神 の きよめ

バックストン敎師講演



 ウジヤ王のしにたる年われ高くあがれる御座みくらにヱホバの坐し給ふを見しに その衣裾もすそ殿とのにみちたり セラピムその上にたつ おのおのむつつばさあり そのふたつをもておもをおほひ そのふたつをもて足をおほひ そのふたつをもて飛翔とびかけり たがひによびいひけるは 聖なるかな聖なるかな聖なるかな萬軍ばんぐんのヱホバ その榮光は全地にみつ かくよばゝる者の聲によりてしきみのもとゐゆりうごき家のうちにけぶりみちたり このときわれいへり わざはひなるかなわれほろびなん われはけがれたるくちびるたみのなかにすみてけがれたるくちびるの者なるにわがばんぐんのヱホバにまします王を見まつればなりと こゝにかのセラピムのひとりひばしをもてだんの上よりとりたる熱炭あかきひを手にたづさへてわれにとびきたり わが口にふれていひけるは よこの火なんぢのくちびるにふれたれば既になんぢの惡はのぞかれ なんぢの罪はきよめられたりと われまたヱホバの聲をきく いはく われたれをつかはさん たれかわれらのためにゆくべきかと そのときわれいひけるは われこゝにあり われをつかはしたまへ ヱホバいひたまはく ゆきてこのたみにかくのごとくつげよ なんぢらきゝてきけよ されどさとらざるべし 見てみよ されどしらざるべし (以賽亞イザヤ書六章一節より九節)


 既になんぢの悪はのぞかれ……おお実に幸いでございます。イザヤはよほど以前まえに罪の赦しを受けました。しかして一章十八節以下、また二章を見ますれば、彼は熱心をもってエルサレムの罪人つみびとに対して神のめぐみべ、罪の赦しを伝えました。けれどもイザヤはいまだ心の悪は全く除かれませんでしたが、この日、全ききよめを得ました。神のみたまの熱き火をもってきよめられ、あかしちからを受けました。この日、イザヤは殿みやにおいて明らかに神を見ました。その時までイザヤはたびたび殿みやもうで、祈禱いのりをなし、感謝を献げ、壇に載せたる犠牲いけにえを見て礼拝をいたしましたが、いまだ明らかに神を拝することができませんでした。けれどもその日、いつものごとく礼拝をなすときに、心のうちに確かに神のいましたもうことを感じました。イザヤはそのとき明らかに神の聖顔みかおを拝しました。その時までイザヤの宗教はただ化せられたる宗教ばかりでございました。すなわち他よりけたる宗教ばかりでございました。けれどもイザヤはその時初めて明らかに心の目に神を見、心の耳に神の聖声みこえを聞くことができました。イザヤはよほど以前まえより、神が殿みやうちに宿りたもうことを信じ、また神の聖声みこえの聞こゆることも信じておりましたが、その日初めてこれを実際に経験しました。そうしてイザヤはその日真実ほんとうに自分のけがれたる有様を認めて真心まごころをもって懺悔しました。また真実ほんとうに罪のきよめを経験しました。イザヤはこれまでたびたび表面うわべに讃美をうたいましたが、その日初めて真心まごころから溢るる讃美を献げました。

 おお兄弟姉妹よ、私共はたびたび神の聖前みまえでて懺悔をなし、祈禱いのりをなし、また感謝をいたします。けれどもこれはただ化せられたる宗教ばかりではありませんか。人間に教えられたる礼拝ばかりではありませんか。どうぞ静かにこのことをお考えなさい。実にこれは大事です。真心まごころをもってすると、ただ人間より教えられてこのことをなすとは、実に大いなる相違があります。神が聖徒の集会あつまりうちいましたもうことは誰でも信ずるところのことです。また誰でも主イエスの御約束おやくそくを信じますから、主イエスがこういう集会あつまり真中まんなかに立ちたもうことも信じます。けれどもあなたはそのことを真実ほんとうに経験したることがありますか、どうですか……神は一昨々晩からこの集会あつまりにいたまいます。そうしてこのことを真実ほんとうに経験したる兄弟姉妹が多くあると信じます。わたくしはこれを経験しました。これはただ信仰ばかりでなく、心のうちに確かに経験いたしました。おお兄弟姉妹よ、神は今晩もう一度ここにいたまいます。どうぞほかの思いを棄てて、いま静かに神を見上げよ。どうぞ神のしもべを見ず、主イエスを明らかに見よ。

