結 語
さて、私はいかに結語を綴るべきであろうか。それには、私が本書中にたびたび引用した、霊感に近い文章の著者によって書かれた語よりもまさって心を探る、またまさって恩恵に満ちた語はあり得ない。
もし何人でも、これまで本書に書いたところを読んで、キリストがその犠牲によって彼らのために買いたまえるすべてを充分に見たならば、そして彼らの心がそれに動かされて、棘と釘と槍をもって私共のために開かれた聖所をば求めて見出し、戸を叩き、そこに入らんと欲するならば、私はその人々を導き、次に引用する語をその唇にもって神に近づかしめたいのである。
「主よ、あなたの霊的神殿なるわが霊魂は、いつまで強盗の巣、売買の家にてあるべきであろうか。人の手にて造られたあなたの神殿が売買する者によって汚されたごとく、いま霊的神殿が無益な思想に汚されて幾許の時を経べきであろうか。善からぬ気質がわが内に宿り、不信仰や、外形的儀式や、偽善や、嫉妬や、肉的快楽の渇望や、霊的悦楽に対する無頓着や、苦痛と恥辱を伴う義務に対する逡巡などが、ここに留まって幾許の時を経べきであろうか。しかり、これらの羊や鴿、山羊や蛇が、至聖所のごとく純潔なるべきわが胸を汚して幾許の時を経べきであろうか。実にこれらのものが、霊と真とをもってあなたを拝む者の一人たることから私を妨げて幾許の時を経べきであろうか。おお、願わくはこれらの汚れたる鳥の籠を取り去るよう、我を助けたまえ! 忽然とあなたの神殿に来りたまえ! あなたの純潔の御目に障るすべてのものを追い出し、キリスト者たる『汝の民の爲になほ遺れる安息』(ヘブル四・九)に入ることより私を妨げるすべてのものを毀ちたまえ。かくて私はわが生命の神に対して、キリスト教的ヨベルなる霊的安息を守るであろう。かくて私は、あなたがその伴侶らにまさって完全なるキリスト者に注ぎたもう喜びの油に与れることを証するであろう。
「主よ、私は油の欠乏を感ずる。わが燈火はほの暗い。愚かなる処女らのそれのごとく、時には消えんとするごとくにさえ見える。それは燃えて輝く光よりは、むしろ煙れる麻のごとくである。おお、それを消えしめず、焔にまで燃えしめたまえ!
「あなたは、わがあなたを信じまつるを知りたもう。わが震える手はなおあなたを保ちまつる。しかしてたとえ幾千度、私はあなたの赦しの愛を痛めまつるとも、あなたの御手は仁慈と憐憫を私にかむらしむべく、わが上にあるとともに、あなたの永遠の御腕は、わが生命を滅びより贖うべく、わが下にある。にもかかわらず、哀しいかな、私はあなたの現在の慈悲を充分に感謝せず、あなたの将来の恩恵に向かって充分に渇き求めもしない。それゆえに私は、あなたの聖言のうちに描き出され、あなたの最も聖き僕等によって享受された、恩寵の高処に達していないことを自覚して、わが霊魂のうちに痛ましき空虚を覚える。あなたの最も聖き僕等の深い経験、彼らがあなたの聖旨を行えるその精励と熱心、彼らがその十字架に耐えたその忍耐と剛毅等は、私を非難し、わが様々の欠乏を覚らしめる。私は上よりの能力を要する。私は聖者よりの透徹する永続する油注ぎを要する。私は聡き処女らの顔を楽しげにする油の満ちたるわが器──広い心──を持つことを要する。私共は、神殿における型の燈火のごとく、また祭壇の聖火のごとく、わが胸に日も夜も燃え続く天的照明の燈火と神的愛の火を要する。私はすべての罪より浄める血の充分なる適用と、あなたの聖める御言に対する強い信仰を要する。すなわちあなたがそれによって、栄光の動かざる望み、わが愛の固定せる対象として、わが心に住むことを得たもうところの、その信仰を要する。