開 か れ た る 天

バックストン敎師講演



 イエス ナタナエルのおのもときたるを見かれをさしいひけるは まことのイスラエルの人にしてその詭譎いつはりなき者ぞ ナタナエル イエスにいひけるは 如何いかにしてわれしりたまふ イエスこれこたへいひけるは ピリポがなんぢよばざる先に無花果樹いちじくしたなんぢをれるを見たり ナタナエルこたへいひけるは ラビなんぢは神の子なり なんぢはイスラエルの王なり イエスこたへいひけるは なんぢ無花果樹いちじくしたをれるをわが見しといへるによりなんぢ信ずるか これよりもおほいなる事をなんぢみるべし 又いひけるは われまことにまこと爾曹なんぢらつげん 天ひらけて神の使等つかひたち人の子の上に陟降のぼりくだりするを見ん (ヨハネ一・四十七〜五十一


 これよりもおおいなる事をなんじみるべし。神は度々こういう勧めを私共わたくしどもに与えたまいます。旧約全書また新約全書を見ますれば神は種々いろいろなることばをもって私共の信仰を励ましたまいます。私共は今までどれだけの経験があるにもせよ、神は今一層深き経験、厚きめぐみを与えたまいとうございます。私共はただいま愛する一人の兄弟より信者たちの三つの階級を学びましたが、私共各自めいめい今日こんにちいずれの階級に立ちておりましょうか。それは実にいろいろでございましょう。けれども神は今日こんにち確かに私共各自めいめいを一段進め、新しき経験を与えたもうことが出来ます。また実にこれを与えんことを望みたまいます。

 これよりもおおいなる事をなんじみるべし。神は今あなたがた各位ごめいめいにこの大いなる約束を与えたまいました。あなたがた各位ごめいめいに今までの経験に一層まさりたる新しき経験を与えんとおおせられました。実に嬉しいことではありませんか。あなたはこれまで既に救いを得ましたから必ず心のうち喜楽よろこびがあり、また希望のぞみがございましょう。けれども今日こんにちこれよりもおおいなる事をなんじみるべし。またあなたは今日こんにちまで漸々だんだんめぐみを受け、心にキリストを覚えまして嬉しうございましょう。けれども今日こんにちこれよりもおおいなる事をなんじみるべし。またあなたは昨晩さくばんこの集会あつまりにおいて新しい経験を得ましたでしょう。あなたは確かにきよめを受けて新しき神の栄光と主イエスの救いの聖能みちからを見ましたでしょう。けれども今日こんにちこれよりもおおいなる事をなんじみるべし。おおこれは実に嬉しいことではありませんか。私共の父、慈愛深きまことの神は、かくのごとく私共に愛の勧めをなしたまいます。またエレミヤ記三十三章三節を見れば

 なんぢわれよび求めよ われなんぢこたへん 又なんぢしらざるおほいなる事と秘密かくれたる事とをなんぢに示さん

とございます。神は私共に新しきことを示したまいとうございます。私共の今まで知らざる大いなることを示したまいとうございます。私共に隠れたる奥義おくぎを示したまいとうございます。なんじわれによび求めよ われなんじこたえん、またなんじしらざるおおいなる事と秘密かくれたる事とをなんじに示さんと神はおおせたまいます。また私共はこの集会あつまりにおきまして特別に神に呼び求めますから神は必ず私共の求めに応じて私共の今まで知らざる大いなる事と隠れたる奥義おくぎとを示したもうに相違ありません。