 イザヤはその日、殿みやにおいて神を見ました。そうしてイザヤはこれにって新しきめぐみを得ました。すなわちイザヤはその日、全ききよめを得、またあかしちからを受けました。たぶんその時、礼拝人は殿みやうちに満ちていたでございましょう。その集会あつまりはよほど多勢おおぜいの集まりであったと思います。けれどもその多勢おおぜい集会あつまりうちにて、その多数の礼拝者のうちにてただ一人神を見ました。ただ一人新しき経験を得ました。その時たぶんイザヤの右にも左にも多数の人がおりましたでしょう。けれどもただイザヤばかり信仰の目をもって明らかに神を見ました。ただイザヤばかり神の聖声みこえを聞きました。おお今晩明らかに神を見る者は誰ですか。たぶんここに一人、彼処かしこに一人、信仰の目を開きて神を見る者がございましょう。今晩たぶんここに一人、彼処かしこに一人、神を見て全ききよめを受くる者が起りましょう。そうしてその右左みぎひだりには多勢おおぜいの人がおりますが、その人々はただ神のしもべばかりを見ます。ただ集会あつまりを見物します。おお兄弟姉妹よ、今晩どなたが神を見ますか。どなたが信仰の目を開きてこの集会あつまり真中まんなかに立ちたもう主イエスを見ますか。その時イザヤは神の大いなる聖能みちからを見ました。ヱホバの栄光の聖座みくらいに坐したもうを見ました。おおどうぞ今晩、神の大いなる聖能みちからを見よ。どうぞ主イエスの大いなる聖能みちからを見よ。御存じの通り、主イエスはあなたのために全く悪魔に勝ちたまいました。悪魔のわざを全くこぼちたまいました。主イエスは今晩、栄光の高座くらいに坐したまいます。しかしてその主イエスは今あなたの小さい心から悪魔の仕業を全くしりぞけたもうことができますまいか、どうでしょうか。

 おおどうぞただ信ぜよ。私共はたびたび自分のちからを恃みて心のけがれをきよめんとし、主イエスの聖能みちからを頼まぬことがございますが、それは実に偽りです。大いなる偽りです。私共はどれほどもがいても自分を救うちからはありません。ただ悪魔に全勝を得て栄光の高座くらいに上げられたまいし主イエスのみ、あなたの心より悪魔の仕業を全く追い出すことができます。確かにできます。けれども或る兄弟は、今晩はかく多勢おおぜいきよ集会あつまりに集まりておるからたいそうちからがありますが、明日あす一人びとりで職業に従事したる時は如何いかがであろうか、来週悪魔の火箭ひやを受けたればどうであろうかと恐れます。けれども栄光の高座くらいに上げたれたまいし主イエスにり今晩全ききよめを受くれば、その主イエスは明日あすも来週もまたいつまでもあなたを守りたまいます。あなたを全く守りたもうことができます。主イエスが再びきたりてあなたをけたもう時まで、あなたの全霊全生全身を守りたもうことができます。おお私共の救主すくいぬしはそれほど大いなる救主すくいぬしであります。それほど強い救主すくいぬしであります。おおどうぞこの大いなる主イエスを見よ。どうぞ主イエスの聖能みちからを信ぜよ。

 その時イザヤは主の聖顔みかおを恐れました。自分の心がきよめられませんから主の聖顔みかおを見ることを恐れました。そうしてイザヤはどうか主の聖顔みかおを避けたいと思うたでございましょう。されどもその衣裾もすそ殿とのにみちておりますから逃げられる場所がありません。どこに行きてもしゅさわらねばなりません。おおこれは実に恐ろしいことです。全ききよめを受けざる者が主の聖前みまえに立つことは実に恐ろしいことであります。今まであなたの心のうちに戦いがありましたでしょう。また今晩も戦いがありましょう。神はあなたに身もたまも全く献げよと命じたまいます。けれどもあなたは献ぐることを好みませんから、今でも戦いがございます。また神はあなたに向かってきよくなれと命じたまいます。けれどもあなたは信仰をもってきよめらるることを望みませんから、あなたのうちにはなお戦いがやみません。おおどうですか、あなたは今一度、神に近づきとうございますか。けれどもあなたは全ききよめを得ませんなれば、神に近づけば近づくほど戦いが強くなります。イザヤのごとくあなたは神の聖面みかおを恐れて逃れたくなりましょう。けれども神の衣裾もすそ殿とのにみちておりますから逃れるところがございません。おお今晩、信仰の目を開きてここに満ちたもう神を見よ。今晩信仰の手を延べて神にさわれよ。これは実に幸いであります。主イエスの御在世中、主のころもさわりたる者はいかなる病気でもたちまえしごとく、今晩信仰の手をもって主にさわればあなたのやまいたちまいやされ、あなたのけがれは必ずきよめられます。おお神は今あなたに近づきたまいます。どうぞ信仰の目を挙げて神を見よ。イザヤは実にこれを見ました。けれどもイザヤの心のうちにはただ戦いのみでありました。

