主はかく我らに語りたもう。
汝ら我を師と呼ぶ…………………しかして我に順わず
汝ら我を光と呼ぶ…………………しかして我を見ず
汝ら我を途と呼ぶ…………………しかして我を歩まず
汝ら我を生命と呼ぶ………………しかして我を欲せず
汝ら我を賢と呼ぶ…………………しかして我に従わず
汝ら我を富と呼ぶ…………………しかして我を求めず
汝ら我を美わしと呼ぶ……………しかして我を愛せず
汝ら我を永久と呼ぶ………………しかして我を得んとせず
汝ら我を恵み深しと呼ぶ…………しかして我を信頼せず
汝ら我を高貴と呼ぶ………………しかして我に事えず
汝ら我を力ある者と呼ぶ…………しかして我を敬わず
汝ら我を正義と呼ぶ………………しかして我を懼れず
もし我汝らを罪とするとも我を咎むな
リューベック大聖堂にある一刻銘
『信仰によって、ヨセフはその臨終に、イスラエルの子らの出て行くことを思い、自分の骨のことについてさしずした。』(ヘブル書十一章二十二節)
信仰の成し遂げる偉業はいよいよその範囲を拡大していく。これまで個人に関し、また家族に関して働いた信仰は、今や移って国民との関係において働く。
今ここに我らの注意を惹く二肖像、すなわちヨセフとモーセのそれは、個人がその国のためにいかなる勲功を立てるかを教える。ヨセフの時代において、アブラハムの家族はまだ充分に発達せざる民であったには相違ないけれども、ヨセフの死する前においてさえも彼らは既に成立中の国民であり、国民的自覚は驚くべく迅速に発達して行きつつあった。それが前途に対するヨセフの考えを形作り、また彼の行為を支配した。それは彼をして、軽々しき熱心や未熟な行為により神の御嚮導に先越しまた神の順序を害することを恐れて、注意深く歩ましめたのである。
ヨセフは旧約聖書中に示されているキリストの型の中で、おそらく最も完全なものであり、また聖書中に何らの瑕瑾も録されおらぬ唯一の人物である。創世記のうちの十二の章が彼の伝記のために費やされている。そして彼の生涯は実に信仰の生涯であった。彼はその幼時に見た夢のほかには、アブラハム、イサク、またヤコブの場合のごとくに神の顕現を与えられたという何の記録もない。天使によっても、異象によっても、また何ら特殊な啓示によってでも、神がヨセフに顕れたもうたということは一度も録されておらぬ。彼は信仰によって、ただ信仰によってのみ、生活しまた歩んだのである。
しかも、聖書に載せられている何人の生涯にも、ヨセフのそれのごとくに劇的事件の多いものはない。哀感をそそり、感動を起こし、殊にその大団円において人を感奮せしめること、彼の生涯に勝るものはない。
彼の生涯はその先祖の神に対する活ける信仰を例証すべき出来事をもって満ちている。さればそのうちより抜擢して特に何事かを挙げることは困難である。一つの出来事が興味を惹けば、その次にはさらにまた顕著なことがある。されば聖霊はその目的のために、その多くの出来事のうち何を選びたまえるかを見んために、我らはいま非常な興味と好奇心をもってこの肖像に振り向く。
かくて我らはこのご選択に失望を感ずるであろうか。我らは確かにこれを見て驚く。もし一万の人が、ヨセフの伝記の中から神に対する信仰を表す彼の行為受苦の最も顕著なことを選べと求められたとしても、おそらく誰一人も、ここに聖霊に啓迪されたヘブル書の記者がなしたごとくに、『信仰によって自分の骨のことについてさしずした』というこのことを選ぶ者はなかろうと私は思う。
聖書の逐語的霊感を正直に疑う人をして、これを信ぜしめるに、この一節に勝って有力なものを私は知らぬ。しかり、聖霊なる神のほか何者がよくこれらの語を書き得るであろうか。
