第十三章 通 過──聖雲の防禦


 『信仰によって、人々は紅海をかわいた土地をとおるように渡ったが、同じことを企てたエジプト人はおぼれ死んだ。』(ヘブル書十一章二十九節)

 いま我らの前にある絵画は、人類歴史の、とまでは言われぬにしても、聖書中にある最も劇的なる出来事の一つを描いている。実に世界が心霊的価値において最も貴重とするところの一切のことは、ヘブル民族の歴史を通じて我らに伝えられていることを憶えるならば、いま我らの学ばんとするこの出来事は世界歴史の最も重要なることの一つであると言っても過言ではないであろう。
 今やイスラエル人はエジプトを去って無事にその途を歩む。けれども最大の危険はなお彼らを待っているのである。すなわち老幼男女二百万、武器もなく、糧食の備えもなく、経験もなきイスラエルの民の進路には、一方に山岳、他方に砂漠、そして前面は渡るべからざる海に遮られているのに、追いかけ来る敵の軍勢はエジプトのナポレオンと呼ばれるセチの老兵、またセチにもまさるその子ラメセスの熟練の軍勢である。こはいかに成り行くことぞ! 私はジョン・スミス博士の著書『出エジプト記の永久の使言』より引用するに勝ってその全体の状況を生き生きと記述する仕方はないと思う。曰く、

 『民をして進み行かしめよとの命令を与えられた時、モーセはそのなされるべきことを心得ていた。神もまたその結果はエジプト人の全き壊滅に至ることを予期していたもうたのである。いま我らをしてその光景を眼前の髣髴たらしめよう。その時、イスラエルの隊伍には、嬰児から老年まであらゆる年齢の人が少なくとも二百万人いたということを記憶せよ。彼らが追撃し来るエジプト人を見て海を横切って進むべく列を作った時は、あたかも日没近い頃であった。その時この事件が起こったのである。すなわち彼らを導きつつあった雲が彼らの後方に転じ、彼らと敵との間に黒い透視し得ざる塊となった。しかもイスラエルの側には雲が燃ゆるごとく見えたのである。見よ、青白く照らす光、前面に横たわる茫漠たる大海、そして砂地に黒影を投げつつ動く人の群れ! かかる折しも、強烈なる東風が吹き始めた。かつて探検家ネービルが、ジュネーヴやその他の湖水で、或る方角に吹いた強風が湖水を非常に抑圧したことがあると語るを聞いたことがある。されどもこの場合、これは特別の使命をもって遣わされた神の風であった。この風はあたかも大きな鋤頭が土塊を鋤くごとく、東の海岸からちょうどイスラエル人のいる前まで、紅海を二つに分けて大道路を開き、その両側に大きな水の垣を作ったのである。
 ああこれは何たる多事なる夜ぞ、思い起す、過ぎし夜には滅ぼす天使が長子を撃ったが、今は救いの天使が彼らを導いて自由に至らしめる。紅海の海底の道の長さはわからないが、たぶん二、三里はあったであろう。軍人も女も子供も家畜も、彼らがかの過越の夜になせしごとく、終夜急ぎ続けて渡った。その時、見透し得ざる雲霧のかなたに陣取れるエジプト人らは何と考えたであろうか。もちろん、砂地を行くイスラエル人たちは石地を行く者のごとくは音を立てなかったであろうが、指導者らの指揮する声、家畜の叫びなど、種々の物音によってエジプト人は彼らの動きの徴を知ったであろう。ついに夜はほのぼのと明け初め、隔ての雲は上った。見よ、イスラエル人たちははや遠く去った。不思議な大道──その両側には水の懸崖、その路面は海底──を通って、今はやその姿を消しつつある! エジプト人はいざやとて、戦車に飛び乗り、号令の声を嗄らして列を作る。パロが自ら彼らの中にいたという証跡はこの物語の中に見出されぬが、彼の馬や戦車や騎兵らはみなそこにいたのである。時に風はなお強く吹き、稲妻は閃き、雷は轟き、水の懸崖はなお海底の道の両側に直立している。そしてヘブルの徒渉者の最後の者さえ、もはや遙かに渡り行ってしまったのである。
 かくと見るやエジプト人は短兵急に突き進み、続々とこの不思議な狭路に入るのである。彼らは、これが数次彼らを撃った恐るべき手の工にあらずや、しばし畏れをもって立ち留まるは善からずやと自ら問うべく留まることをなさなかった。もしかかる想いが起こっても、彼らの傲慢と勝利に焦る心はそれをその心からぬぐい去ったのである。我らは傲然馬を躍らせて危地に乗り込む彼らをながめて、しばし茫然たらざるを得ない。彼らは、あたかもその傲慢と勝利の確信をもって神の御企図に逆らい、敢然と突き進み、ただ一敗圧倒され終わる人間主我主義的諸勢力の好象徴である。「暁の更に、主は火と雲の柱のうちからエジプトびとの軍勢を見おろして、エジプトびとの軍勢を乱し」たもう(出エジプト十四・二十四)。彼らはその進軍の捗らぬを感じた。泥沙の中に車輪は揺れ、弛み、ややもすれば倒れんとする。馬は挽革の許す限り烈しく跳びはねるも戦車は進まない。かくて彼らは漸くこれが神より来ると考え始めたが、それはもはやあまりに遅かった。彼らは危険の迫るを見、「われわれはイスラエルを離れて逃げよう」と呼んだ。されども彼らは既に敢えて神に敵し、彼ら自身の約束にも命令にも違反したのである。神は「あなたの手を海の上にさし伸べ」よと仰せたもう。「モーセが手を海の上にさし伸べると、夜明けになって海はいつもの流れに帰り」。しかり、新しき日の明け初める頃、神の国の先鋒隊は彼方の岸に安全に立ちおる時、旧勢力の代表者は大水に圧倒されたのである。彼らは高まり行く水を通して疾駆したが、大水壁が海底に帰り来るや、戦車も騎兵も一つも残らぬまでに掃蕩し去った。』

