主 の 再 臨

バンコム敎師講演



 我儕われらもしイエスのしによみがへりし事を信ずるならばイエスによれる所の既にねぶれる者を神かれとともたづさきたらんことも信ずべきなり われらしゅことばより爾曹なんぢらつげしゅきたらん時に至りいきのこれる我儕われらすぐねぶれる者より先だゝじ それしゅ號令がうれい使長つかひのをさの聲と神のラッパみづから天よりくだらん その時キリストにありしにし者先によみがへり のちいきのこれる我儕われらかれらとともに雲にたづさへられ空中においしゅあふべし かく我儕われらいつまでもしゅともをらん (提撒羅尼迦テサロニケ前書四章十四節より十七節


 皆様いかがでございましょうか。いま私の読みたるところを確かに信ずることができますか。誠に今ここに記されたる事実のきたらんとすることは我等の真実ほんとう目的めあてにして、その日は一番大切でございます。ゆえに我等もしその日のために備準そなえせず、その時の幸福さいわいあずかることができませんなれば、実に永遠の損失であります。どうか今より心を静めてここに記されたるこの大切なることについて考えたいと思います。

 それでただいま読みましたとおり、しゅは……我等の主イエス・キリストは我等の罪のために死に、我等の義とせられんがために甦り、今や天に昇りて神の右に坐し、我等のために中保とりなしをなしたもうことでありますが、今一度その宝座みくらいちて天よりくだりたまいます。すなわち主は号令と使いのおさの声と神のラッパをもって空中までくだり、聖徒たちを呼び集めたまいます。その時、主にりて死にし者先によみがえり、のちきてのこれる我等たちまちにせられ、雲に携えられ、空中において主に会い、かくていつまでも主とともにおります。この事実は我等各自めいめいにとりて何より大切なることにして、これが我等の目的もくてきでございます。

 皆様も御存じの通り、今の時代はペンテコステの時代、すなわち聖霊の時代でございます。しかして聖霊はこの時代においてどういう働きをなしたもうかと申しますれば、もちろん世の人々のうちより多くの者を救いたまいます。そうしてその多くの者を救いたもう目的は、そのうちより主イエス・キリストの嫁なる教会を撰ぶためでございます。これはパウロが始終力を込めて教えられたるところ、また黙示録にも明らかに示されたることでございます。そして主はその数の満つる時、たちまち天よりくだりてその嫁なる教会を受けたまいます。皆様はいかがですか。もはやその日のために備準よういができましたか。あなたはいかがですか。その日が今晩来ましても差しつかえはありませんか。ああこれは誠に大切なることでございます。そうして私共は聖霊に満たされませんなれば決して準備よういはできません。今晩ここに多くの信者が集まりましたが、その時たちまちせられて雲に携えられ、空中において主にう者はたれですか。すべての信者がこの幸いにあずかることができましょうか。私はどうもそのことを疑います。主イエス・キリストの教えをよく考えればそのことは疑われます。またパウロの教えによって考えても、また黙示録について見ても、すべての信者がことごとくその幸いにあずかることはできません。ただこれにあずかる者は聖霊をもっていんせられたる者のみでございます。今日こんにち昼間、私がお話しせしうちに、キリストの霊なき者はキリストにかざる者なりとのことばがございましたが、実にそうです。キリストの霊を受けておりませんなればキリストの新嫁はなよめとなることはできません。キリストはこれがため我等をあがないたまいました。また聖霊はこれがために千九百年の間、全世界に働きたまいました。ゆえに我等このめぐみあずかることは誠に大切でございまして、また最も幸いなることでございます。

 それからその時、すなわち空中において主にう時に起るべき一つのことは、こひつじの婚姻とそのふるまいでございます。黙示録十九章六節より九節までに、

 われおほくの人の聲の如くおほくの水のおとの如くおほいなるいかづちの聲の如き聲をきけいはく ハレルヤ それしゅたる全能の神は王なり われら喜びたのしみて神をあがめん そはこひつじの婚姻のときすでに至りそのよめすでにみづかそなへをなしをはりたればなり よめきよくして光ある細布ほそきぬのきることを許さる この細布ほそきぬのは聖徒のなり 天使てんのつかひわれにいひけるは こひつじの婚姻のふるまひまねかれたる者はさいはひなりと書記かきしる

