第 三 回 (三月一日午後六時卅分開會)

祭 司 た る 信 者 の きよ

バンコム敎師講演



 かれ祭司のをさヨシュアがヱホバの使つかひの前に立ちサタンその右にたちてこれに敵しをるをわれに見す ヱホバ、サタンにいひたまひけるは サタンよヱホバなんぢをせむべし すなはちヱルサレムをえらびしヱホバなんぢをいましむ これは火のなかよりとりいだしたる燃柴もえぐいならずやと ヨシュアきたなき衣服ころも使つかひの前にたちをりしが ヱホバおのれの前にたて者等ものどもつげきたなき衣服ころもこれぬがせよとのたまひ またヨシュアに向ひて われなんぢの罪をなんぢの身よりとりのぞけり なんぢ美服びふくすべしとのたまへり (撒加利亞ゼカリヤ書三章一節より四節)


 本章に記されたることは確かなる経験でございますから、我等も神に求むれば今晩確かにこれと同じ経験を得ることができると思います。ついてはこれを読むときにどうか昔の出来事とせず、ただいま目前めのまえることとお考えになるように願います。

 一節を見れば、彼すなわち天の使いはゼカリヤに一つのことを見せたまいました。神は今晩このところにおいて、我等にもまた一つのことを見せたもうと思います。そうしてそれは何であるかとなれば、すなわち自分の有様でございます。ここに祭司のおさヨシュアとあるが、これは我等各自めいめいあらわしていると思います。しかし或る兄弟は私は祭司でないと思いますかも知れませんが、あなたが真実ほんとうにキリストに属する者でございますなれば確かに祭司でございます。どうか黙示録一章六節をご覧なさい。

 我儕われらをして王となし祭司となしてその父の神につかしむる者に榮光と權力ちから世々かぎりなくあらんことを アメン

 これによりて見れば我等しゅイエス・キリストの血をもって洗いまたきよめられたる者は、王でありまた祭司であることが明らかです。さればこのところに祭司のおさヨシュアと記されたるは、神のためキリストのため祭司となれる我等によほど関係の厚きことと考えねばなりません。それでこのヨシュアは神の聖前みまえに、また天の使いの前に立ちました。そのごとく我等もいま神の聖前みまえに立ちております。どうかこのことをよくよくお認めになるように願います。我等はいま神の聖前みまえに立ちました。そこでまたヨシュアはこの時ただ一人にて立ちません。すなわちサタンが彼の右に立ちました。そのごとく今晩我等は神の聖前みまえに立ちましたが、サタンも同じく我等とともに神の聖前みまえでました。しかしてサタンが我等とともに神の聖前みまえに立つわけは、決してほかではありません。すなわち我等のことを神に訴えるためであります。サタンは実に我等のことをよく知っております。我等が信者となりたる時より今日に至るまで、神と人との前においてことばと行いと思いによって犯したるすべての罪を知っております。そうしてこれを今晩一々訴えますから、これは実に恐ろしきことです。我等は人には罪をかくすことができますけれども、神にはかくすことができません。また悪魔にもかくすことはできません。それゆえに我等もし悪魔より訴えを受けますなれば何とも答えようがありません。しかしてヨシュアは悪魔よりその訴えを受けましたが、彼は一言いちごんの答えもできず、誠に憐れなる有様でございました。ああ今晩我等の有様は如何いかがですか。悪魔はいま我等の右に立ちて我等に敵し、我等を神に訴えております。我等神の光のうちに悪魔から訴えられ、我等の有様が明らかになれば如何いかがでしょうか。我等は誠に大いなる恥を懐き、一言いちごんの答えもできないと思います。ヨシュアは実にそうでありました。しかしながら誠に幸いなることは、ヨシュアのためには一人の大いなる仲保者とりなしてがございました。どうぞ二節をご覧なさい。