 我らはこの躍如たる描写から、ヘブル書十一・二十九の簡潔なる記事に帰る時、そこでイスラエル人のこの危険な、しかも勝利への進軍の秘訣は、神における信仰であったことが思い出される。しかしながら出エジプト記第十四章に記されある原記事を注意して読めば、彼らが信仰によって紅海を渉ったという記述と、記録されている事実とを一致せしめることの困難を覚える。イサクがその子らを祝した場合のごとく、ここでも一見したところでは、あたかも全く信仰が欠けていたかのごとく見える。出エジプト記では、イスラエル人は恐れ慌てて、望みを失い、彼らの指導者であり救い主であったモーセに対して呟き、烈しき罵詈さえも発するに至ったのである。信仰の欠けていると言えば、まさにかかる場合のことであると我々は言うであろう。
 さればもしヘブル書に『信仰によって、モーセは紅海を通して彼らを導いた』と書いてあったならばそれを了解したであろう。しかるにかえってこの恐れ慌ておる民衆が、信仰によって紅海を渉ったと明確に述べられている。されば我らの研究の目的は、第一に彼らの信仰の性質、第二にその信仰の秘訣と信仰の能力を見出すことにある。

彼らの信仰の性質

 聖書の本文において一見不一致のごとくにして、よく解析すれば決して齟齬しおらざることの知られるこれらの記事は、正直に疑惑を懐く人々をして、完全なる霊感の事実を信ぜしめるに足る。
 ヘブル書のこの本文は、明確に、イスラエル人をして紅海の分かれた水を通して過ぎ行かしめた信仰について言っているのであり、紅海の水を分かれしめた信仰に関して言ったのでない。水を分かれしめたのはモーセの信仰であって、彼らの信仰ではなかった。人民は海浜に営を張って恐怖と狼狽に満たされていた。詩篇の作者が彼らの不信仰を描いて『われらの先祖たちはエジプトにいたとき、あなたのくすしきわざに心を留めず、あなたのいつくしみの豊かなのを思わず、紅海でいと高き神にそむいた』(詩篇百六・七)と言っているとおり、救いは全く不可能に見え、彼らの遁れがたき窮地は真に残酷に見えたのである。
 されども途の開かれるや否や、信仰は復活し、勝利を獲た。或いは問わん、その時彼らは見ゆるところによって歩むことを得たではないか、いかなる意味で信仰を要したかと。されどかかる考察は、この場に対する想像の足らざることを表している。我らをして今一度、当時の光景を描き出して見せしめよ。スミス博士の記述より引用すれば、
 『時になお風は強く吹き、稲光は閃き、雷は轟き、水の懸崖は露出した海底の両側に直立していた』
のである。そして詩篇作者の言えるごとく、

  神よ、大水はあなたを見た。
  大水はあなたを見ておののき、淵もまた震えた。
  雲は水を注ぎいだし、空は雷をとどろかし、
  あなたの矢は四方にきらめいた。
  あなたの雷のとどろきは、つむじ風の中にあり、
  あなたのいなずまは世を照らし、地は震い動いた。
  あなたの大路は海の中にあり、
  あなたの道は大水の中にあり、
  あなたの足跡はたずねえなかった。 (詩篇七十七・十六〜十九)

というのがその時の実状で、その光景は実に恐ろしく、剛強なる霊をも戦慄せしめるに充分であったのである。鳴動する水、怒号する風、その中にあって、淵の底に下り、更に彼方の岸に上り行く、果てしなく見ゆるその道を、老幼を伴い、多くの家畜を率いる二百万の大行進! 何時その大浪が寄せ返して彼らを覆うかも知れぬ。その時に遁れる術はない。死は必然である。しかもその背後にはパロの軍勢が迫りつつある。確かに立ち帰って敵に降る方が一層安全な道で、少なくとも彼らの生命は助かったであろう。奴隷束縛も、彼らの種族の死して亡びに至るには勝る。かくのごときが常識の考えるところである。かく降服すべき誘惑ははなはだ大きかった。されど感謝すべきことには、信仰は勝った。彼らは敢然と前進した。彼らが直面した二つの危険のいずれが勝って大いなるかを言うことは困難であるが、我らは人間の心理を解する。彼らの目前のこの恐怖すべき光景を見ながら、彼らの背後の敵に振り向き降服するよりも進んで深遠に下り行くには、一段崇高なる勇気を要したでなければならぬ。されど信仰は勝ち、彼らは救われたのである。もちろん彼らの信仰は最も高い、また最も純な種類の信仰ではなかった。それはまず失望と怨み言と忘恩をもってその不徹底を表した。けれどもそれは自己に失望して神にのみ信頼し、敢えて生命を賭して進む実際的信仰であった。神はかかる信仰を貴び、そして救いを施したもうたのである。

彼らの信仰の秘訣