さて今この肖像に振り向けば、我らは再び臨終の床辺に導かれる。記者は我らをして、死に対する勝利の幸福、またその勝利の確実さと完全さを知らしめんとしていることが見える。私が既に強調したように、そこに勝利以上、征服以上、虜を虜にして昇るさまが見られる。我らに示されている臨終の三つの絵画のいずれにおいても、この最後の戦いに伴う懼れ、疑い、またすべての苦悶からの救いがあるばかりでなく、また永遠のものの幻があった。ヨセフは、イサクやヤコブと同じように、永遠との関係において時間を見、神が世界の祝福たらしめんとて備えつつありたもうその民族の運命に関連して自己の生涯の働きを見るのである。彼は、来るべき代々を通して成し遂げたもうべき神の御企図が、その子孫によって妨げられてはならぬと、そのことを重荷としていた。されば彼がまさに死なんとするに当たり、彼の信仰の働きは、イサクのごとくに『きたるべきことについて』その子らを祝することでも、また彼の父のごとくにその孫を祝することでもなかった。彼の関心が来らんとすることについてであったは無論であるが、彼のなしたところは、その民の心を堅くし、また励ますところの働きであった。これがヤコブのさらに大いなる子ヨセフの感動すべき生涯のうちから聖霊が選択したもうたところである。
ここに創世記の最後の諸節からの極めて簡単な引用句がある。そして我らの注意は、彼が信仰によって(一)イスラエルの子らの出で立つことについて語り、(二)彼の骨について命じたという、この二つのことに惹かれる。これより別々にこれを学ぼう。
『信仰によって、ヨセフはその臨終に、イスラエルの子らの出て行くことを思い』
創世記に録されある原記事によれば、ヨセフがその民に最後の命令を与えた時に、彼は神が先祖たちに誓いたまえるその誓いを語り、彼らにも神に対して誓うことを要求したことが見える(創世記五十・二十二以下)。
この瀕死の族長の考えを辿ることは困難でない。彼の気遣うところの何であるかは明らかである。彼は自らその過去を顧み、その劇的経歴において、いかに驚くべく神の憐憫と恩寵と権能が顕されたかを憶い、崇拝讃美に満つるものがあったに相違ない。されば父ヤコブにまさって深い敬虔をもって彼もまた神を拝したであろうことももちろんである。されども彼の心には一つの重荷があった。その兄弟らに与えねばならぬ命令がある。彼は、神の恩恵の光をもってばかりでなく、また彼の民の将来の運命に関係して、その生涯の働きを回顧したのであった。
彼が飢饉と国民的災難よりエジプトの民を救ったのは事実で、これは実に彼の生涯の大事業であったに相違ない。けれどもそれは、神が彼を召し、また委任したもうた、至極の目的ではなかった。彼は自ら主としてその民の保持者、すなわち彼らがかのエジプトよりの大脱出をなすに備えられるまで、彼らを導きまた守るべき神の器であると考えていたのである。彼らはまだ備えられておらぬ。ヨセフの死に臨んでも彼らはなお幼稚であった。疑いもなく彼は、自分が高挙された時に、その思いを通過した考えを思い出したことであろう。すなわち牢獄から王位に挙げられ、当時世界の最大帝国の富と地位が支配し得る一切のものを与えられた以上、彼は今、栄光と尊貴とを冠せられて、その先祖の地に帰り、アブラハム、イサク、ヤコブがなし得なかったところのこと、すなわち神の約束の地に一つの王国を建て、自己と兄弟らとその子孫とをそこに安定せしめることができると思ったであろう。されどもヨセフは神と偕に歩んだ。たとえその兄弟らの『時はいつも備わっている』でも、彼の本体でありたもう主イエスのごとく、彼の『時はまだきていない』(ヨハネ七・六)。後に至って、モーセは忿怒と憎悪の暴風をくぐり、言い難き反抗と障害に直面しつつ、その民を導いてエジプトを去るべきであったが、ヨセフの取るべき途は、静かに座して、その目に見んことを慕いながら、この世においては決して見得ざるところを、信仰をもって忍び待つことであった。
今や彼は地上の旅の終わりに達し、死の河の彼方、永久の山々の彼方を望み見る。彼はその生涯が無益に着し、その召され、選ばれ、委任され、またそのために能力を与えられたその目的が、ついに実現せぬかも知れぬというような恐れをもったであろうか。はたまた彼の大先祖の子孫がその寄寓の地の安易と富と繁栄に満足して、その使命を棄てるに至ることの恐れを些かでも持ったであろうか。彼は人間の性質を知っている。格別にユダヤ人の性質、ヤコブの性質、その兄弟らの性質を知っているために、或いはかかることもあらんかとの予想が心に浮かばないでもなかったであろう。しかしそれは長くは心に留まらなかった。信仰の光は照り出でて、彼の額を曇らせたその憂鬱をば直ちに消散したのである。かく彼は『信仰によって、イスラエルの子らの出て行くことを』語った。
