ヤ コ ブ の 勝 利

昭和四年一月神戸キリスト教会で開催された神戸リバイバル聖会に於ける
リダウト博士の説教



 『わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません』(創世記三十二・二十六)

 ヤコブという人は奇妙な人物で、彼にはいろいろな罪や、正しからざることがまといついていました。彼はこの上もない信仰深い両親をもっていましたが、やはり罪の中に生まれました。しかし、彼にはそれほどさまざまな罪や良からぬことがまとわりついていましたが、驚くべきことには、それよりもさらに勝る大いなる神の恩恵めぐみが、彼に注がれていたことであります。
 聖書は明らかに彼が二つの恵みを経験したことを物語っております。第一の恩恵は、創世記二十八章にあるベテルにおいて、第二の恩恵は、三十二章にあるペニエルにおいてであります。
 この第二の恩恵を得たのは第一の恩恵を得てからちょうど二十年後のことであります。或る人々は、私には第二の恩恵など必要ないと言いますが、ヤコブという人にはこれがぜひ入用でした。それゆえにこれを得るために悶え悶えて、神の人と争い、組み討ち、死闘を尽してもこれを得なければやまぬ、という念願がここに現れております。これは実にヤコブのペンテコステで、魂の戦場であります。かく彼をして得なければやまざらしめた原因は、隠された彼の罪のためであります。彼の兄エサウが四百人の部下を連れて彼に来ると聞いた時、彼は二十年前に兄を偽った罪を思い出して苦しみ悶えております。既に二十年も経たのですから忘れてしまっていると思っていたのですが、そうではありません。彼はこの過去の大いなる罪に直面してここで苦しまねばなりません。兄弟姉妹方よ、記憶されよ、悔い改めていない罪、赦されていない罪、キリストの宝血のもとに持って来ておらぬ罪は、神の審判の時にことごとく呼び出されねばならないのであります。たとえそれが二十年、三十年、五十年経っていても──。
 ヤコブは、兄エサウ来る! と聞いた時、懼れ、おののき、苦しみ、『どうぞ、兄エサウの手からわたしをお救いください』(三十二・十一)と祈り求めました。だんだん祈っているうちに、ヤコブは兄エサウよりも、まずヤコブより救われねばならぬことを知りました。今日でも多くの人々はヤコブのごとく、兄エサウより救いたまえと祈りますが、何ぞ知らん、ヤコブ自身、すなわちあなた自身から救われねばならぬことを学ばしめられます。「私の夫を救って下さい、夫はあの通りの者です、どうか夫を救って下さい」と祈りますが、しかしそう祈る前に、まずあなたが救われねばなりません。夫はまずその妻と祈るでしょう。或る基督者は、「私の周囲の人達を救って下さい。あのような人達がいなければ私はもっと信仰深い者となっています」と言うかもわかりません。しかしそう祈る前に、まず私から、私のうちにあるヤコブから救って下さいと祈りなさい。ご覧なさい、ヤコブを。ヤコブに勝利が来てほんとうに恵まれた時にエサウからも救われました。ヤコブと神との間が正しくされた時、兄エサウと接吻することができました。ですから人のことを云々しないで、まずあなた自身からきよく正しくされなさい。そうすれば神は見事に手際の良いみわざをして下さいます。
 今やヤコブの目には兄エサウが見えず、人が見えず、神の聖前みまえに自分自らを取り扱われてついに勝利を得ました。その第一段階、すなわちその秘密は、彼が、自分の周囲から、一切の所有物から、骨肉からも離れ、唯一人になったことです。

 『彼はその夜起きて、ふたりの妻とふたりのつかえめと十一人の子どもとを連れてヤボクの渡しをわたった。すなわち彼らを導いて川を渡らせ、また彼の持ち物を渡らせた。ヤコブはひとりあとに残った』(創世記三十二・二十二〜二十四)

 ヤコブに属する者は一切、ことごとく川を渡らせ、彼は唯一人、そこにとどまって神のお取扱いを頂きました。この集会で、ほんとうに後残りのする恵みのわざは、すべてのものから離れてただ一人になって神に直面して取り扱われ、活ける神に逢いまつることです。
 第二は、彼は夜の明けるまで力を尽して神と力比べをしました。すなわち彼は熱心でありました。衷心から力を注ぎ出し、力をつくして恵みを求めました。祈りながら居眠ったのではありません。祈り、祈り、祈り貫きました。ちょうど人が角力すもうをする時、そこには寸分の隙も油断もなく、力と力との闘いです。そのように祈り、祈ったのです。熱を加え、焔をかき立て、力を極めて神を捕えて祈ったのです。
 第三に、自分の必要を告白しました。しかもこれを明らかに申し上げました。天使が『あなたの名はなんと言いますか』と問うた時『ヤコブです』と申し上げました(二十七)。彼の生れた国では決して意味のない名は付けません。いつもその名はその人の実質を表しています。ヤコブという名は結構なありがたい名ではなく、押しのける者、偽る者、二心の者という名です。ですから、あなたの名は、と問われた時、私の名はヤコブです、人を押しのける者です、偽る者です、二心の者です、と明らかに自分の実質を申し上げました。兄弟姉妹、私達が神の恵みを頂くためには、自分の真相を偽ることなく、的確に申し上げねばなりません。私は偽る者です、心の悪い者ですと、心の有様をそのままに申し上げねばなりません。神は真っ正直に告白する魂を、そのとおり正直に取り扱って下さいます。どうですか、今、このところに天の使が来て、あなたの名は? と問われたなら、私の名は高慢な者、慾深、むさぼり、ねたみ、怒りっぽい者です、と申し上げることができますか。ヤコブはかように自らの真相をありのままに申し上げましたときに、天使は言いました。

 『あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。』(二十八)

と彼に新しい名、新しい性質を与えられました。これこそ私達の宗教が与える、驚くべき恵みです。今まで自己中心であった醜いものをことごとく取り除いて、その性質を変えて、新しい、神のものとされました。ですから周囲の人達さえも、なるほどあの人は変わった、と新しい名を付けます。
 夜は明けました。太陽は赫々と東天に輝きわたっています。この朝こそヤコブには驚くべき恵みの朝でありました。私は想像します。その朝、まだくしけずりもせぬヤコブに会ったラケルが「どうしたのですか、ヤコブさん」と言った時、ヤコブは静かに言ったでしょう、「ラケルよ、もはや私をヤコブと呼んでくれるな」「それはいったいどうしたことですか」「そうです。私をこれから二度とヤコブと呼んでくれるな、イスラエルと呼んでくれ。私は昨夜、祈り、祈って神と争ったのです。そうして夜明けになって、神はこの新しい名、イスラエルという名を付けて下さったのです。これは神から頂いた私の名です」。
 神に勝つ、神を負かすことは、イスラエルとなった時です。これはまた人に勝つ前に、まず神に勝つ者でなければなりません。



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