 これよりもおおいなる事をなんじみるべし。神が今日こんにち私共に示したもう大いなることとは如何いかなるめぐみでございましょうか。どうぞ五十一節をご覧なさい。

 又いひけるは われまことにまこと爾曹なんぢらつげん 天ひらけて……

 おおこれは神が今日こんにち私共に与えたもう新しき経験でございます。実にこれは大いなるめぐみであります。天のひらけること……天のひらけること……ヤコブは一度天のひらけることを夢に見ました。けれどもこれはただ暫時しばらくあいだのことです。しかしこれは誠に幸いなる経験でありましてヤコブはこれによりて一生涯の幸いを得ました。この時ヤコブは心のうちに新たに神を見ることができました。それゆえに、これはただ暫時しばらくあいだの夢であったが、その結果はヤコブの一生涯に及びました。けれども新約の神のめぐみはそのようなものではありません。決してかくのごとく暫時ざんじあいだのものではありません。神は私共のために今日こんにちただ一度ばかりちょっと天をひらきたくはありません。神は私共をして今日こんにちを始めとしてこれからいつまでも断えずひらけたる天のしたに清き生涯を送らせたまいとうございます。ゆえに私共は信仰をもって今より断えず開けたる天のしたりて神の聖顔みかおを拝することができます。私共は今より絶えず開けたる天のしたりて聖霊みたまを受くることができます。われまことにまこと爾曹なんじらつげん 天ひらけて神の使等つかいたち人の子の上に陟降のぼりくだりするを見ん。おお私共の今までてる心の苦しみまた悩みはどこからきたるかとなれば、これは実に私共のために天が閉じておったからでございます。また天が閉じておりますから神の聖顔みかおを拝することができなかったのであります。しかるに神は今日こんにち私共のために天を開きて、私共をして御自分の愛の聖顔みかおを拝せしめたまいとうございます。また私共に聖霊みたまを与えたまいとうございます。また私共をして真実ほんとうに天国にける者とならしめたまいとうございます。おおこれが今日こんにち神が私共に対して望みたもうところであります。

 皆様も御存じの通り、私共のために今日こんにちまで確かに天が閉じられておりました。すなわち罪がこの世の中にはいりたる時、天は人間の上に閉じられました。創世記三章二十四節を見ますれば

 かくその人を逐出おひいだしエデンのそのの東にケルビムとおのづから旋轉まはほのほつるぎおき生命いのちみち保守まもりたまふ

と記されてございます。実にこの時までは人間は開けたる天のしたに幸いなる生涯を送っておりましたが、この時天国より追いいだされ、神の聖顔みかおを拝することも天の聖光みひかりを頂戴することもできぬようになりました。そして私共は確かにこのことを経験しました。罪人つみびとであるうちは天は私共の上に固く閉じておりますから私共は神と和平やわらぐことはできません。また神に祈るみちさえ絶えましたからもちろんれいなる喜楽たのしみを得ることはできません。しかるに私共は長きあいだそれを構いませんでしたが、一度心のうちに幾分かそのことが分かりました時には『わざはひなるかなわれ滅亡ほろびなん』と叫びました。おお私共のために天が固く閉じましたから私共の心は暗く、また悩み、また苦しみ、また失望をもって満たされました。これは実に罪人つみびとの心の模様でございます。また申命記二十八章二十三節を見ますれば、不従順者したがわざるものの上に閉じられたる天の模様が記されてございます。

 なんぢかしらの上なる天はあかゞねのごとくになりなんぢしたなる地はくろがねのごとくになるべし

 おお実に私共はこれを経験いたしました。天があかがねのごとく閉じておるから私共は神に近づくことができません。また神に祈る道さえ全く絶えておりました。しかるに私共は一度いちど主イエスを信仰してそのすくいを受けましたからこのあかがねのごとくなりし天も幾分か開けまして幾分か神に近づき、また幾分か神のれいなる感化を頂戴することができました。けれどもこれはいまだ全く天が開かれたというものではありません。旧約時代のイスラエルびとは幾分か神の聖前みまえいでて、神の光を頂戴し、また幾分か神を讃美し、また祈ることはできました。けれども彼等は全く神の聖前みまえいずることを許されません。殿みやうち至聖所いときよきところにははいることはできません。すなわち神の全き交通こうつうを受くることができませんでした。けれども新約時代の私共は神の全き交通まじわりを受くることができます。私共は殿みやうち至聖所いときよきところり、神の愛の聖顔みかおを拝し、その聖光みひかりを仰ぐことができます。すなわち私共のためには天が広く開かれます。おお実に嬉しいことではありませんか。実に幸いではございませんか。天ひらけて……。おお神は今日こんにち私共にこのめぐみを得させたまいとうございます。この大いなるめぐみをあなたがた各位ごめいめいに与えたまいとうございます。おお今日こんにちこの集会あつまりる兄弟姉妹のうちいまだ少しもこのめぐみを経験せざる者はありませんか。また幾分か光を得ましたけれどもいまだ十分なる光、十分なる喜楽よろこびを得ざる者はありませんか。おお神は今日こんにちこの集会あつまりの上に天を開きたまいましてあなたがた各位ごめいめいに新しき経験を確かに与えたまいます。

 これよりもおおいなる事をなんじみるべし、天ひらけて…… おお天が私共のためにひらけますなればどういう経験を与えられますか。どうぞまずエゼキエル書一章一節をご覧なさい。

