本書の第二版を出さんとて序文を求められることは、私の神に対する大いなる感謝であり、深い欣快である。
神は恵み深くも、ご自身の栄光のためにこの小冊子を用いるを善しとしたもうた。本書を通して恵まれ、キリストの贖いの血に対する信仰の堅くせられ強められたる証言が諸国より届いている。或る人々はキリストの十字架とそのお苦しみを通して、一層深い一層充実したる経験を求めるように導かれた。
私はいま聖霊が神の栄光とその民の祝福のためになおますますこれを用いたまわんことの切なる願いをもってこの第二版を送り出す。
一九二八年十月 ローサンにて
A・パゼット・ウィルクス
およそ一世代以上も前に、『イエスの血』と題する小冊子が広く用いられ、多くの覚罪せる人々の心に光明と平和と祝福とを与えたが、今日それは絶版になり、容易に見当たらぬ。その小冊子には、この大主題のただ基本的の真理だけを取り扱ったと言ってもよいほど、単純に言い顕してあった。
私はそのような書物の今なお必要なことを感じおることが久しい。されば本書の発行はかかる有益な目的を果たすためである。
本書の内容は五年以上も以前に聖書研究生のために講述したものであるが、これを出版するよう勧告を受けた。私はこれを躊躇したけれども、以前出版した動力集の諸書に対する歓迎に励まされて、敢えてその勧告に従い、本書が覚罪した人々の心に、真に一つの『動力』にてあり得るよう、祈りつつ送り出す次第である。
本書の或る章の名には異議を唱える人もあると思うゆえに、予め断りおく。私は当然『死』または『十字架』と言うべきところに『血』という語を用いた。それは単に言いあらわしを一様にするためである。
もちろん我らは『キリストの血』という語によって、キリストの注ぎだしたまえる御生命、キリストの死、キリストの十字架、キリストの御受難を意味するのである。もし読者がこのことを憶えて本書を読まれるのならば、全くではなくとも多くの故障は解消すると思う。
私はいずれの意味よりしても、本書を神学的論文として提出するものでない。ただ単純に信ずる霊魂に対して祝福とならんことを望みて送り出す。今の微妙なる不信仰の時代において、ひとたび信じて平和を得ながら、『知的言辞にて言いあらわされたる信仰』という風に仮装してくる合理論に毒せられて、安定を失う人々がある。かかる人々のために、私が本書に繰り返し述べる単純なる真理が、力となり慰めとなるべきを信ずる。いわゆる真理の現代的説明なるものは、単に宗教的言辞に装われたる純粋の合理論以外の何ものでもなく、神的啓示を真実に真面目に信ずる者の何ら関わるところにあらざれば、何人もそれに欺かれんことを望む。
一千九百二十四年、ロンドンにて
A・パゼット・ウィルクス
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