第 七 回 (三月三日午後六時卅分開會)

受 け し めぐみいひ あら は し

バンコム敎師講演



 今晩我等は諸共もろともに誠に神に感謝しなければなりません。神はこの集会あつまりの初めより大いに我等を恵みたまいまして、我等は各々おのおのいま一杯になりました。されば我等はこの時に当たり、如何いかなることをなすべきでございましょうか。これわたくしが今晩皆様と共に考えたいと思うところでございます。

 それで皆様も御存じの通り、主が天に昇りたもうに当たり弟子たちに向かいて仰せられし聖言みことばによれば、

 聖霊なんぢらに臨むによりのち爾曹なんぢら能力ちからうけヱルサレム、ユダヤ全國、サマリヤおよび地のはてにまで證人あかしびとなるべし (使徒行傳一章八節

とございます。そうすれば我等神よりめぐみを受け、聖霊に満たされたなれば、主イエス・キリストのためあかししなければなりません。どうかロマ書十章九、十節をご覧なさい。

 そはもしなんぢ口にて主イエスをいひあらはし又なんぢ心にて神の彼を死よりよみがへらしゝを信ぜばすくはるべし それ人は心に信じて義とせられ口にいいあらはしてすくはるゝなり

 これによって見れば、第一に、神の聖言みことばを聞きこれを信ずるとき義とせられますが、またその受けしところのめぐみを口をもって言いあらわす時、その救いを確かに握ることができるのでございます。されば我等いま受けしこの大いなるめぐみをいつまでも保ちたいなれば、今よりこれを人々に言いあらわさねばなりません。主イエス・キリストもかつて、神のなんじになしたまいしおおいなる事を人々に告げよと仰せたまいしことがあります。多くの信者はこのたびの集会あつまりにおいて大いなるめぐみを受けました。しかしこれを言いあらわしませんなればだんだんと失います。私は今より十四年前にこのことを経験しました。私はその時こういう集会あつまりに出席して多くのめぐみを受けましたが、一々これを記憶しません。けれども確かに覚えておる一つのことは、すなわち或る熱心な牧師が、受けしめぐみをいつまでも保ちたいなれば、まただんだんめぐみに進みたいなれば、受けためぐみを人にあかしせよと勧めました。私はたいそう感じたが、そののちしばしばこのことば真実まことなることを経験し、また大いなる助けを得ました。実に我等受けしめぐみほかの者に言いあらわせばそのめぐみは直ちに二倍になることを信じます。

 しかしながら我等はこのことにつき深く注意しなければなりません。すなわち我等が受けしめぐみを言いあらわすは、受けしおのれあかしするにあらず、与えたまいし神のあかしをなすことでございます。もし我等これを誤りおのれのことをあかしするなれば、実に大いなる害となります。先刻読みしロマ書十章九節に『もしなんぢ口にて主イエスをいひあらはし』とございます。我等めぐみを受けましても決してこれに誇るはずはありません。何となれば我等がめぐみを受けたるは自分の働きや能力ちからによって受けしにあらず、全く主イエス・キリストが得させたもうたのでございます。ゆえに我等のなすべきあかしおのれのためにあらずしてもっぱら主のためになすはずです。これ実に大切なることでございます。またヘブル書十章二十二節を見れば

 我儕われら誠實まことの心とうたがひいだかざる信仰を保ち……

とございますが、我等はこういう信仰をいつまでも保たねばなりません。御存じの通り我等の感情は毎日変わりますから、もし我等が感情にってめぐみを保とうと思いますなれば、それを直ぐに失います。しかし我等は感情にらず信仰にって受けましたから、たとい感情はどうあっても我等は疑いをいだかざる信仰をもって主のためにあかししなければなりません。また同じ二十三節を見れば

 又いひあらはす所ののぞみうごかさずして固く守るべし

と記されました。いかがですか。あなたは今きよめられたとの感情があるから神はあなたをきよめたもうたと信じますか。もしそうであるなればそれは大いなる間違いです。すなわち我等はいまだ感情の動かざる前に確かに神を信用して信仰をもってきよめを受けます。そうしてまた我等は信仰をもってこれを保たねばなりません。すなわちその言いあらわすところの望みを動かさずして固く守らねばなりません。されば感情のある時もなき時も、このたび受けし大いなるめぐみ誠実まことの心と疑いをいだかざる信仰をもって言いあらわし、またその言いあらわすところの望みを動かさずして固く守らねばなりません。これは誠に大切なることでございます。皆様は必ずこののち、悪魔の誘惑いざないいます。もしあなたが迫害にいますなれば今日こんにちの感情は消えせます。そうしてその時、私はいったんめぐみを受けたけれども今日こんにちはもうなくなったと思う時が出て来ます。けれどもこれは悪魔の誘惑いざないでございますからあなたはそれにかかってはなりません。あなたは、信仰をもって得たるめぐみでございますから、その信仰を堅く保ちて悪魔の誘惑いざないふせがねばなりません。また同章三十五節を見れば

