赤 山 講 話

ビー・エフ・バックストン講話


 主イエスの誘惑 


 
 イエス、バプテスマを受けて直ちに水より上り給ひしとき、視よ、天ひらけ、神の御霊の、鴿のごとく降りて己が上にきたるを見給ふ。また天より聲あり、曰く「これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり」
 爰にイエス御霊によりて荒野に導かれ給ふ、惡魔に試みられんと爲るなり。四十日、四十夜、斷食して、後に飢えたまふ。試むる者きたりて言ふ「なんぢ若し神の子ならば、命じて此等の石をパンと爲らしめよ」答えて言い給ふ「『人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出づる凡ての言葉に由る』と錄されたり」ここに惡魔イエスを聖なる都につれゆき、宮の頂上(いたゞき)に立たせて言ふ、「なんぢ若し神の子ならば己が身を下に投げよ。それは『なんぢの爲に御使たちに命じ給はん。彼ら手にて汝を支へ、その足を石にうち當つること勿らしめん』と錄されたるなり」イエス言ひたまふ「『主なる汝の神を試むべからず』と、また錄されたり」惡魔またイエスを最(いと)高き山につれゆき、世のもろもろの國と、その榮華とを示して言ふ、「なんぢ若し平伏(ひれふ)して我を拜せば、此等を皆なんぢに與へん」爰にイエス言ひ給ふ「サタンよ、退け『主なる汝の神を拜し、ただ之にのみ事へ奉るべし』と錄されたるなり」ここに惡魔は離れ去り、視よ、御使たち來り事へぬ。── マタイ傳三章十六〜四章十一節


 サタンは力を尽くして、神の働きを亡ぼしとうございます。神は一度天地を造りたまいましたがサタンの言葉によってその天地を亡ぼしたまわねばなりません。いま神は主イエスによって新しい天地を始めたまいます。しかしサタンはまたこの新しい天地をも亡ぼしとう思います。その時、主イエスは天よりの声を聞き、また地獄よりの声をも聞きたまいました。そのとき天国が開かれ、すぐに地獄も開かれました。私共はこの二つの声、すなわち天よりの声と地獄よりの声とを分かつことが難しいです。サタンが天の使いの言葉をもって来るならば私共はしばしば誘惑に陥ります。私共はひとたび霊を受け、我らの上に天が開かれた経験を持ちましたが、すぐ悪魔に誘惑されて、主を失ったことはありませんか。
 兄弟姉妹よ。今晩この集会で神の栄光を見るとともに、またサタンの働きをも見とうございます。私共はサタンの働きを明らかに見るならば、その誘惑を避けることが易うございます。けれどもサタンは自分の形や自分の声を隠して、かえって兄弟の声や形をいたします。またこの話にありますように聖書を引照して、神の使いのような真似をいたします。実にこれは私共の敵です。恐ろしい敵です。どうか明らかにこの敵をご覧なさい。主イエスは大胆にこの敵に出会ってこれを打ち砕きたまいました。兄弟姉妹よ、今晩この敵に出会いますならばまことに幸いです。苦しいですが幸いです。全く神の力によりてサタンを砕きますならば幸いです。サタンを砕くことによって力より力に進み、全く神に依り頼むことを教えられます。サタンが主イエスを誘いました時は、主はもはや霊の力を受け、神より任職の膏を受けたまいました。もはや聖霊に充たされたまいました。そのとき、すなわち今受けたまいました聖なる力をもって、自分の利益のために働くようにサタンに誘われたまいました。これが第一の誘いです。私共はたびたびその誘いを受けませんか。実に聖なる霊の力を受けました時に自分のためにその力を使うように誘われます。もしその誘いに陥りますならば、そのために神を離れ、独立して働かねばなりません。独立して働くこともできましょう。私共は神を離れて己の心のままに伝道することもできましょう。或いはその伝道が多少成功するかも知れません。けれどもそういう伝道は誠に危うい恐るべき伝道です。滅亡が早晩来ります。