 過越の小羊の贖罪の血を通して神の民が贖い出された直後に起こる紅海の渡渉は、キリスト者のバプテスマの型であるとほとんど一般に承認されており、かつまたコリント前書第十章にかく称えられている。されども少なくともキリスト教化された国々にての教会におけるかかる考察にその意味を限ることには相当注意を要する。何となれば、この関係において根本的に異なれることを混同するよりして、多くの混雑と議論を生ずるに至ったからである。
 主イエスとその使徒たちの意図におけるキリスト教のバプテスマは、罪と世、肉と悪に対する実際の死を意味する。そしてマホメット教、ユダヤ教、また異教の国々においては、バプテスマの儀式は、公然とキリストを告白する唯一の真正なる表徴と考えられ、しばしば迫害と追放と死でさえも必要としたのである。されどもキリスト教化した社会にては大いにこれと異なり、これは単に無意味の儀式となり、何の恥辱も迫害も追放もなく、世俗的な不敬虔な社会からの分離も意味せぬ。さればキリスト教会の或る教派では、かかる場合に対応し、或る程度に異教徒や回教徒やユダヤ教徒からの回心者の受けるキリストの恥辱に比すべき聖痕を負わしめることを望み、成人のみの受ける浸礼を主張する。されどもかかる教派に属する各個人が、かかる儀式によって必ずしも大いなる益を受けるとも見えぬ。彼らが他のキリスト教の団体に属する真の信者より勝って一層霊的であるとは言えぬ。私は恐れる、彼らが文字通りのバプテスマを受けたということに満足して、キリストの死にあずかるバプテスマ(ローマ六・三)は、同情ある宗教家の群れに取り囲まれて肉体的に水に沈められることよりも、遙かに意味深い驚くべき経験なることを悟らないこともあらんかと。
 我らがコリントの書(コリント前書十章)に振り向くならば、パウロが一層深い、一層霊的な意味において紅海渡渉に関する引照を用いていることを見る。パウロは前章の終わりにあたって『ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない』という聖き霊的懸念を表している(ここに『失格者になる』と訳されている語の原語は、新約聖書の他の所では最後の定罪について用いられている)。そして彼は言葉を進めて、『兄弟たちよ。(かく最後の背教に私が言及する理由は)このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな』最も深い霊的経験を受けながら、なお『荒野で滅ぼされてしまった。……へびに殺された。……「死の使」に滅ぼされた。……だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい』と言うのである。
 パウロの心には、水によるバプテスマの儀式、少なくとも現今のキリスト教国に用いられているごときバプテスマの形式に特殊の関係を持っていたようには見えぬ。我らは彼が一層深い経験、すなわちこれらのイスラエル人のすべて経たるところ、また全くキリストに従うべく出立したすべての真のキリスト者の経過すべく召された、そしてまた召されるところの信仰の実地の試験を意味している。我らが前章において学んだごとく描写されているかかる救い出しの後、大敵サタンは、必ずや、来らんとする御怒りより逃れんと出立せるすべての者を今一度虜にせんと、あらゆる企てをなすのである。
 事実、救い出しごとに、救いごとに、必ずや、『死にあずかるバプテスマ』と称すべき信仰の試みが来るのである。
 されど我らの今の研究の目的は、イスラエルをして、追いかけ来るパロの軍に降らんよりは、むしろ死を覚悟して大浪を通過して突き進ましめた信仰の秘訣を見出さんとするのである。その秘訣は、我らが既に引用したコリント前書十・一、二に最も明らかに示されている。
 パウロはバプテスマのこの経験を記述するにあたり、四つの前置詞を用いて『わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、みな雲の、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた』と言っている。
 一、第一に彼はバプテスマの要素は雲と海であったと言い、
 二、次に彼はこの経験は彼らの指導者にまで入れられるバプテスマであったと言い、
 三、第三にバプテスマの方法を語って、それはでなくの下で、水のでなく水を通ってであったと言っている。
 ここで我らは確かに彼らの信仰の秘訣を学ぶことができるのである。

 (一)されば我ら共にバプテスマの要素を考究しよう。それは雲と水であった。その物語は出エジプト記第十四章に記されている。そこで我らは、一方においてはイスラエルに嚮導慰安の恵み深き光明を与えながら、敵を隠し、その餌食となることから妨げ、暗黒と混雑をもって蔽うところの保護の聖雲について読む。