とございます。このところをよくよく考えてみれば、主の嫁なる教会と、ふるまいに招かれたる者とは、おのずから別々であることが分かります。いま私はこのことについて確かに言うことはできませんが、暫く私の考えを申し上ぐれば、主は教会の或る者を撰びて御自分の嫁となしたもうと思います。そうしてその残りの者は婚姻のふるまいに出る幸いは得られますが、その嫁となることはできません。しかし我等に最も幸いなることは、いま全くおのれを主に任せさえすればこの嫁なる教会にあずかる特権を与えられます。これは誠に幸いなることにして、また最も貴きことでございます。ああキリスト信者たる者がこの大切なることを知らず、これを目的といたしませんなれば、実に大いなる誤りでございます。またこの目的がございませんなれば、決して誠心まごころをもってきよめを祈りまた聖霊を求むるの必要を感じますまい。もちろんきよめを受け、また聖霊に充たされることについては、ほかにも目的がございますが、これが一番大なる目的でございます。パウロは確かにこのことを覚えました。またこのことのために働きました。それはピリピ書三章八節より十一節までを見れば明らかに分かります。

 しかのみならずわれわが主キリストイエスをしるて最もまされる事とするがゆゑすべてのものを損となす われかれのために既に此等これらすべてのものを損せしかどこれ糞土ふんどの如くおもへり これキリストをかつ信仰にもとづきて神よりいづる義 すなはち律法おきてよれおのが義にあらずキリストを信ずるによれる所の義をもちてキリストのうちをり また彼とその復生よみがへり能力ちからを知りその死のありさましたがひてかれくるしみあづかにもかくにもしにたる者のよみがへることを得んがためなり

 そうしてこの終わりにある、しにたる者のよみがえることを得んがためなりとあるよみがえりは、すべての人のよみがえりではありません。もししかすればこのところの力が全くなくなります。しかしそうでなく、これは第一のよみがえりにして、その幸いにあずかることはパウロの一番の望みでした。しかしてその次の節に

 われこれらののぞみを既に得たりといふあらまたすでにまったうせられたりといふあらあるひとることあらんとてわれたゞこれ追求おひもとむ キリストこれを得させんとてわれとらへ給へるなり

しるされました。パウロは聖霊に満たされて主のため熱心に働く者です。しかしかく明言しました。これによって見ますれば、パウロはこの世にる間、注意の上にも注意を加えて主に従うにあらざればこの幸いなるよみがえりにあずかることができぬと思いしことが明らかであります。しかしパウロの幸いなることは、主イエス・キリストがこの幸いにあずからせんとて自分を執らえていたもうとの確信がございました。ああ今晩主は私共をもこの幸いを得させんがためにとらえたもうことができましょうか。おおしかり、必ずとらえたまいます。そうして主は我等をとらえたまえば必ず聖霊をもっていんしたまいます。今日こんにち午後の集会あつまりにおいて読みたるエペソ書一章十四節を見れば、神が聖霊をもって我等にいんしたもうそのわけが記されました。すなわち

 神聖靈を以ていんしたまふはその買受かひうけし者を救ひかつおのれのさかえあらははさんためなり

とございます。しかしてこのところに買受かいうけけし者を救いとあるは、罪より救いたもうとのにあらずして、終わりの救いでございます。如何いかんとなれば聖霊をもって印せらるる者はその以前まえ既に罪より救われし者なればなり。また同書四章三十節

 神の聖靈をしてうれへしむることなか爾曹なんぢらすくひる日のためかれいんうけし者なり

 そうであれば神が聖霊をもって我等にいんしたもうわけは救いをる日のため、すなわち主イエス・キリストが再びきたりたもう日、我等はこの世界より取られて空中にて主にい、かくていつまでも主とともらんためでございます。されば我等がもしこの神の深き御思召おぼしめしわきまえずしてその準備そなえをいたしませんなれば実に永遠の損失でございます。もっとも、私はそういう信者が必ず永遠の滅亡ほろびに陥るとは申しません。しかし彼等は、主の再びきたりたもう日、なおこの世界に残されて大いなる患難なやみを経なければなりません。ああこれは実に恐るべきことであるから我等は今その日のために準備じゅんびしなければなりません。