 またイザヤはその時ただ神ばかりを見ません。神はイザヤに御自分のしもべをも見せたまいました。すなわちセラピムをも見せたまいました。神はイザヤに、神の真実ほんとうしもべはどういうものであるかということをさとらしめたまいとうございます。また神に満たされたる者はどういうものかということを示したまいとうございます。このセラピムは神のれいに化せられたる者です。セラピムの意味は燃ゆる者、すなわち聖霊に満たされて燃ゆる者です。天にる神のしもべはかくのごとく燃ゆる者でございます。地上にる神のしもべも同じく燃ゆる者であるはずです。そうしてこの燃ゆるしもべには六つのつばさがございまして、その二つをもっておもをおおい、すなわち神の聖前みまえおもをおおい、そうして神を待ち望みます。聖霊に満たされたる者はその通り常に神の聖前みまえ俯伏ひれふして身もたまも神に献げ、つばさをもってそのおもをおおいます。これは真実ほんとうの礼拝でございます。すなわちおのれを全く献げて神を礼拝いたします。次に二つのつばさをもって足をおおいます。これはおのれかくすことです。かくのごとく聖霊に満たされたる者は謙遜でございます。聖霊がくだりたまえば私共の高慢また我儘わがままは全くせます。聖霊に満たされたる神のしもべはかくのごとく全くおのれかくします。また第三に、その二つのつばさをもって飛びかけります。すなわちいつも神の聖声みこえを待ち望みてその命令に服従し、その聖声みこえに従うてけ歩きます。そうして彼らは常に神の聖なることとその栄光の全地に満つることを感じて歌います。おお聖霊に満たされたる神のしもべはかくのごとく常におのれを献げて神を礼拝します。またおのれかくして生涯を送ります。またいつも神の聖声みこえを待ち望み、その聖声みこえに従います。また彼等は神の聖なることを感じて讃美の生涯を暮らします。おお私共の生涯は如何いかがですか。あなたはこの燃ゆる者のごとき生涯を暮らしておりますか。あなたはこのセラピムのごとく謙遜をもって、熱心をもって神につかえておりますか。私共は神のしもべ、また神の子供ととなえらるる者ですから燃ゆる者であるはずです。おおどうぞ自分の生涯をこのセラピムにくらべ見よ。どうぞいま神の光に照らされ自分の心の有様を反省かえりみよ。

 イザヤはこの時、自分の有様を考えて、ああ災いなるかな、我は亡びなんと叫びました。イザヤは今まで神のしもべとなえられ、熱心をもって神につかえたる者であります。けれどもいま神を見たる時、また神の真実ほんとうしもべを見たる時に、ああ災いなるかな、我は亡びなんと叫びました。今までの熱心は肉にける熱心であり、今までの愛はごく冷淡でございました。今までたびたび神の聖旨みむねを犯して自分のむねを行いました。今までたびたび礼拝の精神なく、祈禱いのりの精神なく、ただ表面うわべの礼拝をなし、また表面うわべ祈禱いのりをしました。今まで自分の心のうちにはただ高慢たかぶり、ただおのればかり満たされておりました。ああ災いなるかな、我は亡びなん。おお神は今晩この集会あつまりにおいてこういう叫びを聞きたまいとうございます。おお兄弟姉妹よ、あなたはいま神の聖なることを認めましたか。また神の真実ほんとうしもべを認めましたか。そうしてあなたは自分のけがれたる有様、自分の冷淡なる有様、また自分のただ偽善者ばかりであることを認めて、心の底から、ああ災いなるかな、我は亡びなんと叫びますか。

