第 四 回 (三月二日午後二時卅分開會)

神 の 殿みや

バックストン敎師講演



 神の殿みやと偶像となにおなじきことかあらそれなんぢらはいけるかみ殿みやなり 神かつわれかれらのうちやどまたあゆまん われかれらの神となり我等わがたみとならんといひ給ひしがごとく 又なんぢら彼等のなかよりいでこれを離れ汚穢けがれさはることなかわれなんぢらをうけん われ爾曹なんぢらの父となり爾曹なんぢらわがむすこむすめなるべしといへこれ全能のしゅことばなり されば愛する者よ 我儕われらこの約束を得たれば肉とれいすべてけがれさり自己みづからきよくし神をおそれて聖潔きよきことを成就すべし (哥林多コリント後書六章十六より七章一節


 神が私共わたくしどものために備えたまいしものは目いまだ見ず耳いまだ聞かず人の心いまだおもわざるほどの大いなるめぐみであります。おおなんじらは神の殿みやなり……

 主イエスがこの世を去りたもう時、弟子たちにこれと同じ御約束を与えたまいました。すなわちヨハネ伝十四章十七節を見ますれば

 これすなは眞理まことみたまなり 世これをうくることあたはそはこれを見ずまたしらざるによる されど爾曹なんぢらこれしる そはかれなんぢらとともをりかつ爾曹なんぢらうちをればなり

 彼なんじらとともりかつ爾曹なんじらうちればなり。これ聖霊が私共を殿みやとなしたもうとの御約束おんやくそくでございます。また同章二十三節を見れば

 もし人われを愛せばわがことばまもらまたわが父はこれを愛せん 我儕われらきたりて彼とともすむべし

とございます。これ父と子と聖霊なる神が私共のうちに住みたもうとの御約束おんやくそくにして、実に私共の大いなる幸いまた大いなる特権でございます。おお爾曹なんじらける神の殿みやなり。

 皆様も御存じの通り天国は神の殿みやです。それゆえに私共が天国の模様を考えますなれば神のめぐみ幾分いくぶんを知ることができます。実に天国は神の殿みやです。ゆえに天国におきましては神の聖旨みむねが行われます。天国にる者は誰でも神の聖旨みむねを奉じ、神の使命に従います。天国におる者は決しておのれに従うて歩む者ではありません。ただ神の聖旨みむねばかり行われます。おお爾曹なんじらは神の殿みやなり。神が私共の心に宿り私共をける殿みやとなしたもうなれば、神は私共の性質を全くべ治めたまいます。それゆえに私共の心のうちにはおのれという者は全く去り、ただ神の聖旨みむねばかり行われるようになります。これまで私共はどれほどもがきましても自分の肉慾をべ治めることができませんでした。神の聖なる律法おきてに従うことができませんでした。けれども神が私共の心のうちに宿り、私共のうちに王となりたもうなれば、神は私共の性質を全くべ治めたまいますから、私共のうちに神の聖旨みむねが行われ、私共は喜んで神の律法おきてに従うことができるようになります。実に幸いなることではありませんか。

 けれどもただそればかりでなく、天国においては神の栄光を見ることができます。神の慈愛を見ることができます。神の聖なる、聖なる、聖なることを見ることができます。神の聖能みちからを見ることができます。おお兄弟姉妹よ、今日こんにちあなたが聖霊を受けますなれば、あなたはける神の殿みやとなりますから、あなたは確かに心のうちに神の栄光を見ることができます。神の愛、神のちからを見ることができます。今まであなたはほかの人より教えられて幾分いくぶんか神の栄光を見ましたでしょう。けれども今日こんにち聖霊を受けますなれば、あなたは聖霊の光によって明らかに神の栄光を見ることができます。真実ほんとうに神の愛を知ることができます。そうしてあなたは心のうちに神の愛をもって満たされ、あなたはこれより燃ゆる愛の生涯を送ることができます。おお爾曹なんじらは神の殿みやなり、小さき天国なり。実にあなたが天国となり、神の殿みやとなりますなれば、あなたのうちには神の聖声みこえが響きます。神の愛の聖声みこえ、神のめぐみ聖声みこえを聞くことができます。そうしてあなたは確かに神の命じたもうことを知りてこれに従うようになります。おお兄弟姉妹よ、神は今日こんにちあなたの心をその通り天国とならしめたまいとうございます。