 第三十年四月の五日にわれケバルがはほとりにてかのとらへうつされたる者のうちにをりしに天ひらけてわれ神の異象ゐしゃうを見たり

 おお天がひらけますなれば私共は第一に神の異象を見ることができます。神の異象……神の愛の異象、神のちからの異象、神の聖なる、聖なる、聖なる異象を見ることができます。おお兄弟姉妹よ、あなたがた各位ごめいめいに神は真実ほんとうに神の異象を見せたまいとうございます。先祖の時代にはほかの人に教えられて神のことを幾分か知りました。また今でも或る信者たちはほかの者の得たる経験によって教えられ幾分か神のことをさとりたる者がたくさんにあります。けれども真実ほんとうに自分の心に神を見たる信者は誠に少数でございます。それゆえに神は今日こんにち私共に御自分を顕したまいとうございます。あなたがた各位ごめいめいの心のうちに御自分の異象を示したまいとうございます。おお兄弟姉妹よ、今日こんにち神のこの異象を明らかに見るまでは決して満足なされますな。おおどうぞ天ひらけて神の異象を見んことを求めよ。実に神の愛の異象を見れば、あなたの心は必ず燃ゆるほのおのごとき愛をもって満たされます。神の大能たいのうの異象を見ればあなたは必ず人間を恐るることのなき者となります。また神の聖なる異象を見ればあなたは必ず罪をにくみ清き生涯を送らんとする熱心に満たされます。おおどうぞ今日こんにちこの集会あつまりにおいて天ひらけて神の異象を見んことを求めよ。

 第二にはルカ伝三章二十一、二節に記されたる経験を得ます。すなわち

 イエスもまたバプテスマをうけいのれるとき天ひらけ 聖靈鴿はとの如きかたちにてその上にくだりぬ 又天より聲あり いはく なんぢはわが愛子あいし わが喜ぶ所の者なり

 おお天ひらくれば必ず聖霊がくだりたもうて私共のうちに宿り、また私共は神の聖声みこえを聞くことができます。ペンテコステの日においても弟子たちの上に天がひらけて鴿はとのごとくほのおのごとき聖霊が彼等の上にくだりました。そうしてこのペンテコステはただ一度いちどの経験のみではありません。今日こんにちはすなわちペンテコステの時代です。ゆえに神は今日こんにち私共にこのめぐみを与えたまいとうございます。ただに今日こんにちのみならずこれより絶えずペンテコステにあずからせたまいとうございます。おお今日こんにちこの集会あつまりの上に天ひらけて、あなたがた各位ごめいめいのうちに聖霊が満ちたまえば、あなたは最早これまでのごとき失敗をなすことなく、あなたのうちには絶えず聖なる喜楽よろこび、聖なるちから、聖なる平安をもって充たされるようになります。おお実に幸いなる経験ではありませんか。

 それから第三には黙示録十九章十一節をご覧なさい。

 われまた天のひらくしに一匹の白馬しろむまあり これのれるもの忠信また誠實まこととなへらる かれは義を審判さばき戰爭たゝかひせり

 ここに記されたるは主イエスです。ヨハネは天のひらけるを見ましたから主イエスの聖能みちからがわかりました。その時代には悪魔は大いなる力をもって信者を苦しめました。またその時代には地上に大なる罪悪が行われ、罪の力はどこにも満ちておりました。けれどもヨハネは失望することなく忍耐をもって天を仰ぎ見ましたが、その時天ひらけて主イエスの聖能みちからを見ることを得ました。おお兄弟姉妹よ、もし私共が断えずひらけたる天の下に清き生涯を送りますなれば何日いつでも主の聖能みちからを見ることができます。そうして私共は断えず聖なる喜楽よろこびと平安に満たされます。私共は周囲にる罪の洪水を見ます時に、また悪魔の力を見る時に、また教会の弱き有様を見ます時に、時々失望があるかも知れません。けれども天を仰ぎ見て主イエスの聖能みちからを見ることができますなれば、私共は心のうちに断えず勝利を歌うことができます。おおこれは実に幸いなる経験ではありませんか。

 おお兄弟姉妹よ、天があなたのためにひらけますなればあなたはかくの如き喜楽よろこびがあります。すなわちあなたは神の異象を見ることができます。またあなたは聖霊を受くることができます。神の聖声みこえを聞くことができます。またあなたは確かに主イエスを見ることができます。主の栄光、主の権威、主のちから、主の救いを見ることができます。