 ああ災いなるかな、我は亡びなん、我はけがれたるくちびるたみのなかにすみてけがれたるくちびるの者なるに……イザヤは神の栄光を拝し、また天の使いたちのきよき讃美を聞きしとき、自分のけがれたる有様を悟り、自分はとてもそういう清き讃美をうたうことができないと思いました。イザヤはいまだそういう経験がありませんから、天の使いたちとともに神を讃美することはできないと感じました。おお兄弟姉妹よ、あなたはこの歌をうたうときにそういう感覚が起りませんか。あなたは神の栄光を拝し、きよき天の使いたちのかおを見て、自らのけがれたる有様を悟り、自分はそのきよき天の使いたちのうちつらなり清き讃美を歌うことはできないとは感じませんか。おおあなたは自分のけがれたる有様を真実ほんとうに感じますか。そうしてあなたはいつまでもそのけがれたるままにて暮らさねばなりませんか。またあなたはいつまでも、ああ災いなるかなと叫ばねばなりませんか。いいえ、そうではありません。神は何故なにゆえに私共にこのけがれたる有様を示したもうかとなれば、神は私共にこれを示して、私共を全くきよめたまいとうございます。神は私共に新しき歌をうたわしめたまいとうございます。新しき感謝の歌、きよめの歌、救いの歌をうたわしめたまいとうございます。おお兄弟姉妹よ、神は今あなたに、あなたのけがれたる有様、あなたの偽善、あなたの冷淡、あなたの高慢なることを示したまいますか。されば神はあなたよりそれらを全く、取り去りたまいとうございます。神は今あなたを全くきよめたまいとうございます。あなたは今までの自分のけがれたる有様をご覧なさるとき、たいそう痛みを覚えて失望し、ああ災いなるかなと叫びましょう。けれども神はその叫びを聞きたまいます。確かに聞きたまいます。イザヤがその通り叫びたる時、ここにかのセラピムのひとりひばしをもてだんの上よりとりたる熱炭あかきひを手にたずさえて我にとびきたりわが口に触れていひけるは、見よこの火なんじのくちびるにふれたれば既になんぢの悪はのぞかれなんぢの罪はきよめられたりと。おお私共のためにはだんの上に載せたるこひつじがございます。主イエスは私共を罪より救わんがために、またすべての不義よりきよめんがために、十字架の上に死にたまいました。主イエスは私共に聖霊の熱き火を与えんがために十字架上に死にたまいました。おお聖霊の降臨は主イエスの十字架の一つの結果でございます。おお十字架上の主イエスを見よ、主イエスは私共に聖霊を与えんがために十字架上に死にたまいました。おおハレルヤ、主イエスが死にたまいしことによって私共は熱炭あかきひを頂戴することができます。神は今あなたにこの熱炭あかきひを含めたまいとうございます。あなたに向かって既になんじの悪は除かれなんじの罪はきよめられたりと仰せたまいとうございます。イザヤはこの時熱炭あかきひを頂戴しました。そうしてその時全ききよめを受けました。それですからイザヤは今まで神の聖前みまえを恐れましたが、今きよめを受けましたから大胆に天の使いたちと一処いっしょに立ちて讃美をうたうことができるようになりました。救いの歌、きよめの歌をうたうことができました。おお今晩私共のうちにも新しき歌があると思います。この間からきよめを得ましたから信仰をもって神をたてまつりとうございます。イザヤはその日、大胆に天の使いたちと一処いっしょに立ちて新しき歌をうたいました。おおこれは実に嬉しいことでございます。これは天国の喜楽よろこびでございます。そうしてイザヤが声を上げて神を讃美する時に、神の細き声を聞きました。今までイザヤはその声を聞くことができませんでした。けれども今、全ききよめを受けましたから神の御声みこえを聞くことができました。

  われたれをつかはさん たれかわれらのためにゆくべきか

 おお神は今もかく仰せたまいます。今晩この集会あつまりうちにも同じみこえが響きます。われ誰を遣わさん、誰かがために罪人つみびともとくべきかと。おお神は今晩どなたを遣わしたまいますか。どなたが神より遣わされて罪人つみびともときますか。どなたが主のため喜びて十字架を負いますか。われ誰をつかはさん。おお兄弟姉妹よ、あなたは真実ほんとうに神に身もたまも献げますか。さればあなたはこの世にける一切を棄て、神の栄光と罪人つみびとすくいにのみ力を尽して働きましょう。あなたの生涯の目的は決してほかることなく、ただこの一事となるはずです。われ誰を遣わさん、誰か我らのためにくべきか。おお主イエスはいま私共に仰せたまいます。誰かわがためにくべきか、誰かわれともにゲツセマネの苦しみにうべきか、誰かわれともにピラトの庭の恥と痛みを忍ぶべきか、誰かわれとも罪人つみびとを救わんために十字架に耐え得るか、われ誰を遣わさん、誰かわがためにくべきかと。おお今晩、主イエスのこの聖声みこえに従う者は誰ですか。あなたは主イエスとともに十字架を負う決心ができましたか、どうですか。けれどもこれはただ苦しみばかりではありません。実に大いなる栄光さかえであります。これは実にたっとぶべきことでございます。私共は今晩ここにて親しく神を見れば、神より遣わさるることの大なる栄光さかえなることを知ることができます。神のしもべは神とともに神のくらいにあることは何より慕うべきことであります。よしそのみちにはどういう苦しみがありましても、如何いかなる十字架がありましても、神の使つかいとなることは何より大いなる栄光さかえであります。われ誰を遣わさん、誰か我らのためにくべきかと。おお今晩、神の細い、小さいみこえがここに響きます。おお兄弟よ、あなたはそのみこえを聞きましたか。聞きて聖声みこえに従いますか。おお姉妹よ、あなたは神のめしを聞きませぬか。あなたは主のめしに応じませぬか。イザヤはその聖声みこえを聞きました。そうしてその時、

