第十三 愛によって労する働き
七章十一、十二節『わが愛する者よ われら田舎にくだり 村里に宿らん われら夙におきて葡萄や芽しゝ 莟やいでし石榴の花やさきしいざ葡萄園にゆきて見ん かしこにて我わが愛をなんぢにあたへん』
明日、御各自がこの山を下りなさいます時に、主はこの十一節、十二節のような招きを与えたまいます。主はこの言をもってあなたを誘いたまいます。私共はこのたびここで面帕なく主を見ることを得ました。この主は幸いに今よりあなたと共に田舎に下りたまいます。その寂しい伝道地に一緒に行きたまいます。そうですからここで幸福を得ましたように、途中でも主と交わりて幸福を感ずる事を得ます。またそれのみならず、この大いなる約束があります。『かしこにて我わが愛をなんぢにあたへん』。おお、かしこにて。主はあなたをこの山に導き、ここでその愛を示し、またその愛を与えて、霊的結婚によってあなたと一つになりたまいました。けれどもなお明らかに、なお親しく、またなお熱い愛をもって『かしこにて我わが愛をなんぢにあたへん』と言いたまいます。
そうですからあなたは必ず心の中より罪人に勧める事を得ます。
八章一節より三節までは、罪人に勧めるところです。どうか罪人が救われるようにと願い、愛の心、愛の言をもって罪人を導きとうございます。またそれのみならず、
八節 を見ますれば、未だ熟せざる信者のために祈る事を得ます。愛に動かされ、愛に励まされて若い信者のために熱心に祈る事を得ます。そのような信者もどうか聖霊のバプテスマを得、全き愛を受け、主と一つになることを願います。
十一節 を見ますれば、私共のソロモン、すなわち私共に平安を与える王はご自分の葡萄園を有っていたまいます。これは私共の責任ではありません。私共の伝道地ではありません。王の王たる新郎の葡萄園であります。主は必ずそこから栄光を得たまいます。
十二節『われ自らの有なる葡萄園われの手にあり ソロモンなんぢは一千を
いま村々町々の有様を見れば、汚けがれ果てているかも知れません。けれども私共の主は必ず栄光を得たまいます。十字架のために一千の果みを結びたまいます。主は必ず満足を得たもうまで、罪人つみびとの救いを見たまいます。
また主のみ栄光を得たまいません。この節の終わりを見ますと、その果みを守る者も報いを得ます。主の愛によりて全き報いを得ます。主はそのような心を有もっていたまいます。今あなたは愛によりて労し、心の中うちに悲しみも苦しみもあり、死の足跡を踏みなさるでしょうが、主はあなたのために全き救いを備えていたまいます。あなたの労に報いるために全き褒美をいま備えていたまいます。そうですからどうぞ大胆に力を尽くして、耐え忍んで主の葡萄園において働きたいものであります。
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