 或る一人の姉妹が熱心に神の豊かなるめぐみを求めました。そうしてその姉妹はたいそうもがきますけれどもどうしても心のうちに満足を得ることができません。そこでそのことをほかの一人の兄弟に告げました。そのとき兄弟は姉妹に向かい、神の国は爾曹なんじらうちりとの聖言みことばについて勧めましたが、姉妹はこれによって大いなる光を得、これまでただ外面ほかより神のめぐみを付け加えられんことを求めましたが、いま神はわたくしの心に宿りて私を殿みやとなしたもうということを悟り、大いなるめぐみを受けました。おお神の国は爾曹なんじらうちり。あなたの心は神の殿みやです。おお兄弟姉妹よ、あなたはこれまでこの大いなるめぐみをただ外面ほかより加えられんことを求めたでしょう。けれども受くることができませんでした。されど神の国は爾曹なんじらうちり。どうぞ今静かに、静かに、心を開きて神を受けれよ。父なる神、子なる神、聖霊なる神を受けれてける神の殿みやとなれよ。爾曹なんじらは神の殿みやなり。おお今まであなたの生涯はただおのれのみでしたろう。おのれのために利益を求め、おのれの力によって働き、神のために働くと言いながらその実、おのれの利益のために働いておりましたでしょう。けれどもいま神の殿みやとなりましたなれば、あなたはこれからそういう生涯を暮らしません。これからあなたの生涯はガラテヤ書二章二十節に記されたる通りになります。

 われキリストとともに十字架につけられたり もはやわれいけるにあらず キリストわれありいけるなり 今われ肉體にありいけるはわれを愛してためおのれすてし者すなはち神の子を信ずるによりいけるなり

 パウロは心のうちに、おのれは十字架にけられて全く死し、ただキリストばかりパウロのうちって生きたもうことを信じ、もはやわれいけるにあらずキリストわれありいけるなりと申しました。おお兄弟姉妹よ、あなたはこういう生涯を慕いますか。熱心にこれを求めますか。おお爾曹なんじらは神の殿みやなり、神はあなたをきよ殿みやとならしめたまいとうございます。そうしてあなたは神の殿みやとなりますれば、あなたのうちにはおのれという偶像を宿すことはできません。ただ神のみあなたのうちりて王となりたまいます。爾曹なんじらは神の殿みやなり。

 神は昔、イスラエルびとうちに御自分のためにきよ殿みやを造りたまいました。けれどもイスラエルびとはその殿みやけがしましたから神はこれを棄てたまいました。そうして神は御自分のためにもう一度この世に聖なる殿みやを置きたまいました。すなわちその第二の殿みや独子ひとりごイエス・キリストでございます。実に主イエスがこの世の中にいたもうあいだ、神は決してほか殿みやちたまいません。ただ主イエスのみ神のきよ殿みやにして、神はただ主イエスのうちにのみ宿りたまいました。けれども主イエスはいま天に昇りたまいましたから、神は最早この世に殿みやちたまいませんか。いいえそうではありません。すなわち神は第三には私共の心をもってきよ殿みやとなしたまいました。神は主イエスの御在世中、主イエスに宿りたまいしごとく、いま私共の心に宿りたまいとうございます。神は私共を御自分のためにきよ殿みやとならしめたまいとうございます。おお爾曹なんじらは神の殿みやなり。

 また昔ユダヤびと殿みやには断えず祈禱いのりがありました。絶えず感謝がありました。その通り、もし私共のうちが神の殿みやとなりますなれば、私共には断えず祈禱いのりの精神があり、断えず礼拝の精神があり、また断えず感謝と讃美の精神をもって満たされます。コロサイ書三章十六、七節を見れば

 キリストのことばをして爾曹なんぢらの心にとめ充足みちたらしめすべての智慧により詩と歌とみたまに感じて作れるとをたがひ相敎あひをし相勸あひすゝめぐみに感じて心のうちに神を讚美すべし 爾曹なんぢらなす所の諸事すべてのことあるひはことばあるひはおこなひみな主イエスの名のためこれをなし彼によりて父なる神に感謝すべし