私共はこれまで、たびたびこの誘惑に陥りませんか。常に神にのみ依り頼んで伝道をし、ただ神の新たにたもう力のみを恃みて祈りをいたしましたか。或いはまた今まで受けた力によりて神を離れ独立して、伝道をし、祈禱をいたしませんでしたか。そういう働きは皆サタンの誘いですから、私共はよく気を付けねばなりませぬ。主イエスは神の御子ですから、その言いたもうところは神の言葉です。その行いたもうところは神の行為です。けれども独立しては働きたまいませんでした。また話したまいませんでした。どうか今からいつまでもその誘いに勝ちを得て、サタンよ退けとお叱りなさい。ただ神に依り頼みて、神のご命令がなければ何でもしないように生涯を送りとうございます。
 二度目の誘惑は、己が身を下へ投げよということでした。もしも主イエスが宮殿の頂上から飛び降りたもうたならば、多くの参詣人は皆イエスのメシヤなることを信じ、驚いて主は真に神の子なりと信じ、また天の使いなりとも信じましたでしょう。主イエスは人間の信仰を願いたまいます。けれども自分の誉れを人間の前に現すことによって信仰を起こさせるようなことは、悪魔の誘いなることを知っていたまいました。
 ただいまサタンはしばしば伝道師をこの誘いによって倒します。自分の誉れを人間の前に見せ、人物を人の前に顕すならばそれによって伝道ができると思うのは大いなる謬見です。恐るべき悪魔の誘いです。どうかそれに勝ちを得て、「サタンよ退け」とお叱りなさることを願います。
 三度目の誘いには『なんぢ若し平伏して我を拜せば、此等を皆なんぢに與へん』と言いました。主イエスがこの世に降りたまいました時は世界中はサタンの手に抑えられておりました。主イエスはこれを神の国に帰しとうございます。その時にただサタンを拝するのみにて、十字架を負わずしてその目的を達するということは誠に幸いなことではありませんか。けれども主イエスはこれを退けたまいました。こういうことはサタンの恐るべき誘惑です。ただサタンを打ち砕くことに由りてのみ人間を救うことができます。一時でもサタンの言うとおりにいたしますれば、決して人間を救うことはできません。世界の王となり、また世界の表に善いことを運ぶことができるかも知れません。けれども人間を救うことはできません。ただ一時小さいことに由りてでもサタンの声を聞きまするならば、決して人間を救うことはできません。
 或る伝道師は学問もあります。聖書の知識もあります。また幾分か心霊上の経験もあります。けれども罪人を罪から救い出すことができません。或いは信徒を造ることがあるかもわかりません。けれども罪人を救うことができません。なぜでしょうか。この伝道師はたぶん、小さいことに由りてサタンの声を聞き、サタンに導かれ、サタンと全く関係を断ちません故であろうと思います。主イエスは、サタンのこの誘惑に従い一時悪魔を拝したもうたならば、それで世界の王となることができまして、十字架の苦痛もなく、罪の重荷を負いたもうこともありませんでしたでしょう。けれどもそれでは人間を救うことができません。私共も、己に死にて十字架を負い、主と共に苦しみ、主と共に十字架に上らなければ、罪人を救うことができません。ちょうど植物の種が地に落ちて死ななければ、芽が出て実を結ぶようになりませんのと同じ道理です。世の中に死の道ほど幸いな道はありません。もし私共が死の道を避けてほかの道を歩みまするならば、或いは他の働きができるでしょう。けれどもいま申す人間を救うことはできません。サタンがこの時に主を誘いましたように、私共をも誘います。そして十字架を避ける道を示します。兄弟姉妹よ、私共は絶えずこのサタンに勝利を得なければなりません。私共は少しばかりの快楽を見ますならばそれを慕い、小さい名誉や小さい楽しみ、小さい財などに心を奪われ易うございます。