さらば彼は何を信じたか。何をその拠り所として信じたか。それは創世記の原記事(五十・二十四)に見えている。『ヨセフは兄弟たちに言った、「わたしはやがて死にます。神は必ずあなたがたを顧みて、この国から連れ出し、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地に導き上られるでしょう」』。そこには何ら憂わしい予想もない。神の約束が失敗に帰するかも知れぬというがごとき何らの恐れも彼を襲わぬ。『神は必ずあなたがたを顧みて』。しかり、神は確かにかくなしたもう。何故にというか。それは神が誓いたもうたからである。その時、ヘブル書六・十七は、言葉そのままでなくとも、その意味の感じがこの瀕死の英雄の心中に燃える炬火のごとくであったのである。『神は、約束のものを受け継ぐ人々に、ご計画の不変であることを、いっそうはっきり示そうと思われ、誓いによって保証されたのである。それは、偽ることのあり得ない神に立てられた二つの不変な事がらによって、前におかれている望みを捕らえようとして世をのがれてきたわたしたちが、力強い励ましを受けるためである』。げにもこれらの言葉に表れている、重ね重ねの威厳と力強さは、とかく逡巡しやすい我らの精神に何たる強き奨励を与えることぞ! 見よ、『いっそう……思われ』『誓いによって』『不変であることを……示そうと』『二つの不変な事がら』『偽ることのあり得ない神』『力強い励まし』。これらの真実なることが、今や死なんとするこの族長の霊魂を通して大波のごとく打ち寄せれば、彼が『信仰によって』その兄弟たちにその命令を与えたのも怪しむに足らぬ。彼は、自分の成し遂げた偉業にも、また神がその生涯中になしたもうた驚くべき事共にさえも、何ら言及しておらぬ。これらのことは彼も兄弟たちも決して忘れ得ぬところであるけれども、彼の信仰はこれらのことをその拠り所としてはおらぬ。信仰は、これらを超えた、彼自身のほかのことに拠る。すなわちアブラハム、イサク、ヤコブに語りたもうた活ける神の御言にその拠り所を持つのである。
彼は既に善き戦闘を戦い、喜びをもってその走るべき道程を果たしたことを知っている。彼は自ら神の御旨を行ったゆえに、その戦場からの分捕りもの、その走り尽くした道程のために受ける褒美は『永遠に存える』ことを承知している。彼はまた今日ここにあり、明日は彼方に去り行くごときその短い生涯が、永遠の神の御思慮の中に、また多くの人類の運命を定める御経綸の中に、いかなる地位を占めるかを実覚している。彼はこのことをよく承知している。けれども、いま明らかにせられた視力をもって、広くされた心をもって、活気づけられた信仰をもって、強められた霊をもって、彼はその愛する民について考える。彼は、彼らが神を崇めること、また彼自身のごとくその召された運命を果たし、約束の地に永久に住むに至ることを願い慕ってやまないのである。
『信仰によって、ヨセフは……自分の骨のことについてさしずした。』
ヨセフはその兄弟に命令を与えるにあたって、神の御誓いを思い出させたが、今は彼らの誓うことを要求するのである。そしてこれを象徴すべきもの、すなわちその誓約の聖奠とも称すべきものを彼らに与える。およそ神の契約には常にこれが徴となり聖奠が伴う。ホール監督は、エデンの園の樹の果を『アダム、エバの前に生長する聖奠』と言っている。神は、ノアに対する契約には見るべき虹を与え、アブラハムとの契約には触れるべき割礼を与え、イスラエルの民に対する契約には守るべき安息日を与え、ダビデに対する契約には注目すべき日月星を与え、我らに対する契約には、主の死をもって示したもうた御愛の記念に与るべき葡萄酒とパンの聖奠を与えたもうた。されどもここにヨセフとその兄弟の間の契約には、いかにも不思議な聖奠──彼の骨──が与えられるとは!
