書を読みまして、どうやらそこに真の友という御方を見出すことができるように思われ出しました。
 父は私のこのような有様をたいそう憂えておりましたので、その心の重荷を離れたいとの願いから、環境の変化を求めて山の方へ行きましたが、その時ちょうど向かいの方からM氏の来られるに遇いました。M氏はキリスト教の牧師で、幾分父と交わりのある人でありました。挨拶を交換した後、父はその心を打ち開き、実にこの悩みを打ち明けて頼む人もなく、また助けてくれる人もないと語りました。父はM氏とは久しく会わず、彼のことは忘れておりましたが、父はいま彼に会って、それは偶然でなく天よりの引き合わせと思ったのであります(キリスト教を知らない父はこのように言い表すのです)。そこで父はM氏に、自分が頼んだことを言わずに私を訪ねるよう、依頼したのであります。
 M氏は別れる前に、路傍で神のご指導と恩寵と知恵を祈り求め、その日からしばしば私を訪ね、種々と話してくださいました。私もまた新約聖書を読み続けました。この聖書は今に至るまで、私の慰めと励ましの源泉となっております。ですがそのとき聖書は、圧倒するばかり、私の罪を示しました。何とて全き所のない、かかる者でありながら、今日まで自分は義しいと考え、ほかの人をみな軽蔑しておりましたことぞ。今はそれがその反対であるということを見ましたので、私は全く失望しました。終いに私は生命を棄てようと決心しました。ただ如何にしてか他人の迷惑にならぬようにこれを実行したいとそれを考えておりました。そのとき私は二十歳でありました。その四月二十六日の夕方、私は私の家に近い河に行き、滾々と流れる水を眺めて立っていました。私がそこに立って死について考えていました時、急に光明の一線が霊魂に照り込みました。「来世がある!! 霊魂は決して死なぬ!! 霊魂は審判の座に裸体で立たねばならぬ!!」こう考えて来れば私は死なれぬ。さればとて生きることもできぬ。そのとき突然と私の妹たちが私を呼ぶ声を聞いたので、彼女らに伴われて家に帰りました。
 これより少し以前のことでありますが、私は米国聖書会社のルーミス氏の書かれた驚くべきトラクトを読んだことがありました。その要点はこうであります。日清戦争の時、支那の捕虜が広島に送られていたので、ルーミス氏は許可を得て聖書やトラクトをもって彼らを訪問された、その捕虜の中に一人の士官がありましたが、彼はそんな書物に何の用もなく読む暇もないといった態度でありました。けれども幾程もなく、彼はその営舎で犯した罪のために、軍法会議に附せられ死罪の宣告を受けました。かく死に直面した時に、彼は不安に堪えられず、「おお神、もし神が在すならば、何卒ルーミス氏を今一度この獄に送り、私に安心の道を教えたまえ。もしこの祈禱が答えられて、ルーミス氏が私を訪うて下さるならば、私はあなたが活ける神様であることを知り、そしてルーミス氏があなたからとして告げ示されることはみな受け納れましょう」と祈ったそうであります。ところがその夜、ルーミス氏は夢にこの士官の顔を見、しかもそれがあまりに鮮やかで現実であったので、氏は彼に何事か起こったのではないかと心配し、彼の様子をたずねるために広島へ急いで行かれたそうであります。
 広島に行き、事情を聞いて氏は大いに驚き、なお彼が健康でおるを見て安心された。士官は驚きと有り難さで心を満たされ、その話を告げ、ルーミス氏は彼をキリストに導かれたそうであります。その時この光景を見聞きした担任士官を通じて、彼の処刑は一日延ばされ、次に三日延ばされ、一週間延ばされ、一ヶ月延ばされ、さらに六ヶ月の延期となり、終いに全く死刑を中止され、平和になった後、支那に送り還されて福音宣伝者となったということであります。
 私は今この話を思い出し、私も今は全く失望しておりましたので、この同じことをしようと決心しました。私は「おお神様、もしあなたが神にて在すならば、どうぞ私に安心の道を示すためにM氏を送ってください。されば私もまたあなたが活ける神様で在すことを知り、M氏があなたからとして告げなさることをみな受けましょう」と祈りました。その夕、薄暗くなるころ、申すも恥ずかしいことでありますが、わたしは心の中に私の祈りが聞かれるであろうとほんのかすかな信仰をもって、窓のところに坐っていました。その時、M氏が私の家の門の方に近づき来られるを見、早くお目にかかろうと飛んで出ました。M氏は私を見ることを驚かれた様子で、「昨夜私は夢にあなたを見ました。そしてあなたに何事か起こったではないかと感ずるほど、あまりにありありと見ましたので、私の妻は今日お訪ねしてお目にかかるよう勧めましたが、私は漸くこんなに遅くお伺いすることができました」と言われました。私が、神の現実に私の叫びを聞いてくださったことを見ました時、私の喜びがどんなにあったか、想像なさることができると思います。
 私は心も思念も打ち開けて耳を傾け、この牧師の仰せられることをばみな神ご自身からとして受け納れました。その時から、私の罪と失望の二十年間の事共はすべて私の記憶の書から消されてしまい、一切の疑惑もなくなりました。私は今、すべての人の思いに過ぐる平安に入っております。そして、詩篇の記者のように『わがたましいよ、主をほめよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なるみ名をほめよ。わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。主はあなたすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを墓からあがないいだし、いつくしみと、あわれみとをあなたにこうむらせられる』(詩篇百三・一〜四)と叫び出すことができるようになりました」と。
 神は心を尽くしてご自身を求める者に対して、いかにその報いを与えることを欲したもうことぞ! ここに私が述べたこの物語のうちの二人は、共に神につき、またその道につき無知なる異教徒であるが、御霊に導かれ、(自らそれとは知らざれど)昔のエノクが成し遂げた三重の条件を果たした時に、彼らもまた神を求めて神を見出し、また啻に神に帰り永遠の生命を見出したばかりでなく、その生涯を通じて義と聖とをもって神と偕に歩む秘訣を学んだのである。



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