 おおこの嬉しき経験はどなたが頂戴いたしますか。おおこの集会あつまりうちにナタナエルがありますなれば必ずその人はこのめぐみを頂戴します。さればナタナエルはどういう人でありましたか。どうぞ四十七節をご覧なさい。

 イエス、ナタナエルのおのもときたるを見かれをさしいひけるは まことのイスラエルの人にしてその詭譎いつはりなき者ぞ

 これは主イエスの聖言みことばです。まことのイスラエルの人にしてその心詭譎いつわりなき者ぞと。これによって見れば第一、心に詭譎いつわりなき者は主よりこの経験を頂戴することができます。実にこのめぐみを受ける者はその心に詭譎いつわりなき者ばかりです。或る者はこういう集会あつまりに参りまして、幾分か感情が動きまして熱心をもって神を求め、また清めを願います。けれども家に帰りて感情が静まりましたときにその熱心が無くなります。そういう人は試みに出逢うときこれに打ち勝つことができないで罪を犯すかも知れません。そういう人はその心詭譎いつわりなきまことのイスラエルびとにあらずして、その心詭譎いつわりなる者です。そういう人はどれほど神の聖前みまえに熱心に祈りましてもその祈りは詭譎いつわりの祈りです。ただ偽善の祈禱いのりです。おお兄弟姉妹よ、罪のうちにこれほど恐ろしき大いなる罪はありません。神のこの清き山に登り聖霊に対して偽りを言うことは実に大いなる罪であります。おおどうぞ今日この集会あつまりうちにそういう恐ろしき罪を犯す者のなからんことを只管ひたすらに願います。私共神のめぐみを求むるなれば、神よりめぐみを頂戴いたしたいなれば、少しも神にかくすことなく心の有様を懺悔して、偽りなく神に身もたましいも献げて祈らなければなりません。アナニヤとサッピラは神に偽りの献物ささげものをなして神より罰を受けました。おお兄弟姉妹よ、どうぞ今日その恐ろしき罪を犯すなかれ。どうぞ今清き心をもって、偽りなき心をもって静かに神の聖前みまえでよ。

 第二、ナタナエルは静かなるところにおいて祈ることを勉めました。彼は人の目に立たざる無花果いちじくしたにおいて静かに神に求めました。おお兄弟姉妹よ、あなたもどうぞひそかなるところにおいて静かに神にお求めなさい。ただこういう集会あつまりにおいてのみならず、あなたの部屋において真心をもって神に溢るるめぐみをお求めなさい。さらばあなたは確かに大いなるめぐみを頂戴することができます。主イエスはそういうところにて静かにおのれを求むる者をご覧なさいます(四十八節)。主イエスはそういう者に御自分をあらわし、またその聖声みこえを聞かしめたまいます。主イエスはそういう者に必ずその求めに従いて溢るるめぐみを与えたまいます。

 また第三にはどうぞ四十九節をご覧なさい。

 ナタナエルこたへいひけるは ラビ なんぢは神の子なり なんぢはイスラエルの王なり

 おおあなたはかくのごとく叫ぶことができますか。あなたは真実ほんとうに主の聖前みまえ俯伏ひれふして、わが主よ、わが神よと叫ぶことができますか。さらば主はあなたのために必ず天を開きたもうて、あなたは確かに神の異象を見ることができます。あなたは聖霊を頂戴し、また主の聖能みちからを見ることができます。おお兄弟姉妹よ、神は今あなたのために天を開きたまいとうございます。今まであなたのかしらの上なる天はあかがねのごとく閉じておりました。けれどもあなたが真心をもってすべての罪を懺悔してこのめぐみを求むれば、神は確かにあなたのために天を開きたまいます。おお今この集会あつまりの上に広く天が開けますなれば、私共は一同にペンテコステのめぐみあずかることができます。どうぞ信じてお求めなさい。おお主はいま私共のために天を開きたまいました。しかのみならず主はとうと御血おんちをもってあなたと聖顔みかおとの間の隔てを全く取り除きたまいました。今まであなたが犯したる罪、また心の不義も、その血潮のちからによって全くきよめたまいました。それゆえにあなたは面帕かおおおいなくして神の聖顔みかおを見ることができます。どうぞ全く不信仰を棄てていま神の聖光みひかりを受けよ。またこれから絶えず開かれし天のしたにて神の光のなかを歩み、完全まった幸福さいわいをお受けなさい。これは私共に主の与えたもう特権でございます。



|| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 目次 |