 我らは新約聖書においてこの恵み深き表徴の意義と説明を見出しあたわぬであろうか。しかり、確かにそれができる。『あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう』(使徒一・五)、そは『このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう』(マタイ三・十一)からである。すなわちそれは保護する能力、みつばさの庇護、ただ真理の御霊のみがよく与え得る、教え、導き、慰め、来るべきことを啓示し、過ぎ行く道、すなわち道なる主ご自身、その十字架の途、その死の途を我らに顕すところの照明である。イスラエル人は後ろを振り返り見、そこに敵のいることは知れども、それを見なかった。ただ蔽い護る天よりの雲が彼らを囲み、彼らを閉じ込めていたのである。
 ただそれのみならず、この雲はその内部に天の光を輝かせていた。長い深い水底の道でもこの雲はその光を放つ。それゆえに彼らが下り行く死の淵は暗黒ではなかった。その道は天の光明をもって輝かされていた。そして彼等がその光輝の中を歩む間、彼らはその安全なることを確信したのである。彼らの敵には死であるべく行きつつあるものが、彼らには光明と自由の道であるということそれ自らが彼らの保証であった。
 今一つのバプテスマの要素は海そのものであった。ここにもまた我らは新約聖書の中にその聖奠的意義を発見し得ぬであろうか。ここにも今、我らは疑問のうちに残されておらぬ。使徒パウロは言う、『それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである』(ローマ六・三)と。しかり、かくして彼と偕に葬られたのである。紅海の水にてバプテスマを受けたことの重要なる意義は、死と葬りにまでのバプテスマである。しかしそれは我ら自身の死でなく、主イエスの死にまでのバプテスマである。その死、すなわち主イエスの死は、我らにとっては生命、我らの敵にとっては滅亡を意味する。されば信仰によってこの水に入ることを恐れ或いは躊躇すべき理由はない。我らがそこに入るならば、あたかも亡ぶがごとく見えるであろうか。それは生活において最も近い、最も親愛なる、最も甘美なるすべてを失うごとく見えるであろうか。しかり、それはかく見える。されど我らの道を照らす神の御霊の光は事物はその見ゆるごときものでないことを知らしめたもう。主イエスの死に合うバプテスマはただ我らの敵、すなわち我らの世慾、我らの罪、我らの高慢、我らの偽善、我らの世と肉と悪魔の奴隷たることに対する死のみを意味するのである。これらのものは我らがエジプトにありし時はなはだ愛好したところであるけれども、実際は我らの敵、最も悪むべき仇である。そしてこれらのものは、世の贖い主たる我らの頌むべき救い主の上を越えて行きたる死の大浪により、我らが再び見ざるよう、永遠に滅ぼされ得るのである。信仰によって、彼らは海によってバプテスマを受けた。彼らの耳に鳴り響くその指揮者モーセの言葉によって、彼らは険しい、冷たい、しかもなお流れ返らんとする水の通路に飛び込んだのである。『あなたがたは恐れてはならない。かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救を見なさい。きょう、あなたがたはエジプトびとを見るが、もはや永久に、二度と彼らを見ないであろう』(出エジプト十四・十三)。
 かく雲と海はバプテスマの表徴で、本体は聖霊と、我らの主また救い主イエス・キリストの死と葬りである。これによって我らの恐れ戦く心は保護と光明と自由を得るのである。そして我らをしてこれを通過せしめ得るものは信仰であるということのために神を頌めよ!

 (二)なお進んでその信仰に秘訣を発見するために、我らをして更にこのバプテスマの重要なる意義を考えしめよ。
 『みな‥‥‥モーセにつくバプテスマを受けた。』(コリント前書十・二)
 再び我らは問う、新約聖書はこの注意すべき言い顕しに何らかの光を与えているであろうか。しかり、確かにそれがある。主イエスはその使徒たちに使命を授け、『父と子と聖霊との名によって、彼らのバプテスマを施し』なさいと命じたもうた(マタイ二十八・十九)。ヨハネのバプテスマを受けたエペソの回心者は、更に『主イエスの名によるバプテスマを受けた』(使徒十九・五)。またパウロは既に引照した聖語に『キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたち』(ローマ六・三)と言っている。
 雲が彼らを包みまた照らすこと、水が奇蹟的に二分され制止されることは、大いなる救いの君の臨在と信仰に相応しきことどもである。彼らがモーセの杖の上がるままに烈風の吹き来る音を聞き、波の二つに分かれるを見た時、彼らはこの大指導者に目をつけたのである。彼らは神の彼と偕に在すことを知った。彼らは先には呟き戦き失望したとは言え、いま彼の信仰と禱告に従って主の全能力の働くことを見て、勇気を起こして信じたのである。彼らはモーセにまでバプテスマを受けた。彼らは彼の名において、彼の擁護の下に、彼の守る信仰と幸いなる指導のもとに、彼の言葉に依り頼み、神が引き受けたもうとの彼の言質に任せて、刻々と彼らを亡ぼさんと脅かすごとく見ゆる水の中に進み入ったのである。