 われこゝにあり われをつかはしたまへ

と大胆に答えました。神の聖前みまえには神の使命に従うべききよ使者つかいたちはたくさんにあります。けれどもきよめられたる者は大胆をもってその使者つかいたちの前にてわれを遣わしたまえと叫びました。十字架を負うことを願いました。かくきよめられたる者は喜びておのれを棄て、神の戦いにきます。われここにあり、われをつかはしたまへ。おお今晩同じ大胆をもって神の聖声みこえに応ずる兄弟姉妹がございますか、どうですか。われを遣わしたまえ。おおここに表面うわべには牧師、伝道師ととなえられる兄弟がございます。おおあなたは今まで神のために働くと思いましたでしょう。けれども真実ほんとうに十字架を負うて赤心まごころをもって滅亡ほろび罪人つみびとを尋ねましたか。またはただ冷淡なる働きばかりをいたしましたか、どうですか。おおどうぞ今晩ふるいことを全く棄てて、冷淡なる有様を離れて、新たに神の聖声みこえを聞き、われここにあり、われを遣わしたまえとお答えなさい。今あらためて身もたまも全く神に献げなさい。そうすれば神はあなた方各位ごめいめいをもってこの東京を動かしたまいます。ただに東京のみならず日本全体を動かしたまいます。またただに日本国のみならず、神はここにる私共をもって全世界を動かしたもうことができます。おお兄弟姉妹よ、あなたは今晩、神の聖声みこえを拒みますか。主のめしを断りますか。心のきよめをいなみますか。またはあなたは真心まごころをもって神のめしを聞き、喜びて身もたまも神に献げますか。そうしてあなたはこの栄光さかえある高座くらいのまわりにはべる神の使者つかいたちの列に加わりますか。その時イザヤは真実ほんとうにセラピムとなりました。神のれいに満たされて燃ゆる者となりました。イザヤはその日よりユダヤびとうちに燃ゆる者となり、彼らのうちに神をべ、主イエスを預言しました。また聖霊を預言しました。おお兄弟姉妹よ、あなたも今日こんにちイザヤのごとく喜びて身もたまも神に献げますなれば、神は必ずあなたをセラピムとなしたまいます。あなたを燃ゆる使者つかいとなしたまいます。神はあなたにあかしちからを与えたまいます。あなたの働きにける火を与えたまいます。おお兄弟姉妹よ、あなたは今晩、神の聖声みこえに対して何と返答いたしますか。神の召しに従いますか、またはこれを断りますか。おおあなたは何と決心いたしましたか。私はこのたび聖霊みたま証拠あかしをもって各位ごめいめいに神のめしを聞かしめました。それゆえに今晩、あなたが神のめしそむきましてももはや私の罪ではありません。どうぞ赤心まごころをもって神の聖声みこえを聞き、喜びて身もたまも神に献げて燃ゆる者とおなりなさい。


東京聖別會講話筆記 終



明治三十一年七月五日印刷
同     七月八日發行               定價金貳拾錢

       東京市京橋區竹川町十七番地寄留
發  行  者        中 川 藤 四 郎
       東京市芝區田村町廿二番地
筆  記  者        伊  藤  藤  吉
       神奈川縣橫濱市太田町六丁目百四番地
印  刷  者        廣  瀨  安  七
       神奈川縣橫濱市太田町六丁目九十四番地
          東京印刷株式會社
印  刷  所        橫  濱  分  社
       東京市京橋區竹川町十七番地
發  賣  所        日 本 聖 公 會 出 版 社


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