とございます。おおどうぞ断えず心のうちに神を讃美せよ。多くの信者の堕落するわけは、ただ讃美をやめましたからです。感謝をやめましたからであります。私共の心のうちに断えず讃美がございますなれば、必ず主に従うて進みます。必ず私共の心のうちは小さい天国の喜楽よろこびがあります。おお爾曹なんじらは神の殿みやなり。

 また私共の心のうちに神が宿りたまいますなれば必ず大いなるちからを受けます。もっともあなたを高く挙げるちからでないかも知れません。けれどもあなたは忍びのちから、すなわち十字架を負うちからを受けます。おお兄弟姉妹よ、もし私共が火のバプテスマを受けますなれば必ず多くの苦しみにいます。神は私共にただ平安のみを与えんとてこのバプテスマを授けたまいません。これはすなわち迫害に耐え忍ぶちからを与うるバプテスマです。主に従うちからを与うるバプテスマです。十字架を負うためちからを与うるバプテスマです。おおあなたはこのバプテスマを求めますか。あなたがこのバプテスマを受けますなれば人間にも悪魔にも必ず迫害せられます。このバプテスマを受くることは確かに戦いの始めです。また試惑こころみの始めです。実にこのバプテスマを受けし者は地上にりて多くの苦しみを忍ばねばなりません。けれどもあなたが真実ほんとうにこのバプテスマを受けまして神の殿みやとなりましたなれば、あなたのうちには断えず喜楽よろこびと平安があります。ステパノが学者たちの前に訴えられました時、生命いのちを賭けて訴えられし時、彼はその肉体に大いなる苦しみを受けましたが、これによって彼は心配いたしましたか。平安を失いましたか。いな、そうではありません。かれうちには全き平安があり、かれの心は小さき天国でございましたから、かれの顔は天の使いのように見えました。それから彼は死罪に定められ、議場より追いいだされ、ヱルサレムより引きいだされて石にて打ち殺さるる時に当っても、彼が心の平安は少しも傷つけられません。彼が上には広く天がひらけまして主イエスを見ることができました。その時ステパノの心は確かに神の殿みやでした。確かに天国でありました。それゆえに神は、彼が迫害のうちに、また多くの苦しみのうちに、断えず断えず平安を賜うことができました。

 おお兄弟姉妹よ、あなたがたが今日こんにち聖霊のバプテスマを受けますなれば、これから多くの苦しみを忍ばねばなりません。けれどもあなたはこれと一緖に神の聖なる喜楽よろこびと平安とを受けます。おおこれは真実ほんとうですか、あなたのうちにはこの経験がございますか。あなたの心のうちおのれが大きくなりはしませんか。あなたの生涯はおのれのためではありませんか。あなたは心に度々けがれたる考えが起ることはありませんか。おお爾曹なんじらは神の殿みやなり。神は今あなたの心を全くきよめたまいとうございます。神はあなたを御自分のきよ殿みやとならしめたまいとうございます。そして神はこのめぐみを受くる道を示したまいました。どうぞコリント後書七章一節をご覧なさい。

 されば愛する者よ 我儕われらこの約束を得たれば肉とれいすべてけがれさり自己みづからきよくし神をおそれて聖潔きよきことを成就すべし

 おお兄弟姉妹よ、あなたは今日こんにち肉と霊にあるすべてのけがれを全く去りて自己みずからきよくいたしますか。あなたは今真実ほんとうに身もたまも全く神に献げますか。実に神はあなたを御自分の殿みやとしてけたまいとうございます。神はあなたにわれなんじけんとの約束を与えたまいました。昔モーセが天幕を造りてこれを神に献げたる時、神はほのおうちに天幕にむだり、そのうちに満ちたまいました。神は確かにモーセの造りたる天幕を御自分の殿みやとしてけたまいました。われなんじをけん、すなわちあなたが身もたまも神に献げますなれば、神は必ずあなたをけ、あなたのうちに満ちたまいます。おおどうぞいま身もたまも全く神に献げてける神の殿みやとなせよ。



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