 主イエスに贖われたる我らにとってもその通りではなかろうか。主の御名、主の御執り成し、主のご臨在は我らの要する保証の全部である。彼の死に合わせられる経験的のバプテスマは、我らが彼の御名とご臨在にまでバプテスマされる時にのみでき得ることである。『何事よりも最も善きことは神我らと偕に在すことなり』とはウェスレーが死の蔭の谷に入る時に残した最後の言葉である。彼はインマヌエル、『神我らと偕に在す』の御名にまでバプテスマされて、彼は死の水路が生命の通路なることを見たのである。彼は彼方に完全に過ぎ行くまで、その足の下に踏むところはみな堅かったのである。そして肉体の死について真であるところは、また罪について死ぬる死についても真である。

 (三)さて今バプテスマにつき考察すべく残るところはその過程である。
 『みな雲の下におり、みな海を通り』(コリント前書十・一)
 出エジプト記の原記事を見れば、これまで彼らの嚮導となり、その道を導き、経路を示した雲の柱は、今は彼らの蓋となり、その後方に移った。すなわち嚮導者はいま保護者となり、海中におけるその通路を現したのである。『雲の下』にてその光に浴し、その蔭に護られ、この天の雲の恩恵深き蔭と光明によって冷たい水のバプテスマもその恐ろしさを失ったのである。この雲は、主が『別に助け主を送って』(ヨハネ十四・十六)と仰せられた聖霊を描く絵画である。救い主昇天の後、使徒たちは反抗と迫害と死に遭遇すべく召されながら、ペンテコステ的バプテスマのゆえにそれをたやすく受けることを得た。彼らは救い主の上衣に纏われ、屍衣を着せられたのである。御昇天の主を受けて彼らの眼界から主を奪い去った雲、来るべきその日に主を伴い来るべきその雲は、聖霊の御身位において、保護し光被する充溢をもって彼らにバプテスマを施した。イスラエルの民もまたかくのごとく雲の下にあったのである。我らは生活の種々の事情のもとに、聖霊の異なれる様々の御職分を必要とする。すなわち我らがバプテスマの水を通して過ぎる時に、聖霊の護り慰めたもう御配慮を要する。あたかも母鳥が危険の時にその雛を懐く抱くごとく、聖霊は我らの上を覆いたもうのである。おお、願わくは彼の恵み深きお務めを認識せんことを。我らが聖霊に依り頼む時にのみ信仰は働き得るのである。もし我らが『雲の下』におらなかったならば、すなわち聖霊の保護し、慰め、輝かす臨在に依り頼むのでなかったならば、いかにして『水』、すなわち世とその魅力に対する死、肉とその力に対しての死、悪魔とそのすべての欺きに対しての死であるところの水に、下り行くことを得るであろうか。さればこれが大授洗者なるキリストのバプテスマを施したもう道である。これが『このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう』(マタイ三・十一)と言われている神の約束であり、天の方法である。聖霊は単に前に行きたもうばかりでなく、単に我らの嚮導者でありたもうばかりでなく、後方に我らを護り、我らを蔽い、我らを取り囲み、我らの上に在す。彼らはみな雲の下に在った。それは実地のバプテスマであった。彼らは雲の中にバプテスマを受けた。我らはこれらの重要なる意義を実に了解したであろうか。我らは彼の臨在に包まれ、蔽われ、取り囲まれ、充溢されているであろうか。もしそうであれば信仰は容易である。信仰によって我らもまた水を通して過ぎ行くことができる。かく我らは
 『みな海を通り』
と記されてあるを見る。
 しかり、恐ろしかりし大浪も彼らに触れず、彼らは無疵にて水を通り過ぎた。それは死の海、滅亡の海であったことは事実であるけれども、イスラエルの人民には近づき来らなかった。水は彼らの上に高く聳えた。ある意味で彼らは水の下にあった。けれどもこの物語の強調点は、彼等がその水を通して自由と安全の中に過ぎ行ったというところにある。
 水は死の水であった。エジプト人は過ぎ行かんと試みて溺れた。この本文にある『信仰によって、人々(イスラエル人)は』と『同じことを企てた(企てによって)エジプト人は』に対照がある。自然のいかなる力も、いかなる勇気も、いかなる熟練も、死の水を通して無疵に過ごさしめることはなしあたわぬ。ここで役立つのはただ信仰のみである。
 私が既に指示したように、キリストの死と葬りに合うバプテスマは現実の死と葬りである。けれども我ら自身の死と葬りでなく、我らの敵のそれである。紅海渡渉の後に来るモーセの歌における勝利の基調は、敵の滅亡である。彼が歌うところは水から救われたことでなく、むしろ水がその業をなし、追跡し来るエジプト人を永久に滅ぼしたことである。かく彼は敵の滅びを喜び、更に将来、彼らの進行に反抗する敵がこの栄光ある勝利を聞いて驚き恐るべきことを歓喜をもって期待することを述べている。
 ミリアムが合唱隊と共にこれに和して『主にむかって歌え、彼は輝かしくも勝ちを得られた。彼は馬と乗り手を海に投げ込まれた』(出エジプト十五・二十一)と歌ったのも道理である。