 サタンは主イエスに国とその栄華の状況を見せました。けれども主はすぐにサタンを退けたまいました。私共は小さいことによって負けたことはありませんか、どうですか。創世記十四章をご覧なさい。アブラハムは分捕りものをもって国へ帰り、ソドムの王に会いました時に、ソドムの王は、人を我に与え物を汝に取れと申しましたが、アブラハムは全くこれを断り、汚れたるものは悉くこれを帰しました。
 私共はどうですか。サタンは私共にこの世の栄華、この世の財、この世の栄光、この世の快楽を見せなかったですか、どうですか。たびたび負けたことはなかったですか。兄弟姉妹よ、今晩そういう誘いに勝ち、全くかかる物を断って、喜んで十字架の道を歩む力を受けたいものです。昔の武士は競うて戦場に出で、勇みて困難に出会いました。戦争の初めに小さい疵を受けても退くことなく、力の限り生命を捨て主君のために戦いました。もしも僅かな病のために退くような卑怯なことをいたしますならば、栄光の代わりに侮りを受けたでしょう。また主命なれば詮方なしとて涙を流すようなことなく、喜んで大胆に、望みをもって、主人のため、主人の栄光のために戦場へ参りました。兄弟姉妹よ、あなたがたは神の武士です。神の兵卒です。ただ小さい疵を受けたばかりでたびたび戦場を退いたことはありませんか。たびたび身の安楽を考えて、神の大いなる戦場を退いたことはありませんか。困難に遭った時に、寂しい折に、敵に会った時に、たびたび安楽なるところに帰らなかったでしょうか。十字架を負うて進むべき時にたびたび平安なるところに退かなかったでしょうか。涙を流し嘆いて、その困難や敵に会うことはなかったでしょうか。これが神の武士に適う心でしょうか。それはサタンの誘いに導かれた道です。サタンに勇気を奪われ、喜びを奪われて、神の戦場より帰ったのであります。
 兄弟姉妹よ、いま主がこのサタンの誘惑に勝ちたまいましたように、神に祈って、十字架を負い、サタンの誘いを打ち砕きとうございます。サタンの毒を受けますならばだんだんその毒が働いて心が汚れます。たとい少しばかりの毒でも大いなる苦痛となります。私共はこれは小さなことなればと思いまして誘いを受け入れるならば大いなる禍です。そのために大いなる苦痛を受けなければなりません。この誘惑を受け入れるならば伝道の役に立たぬようになります。主イエスはその時に負けたまいましたならば人間を救う世の救い主となりたもうことができません。けれども主は全く勝利を得たまいました。兄弟姉妹よ、どうぞこのことを恐れて全くサタンに打ち勝ちなさい。主は実に勝ちたまいて栄光を得たまいました。ハレルヤ。
 主は勝利を得たまいました。そのとき主は野にありて飢え、兄弟の同情もなく、獣とともにおりてサタンに誘われたまいました。けれども勝利を得たまいました。私共はいかほど困難な場合におりましても、勝ちを得られないことはありません。そうですから周囲にある人のため、負けたという申し訳は立ちません。主は一番難しい場合におって勝利を得たまいました。
 私共はサタンの誘いに遭えばたびたび力を失います。けれども主はこの戦いのために、受けたまいし霊の力を少しも失いたまいませんでした(ルカ四・十四)。これは全き勝利です。どうか同じ勝利を得たいものです。主は人間を離れ、密かなるところで勝ちを得たまいましたから、こののち人間の眼の前に出て大いなる勝ちを得たまいました。私共も密かなるところで勝ちを得ますならば、大いなる力を持って戦争に出ることができます。そういう密かなる、人のいない寂しいところで勝ちを得なければ、表面に出でてとても勝ちを得ることができません。主イエスの一番大いなる戦争は十字架にかかりたもうことでしたが、そのとき大いなる勝利を得たまいましたのは、その前にゲツセマネの園において密かなる勝利の力を得たまいましたからです。そのとき弟子等は眠っておりましたから、罪に堕ちて遁げ隠れました。