私は衷なる託宣所、すなわちウリム・トンミム(ヘブル語にて光と完全を意味する)とともに『靜なる細微き聲』(列王紀上十九・十二)またそれを受ける者のほか誰も知らざる新しき名を要する。要するに、主よ、私はあなたの御霊の盈満、聖父の全き約束、あなたの配与の完全にまで進んだ信者らの、霊魂の奥より流れ出ずる河々を要する。私は、あなたがかく聖霊と火をもって私に施すことを得たまい、また施すことを欲したもうことを信じまつる。冀う、わが不信仰を助け、この肝要なるバプテスマに関してわが信仰を堅くし、また増し加えたまえ。主よ、かく私はあなたにバプテスマを受けることを要する。しかして私はこのバプテスマの成し遂げられるまで心に思い逼まる。馬槽におけるあなたの涙のバプテスマ、ヨルダンの水のバプテスマ、ゲツセマネにおける汗のバプテスマ、カルバリにおける血と火と煙の気と燃ゆる怒りのバプテスマによって、バプテスマを施したまえ。おお、わが霊魂にバプテスマを施したまえ。しかしてあなたの最後のバプテスマが、エバの娘より受けたまえるあなたの罪ある肉の形の終わりとなれるごとく、そのバプテスマをわがアダムより受けたる原罪の全き終わりとならしめたまえ。あなたの民の或る人々は、罪よりの全き救いは死に至るまで来らぬと思う。されど主よ、私はあなたのご命令に随いてあなたを見上げまつる。わが霊魂に向かって『我は汝の救なり』と仰せたまえ。しかしてあなたが『あなたに賴りて神にきたる者を全く罪より救ふ』こと(ヘブル七・二十五)をわが悟性の理解するごとく、わが心に感ぜしめたまえ。儀式、告白、また正統的観念が、わが死ねる暗い石の心に生命と光明と愛を運び来る管か水道でない限り、私はこれらのものに飽き果てた。あなたの福音の明白なる文字も、あなたの霊の甘美なる前味や、一時的の照明も、わが信仰の大望を満足することはできない。聖霊が絶えずあなたの愛をわが霊魂の中に灑ぎ得たもうために、あなたの内住の御霊を私に与えたまえ。
「おお主よ、その頌むべき御霊をもって来りたまえ。その聖なる慰め主に在って、あなたもあなたの聖父も来りたまえ。来りてあなたの住まいを私と共にしたまえ。しからざれば私はおとなしく嘆きつつわが墓に下り行かん。幸いなる嘆きよ! 主よ、この嘆きを増したまえ。私はあなたの霊の賜物の破片をば気まぐれに浪費し、或いはわが過去の経験の汚れたマナをラオデキヤ的満足をもって食せんよりは、むしろ涙のうちにあなたの盈満を待ち望まん。義しき父よ、私はあなたの義を慕いて飢えまた渇く。御霊をもって私を盈たし、徹底的に私を聖め、永遠の贖い、完成したる救いの日まで、中心的に私に印するために約束の御霊を送りたまえ。『我らの行いし義の業にはよらで、ただキリストのためなる汝の憐憫により』、更生の全き洗いと聖霊の充分なる維新により、私を救いたまえ。そしてそのためにあなたの御霊を流し出し、豊かにわが上に注ぎたまえ。わが霊魂の中に活ける水の泉が豊富に湧き出で、私が、あなたのわが衷に住みたもうこと、しかしてわが霊はそれを授けたまえる神、始めであり終わりであり、わが造り主、わが終末、わが神、わが一切にてありたもうあなたに帰ったと、言葉の充分なる意味をもって言い得るまで、豊かにわが上に御霊を注ぎたまえ」。
贖 罪 の 動 力
頒布価 ¥900
昭和27年7月20日 初版発行
著述者 パゼット・ウィルクス
発行所 バックストン記念霊交会
武蔵野市境南町4丁目7−5
振替口座 東京6−66649番
郵便番号 180
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