 我らがこの劇的景色に最後の一瞥を払い、信仰の救い出しのなおほかの学課を学ぶ時に、我らもその歌に合わせて歌わぬであろうか。もし信仰が我らを通り過ごさしめたならば、もしすべて我らの敵が海に葬られたるを見たならば、もし我らのキリストと偕に死んだことがまた、雲と海のバプテスマによりて彼と共に葬られ、彼と偕に甦ったことを意味するならば、我らもまた詩篇の作者とともに歌わぬであろうか。
 『わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。
  主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。
  主はわたしを滅びの穴から、泥の沼から引きあげて、
  わたしの足を岩の上におき、
  わたしの歩みをたしかにされた。
  主は新しい歌をわたしの口に授け、
  われらの神にささげるさんびの歌を
  わたしの口に授けられた。
  多くの人はこれを見て恐れ、
  かつ主に信頼するであろう』(詩篇四十・一〜三)と。
 再び私は一人の証人を呼ぶ。既に言ったごとく、私はこれらの研究が既に過ぎ去った昔の聖徒の興味ある物語だけで終わらぬようにと心がけている。感謝すべきことには、神は我らのこの時代にもその恩恵の不思議なる業を繰り返しつつありたもうのである。
 私ははなはだ名高い囚人、好地由太郎氏によって語られたる彼自身の回心の物語ほどに、出エジプトの場面を個人の生活に模写した、劇的なものはないと思う。そのうちに、我らはほとんど聖霊や亡ぼす水、光、火、そしてこの聖なる物語のすべての光彩ある事共が見られる。彼は何ら人間の教師なくして、ただ神の御言とその著者にて在す聖霊に依り頼んだ。彼は先入主となっている神学的教理による感化も受けず、また妨げられもしなかった。これより示す物語において、読者は、我らの友人なる彼は自らそれと悟らざれど、聖霊の保護し照らす能力によってエジプトより導き出されて約束の地に連れ来らせられたことを感ぜざるを得ぬのである。もし福音宣伝の年代記中に出エジプトを例証する物語がありとするならば、たしかにそれは次に記すところのものであるだろう。
 私が、ちょうど終身懲役の刑を免され、監獄から出たばかりの好地氏に初めて会ってから、二十年以上を経た。そして彼はただ近頃、かくも忠実に仕えた主と偕におるべくこの世を去ったのである。彼の自叙伝がちょうど出版された。それから私は或る記事を抄出することにする。
 彼はいかにして十八の年の頃から強盗になったかを語った後に、進んで語る。或る時、人の家に押し入り、その主人の妻を陵辱したる後に殺害し、その犯跡を湮滅するために放火したと言っている。彼はなお強盗を続けたが、ついに捕らえられてその罪を訴えられた。
 彼の有罪の決定するまで、その審問中ほかの多くの犯罪人と共に監禁されていたが、数日後に一人の青年が審問を待つべく同じ監房に投げ込まれたので、彼らはこの青年に何の犯罪でここに来たかと問うた。すると彼は静かに、何も間違ったことはなさなかったと答えたので、彼らを怒らしめ、彼らは彼を打擲し始めた。けれども彼は路傍でキリスト宣伝をしたために審問を待っているのだと語って、怨言もせず忍耐深くこれに耐えていた。実は彼は間違ってこの監房に入ったので、それがわかると他の所に移された。けれども彼はそこを去る前に、跪いて彼らのために祈った。好地氏は言う、『私はそれを深く感じて、どうしてそんなに忍耐深く耐えられたかを彼に尋ねた。彼はそのわけを語る時を持たなかったが、ただ「聖書を見なさい。そこにあります」と言った』と。
 これはいかに不思議に燃ゆる柴の話に似通っていることぞ。神の恩恵深きご摂理により、この犯罪人の群集の中に神の炎の燃ゆる生命が押し込まれたのである。古のモーセのごとく、この話の主人もこの見ものを見んと振り向いた。そして彼が彼自身の霊魂に主の御声を聞いたのは数年の後であったけれども、この見ものは決して彼を離れず、彼の永遠の救いの要因の一つになったと彼は認めている。
 その後まもなく、好地氏の母が彼を訪ねて面会に来た。そして、囚人は一般に読書を許されぬのであるけれども、彼の母は或るキリスト教牧師に面会し、一冊の新約聖書が彼に届けられるように取り計らったのである。彼は何の罪の感じも窮乏の感じもなく、もっと善い生活を送りたいとの願望も持たなかった。しかるに彼が聖書を読むようになったのは不思議な心的状態によることである。
 彼の語るところによれば、この本には何か一種の魔法が記してあって、どんな肉体の呵責にも耐えて、罪状を告白せずして済ますことを教えると想像したということである。彼はかくつまらないことを考えて読み始めたが、読んでみれば、彼の考えたこととは全く反対のことがこの本に教えられてあるのを見出した。それは彼にその罪を悔い改めて告白すべきことを勧めているのである。
 それゆえに彼は光を嫌って投げ棄てたのである。ここに付け加えて言うべきことは、彼の母が彼のために聖書を得たことから、彼の父母ともに回心するに至ったのである。これは彼が後に至って知ったところである。彼は審問途中、これを遁れんとて逃亡したが、間もなく再び捕らわれ、ついに殺人の故で死刑を宣告されたけれども、二十歳に達しておらぬので、それが終身懲役(二十八年の苦役)に代えられ、日本北部の監獄に送られたが、今一度彼はそこから逃亡した。されど再び捕らえられ、ために刑期が九年加えられたのである。
