第 六 回 (三月三日午後二時卅分開會)

われこの事をなし得ると信ずるや

バンコム敎師講演



 イエスこゝさるとき二人の瞽者めしひしたがひてよびいひけるは ダビデの我儕われらあはれみ給へ イエス家にいりしに瞽者めしひきたりければ彼等にいひたまひけるは われこの事をなしると信ずるや こたへけるは 主よしかり イエス彼等の目に手をつけ爾曹なんぢらの信ずる如く爾曹なんぢらなるべしといひければ その目ひらけたり (馬太マタイ傳九章廿七節より卅節


 主イエス・キリストは今日こんにちこの集会あつまりなかに立ちて、我等にむかい一つの問いを与えたまいます。『われこの事をなしると信ずるや』と。されば主は我等のために如何いかなることをなさんとしたまいますか。わたくしはできるなれば皆様各位ごめいめいのために適当なる主の聖言みことばを申し上げたいと思います。それで今日こんにちここに多くの兄弟姉妹がお集まりてございまして各位ごめいめいにいろいろの経験がございましょう。しかしながら主はすべての兄弟姉妹に最も適当なるめぐみを与えたもうことができますから、私はこれより聖書の処々ところどころを引きて申し上げますから皆様各位ごめいめいに一番適当なる聖言みことばを取り、その上にかたく立ちて光をお受けなさることを願います。

 そこで第一、この集会あつまりなかにはいまだ信仰の弱き兄弟姉妹がたくさんあると思います。その兄弟姉妹たちは、こういう集会あつまりに出席したる時は確かに心に主を信じ大いなるめぐみを受けたと申します。しかしうちに帰りて未信者に接する時はたちまちそのめぐみを失いその喜びが消えするとの恐れがあると思います。けれどもそういう兄弟姉妹たちのために誠に適当なる聖言みことばがございます。どうかロマ書十四章一節四節をご覧なさい。

 信仰の弱き者をうけされそのおもふ所をなじなかれ……かれあるひたちあるひはたふるることはそのしゅよれり 彼また必ずたてられん 神はよくこれをたてればなり

 彼また必ずたてられん、神はよくこれを立得たてうればなり。実に幸いなるおん約束でございます。しかして主は今我等にむかいて『われこの事を行得なしうると信ずるや』との問いを下したまいます。皆様は何と答えましょうか。誠心まごころから『主よしかり』と答えることができますか。私は確かに主はこの弱き兄弟姉妹たちを立たしめたもうと信じます。どうか今確信をもって『主よしかり』とお答えなさんことを望みます。

 第二は、皆様のうちには必ず悪魔の誘惑いざないうておいでになる方がたくさんにあると思います。すべて信者は熱心になればなるほど悪魔の誘惑いざないが強くなります。そうしてそのいざなわるる者のために適当なる聖言みことばが聖書のうちにございます。どうかヘブル書二章十八節をご覧なさい。

 そはかれみづかいざなはれて艱難くるしみうけたればいざなはるゝ者をたすけるなり

 皆様も御存じの通り、主イエス・キリストは三十三年の間、我等のごとき肉体となりてこの世に宿り始終悪人と交わりたまいましたから、実に多くの試みと多くの艱難くるしみを受けたまいました。そうして主はことごとくこれに打ち勝ちたまいましたから、我等いざなわるるところの者を喜びて救いたまいます。しかして主は今いざなわるる者に向かって『われこの事をなしると信ずるや』と尋ねたまいます。どうか皆様、今誠心まごころをもって『主よしかり、われ信ず』とお答えなさらんことを願います。

 第三には、この三日の集会あつまりにおいて真実ほんとうに決心して身もたましゅに献げ、全く聖別せられたる兄弟姉妹がたくさんあることを信じます。私は実にこのことのために主の聖名みなを讃美します。しかしてこの兄弟姉妹のために適当なる聖言みことばはありますまいか。いな、必ずあることを信じます。さればこの兄弟姉妹の深き願いは何であるか、すなわちこののちすべての罪より全く救わるることでございましょう。どうかヘブル書七章二十五節をご覧なさい。