ヨセフは大いなる富を持っていたのでなければならぬ。とにかく彼は王の次であったのであるから、その死に臨んでも、その子や兄弟たちに莫大なる遺産を与えたはずである。されど聖書はこれについては絶対に黙している。実に数千年もなお数日のごとく、数日もなお数千年のごとくなる永遠よりして見れば、これらは数えるに足らぬ瑣事に過ぎぬ。されば記録に残れる彼の遺言書には『彼の骨』のことがあるのみである。そして彼の遺言書のこの事項、しかも我らの知る限りこの唯一の事項は、創世記の原記事に幾分詳しく録してある。すなわち『ヨセフは、「神は必ずあなたがたを顧みられる。その時、あなたがたはわたしの骨をここから携えて上りなさい」と言ってイスラエルの子らに誓わせた。……彼らはこれに薬を塗り、棺に納めて、エジプトに置いた』(創世記五十・二十五、二十六)とある。
神の顧みたもうことの確実は繰り返して告げられ、それとともに彼の埋葬のことに関する厳かなる訓令が誓いをもって確かめさせられた。その訓令の詳細は我らに知らされておらぬけれども、それがいかなることであったかは推察するに難くない。
第一、兄弟たちは彼をエジプトに葬ることを禁ぜられた。エジプトの身分高き人々の葬式のいかに華麗荘厳なものであるかを熟知する我らは、ヨセフのこの最後の訓令がいかなる驚きを惹起したかを知ることができる。ヨセフは王の次である。しかもエジプトにとって彼にまさる大いなる恩人、賢明なる政治家、高貴なる人格者はなかった。そして今エジプト国民はその友であり救い主である人に、その最後の尊敬を致す特権を拒まれるとは! かかることは前代未聞のこと! 全く道理なき間違いと思われたであろう。
第二、彼の父がなされたごとくに、その遺骸をカナンの地に葬るべく運び行くことも許されぬ。これはエジプトで葬ってはならぬというよりも一層不可解な、理由なき禁制と思われる。この国民の大恩人の遺骸が、かくも恵みを受けたその国に葬られてはならぬとしても、少なくともほかのいずれの地においてかその名に相応しい尊敬と荘厳をもって葬られねばならぬ。エジプト国民は僅かに数年前、ただ単にヨセフに対する尊敬の念から、彼の父に対して払った敬意のいかに厚かったかを忘れぬであろう。ヤコブの葬列の記事(創世記五十・七〜十三)を精読すれば、それがいかに感動すべきことであったかが知られる。エジプトの王侯の葬式は実に立派なものであったけれども、この異郷寄寓の寂しい一ヘブル人の埋葬にまさって壮麗なることを得なかったであろう。録されたるところを見よ。『パロのもろもろの家来たち』すなわち当時最大の朝廷に列する諸々の人々、『パロの家の長老たち』すなわちパロの宮内省の多くの大官たち。『エジプトの国のもろもろの長老たち』すなわち諸都市の長たち、諸州の議官たち、属領地の総督たち、諸省の官吏ら、事実、国の有司百官挙げて葬列に加わり、『ヨセフの全家』すなわち首相自身の供奉員ことごとく従い、『その兄弟たち及びその父の家族』すなわち彼らの家族(ただ子どもたちのみ残され)みな伴い、騎兵隊や陸軍儀仗兵の行列を随えて上り行き、『その行列はたいそう盛んであった』とあるごとく、堂々たる行進をもって砂漠を横切り、長い困難な途を経て、カナンの地にその遺骸を送ったのである。それは実に偉大な代表的人物の群集であったので、その国の居人たちはこれを、エジプトの国民的大損害のために国を挙げて泣き悲しむのであると思うほどであった。かく一個寄寓の外国人にもかくも壮麗を尽くした葬儀の営まれたのは、畢竟、王と全国民が尊敬を表することを喜ぶ人、その人のためであったのであるが、今その人自身の死に際してその葬儀はいかになされるべきであろうか。それはエジプトの記録にもかつてなき偉大壮麗なるものであろうか。否、かくすることができないというのである。されば国民はこの決定を聞いて愕然としたであろう。