 神の御なされ方はいかに驚くべきことぞ。ペテロが獄から救い出されたような話がまた繰り返される。我らのこの話の主人公はペテロの場合よりももっと厳しく守られて、救出すべき手段はなかった。人間の側から言えば、この監獄のエジプト的暗黒を透け入るべき天的光明の一線もなかった。この囚人らの中に救いの音信を来らすべきことは人間には何らの可能性もなかった。看守も役人もすべてが異教の暗黒に包まれていた。けれども主にあに成しがたきことあらんや。私がしばしば異郷の地で認めたるごとく、神はこのご自身の僕に光明を与えるために、夢を用いたもうた。
 一千八百九十年の一月二日に、彼は驚くべき経験をした。というのは、その夜、彼は一つの夢を見た。一人の輝く白い衣を着た美しい児童が彼の傍に現れて、『私は福音をもって天からあなたに遣わされた使者である』と言い、その手に一冊の書物を持ち、『これはあなたに永遠の生命の道を教える神の言葉である。私はあなたにこの書物を与える。必ずこれを読め。そして私があなたに告げたことを決して忘れるな』と言い続けたのである。彼は目覚めて、直ちに数年前に東京の監獄で彼をして聖書を入手するようにならしめた青年のことを思い出した。彼は今一度、燃ゆる柴の幻示を見たのである。
 彼は今は自身の悪と失望的な状態を深く考え出し、聖書を入手しようと決心した。ついに聖書は与えられたが、彼はほとんど読み方を忘れていた。日本語はアルファベットでなく表意文字で書いてあるので、一語一語覚えねばならぬのである。しかし看守長は非常に親切に、彼に読むことを教えようと言い出した。
 彼は聖書を読み行くほどに、自らその罪を棄て、できるだけ罪を犯す仲間から離れる願いと決心を起し、またその力をも見出した。そこには言うことのできない種類の罪が彼らの中に蔓延っていたが、彼は母の愛を思い、天使の幻示、前に語った若い信者の例を思い出し、かつまたその読む御言は神の御手の中に在って彼の霊魂に光と生命を持ち来らす手段となったのである。
 かくして彼に大変化が起こった。すなわち彼は外部の著しい罪を棄てるばかりでなく、誰にでも僕のごとく仕えることを喜びとするようになり、しかもそれらのことが面倒でなくなった。その上彼はもはや黙しておれなくなり、彼は同囚の者共に証をなし、また福音を宣べ始めた。これを聞く或る者は深く感じ、或る者は烈しく反対した。
 七人の者が主を求めるように決心して彼の仲間になった。そこで彼はこれらの者のみ別の監房にいることを特に典獄に願い出で、これが許されたので、彼らはともに読みまた祈り得るようになった。このことは他の者共を非常に怒らしめて、格別に二十人の一味が彼らを殺そうとした。けれども彼らは祈り続け、結局、その一味の者の首謀者で、皆の中で最も凶悪であった者がその悪しき道を悔い改めて彼らに加わり、彼らの監房に加わらせてもらいたいと願い出ずるに至った。
 時が進むにつれ二百人の者がキリスト教に興味を持ち、また感ずるようになったので、仏僧の代わりにキリスト教牧師を監獄教誨師に任命して頂きたいと典獄に願い出たが、この願いが許され、留岡牧師が任命されることとなった。そして好地氏は留岡牧師の家にて開かれる日曜学校を助けるために監獄から出席することさえも許された。
 或る日、看守長が好地氏のところに来て言う、『おまえはキリスト信者だね』、彼は答えて『そうであります』と言う。看守長は『私はおまえと議論したい。もし私が勝てば、おまえはキリストの信仰を棄てよ。もしおまえが勝てばわたしはキリストに従う』と言うので、彼はそれに同意した。神はその場合に対して驚くべき能力を彼に与えたもうたので、看守長は敗北を認めたが、キリストを受けることは拒んだ。彼ははなはだ失望したが、数年後、彼が放免されてから、日本の南の方で、偶然、以前の看守長に出会って、既に彼がキリストに来ていることを見出し、驚きまた喜んだことであった。監獄の役人たちは彼の生涯の驚くべき変化を実際に見て、ますます彼に対して親切になった。
 しかしながら彼は、彼自身の霊的状態についてますます不満足を感じ出した。彼は深く内住の悪を覚った。どんなにもがいても、自らその罪深い性質の起き上がるを治め得ぬことを知った。彼は彼の旧い敵がその勢力を取り戻そうとすることさえ見出した。彼はただ『わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか』とローマ書七章二十四節の語で呼び出だすのみであった。
 エジプト人は追いかけ来たる。敵はその餌食を奪還せんと最後の必死の働きをなすのである。されども保護する聖雲はその窮地において敵を禦ぎ、彼を薦めて、彼を圧倒せんばかりに見えたその水を通して前進せしめた。