 ヱホバ、サタンにいひたまひけるは サタンよヱホバなんぢをせむべし すなはちヱルサレムをえらびしヱホバなんぢをいましむ これは火のなかよりとりいだしたる燃柴もえぐいならずやと

 この節の初めにヱホバ、サタンにいいたまひけるはとあるヱホバは、救主すくいぬしなる神の聖子みこイエス・キリストでございます。主イエス・キリストは我等のために悪魔に答えたまいます。すなわちサタンよヱホバなんじをせむべし、すなわちヱルサレムをえらびしヱホバなんじをいましむ、これは火のなかよりとりいだしたる燃柴もえぐいならずやと。ああ我等は火のなかより取りいだされたる燃柴もえぐいでございます。我等は元来、罪の中に沈みたる滅びの子でございました。しかるに主イエス・キリストは我等を地獄の火のなかより取りいだしたまいました。これは実に大いなる御恩おんめぐみでございます。されば我等は一生涯そのことを覚えて主の聖名みなを崇め、主の聖業みわざを賛美しなければなりません。

 それから第三節を見ればヨシュアの実際の有様が記されてございます。

 ヨシュアきたなき衣服ころも使つかひの前にたちをりしが

 ヨシュアはきたな衣服ころもを着て輝ける使いの前に立ちました。このきたな衣服ころもは何であるかというに、これは彼の生来うまれつきの罪にあらず、たぶんその人のしき癖であると思います。何となればヨシュアは以前から信者であります。ただに信者たるのみならず、彼は尊き祭司のおさでございます。されば彼は必ずこの以前まえ罪よりきよめられたる者でございますから、彼がこの時きたな衣服ころもを着ていたのは、確かに彼が信者となりてよりけがしたるものにしてすなわち彼のしき癖でございます。これによって見れば、信者たちのいろいろの悪い癖は実に大いなる罪であります。私は皆様のきたな衣服ころもは何であるかということを申し上げることはできませんが、皆様が静かに神の聖前みまえにてお調べになれば分かります。聖霊は確かにあなたがた各位ごめいめいにそのことを教えたもうと信じます。ヨシュアはきたな衣服ころもを着て、輝ける、顕栄ほまれある、栄光さかえある衣服ころもを着たる天の使いたちの前に立ちました。その時ヨシュアは自分のきたなき有様が一層明らかに分かりまして、何とも言うことができませんでした。ああ皆様の衣服ころも如何いかがですか。ヨシュアの如くによごれてはおりませんか。どうかいま静かに神の聖前みまえにおいてこのことをお考えなさい。

 しかのみならずヨシュアは祭司のおさとなりし時、特別に立派なる斎服さいふくを受けました。その斎服さいふくのことについては出エジプト記二十八章二節に記されてございます。

 なんぢまたなんぢの兄弟アロンのために聖衣きよきころもつくりてかれの身に顯榮ほまれ榮光さかえあらしむべし

 神はかくアロンのために聖衣きよきころもつくるべきことを命じたまいました。さればヨシュアも祭司のおさとなりたる時その衣服ころもを受けたることは明らかです。けれどもヨシュアはこの顕栄ほまれ栄光さかえある衣服ころもをいつの間にかけがしまして、かのきたない有様になったのでございます。ああ兄弟姉妹よ、あなたは信者となりし時、主イエス・キリストにより罪の衣服ころもを全く脱ぎ棄て清き者とせられましたでしょう。けれども世の人と交わりまた種々しゅじゅなるわざをなすうちに、いつしかその清き衣服ころもけがし、ヨシュアのごとく誠にきたなき有様になってはおりませんか。今日の多くの信者は実にそうでございますが、あなたはどうでしょうか。どうぞそのことをよくよくお考え願います。ヨシュアは実に憐れなる有様でした。けれども神は誠に彼を憐れみたまいました。すなわち四節に

