出 エ ジ プ ト 記 講 演

大正十四年一月より六月まで神戸市御影、聖書学舎における
ソーントン先生の聖書講演


生 命 の パ ン

──出エジプト記第十六章──



 ヨハネ福音書第六章を読みますと、この出エジプト記十六章に書かれてあるマナは主イエスの型であることを学びます。ヨハネ福音書において五つのパンと魚をもって五千人の群集を養い、大いなる奇蹟を行いたもうたあとで、多くの群集はパンを得るためになおもイエスに近づいて行きました。そうして彼らはこのマナの問題を持ち出して、われらにもそのパンを与えよと主に求めた時、主は彼らに答えて、

 『わたしは命のパンである。あなたがたの先祖は荒野あらのでマナを食べたが、死んでしまった。しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である』(ヨハネ福音書六・四十八〜五十一

 出エジプト記十六章とヨハネ福音書六章とを比較して研究しますと、ここに三つの教訓を学びます。
 まず第一に、朝ごとに集めることです(出エジプト記十六・二十一)。主は私共のマナでありますから、私共は朝つとに起き出て、日の暑くならぬ先にこれを集めて食すべきであります。私は今日まで十六年間この生活を送りましたが、実際に朝早くにマナを集めなければ、その日は再び得られません。もし私が朝早くに起き出でて暗いうちにこれを集めなければ、その日は終日ひもじい日です。ですから私はもう一度繰り返して言います。朝早く起き出てマナを集めなさい。もちろん主イエスは昨日も今日も永遠に変わりたまわない御方です。しかしあなたがたが朝早く起き出でて、まず主イエスを第一に置かなければ、すべてのことにおいて疲れ切るのです。
 またこのマナを集めるには、自分で自身のものを集めることです。人が集めたものを食べるのではありません。自分で集めたものを食べなければなりません。
 第二、主は私共の唯一のマナです。私共の食べるべきもの、またほんとうの生命の養いとなるものは、このマナよりほかにありません。イスラエルの子孫が荒野を旅してすごしました四十年間の食物は、ただこのマナのみでした。しかし彼らはこのマナのみでは満足ができず、始終エジプトの肉鍋を思い出して呟いております。私共もまず朝早く起き出てこれを集めるばかりでなく、ただこのマナのみをもって己の腹を満たさなければなりません。
 第三、毎日これを集めることです。明日の分を蓄えたり、また集めたりしてはいけません。これは実に大いなる教訓があります。怠けることの好きな私共は、とかく毎日集めることを嫌って、一回に多くの分を集めようとします。明日の日の祝福も、その翌日の祝福も、否、一年先、二年、三年、十年先の祝福をもと、先の先までの分を求めて、今日の祝福のみをもって満足いたしません。
 一日の苦労は一日で足りています。明日の分は明日新しく集めて、それで十分であるとして喜んで感謝しておればよいのです。サタンは絶えず私共を、未来においてか、あるいは過去においてか、いずれかの中に生かそうとします。しかし私共の信仰は、過去を忘れ、未来を思い煩わず、ただ今日の中に生きることであります。
 かようにマナによって私共は多くの教訓を学びますと、私共の中には守銭奴はいないはずです。また経験よりも知識が多くなれば大変です。虫がついてついに腐敗を来らせます。今日の高等批評とは何ですか。これは虫に過ぎません。その理由は、キリストの教会がキリスト者たる生涯を送っていないために、教育を施しすぎたのです。主はきよめの説教の方法を教えられません。ただ我に従えと言われました。毎日毎日、与えられたマナのみをもって満足し、命じられるままに従いさえしておれば、絶えず健康は伴い、すべてに驚くべき祝福が加えられるのです。けれども肉の欲は、いつでもただ主イエスのみをもって、ただ聖書のみをもって満足しないのであります。

 『モーセは言った、「主の命じられることはこうである、『それを一オメルあなたがたの子孫のためにたくわえておきなさい。それはわたしが、あなたがたをエジプトの地から導き出した時、荒野であなたがたに食べさせたパンを彼らに見せるためである』と」。そしてモーセはアロンに言った、「一つのつぼを取り、マナ一オメルをその中に入れ、それを主の前に置いて、子孫のためにたくわえなさい」。そこで主がモーセに命じられたように、アロンはそれをあかしの箱の前に置いてたくわえた。イスラエルの人々は人の住む地に着くまで四十年の間マナを食べた。すなわち、彼らはカナンの地の境に至るまでマナを食べた』(出エジプト記十六・三十二〜三十五)

 ここにまた驚くべき黙示が示されております。これによってマナにはいささかの欠点もなかったことを知り得ます。もし人が神の御命令に従わないで勝手に蓄えれば腐ります。しかし六日目には二日分集めても腐りません。のみならず三十三〜四節のように、このマナをつぼに入れてイスラエルの子孫の代々に至るまで蓄えられましたが、なお腐敗しませんでした。すなわちこれは『主の前に置いて……あかしの箱の前に置いて(エホバの前におき……律法おきての前におきて=文語訳)たくわえた』ゆえであります。
 主の前、これはすべてにまさる安全なる生命の道です。エホバの前、主イエスの前に置いておれば安全です。



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