 彼はその健康を害するほどに苦しんだ。典獄や他の役人たちはこれを見て、その仕事を休ませようと言い出したが、彼は他の囚人より異なった取り扱いを受けることを欲せぬので、これを断った。ついに働くうちに疲れ切って倒れ、無意識の状態で病院に入れられた。彼は三日の間その状態でいたが、ほとんどパウロのなせるごとき不思議な経験で、彼は生きていたか死んでいたか知らなかった。
 以前の幻示で彼が見たその児童が再び現れて、『御言を読め! 御言を読め!』と言った。そこで彼は新約聖書を暗記してしまおうと決心し、典獄に願い、もし許されるならば独房に入ることを求め、これを許されて、彼は三年の間に新約聖書の全体を憶えてしまった。
 独房に入ったので、彼は聖書においてかくも明白に約束されおるを見たその全き救いのために、心を尽くして主を求めた。今一度、火の柱なる聖霊は開かれたる水に沿ってその光を注ぎ、キリストの十字架の能力と宝血の意味とを彼に啓示し、信ずるよう力づけたもうた。
 昔の族長ヨブは久しき前に『しかし獣に問うてみよ、それはあなたに教える』(ヨブ十二・七)と言っている。蟻、山鼠、蝗、井守などが神の道とその秘密を我らに教えるべく神に徴集されている。牛や驢馬の従順を通して人は自己の剛腹と忘恩を教えられる。
 屠られたる小羊とその流血を通して、イスラエル人は罪とその救いの道を教えられたのである。
 かくのごとく、何人も教え導き教訓を与える者なき監獄の独房にて、聖霊は不思議な、異常なる仕方にて、この疲れた霊魂に、神の受造物の最も卑しきものを通して、主イエスの十字架、受難、流血の意味を啓示したもうた。彼はその物語を続けて言う。
 『それは夏でありました。一夜、私は恵みを求めて、霊魂に烈しい苦闘をしておりました。その場所に蚊が充満しておりました。私はそれを心に留めませんでしたが、祈り終わってみると、ほとんど一面に刺されていました。目を上げてみると、幾十となきこの小さい虫共は私の血に満腹して監房の壁に休んでいました。そのとき電光のごとく私の心に閃いた考えはこれでありました。これらの蚊はおまえの血で生きている。それなしには彼らは死して亡びる! 聖霊は直ちに聖語から二つの箇所を、驚くべき力をもって当て嵌めたまいました。それは
  一、わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。(ヨハネ六・五十六)
  二、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。(ヨハネ一書一・七)
でありました』と。
 彼は信ずることを得せしめられた。平安は彼の霊魂に漲った。彼は言いがたき喜びをもって喜んだ。十字架上の盗人がすぐその日、栄光の主と共に自己をパラダイスに見出したごとくに、彼はその夜、彼の監房が実にパラダイスなることを見出した。聖霊は宿るべく来りたもうた。保護する雲、照明する火は、死の水を通して彼を自由と能力の栄光ある生命に導いた。主イエスの死、十字架、貴き血は、すべてその聖める力をもって顕された。信仰によって彼はまた墓に入り、信仰によって水を通過し、喜び躍って新しき復活の生活に入った。彼は昔のイスラエル人のごとく大水の彼岸に立って、その御救いのゆえに主を讃美し、彼らのごとく、彼の敵たちがもはや再び見られぬように亡ぼされていることを見出した。
 三月の一日、彼はその終身刑の二十年の服役を終わったが、その日、特別減刑が許され、北の地の監獄より横浜の監獄に移され、そこにて追加刑の九年を軽い服役にて果たすこととなった。
 その途上、彼を護送するために遣わされた特別看守が、大いなる厚遇としてウィスキーと煙草を差し出したが、彼は自分はキリスト信者であることを告げてこれを断った。すると看守は『では私は今晩心配なしに眠ることができる。私はおまえが逃亡を企てるかも知れぬと、それを恐れていた』と言った。彼は東京を過ぎる時、今は信者になっているその愛する母に会い、共に祈った。
 新しい監獄にて、彼は病める囚人の看護人として働くはなはだ軽い服役をさせられた。そしてこれがまた、彼らに御言を奉仕する多くの機会を与えた。
 彼は再び独房を願い、主を俟ち望む特別の時を持つことを許された。九年刑のうち三年服役した後、彼は赦されて今一度世に出た。監獄を去るその夜、彼を送り出す前に、典獄は彼を自宅に招き、客として待遇した。
 ここに私はこの話を終わるが、残りの話は殊に感動すべき興味ある事共である。主はその後、霊魂の救いのために大いに彼を用い続けたもうた。政府は国中のほとんどすべての監獄を訪問して福音を宣伝することを彼に許した。
 ただこの絶望的の囚人に血と聖雲の防壁が啓示されて、死の水を通過し、彼方の栄光ある生活に進み入ることを得せしめたばかりでなく、古のモーセのごとく、人々の指導者となり、多くの霊魂をエジプトの苦役と暗黒から導き出し、神の子供の栄光ある自由に入らしめることを得せしめたのである。実にイエス・キリストは昨日も今日も永遠も変わりたまわないのである。ハレルヤ!



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