 彼はおのれよりて神にきたる者のため懇求とりなさんとてつねいくれば 彼等を全く救ひうるなり

とございます。しかしてこのおのれよりて神にきたる者とはどういう種類の人であるかとなれば、すなわち聖別せられたる者でございます。ことばを換えて申せばおのれを全く神に献げて自分は神のものであるという確信を抱ける人々でございます。さらば主はその兄弟姉妹のために懇求とりなさんと生きたまえば、彼等を全く救いたもうことができます。原書にって見れば、この全く救うという言葉には誠に強い意味が含んでおります。主は必ずあなたをすべての罪とけがれより全く救いたまいます。しかして主は今あなたがたに向かって『われこの事をなしると信ずるや』と問いたまいます。あなたは今この主のご下問に対し何と答えをいたしますか。もちろん我等は誠に弱き者でございますから、これまでの経験によればたびたび悪魔のいざないにうて倒れましたから、すべての罪より救わるるということは難しきことであると思いますが、このところにって見れば主はおのれによって神にきたる者を懇求とりなさんとてつねに生くれば彼等を全く救い得るなりとございますから、全能の主の聖言みことばは決して間違いのなきことを確かに信ずることができます。どうか皆様、声を合わせて『主よしかり、我信ず』と確かにお答えなさることを只管ひたすらに願います。

 第四には、今一歩進めて、ここには主のため熱心に働かるる兄弟姉妹がたくさんにあると信じますが、その兄弟姉妹のために適当なる聖言みことばがありますまいか。いな、あなたのために誠にうるわしき主のおん約束がございます。どうかコリント後書九章八節をご覧なさい。

 神は爾曹なんぢらをして常にすべての物にたらざることなくすべて善事よきわざを多く行はしめんため諸恩すべてのめぐみを多く爾曹なんぢらあたるなり

 どうかこのところをよく御記憶なさい。そうして助けの必要なるときによくこのところをご覧なさるなれば大いなる能力ちからを受けます。パウロはこのところになにと申しましたか、いな、聖霊は如何いかに仰せたまいますか。すなわち神は爾曹なんじらをして常にすべての物に足らざることなく、すべてのわざを多く行わしめんために、すべてのめぐみを多く爾曹なんじらに与え得るなりと、誠に強い大いなるおん約束ではありませんか。如何いかがですか。あなたはそれほどの大いなるめぐみをいま主より受けることができますか。あなたはいま主があなたに向かってそれほど大いなるめぐみを多く与えたもうことができると信じ得られますか。しかり、主は実にこのことをなすを得たまいますから、あなたがもしそれほどのめぐみが必要でございますなれば心を開いてお受けなさい。主は喜んでこれを与えたまいます。そうして主はいま我等に対し『われこの事をなしると信ずるや』と尋ねたまいます。どうかいま心の底から『主よしかり、われ信ず』との答えをなし、そのめぐみを得たりと信じて主に感謝せられんことを只管ひたすらに願います。

 第五は、ここにる兄弟姉妹のうちには必ず、主のためにわざを多く行いたいとの願いはあれども、家内いえのうちにおいて、また親戚朋友のあいだにおいて、いろいろの迫害がありて、ためにその望みを充たすことができないという恐れをつ者がございましょう。そうしてその兄弟姉妹のために適当なる聖言みことばテモテ後書一章十二節にございます。

 是故このゆゑわれこれらのくるしみあひたり されこれを恥とせず そはわれが信ずる者をしりかつわが彼に託したる者をかれかの日に至るまで守ることをなしると信ずればなり

 パウロはこのところに、このゆえにわれこれらの苦しみにいたりと申しました。私はあなたがどれほどの苦しみにいますかは知りませんが、おそらくパウロのごとき苦しみにはいますまいと思います。御存じの通りパウロは至る所において大いなる苦しみにいました。しかし失望いたしません。ピリピのまちにおきましては捕えられて牢屋のなかに繋がれましたが、少しも恐るることもなく、また失望することもなくして、ただ主を讃美しておりました。しかしてパウロは申しました。われこれらの苦しみにいたり、されどこれを恥とせず、そはわれわが信ずる者を知り、かつわが彼に託したる者を彼かの日に至るまで守ることをなしると信ずればなりと。如何いかがですか。あなたは自分を主にまかせて、かの日、すなわち主の再びきたりたもう時まで、十分に守りたもうということを信ずることができませんか。パウロはこのことにつき少しも疑いませんでした。それゆえに、如何いかなる苦しみにいましても決して失望することなく、また恥といたしませんでした。ああ迫害のうちにある兄弟姉妹よ、どうぞこの聖言みことばをもって慰めを得よ。主は今あなたに向かって『われこの事をなしると信ずるや』と尋ねたまいます。疑うなかれ、ただ信ぜよ。しかして『主よしかり、われ信ず』とお答えなさい。主はかの日に至るまで必ずあなたを守りたまいます。