 私共も密かなるところで勝ちを得ますならば、表面で勝ちを得ます。主は密かなるところで勝ちを得たまいました。飢えたもうた時に誘いに勝ちて、ご自分のためにパンを造りたまいませんでした。そうですからその後ご自分は生命のパンとなって、多くの人々を飽かせたまいました。これは大いなる報いではありませんか。もしもその時ご自分のためにパンを造りたもうたならば、その後多くの生命を飽かしめるパンとなりたもうことはできません。密かなるところで己の利益に死にますならば、その報いとして神はあなたがたをもって多くの人々に恵みを分かち与えるようになしたまいます。これが神の与えたもうた第一の報いです。
 また主は自ら身を下に投げよとサタンに誘われたまいました時は、主はそれを打ち砕きたまいました。そうですから後には自然の理法に打ち勝ちたもうことができました。すなわち海を渡り、ペテロを助けたまいましたこと、または聖霊を降すために、地より挙げられて天に上りたまいしこと、これらはみな第二の報いです。
 第三に、主はサタンより世界の国を悉く与えんとの誘惑を受けたまいましたが、全くその誘惑に打ち克ちたまいました。そうですからすべての地の上、天の下の力が主に授けられました。主はついに世界中、否、宇宙間の王の王となりたまいました。これが第三の報いであります。
 もしもこの時サタンの誘惑に従いましてこの世の王となりたまいましたならば、神の国に入りたもうことはできません。密かに人間の眼に見えないところでサタンに打ち勝ちますれば、表面でサタンの力を打ち砕くことができます。それは神の与えたもう報いです。ただいま僅かのパンを食うことを択びますか、または後で多くの人々に生命のパンを与えることを択びますか。ただいま人間の前に己を出して僅かな誉れを得ますか、または後でほかの多くの人々を苦しみより救いますか。ただいま小さいことに誘われてこの世の栄えを得ることを択びますか、或いは未来に主と共に神の国に栄えることを択びますか。今晩は厳かに択びたいものです。兄弟姉妹よ、サタンの考えを全くお見捨てなさい。サタンと全く関係を断って、主のため力を尽くし、主のため十字架を負い、主のため戦場に出る考えをお持ちなさることを願います。
 英国のある海岸で、長い糸を用い、その先に餌を刺して鮭を釣ります。鮭がこの餌を食べて逃げる時に、漁夫は少しも争わずに充分糸を弛めます。もしも争ったら糸を切るからです。そして隙さえあればたぐり、たびたびこのようにして半時間、或いは一時間も経てば鮭は弱ります。その時を見計らって漁夫は糸を引き上げます。サタンが私共を捕らえることも同様です。小さいことをもって私共を陥れます。サタンは充分緩やかに私共を取り扱いますから、私共は些細なことであると思って、充分その誘惑を断りません。サタンはそれをもってたびたび私共を自分の方に引き、私共が気付く時には充分緩やかにして、ついに私共を大いに躓かせます。私共はその餌を食べて誘惑にかかればサタンはその糸を弛めます。私共は糸を切ることができませんならばだんだん疲れて参ります。サタンはついに全く糸をたぐり寄せて私共を捕らえるのであります。
 今晩全くサタンの力をお断ちなさい。鮭は尾をもって容易に糸を切ることができます。あなたがたもたやすく、些細なサタンの誘惑に勝ってサタンの手から全く逃げた者となることができます。今晩全く自己を捨てる決心をお持ちなさい。全くこの世を捨て、全くサタンの誘惑を退け、全く自己の利益を捨て、全くこの世の誉れ、楽しみ、財などの小さい糸を今晩ただいまお断ちなさい。そうして全く自由の者とおなりなさい。そうすれば主イエスのように、少しの霊の力も失わずにサタンに勝利を得て、罪人に伝道することができます。今晩、勝利を得なさることをお勧めいたします。
 


|| 一覧 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
| 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
| 目次 |