 皆様はその日のきたらんとすることについては定めて研究なされたでございましょうが、わたくし今日こんにちごく簡単にそのことをお話ししましょう。それで主が空中まできたり教会を受けたまいし時は、この地上にはどういうことが起るかというに、すなわち聖書に記されたるところによれば、実に大いなる患難なやみが起ります。そうしてその時伝道は盛んになり、多くの者は悔い改めてキリストを信ずるようになりますが、しかしその時救われたる者は今の信者と同じ幸いを受くることはできません。すなわち主の嫁なる教会にあずかることはできません。黙示録七章四節を見れば

 われいんせられたる者のかずきゝしにイスラエルのもろもろ支派わかれのうちいんせられたる者あはせて十四万四千じふじまんしせんあり

とございます。この多くの者は主よりいんせられて神の前に立ち、伝道者となり宣教師となりて全世界に福音を伝えます。そうして同七章九節を見れば

 此後このゝちわれしに諸國、諸族、諸民、諸音しょいんなかよりかれも數へつくすことあたはざるほどの許多おほくの人白衣しろきころもをき手に椶櫚しゅろの葉をもち寳位くらゐこひつじの前にきたりてたて

とありますが、この多くの者は彼等の働きにより主を信じ救われたる者でございます。しかしこの多くの信者たちは主の嫁なる教会の者ではありません。我等が今日こんにち主より与えらるる特権はすなわちここでございます。主の嫁なる教会にあずかることができるということでございます。ああこれは誠に大切なることにしてまた最も嬉しきことではありませんか。

 愛する兄弟姉妹よ、どうか今より決心して、あなたの身もたまもまたあなたに属するものをも全く主に献げ、十字架を負うて主にお従いなさい。もし今あなたがそういう決心をいたしますなれば、主は今晩ここにてあなたに聖霊をもっていんしたまいます。聖霊は今このところに満ちたもうと信じます。聖霊は今この集会あつまりうちに働きたもうと信じます。しかして聖霊が今晩ここに働きたもう目的は、やはりこの集会あつまりうちから主の嫁なる教会の会員を起すためであります。いかがですか、あなたはその会員の一人となることを望みませんか。私はどうか今晩ここに集まりたる兄弟姉妹が一人も残らず、その幸いにあずかられんことを願います。しかしその日のために主イエス・キリストの仰せたまいし聖言みことばを注意してお聞きなさい。

 とき二人はたあらんに一人はとられ一人はのこさるべし 二人のをんなうすひきをらんに一人はとられ一人はのこさるべし (マタイ廿四・四十、四十一

 一人はとられ一人はのこさるべし、すなわち二人のうちの一人は主のきたりたもう時雲に携えられ空中において主にい言い尽くされぬ幸いを受け、今また一人はその時地上にのこされて大いなる患難なやみを受けなければなりません。ああもしその日が今晩きたるなれば如何いかがですか。もし主が今きたりたもうなればどうでしょうか。この主の聖言みことばりますれば、今しゅきたりたもうなればここに集まりたる多くの兄弟姉妹がたちまちふた組に分かれ、ひと組は取られひと組はのこされます。あなたはどの組ですか。あなたは取られる組にはいりましたか、またのこさるる組員ですか。どうかいま神の聖前みまえにて静かにそのことをお考えなさい。あなたは取られて雲に携えられ、空中において主にうことができますか。また地上にのこされてその大いなる患難なやみわなければなりませんか。ああ主イエス・キリストはあなたにこの幸いを得せしめんために今あなたに近づき、あなたをらえんとなしたまいます。どうかあなたも主の聖前みまえにお進みなさい。そうしてあなたの身もたまも全く主に献げてその日のために聖霊のいんをお求めなさい。されば主は喜びてあなたの求めをれたまいます。しかしてまたこの一切を献げて主に従うにあらざれば聖霊のいんを受くることができないことは道理ことわりでございます。もし我等が一分いちぶんは神のもの一分いちぶんおのれもの一分いちぶんは教会のもの一分いちぶんは世のものというようにつに属する者なれば、どうして主はそういう者を取りたもうことができましょうか。決して取りたもうことはできません。ゆえに我等はおのれおのれに属する一切を献げて主に従うことが最も肝要でございます。願わくば今晩ここに集まりたる者のうちより多くの兄弟姉妹が全き献身をなして、の日のために聖霊のいんを受けられんことを只管ひたすらに祈ります。



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