 第六は、ここにる多くの兄弟姉妹のうちには、完全まったきを得て神の聖前みまえに立つことを得たいと望む者がございましょう。昨晩さくばん、主の再臨について考えましたが、どうかその幸いにあずかりたいと思い、同時に心のうち如何いかがせばこの望みを遂ぐることができようかと考えておる方がございましょう。そうしてその兄弟姉妹のために特別なる聖言みことばユダ書二十四、五節にございます。

 我儕われら救主すくひぬしなる獨一ひとりの神 すなはち爾曹なんぢらつまづかせじとまも爾曹なんぢらをしてしみなくよろこびてその榮光の前にたつことを得しむ……

 爾曹なんじらつまずかせじとまもり……。あなたは如何いかがでございますか。主イエス・キリストは全能の聖手みてをもって今あなたをつまずかせじとまもりたまいます。けれどもあなたはなおつまずくと思いますか。自分は弱く悪魔は強いから度々その誘惑に負けて罪を犯すと思いますか。ああどうぞそのような恐れを全く棄てて主を信ぜよ。主はあなたをつまずかせざるよう必ずまもりたもうことができます。これは誠に強いことばまためぐみ深き約束です。どうかこの聖言みことばを信じ、おのれを全く主に献げて信仰の勝利をお受けなさい。これ最も幸いなることでございます。もっとも我等は弱く悪魔は強うございますから、一人立ちをいたしますれば必ず敗北いたしましょう。しかし主イエス・キリストとともれば主は我等をつまずかせじとまもりたまいますから、我等は安全でございます。また爾曹なんじらをしてしみなくよろこびてその栄光の前に立つことを得しむ……。我等はどれほど力を尽しましても神の栄光の前に立つことはできません。しかしおのれを主に全く任せさえすれば、主は我らをまもりてこの幸いにあずからしめたまいます。実に感謝すべきことでございます。しかして主はいま我等に向かって『われこの事をなしると信ずるや』と問いたまいます。あなたは何と答えましょうか。どうか心を静め、非常なる決心をもって『主よしかり、われ信ず』とお答えなさらんことを只管ひたすらに願います。

 第七に、今一つ考えておきたいと思うことは、我等は神のめぐみについて考える時にいつでもこれに限りを置きます。すなわち神はこれまでは助けたもうと信じますが、どうもその先を疑います。しかしパウロの生涯には決してそういう不信仰はありませんでした。試みにエペソ書三章をご覧なさい。その十六節以下に、

 願ふはそのさかえとみしたがそのみたまをもて爾曹なんぢらうちの人をつよくすこやかにし 又キリストをして信仰により爾曹なんぢらの心にをらしめ また爾曹なんぢらをして愛にねざし愛をもとゐとしてすべての聖徒とともに測るべからざるキリストの愛をしり そのひろさ長さ深さ高さをさとらしめ 又すべて神に滿みてるものを爾曹なんぢら滿みたしめ給はんことなり

と記したるのち、すなわちそれほど大いなるめぐみを願うと語りたるのち、彼は実に次のごとく申しました。

 ねがはくは我儕われらうちに行ふ能力ちからしたがひて我儕われらもとむるところ思ふ所よりもいたまされる事をなし得る者に キリスト・イエスにより敎會のうちにて世々かぎりなくさかえを歸せんことを アメン

 そうすれば主は我等のうちに行う能力ちからしたがいて、我等の思うところよりもいたまされることをなし得る者でございます。如何いかがですか、主はいま我等に向かって『我この事をなしると信ずるや』と問いたまいます。どうかすべての不信仰を棄て、今誠心まごころをもって『主よしかり、我信ず』とお答えなさらんことを願います。以上申し上げたることは確かなる主のおん約束でございますから、主は必ずこのことをなしたもうことができます。またこれを信ずる者には喜びてこの約束を成就したもうに相違ありません。どうか今までの不信仰を全く棄てて栄光の主をご覧なさい。主はいま重ねて問いたまいます、『我この事をなしると信ずるや』と。どうか今誠心まごころから声を合わせて『主よしかり、我信ず』と確答し、大いなるめぐみをお受けなさらんことを切に希望するところでございます。



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