第三、遺骸は当分の間、いずれの所にも決して葬らず、ただミイラにして櫃に納め、エジプトに置くべきであった。我らはこの不思議な決定につき、エジプト人が上下を問わずその理由を了解し得たとは思わぬが、彼らがそれを知るも知らぬも問うところではない。ヨセフの兄弟たちはこれを知り、イスラエルの人々も、その後の代々の人々もこれを知っていた。それで充分であった。それはヨセフが、神の真の僕等のすべて嫌うごとく、人に祀り上げられることを欲せず、その葬式が崇拝諂諛の機会を作るを好まぬためばかりでなかった。彼がかくこれを禁じたのにはそれ以上の深い理由があった。それは、既に言ったごとく、彼の体をば、その臨終において結んだ契約の厳粛さを示す徴、すなわち聖奠となすためであった。
これはヨセフの意義深い生涯中のおそらく最も重大な行為の一つであったろう。彼はそれによって、その兄弟の誓いの厳重さとその誓いの指示する来るべき出来事の極めて肝要なることを、当時の人々にも、後の代の人々にも、深く印象づけんとしたのである。彼は自己の特異な生涯も、自らその先祖の地に行くことの誉れを棄てて長くエジプトに留まったことも、彼の思想、祈禱、願望のすべてもみな一つの目標に向かっていることを、彼らに悟らせたかったのである。そしてその目標とは、神がアブラハム、イサク、ヤコブに誓い、彼らの裔に与えんと約したもうた地に、その民が神の定めたもうた時に及びて出で行くことであった。
そして彼の遺骸は、結局イスラエル人のエジプト出発の時に携えられ(出エジプト十三・十九)、北方の霊廟に納められた(ヨシュア記二十四・三十二)。その場所は、アブラハムによって買いとられ(使徒七・十六)、ヤコブによって拡張され(創世記三十三・十九)、ヨセフに与えられ(同四十九・二十一、二十二)た地で、その近くにヤコブが歴史的の井戸を掘り、後にそこでサマリア人の大リバイバルが起こった(ヨハネ四章)など、歴史上の連想に富む地である。
それまでイスラエルの民が約束の日を待つ長い年月の間、この記念物、すなわちエジプトに置かれてある櫃は、黙しつつその民に訴え、彼らの偉大なる先祖の信仰を雄弁に証したのである。もはやヨセフを知らぬ人々の代に至っても、彼らがこの遺骸の納めてある廟所の前を過ぎ行くごとに、彼らの救い主であった彼の霊は断えず彼らの心に語って『汝ら忘るな! 汝ら忘るな!』と言うを聞いたであろう。
さて、ヨセフのこの信仰は何について我らに語るであろうか。彼は既に死して数千年を経るけれども、なお神の民に一つのメッセージを伝えている。彼が死んで、時間と感覚の一切のもののその視界を退いた今もなお、彼の目には神の民と約束の地の二つのものが、聳える二つの高峰のごとく鮮明に見え、彼の耳が地の喝采、人間の称讃非難の声から閉じてしまった今も、主の御言とお約束とご誓言は一層美妙な、一層明瞭な調子に響くのである。
このことは、我らにヤコブの子よりも大いなる御方、すなわちイエス・キリストについて語る。主イエスのその残酷なるご逝去の時の近づく時にも、御目の前には、その贖いたもう神の民と、新約における約束の地なる注がれる霊との二つの栄光ある目的物が、断えず見えていたのである。この二者に関する神の約束が成し遂げられるためにとて、主はこの地に降り、地上の生涯を送り、苦しみを受け、今や死なんとしていたもう。そして約束の慰め主が来りたまい、ご自身の教会が約束の地に導き入れられるという、このことの成就する保証はご自身のご復活であった。
主の御体は必ず復活し、その僕たちはこれが証人となるべきであった。かくご自身の民の約束の地に入ることは、神の御子の切なる願いであった。神の民と神の約束、すなわち贖われたる民に内住したもう聖霊、これらは神の御子の大目的であったのである。