 是故このゆゑ爾曹なんぢらおほいなるむくいうくべき信仰を投棄なげすつることなか

と記されてございます。爾曹なんじらの大いなる報いを受くべき信仰を投げつることなかれとは、感情のなくなった時も信仰をつるなという意味であると思います。この信仰は神より大いなる報いを受くべきものでございます。我等が感情のなき時にかた聖言みことばを信ずることは神が一番喜びたもうことであります。ゆえに皆様が神に喜ばるる者となりたいなれば、この信仰をおちなさい。そうしてこれを言いあらわさねばなりません。どうぞすべての人に言いあらわしなさい。東京にる多くの信者たちはこの集会あつまりに出席しません。それゆえにその人々はあなたがたが受けましためぐみを味わうことができませんから、その兄弟姉妹にこれを言いあらわさねば彼等はいつまでもこのめぐみにあずかることができないかも知れません。しかしあなたが熱心にこのめぐみを言いあらわさば、多くの信者たちはあなたのあかしによって大いなる喜びを受けましょう。これは実に幸いなることでございます。

 しからばいかなる方法によって受けしいいあらわしましょうか。またどういうみちによって主のためあかしをいたしましょうか。これ実に考うべき大切なる問題でございます。そして私の信ずるところによればこれは感謝をもってしなければなりません。詩百篇はこの際我等が注意して読むべきところと思います。すなわちその四節に、

 感謝しつゝそのみかどにいり ほめたゝへつゝその大庭おほにはにいれ 感謝してそのみなをほめたゝへよ

とございます。されば我等神の大庭にはいりたいなれば感謝をもってしなければなりません。あなたが断えず感謝をなしまた讃美をいたしますなれば、必ずほかの兄弟姉妹はこれを聞きます。そうしてそのわけを尋ねましょう。されば誠にキリストのためにあかしするよき機会おりです。どうか皆様は常に聖霊に充たされて神を讃美なさらんことを願います。これは実に神の喜びたもう献物ささげものでございます。

 そこでまた我らはいかなることばをもって感謝すべきでございましょうか。これも聖書に示されてございます。どうかイザヤ書十二章一節をご覧なさい。

 その日なんぢいはん ヱホバよわれなんぢに感謝すべし なんぢさきにわれをいかりたまひしかどそのいかりはやみてわれをなぐさめたまへり

 このところに記されたるその日とはいつのことでございましょうか。これはめぐみを受けたる日、すなわち我等にとりては今日こんにちのことでございます。その日なんぢはいはん、ヱホバよ我なんぢに感謝すべし、なんぢさきに我をいかりたまひしかど……神はさきに我等の不信をいかりたまいました。しかしながらこのたび我等は全ききよめを受けましたから、その御怒みいかりはやみました。しかのみならず神はまた我等を慰めたまいました。これ実に感謝すべきことでございます。それから第二節を見れば

 よ神はわがすくひなり われ依賴よりたのみておそるゝところなし 主ヱホバはわが力わが歌なり ヱホバはまたわがすくひとなりたまへりと

とございます。これによって見れば第一節に神に向かいての感謝であり、第二節は人間に対してのあかしであります。そしてこの『よ』とはどういう時に使うことばでございますかとなれば、決して一人に向かう時のことばでなく、多くの人に対するあかしことばでございます。されば我等は主のためにこういうあかしをしなければなりません。よ神は……すなわち第一に神のことを言わねばならぬ、神はわがすくひなり……神は我を救いたもうということでございます。われ依賴よりたのみておそるゝところなし……誠にうるわしき決心でございます。我り頼みて恐るるところなし、なぜなれば主ヱホバはわが力、わが歌なり、ヱホバまたわが救いとなりたまえり、実にうるわしいあかしです。多くの信者たちはあかしするにいつでもまず私がと、私を先に置きますが、これは実に間違いでございます。ゆえに我等あかしをなすとき謹みて神を先にし、誇ることなくただ聖名みなを崇むることを勉めねばなりません。これ実に大切なることでございます。

 また我等主のために熱心にあかしせんことを願わば、主は必ず聖霊によって特別なる能力ちからを与えたまいます。使徒行伝一章八節を見れば

 聖靈なんぢらに臨むによりのち爾曹なんぢら能力ちからうけヱルサレム、ユダヤ全國、サマリヤおよび地のはてにまで證人あかしびとなるべし

と記されてございます。されば我等今晩から主のために熱心なる証人あかしびととなりますれば、主は必ず私共に能力ちからを与えたまいます。これは確かなるおん約束でございます。どうか皆様、主のため熱心なる証人あかしびととなり主の栄光をあらわされんことを只管ひたすらに願います。今晩この席におきましても、受けしめぐみを言いあらわ機会おりがあると信じますが、ただこの席のみならず、これから教会において、家において、また親戚朋友のあいだにおいて、熱心にあかしをなして主の栄光をあらわし、主より大いなる報いをお受けなさらんことを切に希望いたします。



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