 ヱホバおのれの前にたて者等ものどもつげきたなき衣服ころもこれぬがせよとのたまひ またヨシュアにむかひて われなんぢの罪をなんぢの身よりとりのぞけり なんぢ美服びふくすべしとのたまへり

とございます。ああ皆様は如何いかがですか。神が今あなたのために天の使いにこのことを仰せられると信ずることができますか。神はいま確かにあなたのために天の使いに命じたまいます。すなわちあなたのきたな衣服ころもを脱がせよと。あなたはこれまで幾分か自分のきたなき有様を知り、これを棄てたいと思いましたでしょう。けれども自分のちからをもってどうしてもこれを棄つることができません。どうしてもあなたのれいよりきたな衣服ころもを脱ぐことはできません。それゆえに神は今晩あなたの有様を憐れみ、天の使いたちに命じてこれを脱がせんとなしたまいます。ヨシュアはその時実に大いなる恥を得ました。なぜなれば、天の使いたちがヨシュアの身よりきたな衣服ころもを一枚脱ぐも、まだきたのうございます。それゆえにまた一枚脱ぎましてもなおきたな衣服ころもがありて、きたな衣服ころもが実にたくさんございました。けれども使いたちは神の命令ですからヨシュアの身よりそのきたな衣服ころもことごとく脱ぎ取り、ヨシュアは神の聖前みまえにおいて全裸体まるはだかとなりました。そのとき神は初めてヨシュアに直接に語りたまいました。ああこれは実にめぐみ深き聖言みことばでございます。よ、われなんぢの罪をなんじの身よりとりのぞけり、なんじ美服びふくすべしと。しかしてこれは神が今晩皆様に仰せたもう聖言みことばでございます。皆様はこの四節しせつ聖言みことば真実ほんとうに信ずることができますか。もしあなたが真心まごころをもってこれを信じて願うなれば、あなたはよし憂いに満たされ一言いちごん祈禱いのりをなすのちからがありませんでも、神は確かにあなたに向かってこのことを仰せたまいます。よ、われなんぢの罪をなんじの身よりとりのぞけりと。すなわちあなたはすべての罪が取り除かれ全くきよくなることができます。しかのみならず神はあなたに美服びふくすべしと仰せたまいます。ヨシュアはかの時再び新しき斎服さいふくを受けました。そのごとくあなたも今また新しき美服びふくを受けて天の使いたちの前に立ち得る資格が備わります。ああ神のこのめぐみは誠に大いにして測り知ることは出来ません。原書にって見ますれば、このところに記されたる新しきころも黙示録一章十三節に記されたる主イエス・キリストの聖衣みころもと同一のものと見えます。ああ主は我等に御自分の聖衣みころもと同一のものを着せたまいます。されば我等はこの衣を受けますなれば誠に主に似たる者となります。何と洪大こうだいなるめぐみではありませんか。ヨシュアは実にこの大いなるめぐみを得ました。以前まえのヨシュアは誠にけがれておりましたから、世の中を歩くとき人は祭司とは思いませんでした。けれどもかの時神より新しき斎服さいふくを受けて一目いちもく祭司のおさたることが分かるようになりました。あなたは如何いかがですか。今日こんにちまで世の人のなかに行く時これはヤソ教の人であると申しますか。あなたのかおは世の人のかおと違うところがございますか。我等もし天の美服びふくを受けますなれば、人々は一目いちもく神にける者なることを知るようになります。しかしながら悲しいかな、今日こんにちの多くの信者は世の中の人に変わりたるところがない、同じよう衣服ころもを着て同じ癖をっております。けれども神は大いなる憐れみをもって、今晩我等よりこのけがれたる衣服ころもを脱ぎ去り天の美服びふくを与えんと仰せたまいますから、我等はこのところを退しりぞく前にこのめぐみを頂戴することができます。どうか皆様が今晩非常なる決心をもって神よりこの大いなるめぐみを頂戴なさらんことを只管ひたすらに願います。



|| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 目次 |