さて、主との心の交わりに歩み、御思いを共にし、その慕い求めたもうところにも、期待を裏切られたもうところにも、お苦しみにもお喜びにも共に与るべく召されたる我らに、このことが切実なる願望となっているであろうか。我らは果たして天より降る神の都を見たであろうか。栄光ある一体となれる贖われたる民の大群衆を見たであろうか。『きたるべきこと』の閃光を認め得たであろうか。我らはまた、すべて主を愛し、その顕現を慕い待つ者のために備えられたる天のカナンの質なる、今もなお乳と蜜の流れる地に上り行きて、これを占領すべく、神の民を励まし得んためにとて、ヨセフのごとく、この虚しい亡び行く世の一切の称讃、栄誉に死に得るであろうか。
デビッド・ブレナードの臨終の記事を精読すれば、常にイサク、ヤコブ、格別にヨセフの臨終の勝利を思い起さしめられる。彼は言う、
『わが思いは、地上にある神の教会の繁栄という古い、また愛する題目でいっぱいである。睡眠から覚める時はすぐに、神の霊の傾注と、愛する贖い主のかくも多くのことをなしまた苦しみたもうたキリスト教会の進歩のために叫ぶように導かれる。おお、願わくは、神が教会の益のために録されしところのものを祝し、また成功せしめたまわんことを。願わくはご栄光の進み得んために、神がレビの子らを潔めたまわんことを。
神を喜ばせまつり、神に一切を献げ、全く神の栄えのために用い尽くされるは、わが天国である。それこそわが慕い求める天国、わが宗教、わが幸福である。……一切において神を崇め、神を愛し、神を喜ばせまつることのほかには、何の進歩のためにも天国へ行きはせぬ』と。
彼はその臨終の床において、地上の教会の繁栄を天にて見、そこでキリストと共にこれを喜ぶことの充分なる確信を言い顕した。
彼の一つの切なる願望が、キリストの新婦、キリストの体なるキリストの教会の恵まれ、潔められ、栄えしめられるを見、また知らんことであったために、その痩せ衰えた体のあらゆる苦痛の中にも、自分自身の幸福あるいは安全あるいは報賞などに関する一切の個人的思慮から救われていた。キリスト教会の祝福、清潔、繁栄が彼の願望の一切であったほどに、彼は全く、頌むべき三位の神の第三位をもって満たされていたのである。
彼の臨終の或る瞬間に、彼がキリストに属する者と見る人々に対して、ほとんどかつて感じたことのないほどに、言うことのできない愛を見出したと言った。彼自身の言葉を用いれば、『彼らをわが近くに持つことは、ちょうどそれが天国の小さい一片のごとくに見える』のであった。
今一人、前世紀の霊的巨人なるレジナルド・ラドクリフの霊魂のうちにも、同じ燃ゆる願望があった。そしてそれが彼の臨終を見守るべく床辺に集まった人々に、燃ゆる炬火のごとくに輝いた。
彼はその妻に、『私は非常に愛している祈禱をささげつつあった』と言ったので、彼女は『それは「みこころが地でもおこなわれますように」でありましたか』と問うと、彼は答えて『否、それは「収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」(マタイ九・三十八)とあるそれであった』と言った。
そして彼が非常に弱って、非常な困難のうちに漸くにして言ったことは、『私は願う──私は願う──私は願う、信者が全世界をめぐって喜びの音信を広げることを』であった。
ウィルモット・ブルーク大佐の言葉の中に、『地上の教会に対する主の最後のメッセージがキリスト教会に聖とせられんことを、そしてそれによって我らが、主の王にて在すことを異邦人の中に語り広めるよう、鼓舞され得んことを』というのがある。
これらの聖徒たちは昔のヨセフのごとくにみな信仰に在って死んだ。それゆえに主の来るべき栄光の幻を見ていたのである。
願わくは我らの終わりも彼らのそれのごとくならんことを。アーメン、アーメン。
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